第86話 Romantic Children
この作品は「東方Project」の二次創作です。
原作 上海アリス幻樂団
改変、独自設定その他諸々 小湊拓也
(私に……あれが、出来るの?)
レミリア・スカーレットは、そう思ってしまう。
思いながら、真紅の瞳で睨み据える。
西行寺幽々子は、悠然と嫣然と、可能性空間移動船の甲板上に、ただ佇んでいた。
魂魄妖夢が、彼女を背後に庇っている。楼観・白楼の二刀を、いつでも抜ける構えである。
主への攻撃を、罵倒を、糾弾を、その身に受ける覚悟……否、覚悟を決めてすらいないとレミリアは思った。
西行寺幽々子に向けられる、好ましくないもの全てを、自身が引き受ける。
妖夢にとってそれは、覚悟など決めるまでもない、ごく当たり前の事なのだ。
そんな白玉楼の主従に、レミリアは言葉をかけた。
「よくぞ、しでかしたもの……西行寺幽々子。お前は今、まさに妖怪のあるべき姿を、全宇宙に顕示してくれたわ。そう、あの程度は出来なければ駄目なのよね」
「私、何も出来ていないわ」
幽々子は言った。
「やろうと思えば出来る、それは出来ないという事なのよレミリア・スカーレット。いずれ私は、貴女たちの……どろどろしたもの、ぎらぎらしたもの、全てを狩り集める。貴女たちはね、私がそれを出来ないようにする。きっと、もっと、どろどろするわ。ぎらぎらしたものに、なるに違いないわ」
「……いいわね。私、お前のようになりたい」
レミリアは牙を剥いた。
「全宇宙に、死と滅びをもたらす……それが出来るように、なりたい……」
「その道を。誰かに、共に、歩ませる覚悟は持てる?」
幽々子が問いかけ、ちらりと視線を動かす。
「貴女が血にまみれたら、その子も……ふふっ。もう随分と、血にまみれているようだけど」
吸血鬼の令嬢の斜め後方に控える、瀟洒な人影。
振り返らず、レミリアは言った。
「私に……ずっと、付き従う事はないのよ。咲夜」
十六夜咲夜は、応えない。
吸血鬼、と言っても小食なので、それほど大量の血液は必要としない……にもかかわらず殺戮に明け暮れ、飲みもしない鮮血を全身に浴びてドレスを汚す。
そんな、真紅に汚れた悪魔の言葉になど、応えられないのは当然だった。
だから、これは独り言だ。
「血の雨が降りしきる闇の中を、私たちと一緒に彷徨い歩く……そんな事をしているうちに貴女、色々な輝かしいものに触れる機会を、あっという間に失ってしまうわよ? 貴女はすぐに死んでしまうのだから。その儚い命、もっと明るい場所で全うなさいな」
「私は一生、死ぬ人間です」
レミリアの独り言に、咲夜は応えた。
「大丈夫。生きている間は、ずっと……貴女と一緒にいますよ、レミリアお嬢様。お許しいただけなくとも、共に歩みます。血の雨が降りしきる、闇の中を」
「と、咲夜は言ってるわけだが」
霧雨魔理沙が、いくらか離れた場所に立つ紅魔館主従に親指を向ける。
「お前はどうなんだ、パチュリー。紅魔館の古参として……紅い霧どころじゃ済まないやらかしを、またやるのか? レミリアがやると言ったら、止めもせずに従うのか」
「従うわ」
パチュリー・ノーレッジは、即答した。
「たとえ、それが……幻想郷に闇が訪れ、血の雨が降り注ぐような異変であったとしても。レミィが始めるのであれば、ね」
「……だろう、な。お前らは」
「今のうちに、私を始末しておく?」
「異変は……誰かが起こして私たちが解決するもの、だぜ」
魔理沙が、ニヤリと笑う。
「やってみろよ、必ず止めてやる。私が、アリスが、霊夢が。それに……これからは、魅魔様だっているんだからな」
「おいおい、私をあてにしているのか」
悪霊・魅魔が、困惑している。
「お前、独り立ちをしたんじゃないのか魔理沙よ」
「私、魅魔様が異変を起こす側だって一向に構わないぜ。そうなったら、私が魅魔様をぶちのめす」
「よく言った」
「私の、敵でも味方でも構わない……いて、くれるんだろ? 魅魔様。私たちの幻想郷に、さ」
魔理沙の言葉に、魅魔は曖昧な笑みを浮かべるだけだ。
寂しそうな笑顔だ、とアリス・マーガトロイドは思った。
「……いい加減にしなさいよね、あんたたち」
博麗霊夢が、声を投げてきた。
甲板に座り込み、膝の上で小さな少女を寝かせている。
「異変を起こすの起こさないの、そういう悪だくみは博麗の巫女がいない所でやりなさい。耳に入っちゃったらね、それなりに対応しなきゃいけないんだから。面倒なんだから」
巫女の膝枕で、脳天気な寝顔を晒す鬼の少女。
伊吹萃香だった。
彼女をここへ運び届けてくれた嫦娥は先程、月の都へと帰還した。
綿月姉妹は、まだこの可能性空間移動船の甲板上にとどまっている。
姉の豊姫は、八雲紫と藤原妹紅を相手に、何やら話し込んでいるようだ。
妹の依姫も、どこかにいるはずである。
「異変に、対応する」
魅魔が言った。
「博麗の巫女の、役割……その枠の中に、自分を収めておけるか? 宇宙で一番やばい、弾幕戦の化身よ」
「……ふん、そうね。魔理沙の言うように、あんたがまた異変でも起こしてくれたら大丈夫かもね」
霊夢が応え、魅魔を睨む。
「あんた……人類に復讐する、とかいうアレはどうなったのよ」
「言ったろ? どうでも良くなったって」
「ほんとにそう? ま、いいけどね」
暢気に寝息を発する萃香の顔面を、霊夢は撫でた。
「異変、起こしたいなら起こせばいい。魔理沙になんか何もさせない、私が片付けてやるわ」
「お、言ったな? 霊夢」
「ふふん。私にはねえ、玄爺がいるんだから。ね? 老いぼれ爺さん」
霊夢の言葉に玄爺は、先程の魅魔と同じような表情を浮かべている。寂しげな、笑顔。
魔理沙には、魅魔がいる。
霊夢には、玄爺がいる。
それでは、自分には。
そんな事が浮かびかけた己の頭を、アリスは横に振った。
(馬鹿馬鹿しい……愚か者のアリス、貴女は何もかも捨てて来たはずではなかったの? 何を今更)
「お疲れ様ね、アリス」
後ろから、声をかけられた。
振り返る。
綿月依姫が、そこにいた。
「自分の戦いを、やり遂げたわね。どう? まだ、本気は出せない?」
「はあ……いえ、その……」
妙だった。
この姫巫女とは、これほど親しく話しかけられるような間柄ではなかったはずである。
「私、アリスの事はね……少しだけ、心配していたわ」
依姫が、微笑む。
依姫の声、依姫の美貌。
それは、しかし依姫の笑顔ではなかった。
「本当に……誰とも、仲良く出来ない子だったものね貴女」
アリスは息を呑んだ。
自分が、確かに、良く知る笑顔だった。
「…………神綺……様……」
壁を見つめているのか、天井を見上げているのか。
いや、恐らくは何も見えていない。
この場に、この世にあるものを、彼女は視認していない。
寝台の上で今、上白沢慧音は、ぼんやりと、自身にしか認識出来ぬものを見つめている。
永遠亭の一室。
寝台の傍らで椅子に腰掛けたまま、八意永琳は迷っていた。
声を、かけるべきか否か。
そっとしておく、べきであるのかも知れない。
だが。この女性には、そろそろ戻って来てもらわなければならない。こちら側へ。
力で引き戻す。それは、容易いようでいて不可能だ。
無理強いを通したら、慧音は自ら命を絶つ。
永遠に、こちら側へは戻って来なくなる。
「何故」
突然、慧音が言葉を発した。
「この世には、何故……ここまで数多くの、歴史がある?」
「この宇宙に存在する生命が、貴女と藤原妹紅だけではないからよ」
永琳は答えた。
「滅ぼしてみる? 貴女にとって、要らない歴史を持つ生き物ことごとくを。もちろん私が止めるけれど」
「私は……貴女に殺されるのだな、八意先生……」
自分だけの歴史を見つめていた慧音が、そうではないものを認識し始めてくれている。
「…………その方が、いい……」
「思い通りには、いかない。それが宇宙の真理よ」
「何もかも、私の思い通り……私にだけ、都合の良い歴史を……ずっと、見つめていたよ」
慧音は言った。
「私がいて、妹紅がいて……他には誰もいない歴史さ」
「幸せなのは、見ていてわかったわ」
「……ふと気が付くと……こうして、私でも妹紅でもない誰かがいる……」
慧音が、永琳の方を見た。
本当に久しぶりに、彼女は他人と視線を合わせたのではないか、と永琳は思った。
「私たち以外には、誰もいない歴史……そんなもの、本当に作り出す事は……出来ないのだな」
「それをしようと思うなら。自分たち以外の、誰も彼もを滅ぼすしかないわ。そして上白沢先生、貴女にそれは出来ない。私が止めなかったとしても」
まっすぐに、永琳は慧音の目を見つめた。
「それが出来るなら……人里は、とうの昔に貴女に滅ぼされている。貴女は、人間たちと共に生きてゆく事が出来る妖怪なのよ」
「私は……人里を……踏み潰してしまう、ところだった……」
「……寺子屋の子供たちが、貴女を待っているわよ」
「私は……あの子たちよりも、人間たちよりも……妹紅の幸せを優先させた。その幸せも、まあ私の独り善がりでしかないわけだが」
慧音は笑った。
惨めな自嘲の笑み、とは言え微笑んだのだ。
微笑みながら、涙を流している。
「……私に……人里へ……寺子屋へ、戻る資格など……」
「資格が必要? それなら私が与えてあげるわ。だから仕事をしなさい上白沢慧音、人里の守護者として」
永琳は言った。
「2つの幻想郷が、ぶつかり合おうとしている……貴女の歴史喰らいの能力が、今こそ必要なのよ」
「うわーん! 輝夜ちゃんが成長しちゃったよう!」
北白河ちゆりが、泣き叫んでいる。
「綺麗だけど、とっても素敵だけどぉー! でもでも駄目っすよ、こんなにボンキュッボンなのはけしからんっすよぉおおおおッ! もうちょっと、つるんとしててペッタンコで、ああああでも輝夜ちゃん教授よりちっとだけ大っきいんスねええ。こ、これはコレで」
「うふふふふ。そろそろ落ち着きましょうね、ちゆりさん」
美しい笑顔を見せながら蓬莱山輝夜が、ちゆりの身体を珍妙な形に折り畳んでいる。
岡崎夢美が、感心している。
「ほう。それは……関節技かな? 輝夜姫」
「月の都の白兵戦技術。うちの永琳にねえ、容赦なく仕込まれたものよ? まったく、本当に……地獄だったわ」
「痛たたたたたた、きっ、極まってる極まってる地獄地獄、ほんとに地獄! あっでっでも輝夜ちゃんのフトモモおっぱい天国天国、天国地獄天国地獄あぎゃあああああああああ」
ちゆりの愚かしい悲鳴が響き渡る、可能性空間移動船の甲板上。
馬鹿げた騒ぎから、いくらか離れた一角で、綿月依姫が意識を失い、崩れ倒れる。
その細い肢体を、魔界神・神綺が優しく抱き止めた。
6枚の翼を広げた、神々しく優美なる姿。
その左右に少女が2人、恭しく控え、跪いている。
悪魔エリス。
災いの目ユウゲンマガン。
「私には、どうでも良い事ですけれど」
アリス・マーガトロイドは、とりあえず訊いた。
「……その両名を、お許しになるのですか? 神綺様は」
「甘い、なんて言われてしまうのかしらね。また」
神綺が微笑む。
アリスは、笑おうという気になれなかった。
「私の事も……許して、しまわれるのですか?」
「あら。許しが必要な事を貴女、何かやらかしたの? 怒らないから正直に言ってごらんなさい」
「私は……」
アリスは微かに、唇を噛んだ。
「……私が、魔界を追放されたのは……神綺様のお怒りを賜ったゆえとばかり……違うのですか? ねえ神綺様……貴女は、私の事が嫌いだから! 魔界から追い出したんじゃないんですか!? ねえちょっと!」
言葉が、止まらない。
自分が泣いているのか、怒っているのか、アリスはわからなくなっていた。
「違うのなら! どうして私を、お側に置いて下さらなかったんですか神綺様、何故? どうして私1人だけが追い出されなきゃいけないんですか!? 私の事、嫌いだったから! それ以外の理由なんてない! 私なんて貴女にとって、出来損ないの人形でしかなかった! だから捨てたんでしょう!? 私だって思ってたもの、アリスは出来損ないだって! 役立たずの敗北者、無様なアリス! 無能なアリス! だから神綺様に捨てられた。その運命、やっと受け入れられると思ってたのに今更! 何よ! 何なのよぉおおおおおおッ!」
「落ち着いて、アリス」
神綺の声、ではなかった。
アリスは、涙を拭った。
そこにいたのは、かつて自分が最も憎悪していた少女である。
「夢子…………」
「お久しぶり。私たち本当に仲、悪かったわね」
「…………今から、仲良く出来るとでも?」
「どうかしら。ただね、信じてくれなくて一向に構わないけど……私、アリスがいなくなって本当に寂しかった」
何と応えるべきか、アリスはわからなくなった。
その間。
「アリス!」
「会いたかった、アリス! ちょっと背、伸びた?」
「大人っぽくなったねー」
「でも子供みたく泣いてたね、うふふ。アリスー!」
少女が、4人。前後左右から、アリスに抱き付いていた。
「サラ……ルイズ……ユキに、マイ……」
呆然と、アリスは名を呼んだ。
かつて自分にとって、この少女たちは人形だった。
アリス自身も含めて、だ。
「……また、会えるなんて……ね。貴女たちに……」
「アリス聞いて。神綺様はね、アリスの事、嫌ってたわけじゃないんだよ」
「だから、帰って来て?」
「私たちと、また一緒に暮らそう! 神綺様のところで」
「そうだよ。神綺様がいてくれれば、私たちずぅっと仲良し!」
サラも、ルイズも、ユキもマイも、本当に嬉しそうにしている。
夢子は、いくらか恥ずかしそうに微笑んでいる。
アリスは、自分がどんな表情をしているのか、もはやわからなくなっていた。
「……わかったでしょう? アリス」
神綺が、言った。
「サラ、ルイズ、ユキとマイ、それに夢子……皆、私がいなければ駄目な子たち。5人とも、私から離れる事が出来ない。それはそれで愛くるしい、とても愛おしい……けれどアリス。貴女は、この子たちとは違った」
「何が……違うと、言うのですか……」
泣きながら、怒り狂っている。
そんな自分の表情に、アリスはようやく気付いた。
「私が、神綺様に捨てられて……平気でいられた、とでも!? ふざけないで! あれから私が、たった1人! 幻想郷で、どんな思いで!」
「辛かったでしょう。寂しかったでしょう。私を、憎みもしたでしょう……未だに、私を許していないのでしょうね。それでいいのよ、アリス」
娘たちに負けず劣らず、神綺は嬉しそうにしていた。
「私を、憎んでくれていい。愛くるしい子でなくて一向に構わない。悪い子で、むしろ良い。人に嫌われ、憎まれる子であろうとも……アリス。貴女には、独りで生きてゆける子でいて欲しいの。私を必要としない子であって欲しいのよ。博麗靈夢が玄翁から、霧雨魔理沙が魅魔から、独り立ちをしたように」