第87話 慟哭の宇宙
この作品は「東方Project」の二次創作です。
原作 上海アリス幻樂団
改変、独自設定その他諸々 小湊拓也
桜の花びらが、ひらひらと舞い、消えてゆく。
まるで幻影のように。
街を見下ろす桜の巨木も、街を覆い尽くす蝶の群れも、消え失せていた。
全て、幻であったのか。
残された屍は、しかし幻ではない。
またしても大勢の人間が死んだのだろう、と宇佐見菫子は思う。
宗教法人・守矢神社としては、危機であり好機でもある。
大勢の人々を、救えなかった。
そう守矢神社を糾弾する声が今後、様々な場所で上がるだろう。
釈明に追われるような事態になれば、守矢神社の権威は間違いなく失墜する。
死んだ人々は、信仰が足りなかった。
あるいは、守矢の神々のもとへ召された。不幸な事ではない。
そのような理屈を押し通し、超然たる姿勢を保つ事が出来れば、さらに人心を集める事も不可能ではないだろう。
ともかく、救急車が来た。
男たちの屍が、運び込まれてゆく。
蝶々に命を吸い取られた、男たち。
日本全国あちこち、いや世界各地で、同じ事が行われているのだろう。
「下手すると、宇宙全体で……」
ぼんやりと、菫子は呟いた。
あの巨大な桜は、地球だけではない、宇宙のあちこちから視認出来たのではないか。
死をもたらす蝶の群れは、宇宙全体を流れ渡り、様々な生命を吸収し尽くしたのではないか。
そう思えてしまう。
先程まで桜の大樹がそびえ立っていた空を、菫子は見上げた。
今は、何もない。
垣間見ただけなのだ、と菫子は思った。
「幻想の、世界を……」
眼鏡を、外した。
菫子は、涙を流していた。
「…………素敵……」
「たとえ、自分が殺されるのだとしても」
救急隊員たちと話し込んでいた朝倉理香子が、声を投げてくる。
「貴女は、幻想の世界への憧れを……決して捨てないわね、宇佐見さん。まるで、あの人みたい」
救急隊員たちに、何かしら指示を下していた、ようにも見える。
守矢神社関係者である彼女がいなかったら、自分は下手をすると警察に連行されていたかも知れない。
そんな事を思いながら、菫子は訊いてみた。
「あの人、って?」
「……私の、目標」
言いつつ理香子は、白衣の懐から、小さな何かを取り出した。
メモリーカード、に見えた。
「あの人が私にくれた、ご褒美よ。私のホーミングギアが、原始人の投げる小石でしかなくなるほどの兵器を……このデータと、守矢神社の資金力があれば、造り出す事が出来る」
菫子よりも、ずっと眼鏡の似合う知的な美貌が、暗く微笑んだ。
「あの人のいる世界の……小学校の、教科書よ」
「そのSDカード、みたいなのが?」
「ええ。私の知識と技術力など……あの人から見れば、まだまだ小学生レベル。勉強をしなさい、という事でしょうね」
救急車が、走り去って行く。
それを見送りながら理香子は、どこかの世界の小学校の教科書、であるらしいメモリーカードを恭しく胸に抱いた。
彼女が、守矢の神などではなく、この教科書を信仰しているのは、どうやら間違いない。
「守矢神社の資金力があれば……この技術を、実存の兵器として……」
視界の隅で、何かが這った。蠢いた。
理香子にも、それは見えたようである。
うっとりと何やら呟くのを中断し、そちらを見る。
建物の陰で、花が咲いていた。
複数種の、花々の塊。植物の塊。
それが蠢いている。這いずっている。
弱々しいが、それはしかし明らかに、動物の動きであった。
死にかけた動物の動きをする、植物の塊。
菫子は息を呑み、見据えた。
粉砕、するべきか。
思いかけた菫子の、機先を制するかのように、理香子が前に進み出た。
身を屈め、言葉をかけている。
弱々しく這いずり蠢く、植物の塊に。
「貴女……もしかして、小兎姫?」
「…………た……」
空耳、ではない。
植物の塊が、言葉を発したのだ。
「……すけ……て……ぇ……」
「そう……弾幕戦で負けたのね、誰かに」
躊躇う事なく理香子は、植物の塊に手を触れた。
両の細腕で、抱き上げていた。小兎姫という名であるらしい、何者かを。
幻想の世界の住人、なのであろうと菫子は思う事にした。
「……それ、どうするの? 理香子さん」
訊いてみる。
小兎姫は、どうやら人間だ。人体が、無数の植物を生やしている。
奇病、としか思えない。
それとも。人間が人間ではなくなる、あの変異の一つであろうか。
「救急車、行っちゃったけど」
「さすがにね、病院じゃ治らないわ。守矢神社の本部に連れて行く」
「……そんなの、治せる人がいるの? 守矢神社には」
菫子の問いに、理香子は応えた。
苦笑、に近い表情だった。
「いるのよ。科学では説明が出来ないものの、最たる存在……奇跡を起こす風祝が、ね」
伊吹萃香が、博麗霊夢の膝の上から跳ね起きた。
「おはよう、萃香」
「霊夢……」
可能性空間移動船の甲板上を、萃香は見回している。
何かを、誰かを、捜しているようである。
霊夢は、声をかけた。
「……ちょっと、うなされてたわね?」
「まあ…………な」
萃香は軽く、額を押さえている。
四六時中、酔っ払っている少女が、何やら醒めているようであった。
「……ここは……夢の中? じゃねえよな霊夢。おめえ随分バカ晒してたようだが、もう平気なんか?」
「……さあ、ね」
霊夢は、咳払いをした。
「あんた……誰か、捜してる? 見ての通り今ここには大勢いるけど」
「何があったのかは、まあ……何となく、わからあ」
萃香は、頭を掻いた。
「……どえらい、お祭りがあったようだな。最後の方で私も、ちっとだけ参加出来たか」
「私、多分あんたに助けてもらったんだと思うわ」
「そんな事より……アレは、いねえのか」
「だから一体、誰を捜してるの」
「…………あいつ、か」
言いつつ、藤原妹紅が歩み寄って来た。
「外道丸。お前、あいつの夢でも見てたのか」
「そうだ。頭……撫でられてたような気がする。よしよし頑張ったわね、とか言われてなぁ……くそっ、なめやがって」
萃香は牙を食いしばり、震えている。身震いするほどの、怒りと屈辱。
……否、と霊夢は直感した。
怒りもある、屈辱もある。だが、それ以上に。
(…………怯えてる? 萃香が……)
伊吹萃香に恐怖心を抱かせるものが、この世に、この宇宙に、存在する。
霊夢は、妺紅の方を見た。
「ねえ同業者さん……こいつも、あんたも、一体どんな大変な妖怪に出くわしちゃったわけ?」
「気になるだろうな。遊び半分で妖怪退治をしてる私なんかと違う、博麗の巫女としては……どういうバケモノが幻想郷を脅かしかねないのか、何としても知っておきたいところだろうが」
妹紅は、目を閉じた。
「……すまん、わからないんだ。あいつの事は何も……見て、観察してるだけで、こっちは死ぬ。そんな気がする……蓬莱人の不死身なんて、あいつに通用するかどうか」
「ちょっと妺紅……」
蓬莱山輝夜が、ずかずかと近付いてきた。
優美な裸身に、岡崎夢美のマントを被せられている。
「たわけた事を言っているんじゃないわよ。貴女がそんな弱気になっていいのはね、私に負けて泣いてる時だけなのよ? ちょっとねえ、それをわからせてあげましょうか」
「はっはっは。ろくに恐い目に遭った事もないお嬢ちゃんがなあ、なめた口きくもんじゃあないぞ馬鹿野郎」
妹紅と輝夜が、互いの髪を掴み合う。
霊夢が力尽くの仲裁を実行する前に、やんわりと綿月豊姫が割って入った。
「おやめなさい。もう戦いは終わったのよ? まあ貴女たち二人の諍いは未来永劫、続くのでしょうけど……今この場での戦いは、もう終わりにしておきなさい」
輝夜は何も言わず、この姉を睨み据えた。
豊姫が、穏やかな笑みを返す。
「穢れてしまったのね、輝夜……私にとってだけ都合の良い、清らかで愛らしい妹には、もう戻ってはくれないのね」
「無理だよ、綿月豊姫」
何も言わない輝夜に変わって、妹紅が言った。
「お前だって、もう穢れを捨てる事は出来ない。こいつや私と同じくらいには、お前も穢れている……月の連中が穢れと呼ぶものに、お前、魂の芯まで染まってるんだぞ」
「……受け入れるしか、ないのよね」
隕石孔だらけの天体に、豊姫は眼差しを向けた。
月。
この度の異変の、元凶と言えるのだろうか。
「月人は、穢れを拒絶した。生きる事も死ぬ事も、拒絶してしまった……結果として、宇宙で最も非力で脆弱な生命体と化してしまったわ。死の天使が何かをするだけで、容易く滅びてしまう」
この綿月豊姫にとっては、かけがえのない故郷なのであろう。
「そんな月人たちを……まさか、貴女が守ってくれたとはね。月を砕く鬼、伊吹萃香」
「あん?」
「……ありがとう。月の都の丞相として、感謝の意を表します」
「よせやい」
「伊吹萃香、藤原妹紅。第四槐安通路で貴女たちが出会った相手は……強大ではありますが、邪悪な存在ではありません。貴女たちが何もしなければ、幻想郷に災いを招く事もないでしょう。大人しくしていなさい」
「…………目ぇつけられねえように、いい子ちゃんでいろってか」
「そうせざるを得ない相手が、存在するという事。貴女は学んだはずよ」
言いながら豊姫は、いつしか霊夢を見つめていた。
「博麗霊夢、貴女なら……先程のような状態の、貴女であれば。あるいは、力が及ぶかも知れない……地獄の、女神に」
「やめろよ」
悪霊・魅魔が、声を投げてきた。
「弾幕戦の化身と、地獄の女神が……本気でぶつかり合ったら、冗談抜きで宇宙が消えて無くなる。本当に、やめておけ」
「へええ、そんな凄い奴がいるのか」
霧雨魔理沙が、興味を示している。
「ちょっと会ってみたいぜ。戦うかどうかは、ともかく」
「お前たちは……多分、接触くらいはしているはずだ」
魅魔が、ちらりと見やる。
少し離れた所で、魔界神・神綺の一族に混ざり込んでいるアリス・マーガトロイドの方を。
続いて、いつの間にか傍らに佇んでいる紅魔館の魔女を。
「そうだよな? パチュリー・ノーレッジ」
「……ええ」
パチュリーが、重く頷いた。
「この宇宙における、魔法に分類されるもの全ての司……先程のように常軌を逸した状態の貴女でも、勝てはしないわ博麗霊夢」
「へえ、そうなんだ……」
「お、おいパチュリー! 挑発するなよ」
魔理沙が言った。
「……まあ、アレだよ霊夢。私ら魔法使いの神様、みたいな奴がいるんだ。得体の知れない奴だぜ、本当に」
「あいつと比べて、どう?」
ちらり、と霊夢は視線を投げた。
嫣然と微笑む西行寺幽々子と、目が合った。
「あれより厄介な奴、そうそういないと思うんだけど」
「……そうだな、いられたら困るぜ」
「確かに。あれは私なんかより、ずっと危険な悪霊だ」
魅魔が言うと、幽々子はフワリと近付いて来た。
「あらあら何かしら。皆で私の悪口を言っていたの? 聞きたいわ、ぜひとも」
「お前は……私と違って、恨みつらみで悪霊に変わったわけじゃなさそうだな」
魅魔が、じっと幽々子を見つめる。観察する。
「誰も憎まず、誰も怨まず……何故、そこまで強力な霊でいられる? わからない、お前のような奴がいるなんて」
「ふふ……それはね、貴女みたいな人がいるから」
幽々子のたおやかな片手が、魅魔の美貌をそっと撫でる。
「貴女みたいに、ね。どろどろ、ぎらぎら、した人が……いてくれるから……」
その手を、横合いから魔理沙が掴んだ。
「……おい、魅魔様に触るなよ」
「大切な人、なのね? 魔理沙。貴女にとって」
幽々子が微笑む。
「誰かを、大切に思う心。それはね、いつしか、どうしようもなく……どろどろ、してくるものよ。ぎらぎら、燃え上がってくるものよ」
「……お前。さっきみたいな事また、いくらでもやらかしそうだな。その時は、私と魅魔様で止めてやる」
「私と玄爺だって、いるわよ」
霊夢は、甲板上の人妖たちを見渡した。
「この場にいる全員に言っておかないとね。どいつもこいつも異変、起こすなら覚悟を決めてからにしなさいよ! 充分に思い知ったと思うけど、私と玄爺は無敵なんだから!」
「ご、御主人様……」
玄爺は、困惑している。
魔理沙も、全員に向かって大声を発していた。
「みんなにも紹介しとかないとな。私のお師匠、魅魔様だぜ!」
「おい、よせ魔理沙……」
「見てわかると思うけどさ、面白い奴ばっかりなんだ。魅魔様も、きっと仲良く出来るぜ」
「仲良くしたいさ、それは。お前の友達と、私だって仲良くしたい。みんな一緒に面白おかしく過ごしたい。だけどなあ……駄目なんだよ」
気のせい、であろうか。
魅魔が、玄爺が、ぼんやりとキラキラと、光に包まれてゆく、ように見える。
気のせいだ、と霊夢は思い込んだ。
「さ。神社へ帰るわよ、玄爺」
「…………お別れでございますよ、御主人様」
玄爺が、冗談を言っている。
申し訳ないがあまり面白くない、と霊夢は思った。
優美な人影が、傍らを通過した。
「……行かれるのですね、まことの賢者よ」
八雲紫だった。
「幻想郷の賢者を自称する私が、至らぬばかりに……貴方様に多大なる御迷惑を、おかけする事となってしまいました」
「何の。この御主人様が、どれほど一筋縄ではゆかぬお人であるのかは、身にしみておりますよ」
「……何、言ってんのよ……二人とも……」
無理矢理に、霊夢は笑ってみた。
「紫、あんた……おいぼれ爺さんの冗談なんかに合わせてんじゃないわよ……」
「霊夢、貴女は輪郭を取り戻した。すなわち博麗大結界が復活した、という事よ」
紫は言った。
「そして、今……歴史喰いの半獣も、己の役割に立ち戻ってくれた。旧き幻想郷は隔離され、新しき幻想郷が残る。そうしなければ、二つの幻想郷がぶつかり合う……とてつもない崩壊が起こるわ」
「何とかしないと!」
霊夢は、紫を睨んだ。
「早く、今すぐ幻想郷へ戻るわよ。戻しなさいよ! ぶつかり合いも崩壊も、私が止めてやる!」
「御主人様、靈夢様……霊夢様」
玄爺の声が、優しい。
「貴女と共に過ごした日々……とても、過酷でしたよ」
「逃がさないわよ玄爺。これからもずーっと、こき使ってやるんだから!」
「過酷で、とても楽しかった」
ぼんやりと、キラキラと、光が増してゆく。
その輝きの中へ、玄爺は消えてゆく。
魅魔も、消えてゆく。
「魅魔様……」
「聞け、魔理沙。二つの幻想郷は、共に同時に在り続ける事は出来ない。どちらかが在れば、どちらかが消える」
魅魔は言った。
「私がいれば、消えてしまう者がいる……わかるな?」
「…………こーりん……」
「今ある縁を、大切にしろ」
魅魔は微笑み、魔理沙は涙を流していた。
「やだ……嫌だよ、魅魔様……行かないで……せっかく、また会えたのに……」
「まったくなあ、会うんじゃなかったと心から思う」
光の中で、魅魔が頭を掻いている。
「……会えば、また別れなきゃならなくなるってのに……な」
「何で、そんな事言うんだよ魅魔様……!」
光の中へ、魔理沙は飛び込んで行った。
「私も行く、魅魔様と一緒に行く! 連れてってよう!」
「この馬鹿、いい加減にしろ!」
魅魔の綺麗な平手が、魔理沙の顔面に手厳しく叩き込まれた。
痛々しく頬を腫らせ、涙を飛び散らせながらも、魔理沙は怯まない。
歯を食いしばり、魅魔にしがみついてゆく。
「魅魔様と……一緒じゃなきゃ、やだ……っ」
「このっ…………大馬鹿がっ……!」
光の中で、魅魔は魔理沙を抱き締めていた。
「……こんなに……師匠離れが出来ない奴だったなんて……」
声を震わせながら魅魔は一度だけ、魔理沙の金髪を撫でた。
愛おしげに。本当に、愛おしそうに。
「…………違う……私が、魔理沙から……離れられないんだ……」
「……魅魔様………」
突然、魅魔は魔理沙を突き飛ばした。
光の中から押し出された魔理沙を、パチュリーが抱き止める。
魅魔は、泣きながら笑っていた。
「魔理沙、頑張れ!」
「……み……ま……さまぁあ……」
「玄爺!」
霊夢も光の中へ飛び込もうとして、紫に抱き止められていた。
玄爺の、声だけが聞こえる。
「貴女は……もう、自力で空を飛べるではありませんか」
「飛べないわよ! 玄爺が、いなきゃ……私なんか、飛べるわけないじゃない……」
「貴女は、私の甲羅から飛び立って行ったのです」
光が、消えた。
「私は……寂しかった、けれども……嬉しかった……」
魅魔も、玄爺も、消え失せていた。
消えたのなら、捜さなければならない。
霊夢は、紫の細腕を振り払った。
そして宇宙空間へと飛翔した、瞬間。
同じくパチュリーを振り払い飛び立った魔理沙と、ぶつかった。
「霊夢……」
「魔理沙……玄爺が……げんじい、がぁ……」
「みまさま……があぁ……」
ぶつかったまま、霊夢は魔理沙と抱き合っていた。
そして、泣き叫んだ。
「魅魔様が、みまさまがああああ! 行っちまった、いなくなっちゃったよう霊夢! うわぁーん霊夢れいむぅ! 魅魔様がぁあああああああああッ!」
「魔理沙、まりさぁああああ! 玄爺が行っちゃった、いなくなっちゃったあああああああ! うわぁああああああああん魔理沙ぁー!」
少女二人の慟哭が、宇宙空間に響き渡った。