最終話 こころのありか
この作品は「東方Project」の二次創作です。
原作 上海アリス幻樂団
改変、独自設定その他諸々 小湊拓也
守矢神社の神は、科学技術を司る。
信徒たちの、そんな噂話を、朝倉理香子は聞いた事があった。
だから、科学技術班などという部署が守矢神社にはあるのか。
自分はそこに所属し、信仰とは全く関係のない、個人的・利己的な目的を果たさんとしている。
自分は、守矢神社を利用しているのだ。
そんなものはしかし、この少女には見透かされている。
拝謁の度に、理香子は、そう確信せざるを得ない。
「どうか……お顔を、上げて下さいな」
跪く理香子に、優しい声が降り注ぐ。
守矢神社、拝殿。
数万人が収容可能なドーム状施設で、中央の大祭壇に少女はいる。理香子もいる。
守矢神社本部の主だった神官たちが、大祭壇を取り囲んでいる。
その全員に今、拝殿を埋め尽くす信者数万人の眼差しが注がれているのだ。
「……ありがたき幸せにございます、風祝様」
拝跪の姿勢のまま、理香子は顔だけを上げた。
「我が友、小兎姫の身に……貴女様、御自らが奇跡をもたらして下さる。この朝倉理香子、守矢様に……いかなる贄を、捧げ奉るべきでありましょうか」
「そんな必要は、ありませんよ」
少女は、微笑んだ。
「守矢様は確かに、生贄を求める神という一面をお持ちですが、それは古の時代の事。今、この時代の人々を救うために……私たちは、この時代の信仰の在り方を追求しなければなりません」
大祭壇には、花が咲いていた。様々な花が、咲き乱れている。
植物の塊、とでも言うべきものが祭壇中心部にあり、それが様々な方向に蔓を伸ばして祭壇全体を覆っていた。複数種の花をびっしりと咲かせた蔓をだ。
風祝の少女の、たおやかな姿は、その禍々しく生い茂った植物に今にも呑み込まれそうである。
呑み込まれそうになりながら、少女は片手をかざした。
白く美しい五指と掌から、科学では解明不可能な力が放たれ漂い、大祭壇全体を包んでゆく。
それを理香子は、眼鏡越しに、確かに見た。
少女の可憐な唇が、やがて祝詞にも似た聖なる呟きを紡ぐ。
「そう……信仰は、儚き人間の為に……」
風だった。
少女は今、風を吹かせている。
花々が、葉が、神聖なる風に揺られて、さらに大きく開いてゆく。
成長を促進されている、と理香子は分析した。
少女の吹かせる風は、生命の風であった。植物に生命力を吹き込み、成長を促してゆく。
成長の限界に達した植物は、やがて枯れてゆく。
花々が、蔓や葉が、急速に枯れて崩れ落ちた。
植物の塊の中核であったものが、やがて姿を現した。
枯れ砕けた花々の残骸、その中に横たわる白い裸身。
様々な植物の土壌とされていた娘が、うっすらと目を開く。声を発する。
「…………あ……あぁ……あああ……か、ぜ……ほうり、さまぁ……」
「小兎姫……」
理香子が呼びかけても、返事はない。
小兎姫には今、風祝の少女の、神々しく清らかな姿しか見えていないのだ。
生命の風は、小兎姫を侵蝕する植物を成長させ尽くし、枯死させながら、小兎姫の肉体そのものにも生命力を吹き込んでいた。
そして成長や老化をもたらす事なく、治療だけを施す。
無傷の裸身を、よろよろと起き上がらせながら、小兎姫は涙を流している。
「風祝様……私、生きておりますのね? 生かして、下さいましたのね……ああ……」
「全ては、守矢様の思し召しですよ」
風祝の少女が、小兎姫の身体に、ふわりと白い衣を被せてゆく。
奇跡だ、と声が上がった。
拝殿を埋め尽くす、数万の信徒たちの中からだ。
数万人の呟きが、どよめきが、やがて雷鳴の如き歓声となり、拝殿を揺るがした。
風祝の少女は、右手を上げて歓声に応えつつ、左手で小兎姫の細身を抱き寄せている。
そうしながら、微笑む。
その笑顔は、感涙にむせぶ小兎姫に向けられ、祈り叫ぶ数万の信徒に向けられ、恭しく拝礼する神官たちに向けられている。
全員に微笑みかける事の出来る少女なのだ、と理香子は思った。
今この場にいない、全国の守矢信者にさえ、彼女は笑顔を向けている。
守矢神社の神は、科学技術を司るという。
だが、理香子は確信していた。
たった今、この少女が吹かせた生命の風に、科学技術による仕掛けは一切ない。
「弾幕……」
ぽつりと、理香子は呟いた。
間違いない。
この風祝の少女は、博麗靈夢や霧雨魔理沙と同質の存在だ。
あの生命の風は、そのまま弾幕の生成へと応用可能な力で出来ている。
守矢神社の象徴的存在・風祝は、弾幕使いなのだ。
「……理香子さん。例のお話、進めて参りましょう」
信徒たちの歓声に応えながら、風祝の少女は小声を発した。
数万の人々に微笑みかけつつ、この少女は、朝倉理香子という一個人に意識を向ける事をも怠ってはいない。
「貴女が私たちに預けて下さった、あのメモリーカード……とても素晴らしいものだと思います。守矢神社の資金力と、貴女の知識・技術力をもって」
「風祝様……それでは!」
「ええ、造り上げましょう。守矢神社の力を。人々を救い守るための、大いなる力を。守矢様の神徳、その具現化と言うべき力を」
かつて夢幻遺跡の戦いで、理香子が勝ち取ったもの。
岡崎夢美の、技術。その初歩的な一部分。
試す事が出来る。造り上げる事が、出来るのだ。
守矢神社の、設備と資金があれば。
「貴女に、主任を務めていただく事になりますよ。理香子さん」
「……承りました、風祝様。守矢神社の、力を……守矢様の、大いなる代行者を。私は必ずや、この世に顕現せしめて御覧に入れましょう」
理香子は、言った。
「プロジェクト『核熱造神』、これより始動いたします」
「夢は、いつか必ず覚めるもの」
よくわからぬ植物が生い茂る野原で、ドレミー・スイートは車椅子を押している。
「……なぁんて一体、誰が決めたんでしょうね?」
後ろから囁きかけ、微笑みかけても、その女性は何も言わない。
車椅子の上で、人形のような様を晒すだけだ。
まだ、言葉を発する事が出来ないのだ。ドレミーの声が、聞こえているのかどうかも、わからない。
全身、顔面に至るまで、包帯が巻かれている。
包帯の中で、ようやく原形が整ったところである。
ドレミーは彼女を、原形すら失っていた肉体ごと、こうして夢の世界へと避難させたのだ。
「いいじゃないですか、もう。ずうっと夢の中にいましょう。貴女はね、現実世界で頑張り過ぎたんです」
自分の声が、届いていないかも知れない。
構わずドレミーは、語りかけた。
「……月の都なんて、もう放っておきましょう。夢を見る事さえ、穢れであると捨ててしまった人たちです。いいじゃない、夢を見たって。誰も困りはしませんよ、貴女が夢の中から出られなくなったって」
月の都を守るため、彼女は手段を選ばなかった。
結果、玉兎という、実質的に月の都を掌握している種族の怒りを買い、逆襲を受け、このような様に成り果てたのだ。
顔面に巻かれた包帯の隙間から、彼女はぼんやりと空を見上げている。
太陽も月もない、それでいて謎めいた明るさを保持している、夢の世界の空。
ドレミーの気分ひとつで、日を昇らせる事も出来る。星空にする事も出来る。
星空にしてみた。
様々な星座が浮かぶ、仄明るい夜空。
月は、ない。
「月なんて要りません。貴女はもう、月から解放されないと」
ドレミーは言う。
車椅子の上で、彼女は何も言わない。
包帯の隙間で、瞳が微かに揺れている。
涙を流そうとしている、のであろうか。
綺麗な瞳だ、とドレミーは思った。
「泣かないで……ううん、泣いてもいい。思いっきり、泣きましょう。私が、傍にいますから」
月の賢者を名乗っていた時よりも、ずっと綺麗な瞳だった。
「私が、ずっと一緒にいますよ。サグメ様」
清蘭の杵に、べっとりと血痕が残っている。
綿月依姫は、じろりと睨んで尋問をした。
「……貴様、一体何をした?」
「いやその、依姫様に日頃イヤミばっか言ってる若作りお局をね。ぺったんぺったんお餅つき、したりしなかったりアハハハハ」
清蘭は頭を掻いて笑い、依姫は溜め息をつく。
「……この度は私が大いに失態を晒し、お前たちを危険な目に遭わせてしまった。本当に、申し訳ないと思う」
溜め息をつき、ぺこりと頭を下げる。
清蘭は慌てた。
「ち、ちょっと依姫様……」
「囚われていた玉兎兵たちを、救い出してくれたのだな。イーグルラヴィ……さすがの武勇である。私など、要らんな」
「何言ってるんですか依姫様。確かに私ら今回、大活躍でしたけどね」
鈴瑚は言った。
「それもね、依姫様がいらっしゃるからです。ああもう恥ずかしい、言わせないで下さいよ」
恥ずかしさをごまかすように、一人の玉兎の肩を叩く。
「……辛いお仕事、させちゃったね。新人ちゃん」
「いえ、私は……」
肩を叩かれ、レイセンが俯く。
「私は、ただ……イーグルラヴィのお二人と違って全然、弱いから。稀神サグメ様の言いなりに、なるしかなくて……」
「クッッソ使えねえ月人の兵隊どもと一緒に地上へ行かされて、随分な目に遭ったんだよねえ」
清蘭が、反対側からレイセンの肩を抱いた。
「……助けに行けなくて、ごめんね本当に」
「いえ私が! 私が一人で、ちゃんとやらなきゃいけなかったんです。私……一人で、やれなくて……何にも出来なくて……私、弱いからムグムグ」
泣き出しそうなレイセンの口に、鈴瑚は串団子を突っ込んだ。
「ま、要するに……一件落着って事ですよ依姫様。私らが危険な目に遭うのは当たり前です。それが、お仕事なんですから」
言いつつ鈴瑚は、ちらりと後方に視線を投げた。
玉兎の軍勢が、整列・敬礼をしている。
綿月依姫に付き従って叛乱を起こし、敗れ、稀神サグメに囚われて人質となり、イーグルラヴィによって救出された兵士たち。
全員と向かい合い、依姫は言った。
「お前たちの戦友を、無駄に死なせた……私は、お前たちによる裁きを受けなければならないと思う」
「無駄死にをした者など、一人もおりません」
玉兎の少女たちが、口々に応える。
「我らの命は、依姫様の御ために……」
「嫦娥様より豊姫様より、クソむかつく稀神サグメなんかより、依姫様のために戦って死にたいです」
「……稀神サグメはな、尋常ではなく惨い目に遭ったのだ。もう許してやれ」
言いつつ依姫は、稀神サグメを惨い目に遭わせた張本人の耳を、掴んで引いた。
「なあ清蘭よ。この度、貴様は実によくやった。と言うか、やり過ぎだ馬鹿者」
「いたたたたた、痛い痛い! 依姫様、痛いよー!」
清蘭は悲鳴を上げ、泣き出した。
「いたい……よう……依姫さまぁ……」
泣きじゃくり、依姫にすがりついてゆく。
「……あいたかった……よりひめさまぁ……」
「せ、清蘭……待て、お前たちちょっと」
清蘭だけではない。
玉兎たちが、あらゆる方向から依姫に泣きついていった。
「うわーん依姫さまぁああ!」
「会いたかった! あいたかったー!」
「ずうっと心配だったんだからあぁぁ」
泣きじゃくる玉兎の群れに揉みくちゃにされる依姫を、鈴瑚は観察した。
「ねえ新人ちゃん。君、地上で依姫様と、ずっとじゃないにしても一緒だったんだよね? 大変だったと思うけど……やっぱり、拾っちゃってた? いろんな神様」
「拾ってました。大変でした」
もぐもぐと団子を食らいながら、レイセンは遠くを見つめていた。
皇宮の一角で、華やいだ騒ぎが起こっているようである。
玉兎の兵団が、指揮官・綿月依姫との再会を喜んでいるのだろう。
それだけが現在、月の都に存在する、唯一の賑やかさであった。
永遠の静寂に満ちた都。
同じ建物ばかりが整然と延々と並ぶ、その街並みを、丞相・綿月豊姫は見つめていた。眺めていた。
皇宮の露台から、じっと。
「貴女は」
傍らに立つ女性が、問いかけてくる。
「……本当は、私が許せないのではなくて?」
「何のお話か、わかりませんわ。お母様」
豊姫は言った。
「……一体、どの件についてのお話なのやら」
「そうね。私は貴女から、本当に……色々なものを、奪ってしまった」
母が、優雅に微笑む。
「……父親を、弟を。そして輝夜を」
「死んでしまった人々に関しては、もう思う事などありません。そして輝夜は生きております」
蓬莱山輝夜は、生きている。もう死ぬ事はない。
そうなるに至った原因を作ったのは、確かに、この母ではある。
「もしも八意様がおられなければ……母上、輝夜は貴女に殺されていた。そして貴女がいらっしゃらなければ、輝夜は、あの幻想郷という恐ろしい場所へ行く事はなかった。あのように、穢れにまみれる事もなかった。貴女は原因、貴女は元凶。それを思えば」
豊姫の右手から微かな光がこぼれ、揺らめく。
「私が許しても……このフェムトファイバーが貴女を許さない、かも知れない」
「いいのよ? 切り刻んでくれて」
「蓬莱人を、フェムトファイバーで切り刻む……それには私、もう飽きてしまいました」
輝夜を切り刻み、藤原妹紅を切り苛む。
それをしたところで結局、何ひとつ、豊姫の思う通りにはならなかったのだ。
あの激烈な闘争とは、まるで縁のない静寂の世界が、目の前にある。広がっている。
月の都。
豊姫は、見渡した。
「平和……ですわね。お母様」
「……そうね。今の月人は、宇宙で最も平和的な種族」
一人の外出者もいない街並みに、澄みきった眼差しが注がれる。
「そんな種族に……私は、戦をさせた」
月人の軍勢。
レイセンに率いられて幻想郷へ降り、虐殺を行って反撃を受け、殺し尽くされた。
艦隊は、八意永琳ただ一人によって殲滅された。
「月人が、戦いによって穢れを思い出し、強靭な種族に生まれ変わる……最後の、機会。そんな浅はかな期待が、私の心にあった事は否めないわ。そのせいで……大勢の月人が、死んでしまった」
「では、お母様。月人は、もはやずっと……このまま、ですわね」
見渡す限り連なる、同じ型の建物の列。
その中で月人たちは、生命維持装置に収納され、ただ存在している。
動かない。思考も想像もしない。怒る事も泣く事も、笑う事もない。
そういったものは、全て穢れであるからだ。滅びへと、繋がってゆくからだ。
「……良い、と思います。私は、それで」
思うところを、豊姫はそのまま述べた。
「月の都は、平和なのです。それに勝るものが、ありましょうか」
「そうね……」
この宇宙に数多いる知的生命体が、渇望してやまぬもの。
平和。
その一つの形が、確かに、ここにはあるのだ。
誰も、動かない。故に他者と出会う事はない。
誰も、思考しない。故に、考え方の相違が生ずる事もない。
誰も、欲望を抱かない。故に、搾取や奪い合いが起こる事もない。
全てを排除した先にある、平和。
それが、月の都なのである。
見つめ、見渡し、母は涙を流していた。
「……綺麗ね」
「はい、美しゅうございます。母上……嫦娥様」
豊姫も、涙を流している。
「…………守らねば、なりませぬ」
まずは、名無しの小悪魔がやり遂げてくれた。
それだけで、純狐は幸せだった。
自分は今、この宇宙で最も幸せなのだ、と思えた。
「ああ愉快、愉快。本当に楽しい、本当に素敵……」
一人、金色の長い髪を、黒い衣を、宇宙空間に舞わせて喜び踊る。
「名無しの小悪魔だけではない。幻想郷……ふふっ、うっふふふふふふふふ。失いたくないものを守るため、一途に戦う子ばかりではないか。ああ、何という事だろう」
たおやかで豊麗なる全身から、喜びが、幸福が、溢れ出す。宇宙空間に、振りまかれる。
「あんなに健気で、一途で、穢れきった、可愛い子たちが……この宇宙に、存在していたなんて……」
生きるために、守るために、取り戻すために、戦う。
まさしく、穢れ。
穢れに満ちた弾幕の花が、咲き乱れた。
「みんな、一人残らず……純化してあげたい……」
陶然と、純狐は微笑んだ。
「……ああ、みんな愛しい。愛おしい、愛おしいなあ……うふふ、ふふふふふふ愛おしい……愛しい、愛しい、本当に愛おしい……」
愛が、満ちた。
「…………愛おしい……なあ……」
声が、震える。
愛が、両眼から溢れ出す。
「……愛しい……いとしい…………いとおしい……よう…………うぇえええ……ええええん……うああああああう、あぅっぐ…………」
慟哭が、宇宙に響き渡っていた。
「ひっぐ、ぅええええん…………いとおしい、よぉおおお……あぅあああああ、ああああああああああああ」
弾幕のような涙を宇宙空間に飛散させながら、純狐は語りかけていた。
ここにはいない、愛おしい者たちにだ。
「………行くからね、幻想郷のみんな……愛しい、みんな……必ず、会いに行くからね……」