第80話 幻想の結界(前編)
原作 上海アリス幻樂団
改変、独自設定その他諸々 小湊拓也
蓬萊山輝夜の小さな身体を抱いたまま、藤原妹紅が吹っ飛んだ。
炎の翼が砕け散り、弱々しく火の粉に変わって宇宙空間に消えてゆく。
陰陽玉が、激突したところであった。
「ぐうっ……!」
その激突を、炎の翼で辛うじて防御した妹紅が、吹っ飛んだ先で体勢を立て直す。
そこへ、呪符の豪雨が襲いかかった。
「ねえ妹紅? 弱くてかわいそうな妹紅、私を盾にしてもいいのよっ」
妹紅に抱えられたまま、輝夜が、言葉と共に光を撒いた。
色とりどりの、煌びやかな光弾の嵐。
その美しい弾幕が、無数の呪符とぶつかり合う。
両方、砕け散った。
カラフルな光の破片が、細々と舞い散る紙片を灼き尽くしながら消えてゆく。
その様を蹴散らすように、大型の陰陽玉が2人を襲った。彗星の如く飛翔し、蓬莱人の少女たちを轢き潰さんとする。
鈴仙・優曇華院・イナバは、眼光を燃やした。
真紅の瞳から、赤色の眼光が迸り、陰陽玉を直撃する。
妹紅と輝夜の眼前で、陰陽玉は砕け散った。
鈴仙はすぐさま、妹紅と背中を合わせた。
「差し出がましい真似を、したわね」
「いや、助かった!」
別方向から飛来した陰陽玉を、妹紅は蹴りで迎え撃った。
すらりと形良い右脚が、炎と指貫袴を引きずりながら一閃する。
陰陽玉が、砕け散りながら焦げ崩れた。
その時には、無数の呪符が、全方向から降り注いで来ている。
全てを、鈴仙は狙撃した。
両手で拳銃を形作り、綺麗な指先から真紅の光を速射する。
鋭利な光弾が、呪符とぶつかり合い、共に砕け散る。
いくら粉砕しても尽きる事なく、宇宙空間を飛び交い続ける、陰陽玉と呪符。
無尽蔵の、弾幕であった。
その発生源となっているのは、1人の少女だ。
飛翔する海亀の上に立ち、陰陽玉の嵐を吹かせている。呪符の豪雨を、全方向に降らせている。
この場にいる弾幕使い全員を、単身で相手取り、翻弄あるいは蹂躙する、博麗の巫女。
皓々と輝く月を背景に佇む様は、宇宙の災厄そのものである。
何なのだ、と鈴仙は思った。
「あれが……霊夢? あの化け物が、本当に……1度は私の部下だった、博麗霊夢だと言うの……?」
「あれは霊夢よ、紛れもなく」
妹紅に持ち運ばれたまま、輝夜が言った。
「ねえ鈴仙? 貴女ったら、あんな恐ろしい子を手懐けて……私や永琳に、刃向かおうとしていたのねえ。うふふ、惜しかったわね」
「…………私は……嫦娥様に、お仕えしております。輝夜様、貴女は敵です」
「今回は見事、してやられたわね。またいつでも私の寝首を掻くといいわ。永遠亭にいなさい、鈴仙」
「……………………」
鈴仙は応えず、ただ真紅の弾幕を速射し続けた。
呪符が、陰陽玉が、際限なく襲って来る。
何も考えず、弾幕戦に集中出来る。
それは鈴仙にとって、幸いであった。
星幽剣士コンガラが、吼えた。
その優美にして強靱な両手から、光が発生し、伸びてゆく。剣の形にだ。
光の長剣が、陰陽玉を粉砕し、呪符の嵐を斬り砕く。
無数、尽きる事なく襲い来る呪符と陰陽玉を、光の斬撃で迎え撃ちながら、
「死の天使サリエル! 一体どういうつもりだ、自身が今何をしているのか! 理解しているのか貴様ぁあああああっ!」
コンガラは、月に向かって叫んだ。
「博麗の巫女に、力を与えるなど! この宇宙に、全ての世界に、滅びをもたらす事にしかならんのだぞ!」
『滅びは嫌なのか、星幽剣士コンガラよ』
月が、答えた。
『自由奔放なる地獄の女神の配下にあって……そんな生真面目な事を考えているのは、君だけであろうな。生真面目に、この宇宙の秩序を守るべく奮闘し奔走する。結果、君もまた死へと向かってゆく……素敵、と私は思うよ』
そんな言葉に合わせ、月が輝きを増してゆく。
その光が、博麗霊夢の身体に吸い込まれる。
いや、博麗靈夢か。
霧雨魔理沙は今、全てを思い出していた。
「……2つの幻想郷が、あった」
呟く声は、靈夢には届いていないだろう。
「2つの幻想郷に、私は……同時に、いた。片方は、魅魔様の弟子の半人前な魔法使い。もう片方は霧雨店の娘、自立を夢見ながら結局のところ何者にも成れない、半人前ですらない子供だ。どっちも私、どっちも霧雨魔理沙。2人の魔理沙が、いつの間にか、くっ付いて1人になっていた」
魔理沙は、魔法の箒を振るった。
飛来した呪符が、掃かれて砕けちぎれる。
「……もしかして、そのせいか? 2つの幻想郷が近付いて、色々おかしな事が起こってるのは」
「2つの幻想郷に、同時に存在していたのは……貴女だけではないのよ、魔理沙」
八雲紫が、いつの間にか傍らにいた。
「弾幕戦の精髄と呼ぶべき、禍々しいものが……ある時、2つの幻想郷に、同時に出現したわ。それは形を持たなかった。ただ嵐のように吹き荒れて、全てを破壊する。それだけの存在よ」
「……2つの幻想郷は、破壊されたのか?」
「そうなる前に、私たちが形を与えたのよ。破壊しか引き起こさない、弾幕戦の精髄に……博麗の巫女、という形をね」
「私たち、の内訳は?」
「幻想郷の賢者数名、それに玉造部の神。巫女を形作るには、陰陽玉が必要不可欠だったから」
陰陽玉は、魔理沙には今のところ、単なる凶器としか思えない。いくつかが、流星の如く襲来する。
魔理沙は、かわした。
紫もかわし、叫んだ。
「思い出しなさい霊夢! 貴女は、博麗の巫女なのよ!」
降り注ぐ呪符たちを、ことごとく日傘で受け流す。
「思い出して。貴女は、幻想郷を守るために戦い続けてきた……私の定めた、博麗霊夢という輪郭を決して失う事なく」
「……誰よ、あんた」
傍らに浮かぶ陰陽玉を、靈夢はお祓い棒で殴打した。
「私に馴れ馴れしくする、のはまあ別にいいけどっ! それなら弾幕戦に付き合いなさい。お話するのは、戦い終わって両方生きてたらね!」
殴り飛ばされ飛来した陰陽玉を、紫は危うく回避した。
その間、無数の呪符が魔理沙を襲う。
魔法の箒を小刻みに操縦し、回避飛行をしながら、魔理沙は問いかけを続けた。
「弾幕戦の精髄なんてものが、2つの幻想郷に現れた。片方は紫、お前が輪郭を定めて……霊夢にした。もう片方は?」
「もう片方の幻想郷にも、賢者はいる」
言いつつ紫が、靈夢の方を見る。
「その賢者は、私のように能力で輪郭を作り上げるのではなく……形も心も持たない弾幕戦の精髄に、まずは語りかけた。心を持たないものを相手に、心を通わせた。その結果」
いや違う。紫が見つめているのは、靈夢ではない。
靈夢を甲羅に乗せた、海亀。
「……弾幕戦の精髄は、ないはずの心を芽生えさせ、自我を持ち、やがて博麗靈夢という形を獲得した。私などよりもずっと賢者と呼ぶにふさわしいのは、あの方よ」
海亀の翁が、悲しげに見つめ返してくる。
「……何故かしら?」
突然、紫は疑問を口にした。
「博麗の巫女と、まるで呼応するかのように……魔理沙、貴女もまた2つの幻想郷に、同時に存在した。何故なのか……私はね、貴女に使命があるからだと思っているわ」
「使命だと……」
「自分の運命は、自分で切り開くもの。魔理沙は、そう思ってしまうでしょうけど……生まれながらに何かを背負ってしまう事は、あるものよ」
「私の、使命……」
魔理沙は呻いた。
「……霊夢を……止める事、とでも言うのかよ……」
「2つの幻想郷が今、近付いて、ぶつかり合おうとしている。それは博麗霊夢と博麗靈夢が、いつの間にか統合されてしまったから」
「それに合わせて、私も1つになっちまった?」
「霊夢を止めるために、ね」
紫が、じっと魔理沙を見つめてくる。
「私に出来る事は、輪郭の設定だけ。輪郭の中身を作り上げるのは霊夢自身、それに……貴女よ、魔理沙」
「コソコソと、作戦会議でもやってるわけ? らしくないわよ魔理沙!」
靈夢が、突進して来た。
高速飛行する海亀の上から、お祓い棒を振り下ろして来る。
長大な紙垂が、斬撃の如く一閃した。
「くっ……!」
箒にまたがったまま、魔理沙は身を傾けた。
紙垂の一閃が、顔のすぐ近くを凶暴に通過する。
紫がどのように回避したのかは、見えなかった。
「……お願い申し上げます、魔理沙殿」
すれ違いざまに、海亀の翁が語りかけてくる。
「私では……この方を、人の形にとどめるのが精一杯でした。人の心は、貴女がもたらしたのです」
「玄爺……」
「魔理沙殿と出会い、競い合い、共に過ごした、あの日々こそが、この方に……人の、心を」
すれ違い、遠ざかった。
再び距離を詰める事は、出来なかった。
無数の呪符が、魔理沙を襲う。
全て、叩き斬られた。
何本もの剣が、魔理沙を防護しながら一閃し、呪符を切り刻んでいた。
剣を持った、人形たちであった。
「アリス……」
「大役ね、魔理沙」
アリス・マーガトロイドが、すぐ近くで宇宙空間に佇んでいる。
「靈夢は、貴女に止めてもらうしかないわ。私たち全員で戦っても多分、勝てない」
巨大な陰陽玉が、彗星のように飛んで来た。魔理沙もアリスも人形たちも、ひとまとめに粉砕する勢いである。
斬撃の閃光が、縦横に走った。
巨大な陰陽玉は、魔理沙の眼前で叩き斬られ、四等分されて飛び散った。
楼観・白楼の二刀を抜き構えた魂魄妖夢が、そこにいた。
「仮に、霊夢の命を奪ったところで……もっと恐ろしいものが、解き放たれてしまうだけだ。私の半霊で操る事など、もはや出来はしない」
ひらひらと舞う蝶々の群れが、妖夢の周囲で淡く発光している。
西行寺幽々子が近くにいる、と魔理沙は思った。白玉楼の主が、妖夢に力を与えている。
靈夢が、獰猛に笑った。
「ふん、いいじゃないの。どんどん群れて、私の行く手を阻みなさいよね」
形良い左右の五指が、凄まじい速度で九字印を組む。
「……まとめて、ぶち砕いてあげるわ。さあっ!」
臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前。
光の九字が宇宙空間に出現し、幻想郷の弾幕使いたちを襲った。
そして、砕け散った。
光で出来た、真紅の鎖が、靈夢の九字を粉砕していた。
光の破片を蹴散らして、螺旋状にうねる鎖。
その螺旋の中で、レミリア・スカーレットは尊大に腕組みをしている。
「……目を覚ましなさい、霊夢。いつまで、お馬鹿を晒しているの」
「あー? 誰よ、あんた」
「自分が誰であるのか。まずは貴女が、把握なさいな」
レミリアは言った。
「自分を取り戻すところからよ、霊夢。貴女は今、月に……死の天使に、操られている」
「世迷い言を!」
靈夢は、お祓い棒を振るった。
陰陽玉が1つ、2つ、打ち出されて飛翔し、真紅の鎖の螺旋を粉砕する。
鎖の破片を、槍が蹴散らした。
「あんなものに、運命を操られては駄目!」
真紅の、光の長槍。
小さな全身で、レミリアはそれを靈夢に突き込んで行く。
お祓い棒の一撃が、そこへ激突する。
真紅の長槍が、砕け散った。
赤い光の破片を払いのけるように、紙垂が舞う。
その時には、レミリアは捕縛されていた。
「ぐぅ……っ!」
広い翼と小さな身体を一緒くたに束ねる形で、注連縄が幾重にも巻き付いている。
靈夢の、左の袖から伸び現れた注連縄。
絡め捕らえたレミリアを、靈夢は容赦なく掴み寄せた。
「ふうん。あんた、誰だか知らないけど……小さくて可愛いじゃないの。気に入ったわ、ペットにしてあげる」
その言葉が終わる前に、無数のナイフが靈夢を取り囲んだ。
それらが靈夢を切り刻む、よりも早く。
いくつもの陰陽玉が超高速で旋回飛行し、ナイフを全て弾き飛ばしていた。
その間。十六夜咲夜がレミリアを抱き運び、靈夢から遠ざかる。注連縄は切断されていた。
「逃がしはしない……」
旋回する陰陽玉たちに、靈夢はお祓い棒を打ち込んでいった。
「私の前に1度でも立ち塞がった奴が、私の視界から逃げて行くなんて! 絶対に許しはしない、抹殺! 滅殺!」
打ち飛ばされて来た陰陽玉を、1つ2つと魔理沙はかわした。
「……そうだな、霊夢。視界の中にあるものは全て敵、破壊対象……それが、弾幕戦だものな」
魔理沙の眼前に小型八卦炉が浮かび、チロチロと炎を発する。
「だから私も……お前を、跡形もなく消し飛ばす。おい、消し飛ばされるなよ霊夢!」
その小さな炎が、爆炎の閃光に変わった。
宇宙空間を真っ白に照らすマスタースパークが、真正面から靈夢を猛襲する。
「……そう。それでいいのよ、魔理沙」
その激しい白色光が、虹色の輝きに掻き消された。
夢想封印。
虹色の大型光弾が無数、靈夢の眼前に集い、螺旋状に旋回する。
そして、襲い来る爆炎の閃光を、正面から穿ち砕いてゆく。
激しい白色光の飛沫が、大量に飛び散った。
「あんたとは……どこかで決着、つけないとねえっ!」
靈夢の姿が一瞬、揺らいだ。
魔理沙には、そう思えた。
亀に騎乗する巫女の姿が、幻影のように見えたのだ。
霊夢が、消える。そんな思いが、浮かんだ。
「いけない、輪郭が……!」
紫が、そんな声を発している間にも。旋回する夢想封印が、マスタースパークを粉砕してゆく。
爆炎の閃光が、虹色の大型光弾によって削り散らされる。
幻影のように、靈夢の姿が薄れてゆく。消えつつある。
虹色の大型光弾たちは、しかし薄れ消えるどころか輝きを増し、巨大さを増し、旋回速度を増しながら、マスタースパークを抉り砕いていった。
陰陽玉と呪符から成る弾幕が、宇宙空間に吹き荒れて、他の弾幕使いたちを強襲する。アリスも妖夢もレミリアも、回避と防戦を強いられている。
博麗霊夢が、博麗靈夢が、消えてゆく。
博麗の巫女という形の中に封じられていたものが今、解放されつつあるのだ。
「霊夢……」
眼前に浮かぶ八卦炉に、魔理沙は片手を当てた。魔力を、流し込んでゆく。
猛旋回する夢想封印によって削減される一方であったマスタースパークが、勢いを取り戻した。
轟音を発する爆炎の閃光が、虹色の光弾たちを粉砕する。
否。粉砕されるかに見えた夢想封印が、さらに輝きと回転を増し、爆炎の閃光を激しく削り取る。
靈夢の姿は、ますます薄れてゆく。
「……駄目だ……霊夢……」
消えゆく靈夢が、何か叫んでいるようである。笑いながら怒り狂い慟哭している、ように見える。
声は、聞こえない。
本気を出せば出すほど、霊夢は霊夢ではいられなくなる。靈夢でも、なくなってしまう。
幻想郷の賢者たちによって形を与えられる以前の、禍々しいものに戻ってしまう。
「お前は……弾幕戦の精髄、なんかじゃあない! 霊夢だぞ、霊夢なんだぞ!」
『……良いではないか、弾幕戦の精髄』
月が、声を発した。妖しく禍々しく、光り輝いた。
『死へと向かって生き抜き、戦い抜いた結果……死、そのものと言うべき存在へと変わる。美しい、とは思わないのか君たちは』
「お前……っ!」
月の光が、月の力が、靈夢に注がれてゆく。
夢想封印が轟音を立てて巨大化し、旋回速度を高め、マスタースパークを砕いてゆく。
そして霊夢は、消えてゆく。
怒号か、悲鳴か、判然としない叫びが、魔理沙の身体の奥から迸りかけた、その時。
消失寸前の霊夢を、何者かが背後から抱き締めた。
「霊夢の……輪郭は、私が守る……!」
紫だった。
完全に消えかけていた霊夢が、その抱擁の中で少しずつ、姿を取り戻してゆく。
「私に出来るのは……こうして、輪郭を修復し続けるところまで……」
「紫……お前……」
「輪郭の中身を満たしなさい、魔理沙」
いつまた消え始めてもおかしくはない霊夢の身体を、紫は背後から、しっかりと抱き締めた。
「そのまま、マスタースパークを撃ち続けるのよ。私もろとも霊夢を灼き砕く勢いで……そうしなければ、お馬鹿さんの霊夢は何も思い出してくれないわ」