第9話 穢れの大地
原作 上海アリス幻樂団
改変、独自設定その他諸々 小湊拓也
爆炎の閃光が、夜空を真っ白に染め尽くした。
一瞬だけ夜を昼に変える、その圧倒的な白い輝きの中、点々と原形を保っているものたちがいる。
無傷の、土偶の群れ。
ずんぐりと不格好な全身甲冑でマスタースパークを蹴散らし、飛行し、押し寄せて来る。
「くそっ、何だ! こいつら!」
虚しく炎を噴く小型八卦炉を眼前に浮かべたまま、霧雨魔理沙は魔法の箒を駆った。
アリス・マーガトロイドが背後から、弱々しくしがみついて来る。
呆然としているのが、魔理沙にはわかる。立ち直りかけたアリスの心が、再び折れてしまった。
無理もあるまい、と魔理沙は思う。
マスタースパークの通用しない相手が、軍勢を成している。自分の心もすでに折れているに違いない、と魔理沙は思うが、心の折れように関係なく、やらなければならない事が今はある。
「わ、わかった! 私が悪かったよ、ごめん」
魔理沙とアリスを乗せた箒が、空中で停止する。
月人の兵士、であるらしい土偶たちが、ぐるりと2人を取り囲んでいる。
両手を上げたまま、魔理沙は言った。
「綿月依姫に蓬莱山輝夜、だったか? そんな奴らの事は知らないぜ。本当に知らん。私の方から撃ったのは、この通り謝るから……頼む。成子を、捜しに行かせてくれ」
眼下に広がる、魔法の森。このどこかに、矢田寺成美は撃たれて墜落した。
魔理沙の、愚かしい先走りが招いた事態である。
「知らぬはずが、あるまい」
月人の軍勢による包囲。その後方からこちらに銃を向けたまま、レイセンが言った。
「両名とも罪人ではあるが、月の皇族、皇姫でもある。卑小なる者どもしかいない地上で、その輝ける存在を埋没させるなど不可能! まあ良い。隠し立てをするならば、貴様らを捕えて脳髄の中身を調べるまで」
言葉と共に、引き金が引かれた。
「……脳があれば良い。首から下は要らん」
銃口から、光が迸った。
とっさに魔理沙は眼前に魔力を展開し、防壁を成した。魔法陣の形の防壁。
それが、レイセンの射撃によって粉砕されていた。
息を呑む魔理沙の周囲で、土偶たちが片手を掲げる。太く不格好な指が、発光する。
光弾が放たれていた。魔理沙に、アリスに向かって、全方向から。
小さな人影が、地上の方から飛び込んで来た。
「ふぉおおおおおお、まっ魔理沙、まりさあああああ」
そんな叫びに合わせ、光弾が全て跳ね返った。
1人の小さな少女が、魔理沙の傍らで日傘を開き、振り回している。
その日傘が、月人たちの光弾を全て防ぎ弾いたのだ。
「おっ重い、重たい、私はもう駄目、魔理沙はやく逃げろー」
「ルーミア……」
日傘に引きずられるようにして、ルーミアが目を回し、へろへろと墜落して行く。
その小さな身体が、月人の兵士に捕獲された。
ずんぐりと太い土偶の手が、ルーミアの可憐な細腕を引きちぎった。鮮血の代わりに、暗黒の飛沫が飛び散った。
「まりさ……」
悲しげな表情を浮かべたルーミアの愛らしい顔面が、土偶の手で剥ぎ取られた。
ルーミアの小さな片足が、ねじ切られ放り捨てられた。臓物らしきものが引きずり出され、宙を舞った。
呆然と固まる魔理沙とアリスを、月人の軍勢が取り囲んでいる。
自分たちも今から、ルーミアと同じ目に遭う。魔理沙に理解出来るのは、それだけだった。
「……アリス……ごめん……」
弱々しい呟きが漏れた。
「私、お前に偉そうな事言った……何にも、わかってなかった……お前の、絶望……これか。お前が味わったもの……これ、だったんだな……」
「……違うわ、魔理沙。こんなものは全然、違う」
アリスは、少なくとも魔理沙よりは冷静である。
「私が味わった絶望は、あれよ……絶望っていうのはね、あれの事を言うの」
ルーミアのちぎれた片手をこびり付かせた日傘が、魔法の森へと落下して行く。
それを、何者かが掴み止めた。
一応、人の五指の形はしている。五指の形をした、植物でもあった。
怪物が、そこにいた。
植物の根が、荊が、蔓草が幾重にも絡まり合って四肢を、人型を、形成している。
そんな全身あちこちで、様々な花が咲いていた。大輪の向日葵や、真紅の薔薇。野菊に紫陽花。
土壌を離れて枯れる事なく空中に佇む、人型の植物。魔法の森のどこかから、飛翔上昇して来たのであろうか。
その怪物が、花咲く顔面を月の兵士に向ける。
土偶が、ルーミアを引きちぎる作業を中断し、発光する片手を怪物に向けた。
その光が光弾となって放たれる、よりも早く。
怪物が、無造作に右手を振るった。左手で、広げた日傘を優雅に保持しながらだ。
月の兵士の不格好な巨体が、歪んだ。土偶そのものの甲冑が、メキメキと凹まされてゆく。
幾重にも巻き付いた、蔓草か根か判然としないものによって。
それは怪物の右手から、鞭の如く伸びていた。
マスタースパークを受けても無傷であった装甲が、植物の圧迫で凹み、ひしゃげて破裂する様を、魔理沙はただ眺めているしかなかった。
土偶の破裂した各部分から、芽が伸びた。
それらが開き、花になりかけ、だが完全に咲く事なく枯れて崩れた。
「…………弱い……」
怪物が言った。
土偶の形の甲冑は砕け散り、弱々しい光に変わってキラキラと消滅してゆく。甲冑の中身もろとも、である。それがどのようなものであったのかは、わからない。
「花も咲かせられない、あまりにも脆弱な生命……」
蔓草か根か判然としないものが、ほぼ原形を無くしたルーミアの肉体を絡め取った。
それを右腕で抱き寄せながら、怪物は言った。
「こんなに弱い生命力で貴方たち、今までどこで生きていたの? よほど綺麗な無菌室で、味気ない栄養を注入されて……可愛がられるでもなく虐められるでもなく、ただ飼われていたのね」
「…………し…………植物…………」
レイセンが震えている。
「自然…………生命…………地上の穢れ、そのもの…………おぞましい……汚い、穢らわしい! おぞましいよぉおおおおっ!」
震え、怯え、怒りながら、レイセンは銃をぶっ放していた。乱射、に見えて狙いは正確である。銃口から迸った光弾の嵐が、怪物に集中してゆく。
その嵐を、怪物は全て日傘で防いだ。
魔理沙の魔法障壁を粉砕する射撃。それを小雨でもしのぐかの如く傘で受けながら怪物は、全身の花々から花粉を噴射した。
煌めく花粉は、全て光弾だった。
全方向に放射された弾幕が、月の兵士たちを直撃する。
発光する片手を怪物に向けた土偶の群れが、片っ端から砕け散っていった。甲冑の破片が、飛散しながら消え失せる。
弾幕を放出しきった花々が、怪物の全身で力尽き、枯れ崩れてゆく。
蔓草が、荊が、根が、ボロボロと萎びて崩れ落ちる。
緑色の髪が、チェック柄のロングスカートが、ふわりと揺れる。
つい今まで植物をまとっていた優美な姿が、そこに現れていた。
再生を終えた、風見幽香であった。
左手で日傘を広げ、右腕でルーミアを抱いている。
原形を失いかけたルーミアの肉体は、蔓草と根に包まれたままだ。
「…………ゆう…………か…………」
「自分自身をしっかりと認識しなさい。妖怪の再生復活はね、それが出来るかどうかよ」
緑色の産衣に包まれた赤ん坊、のようでもあるルーミアを、幽香は優しく抱いている。
「貴女は宵闇のルーミア、それを忘れては駄目」
「ま……りさ……は……」
「貴女が、守ったのよ」
ルーミアに語りかける口調は、優しい。
だが。まだ大量に生き残っている月の軍勢を見据える眼差しは。
「……よく頑張ったわね、宵闇の」
不穏な笑顔の下に隠されていたものが、露わになりつつある。魔理沙は、そう感じた。
「何だ……なんだ……一体なんなのだ貴様ぁああ……」
レイセンが、起きながら悪夢を見ているような顔をしている。
月の兵士たちも同じなのか、と魔理沙はふと思った。土偶そのものの甲冑の中で、怯えているのか。
そうは見えなかった。皆、片手をかざして淡々と光弾を射出している。
弾幕が、あらゆる方向から押し寄せて来る。
かわすしかなかった。いや、逃げるしかなかった。魔理沙の攻撃は一切、通用しないのだ。
後ろにアリスを乗せたまま、魔法の箒を駆る。押し寄せる弾幕の中から離脱する。
「そう、今はそれでいいわ。逃げなさい魔理沙、アリス」
幽香が、右腕でルーミアを抱いたまま身を翻し、左手で日傘を振るう。開いたままの日傘が、全方位を薙ぎ払う。
そして、月人たちの弾幕を防いで弾く。降り注ぐ光弾の雨が、日傘の表面でことごとく砕け散る。
「貴女たちにはね、少しばかり時間が必要よ」
「……私たちを、逃がしてくれるのね。逃がさない、なんて言っていたくせに」
魔理沙の背中で、アリスが呻く。
「……貴女に……借りを作る、なんてね……」
「返せるものなら、いつか返してもらうわ。期待はしていないけど」
言葉と共に、幽香の眼光がギラリと燃える。
燃え盛る眼光が、その美貌から溢れ出した、ように魔理沙には見えた。
「…………成子は……」
「死んではいないわ。魔法の森の植物たちが、そう言っている」
溢れ出した眼光が、一直線に集束し、夜空を切り裂く。
凄まじい密度で凝縮した、それは妖力の線条であった。
「……あのお地蔵さんは、私が必ず助ける。貴女たちは、お互いを助けて支え合いなさい。それが出来れば」
細い光の直線が、本来の太さを取り戻してゆく。偽りの夜空を、白く染めながら。
「こんな連中……物の数じゃないわよ。本来の貴女たちなら、ね」
本来の太さを取り戻しつつある妖力の光線に、さらなる妖力が注ぎ込まれる。
逃げ場なく夜空を灼き払う極太の光の中で、月の兵士たちが消滅してゆく。いくつもの土偶に似た甲冑が中身もろとも、粉末状に崩壊して飛散し、跡形もなくなった。マスタースパークで傷一つ負わなかった、土偶の群れがだ。
自分に出来る事など、何もない。
その現実を受け止めながら魔理沙は、幽香の言葉に従うしかなかった。
彼女の前方の空間は、光に灼き払われスッキリと綺麗である。左右に、後方に、上方に、しかし月人の兵士は大量にいて淡々と光弾を放っている。
かわし、あるいは傘で防ぎ続ける幽香から、魔法の箒は一気に遠ざかった。魔理沙とアリスを乗せたままだ。
自分は、逃げた。
まずは、それを受け入れなければならない、と魔理沙は思った。
「…………月の、軍勢……」
激戦の気配が後方に遠ざかって行くのを感じながら、呟く。
「あんな連中が……あれで全部、じゃないとしたら……これからも幻想郷に押し寄せて来る……としたら……」
「……今の私たちでは、どうしようないわね」
アリスの口調は、しっかりとしている。今は自分の方が心折れている、と魔理沙は気付いた。
「月よ、魔理沙」
夜空に描き込まれた、精巧なる偽物の月。背後から魔理沙の身体に細腕を回したまま、アリスは見上げているようであった。
「月から、あんな侵略者が来ている……夜が明けない、この状況と無関係ではないと思うわ」
「……月から来て、月に帰れなくなった。あのレイセンとかいう奴、そんな事言ってたな」
魔理沙の、後ろにはアリスがいる。
前方には上海人形がいて、魔理沙の太股の近く、箒の長柄にちょこんと座っている。
半ば人形を抱くようにして魔法の箒を操縦しつつ、魔理沙も偽物の月を見上げた。
「……月か、今回の異変は」
月から、侵略者が降りて来た。魔理沙の攻撃が一切、通用しない相手だ。
あの者たちが、これからも大量に現れて、幻想郷で破壊と殺戮を行い始めたら。
その時、風見幽香が都合良く居て戦ってくれるとは限らないのだ。
「異変解決……私たちが、か」
魔理沙は唇を噛んだ。
「だけど、私の力じゃ……」
「ねえ魔理沙。今の私たち、きっと2人で1人前よ」
背後から、アリスが魔理沙の肩を抱いた。
「……出来る事を、しましょう」
「月からの侵略者、明けない夜、偽物の月……今は、とにかく調べるしかない。か」
無理矢理、魔理沙は微笑んで見せた。
「あの連中の弱点、みたいなもの……ついでに、わかるかも知れないしな」
風見幽香は、舌打ちをした。
「あの月が……本物で、ありさえすれば……っ」
月人の兵士の、最後の1体が、足元でのたのたと動いている。
この場にいる最後の1体、である。この場から逃がしてしまったものたちが大勢いる。
今、夜空に浮かんでいる満月が、本物であれば。妖怪に力を与えてくれる、本物の満月でありさえすれば。
1匹たりとも、逃がす事はなかっただろう。逃げる暇も与えず、皆殺しに出来た。
実際は、皆殺しとは程遠い状態である。かなりの数の土偶が、幽香の弾幕から逃げおおせて幻想郷の各地に散った。
「……ふん、まあいいわ。戦える者が私しかいない、わけでもなし」
魔法の森の地面に墜落し倒れ伏した、月人の兵士。
土偶の形の甲冑を、幽香のたおやかな片足が踏みにじる。
死の怯えが伝わって来ない、と幽香は感じた。
この甲冑の中にいる兵士は、今から殺される事を全く恐れていない。
勇気であるはずはなかった。臆病さすら、この兵士は持っていない。
死を恐れる心そのものが、月の兵士にはない。そもそも生命があるのか、とさえ思えてしまう。
「……つまんない連中」
幽香は踏み潰した。
すらりと綺麗な片足が、巨大な甲冑を幾度も踏み付け、凹ませ、破裂させ、中身もろとも粉砕し混ぜこねる。
どのような中身であるのか、幽香はもはやどうでも良かった。月人の兵士に対する興味が一切、消え失せていた。
それよりは幾分、興味深い生き物が、すぐ近くにいる。
「……ひっ……グゥ……っ! きき、貴様ぁああ……!」
兎の耳を生やした、1人の少女。泣きじゃくりながら倒れ、起き上がる事が出来ずにいる。
先程までのルーミアと同じく、畳んだ日傘の下敷きになっていた。
そのルーミアは今、幽香の右腕に抱かれ、植物に包まれている。
再生した眼球が、植物の中からにょろりと視神経を引きずって現れた。
「……魔理沙たち……ちゃんと、逃げてくれたかなー……」
「貴女は逃げ損ねたわね宵闇の。まったく、無茶をして」
右腕でルーミアを抱いたまま幽香は左手で、奪い取った銃を握り折った。
「で……貴女、確かレイセンとか言ったわね。ルーミアと同じ目に遭ってみる? とりあえず腕からいってみましょうか」
「ち、近寄るな! おぞましい、穢れの塊がぁ……」
「雑菌だらけの大地から、栄養を吸収する……そうやって綺麗に咲いたり醜く咲いたりするのが生命というもの。まあ穢らしいのは間違いないわね」
幽香は微笑んだ。
「……穢らしいのは、お嫌いかしら?」
「く、来るな……やめろぉ……」
レイセンが、細腕で日傘を押しのけようとしながら涙と鼻水を流す。
「……やめて……やめて下さい……許してぇ……」
「いいわよ貴女。ちゃんと泣いてくれる、命乞いをしてくれる」
愛おしさに似たものを、幽香は感じていた。
「私が今、叩き潰した連中とは大違い……素敵よ」
「許して……許して下さぁい……」
鼻水まみれの泣き顔が、本当に可愛らしい。
「…………助けて……依姫さまぁ……」
「もっと大きな声で泣かないと。その依姫様とかいう人、聞こえないわよ?」
さらに1歩、レイセンに近付こうとする幽香の足が、止まった。
「……そこまでよ、外道破廉恥妖怪」
木陰から、よろりと人影が現れたのだ。
血まみれの、屍のような人影。辛うじて屍ではない。
「もう勝敗は決したと言うのに、何をしようと言うの……」
「……せっかく、ねえ? 命乞いを、してくれているのよ」
幽香は答えた。
「ゆっくり時間をかけて、丁寧に殺してあげるのが礼儀だと思わない?」
「……思わないわ。地蔵の目の前で、殺生はさせない」
矢田寺成美だった。
右胸の辺りに、どうやら大穴が空いている。大量の血が噴出し、滴り落ちて、魔法の森の養分となっている。右腕は血まみれのまま垂れ下がって、今や合掌も出来ない。
「……どうやら……魔理沙とアリスさんを、助けてくれたみたいね……」
血色の失せた顔で精一杯、成美は幽香を睨んだ。
「ありがとう……それはそれとして、破廉恥妖怪の外道な行動を許すわけにはいかない……やめなさい、風見幽香」
言葉と共に、鮮血が溢れ出す。
血を吐きながら、成美は膝を折った。
「……弾幕戦は……終わったのよ……」
「……そう、ね」
幽香は、ひとつ息をついた。
「勝敗が決した時点で、攻撃は終わり。それが弾幕使いの仁義……という事に、しておきましょうか」
成美は、もはや聞いていない。うつ伏せに倒れ、意識を失っている。このまま放置すれば、命も失う事になる。
幽香は、左手の指を鳴らした。
植物の根が、大量の蚯蚓の如く地中から伸び現れ、成美の身体を絡め取り包み込む。
「太陽の畑……私の家に、運びなさい」
幽香の命令を受けて、根の塊が成美を地中に引きずり込む。
その様をちらりと確認しつつ幽香は、左手でひょいと日傘を拾い上げた。
レイセンが、起き上がると同時に逃げ去った。まさに脱兎の勢いである。
眼球だけで見送りながら、ルーミアが言った。
「……あいつ、大丈夫かなー」
「心配なの? お優しい事」
「あいつ1人きりじゃ、たぶん幻想郷で生きていけない。どこかで野垂れ死んで獣か妖怪の餌……それなら、私が食べたかったなー」
「……そうね。幻想郷は、生命の穢れに満ちている」
その筆頭は自分だ、と幽香は思う。
「無菌室で栽培されていたような連中が……さあ、どれだけ頑張って生きていけるかしらね」