第8話 禁呪の詠唱
原作 上海アリス幻樂団
改変、独自設定その他諸々 小湊拓也
偽りの月が放つ、偽りの月光。
それ以外の光が今、地上を照らしていた。
炎、である。
魔法の森の上空で、霧雨魔理沙が炎に包まれている。
明々と燃える魔法の炎の下で、魔理沙は無傷だった。黒い衣服も、白い肌も、金色の髪も、炎の中で焼けてもいない。焦げてもいない。
大魔法使いのローブかマントの如く炎をまとい、夜空に佇む魔理沙の姿。
魔法の森を明々と照らす、真夜中の太陽。
一瞬そんな事を、矢田寺成美は思った。
「やれやれ助かったぜ。ありがとうよ、成子」
薄れ消えゆく炎の中で、魔理沙は言った。
「おかしな植物は、私の身体の中で灰も残らず燃え尽きた。しかしお前、意外と荒っぽい奴だったんだなあ。いや、おかげで助かったんだけどさ」
「貴女が魔法人間で、本当に良かったわ」
成美の炎に、魔理沙は己の魔力で耐え抜いたのだ。
「で……どうするの? 逃げるなら今のうちだと思うんだけど」
「そうよ、魔理沙……」
お姫様の如く魔理沙に抱き上げられたまま、人形使いの少女は言った。
吹っ飛んで宙を舞った彼女を、魔理沙が抱き止めたところである。
「貴女は、私を助けてくれた……もう、あの化け物と戦う理由は無いはずよ。逃げましょう、このまま」
「違うぜ、アリス。私を助けてくれたのは、成子とお前だ」
アリス。アリス・マーガトロイド。
ようやくにして、彼女は己の名前を取り戻したのだ。
強靱な細腕でアリスを抱き上げたまま、魔理沙は微笑んだ。
「……本当に、ありがとうな」
「魔理沙……」
「……逃げてくれ、成子と一緒に。私は、あいつと戦わなきゃいけない」
アリスが『化け物』と呼んだ女。
魔理沙といくらか距離を隔てて空中に佇み、美貌を歪めている。笑顔か、怒りの形相か。
「全員、逃がしはしないわ。3人がかりで、いらっしゃい」
その顔が、緑色の髪が、鮮血に染まっていた。
「特に……ねえ? アリス・マーガトロイド。貴女のその勇気には、全力で応えてあげないと」
左胸、鎖骨に近い辺りに刺創が深々と生じており、そこから血が噴出している。人間であれば失血死しかねない量である。
アリスの攻撃魔法を至近距離からまともに食らった全身で、衣服がボロボロに破損しながら血に染まっていた。
白い肌は血にまみれながら偽物の月光を浴び、禍々しい色艶を帯びている。深く柔らかな胸の谷間に、鮮血がとめどなく流れ込んでゆく。
いくらかでも傷を負っているのなら、ここで攻撃の手を休めるべきではなかった。
合掌したまま、成美は念じた。
魔理沙の体内の悪しき植物を焼き払ったように、この風見幽香という怪物を焼き滅ぼす。地蔵の業火をもって。
生じた炎が、しかし一瞬にして消え失せた。
幽香の、左鎖骨の近く。鮮血を噴く傷口から、血ではないものが飛び出し、うねり暴れ、成美の炎を粉砕し蹴散らしていた。
何匹もの蛇……否、大量の植物の根であった。
傷口から生えたそれらが、血まみれの幽香の全身を包み隠す。
人間大の、根の塊が、そこに出現していた。
そのあちこちで発芽が起こり、色とりどりの花が咲いた。
大量の花弁が、花粉が、飛び散った。全て、光弾だった。
「くっ!」
押し寄せる弾幕に向かって、魔理沙が魔力を解放・展開する。
展開した魔力が、大型の魔法陣となった。防壁。魔理沙とアリスを、まとめて防護している。
そこへ、幽香の弾幕が激突する。
魔法陣が、砕け散った。
飛散する結界の破片を、光弾の嵐を、魔理沙はかわした。流星のような高速離脱。アリスを抱いたまま、いつの間にか魔法の箒にまたがっていた。
その箒に、成美はしがみついていた。
「お、おいこら! いくら何でも3人は定員オーバーだって」
「そ、そんなこと言わないで、ひいいいいいいい」
光弾が、成美の尻をかすめた。
その間。弾幕を撃ち尽くした花々が枯れ、根の塊が萎びて干からび、崩れてゆく。
枯れ果てた植物の破片を周囲の漂わせながら、無傷の風見幽香が姿を現していた。
刺創も血の汚れも消え失せている。純白のカッターシャツもチェック柄のベストとスカートも、恐らくはランジェリーも、一瞬にして新調されていた。
「ねえ魔理沙。私が知っている程度の事なら、アリスも知っている……貴女の目的は、私を倒さなくても達せられるわ」
汚れの消えた美貌が、ニコリと微笑む。
「……でも駄目よ。私は、貴女たちを逃がすつもりはない」
「上等だ。私だってな、お前の口からしか聞く気はないぜ」
魔理沙はそっと、アリスを抱擁から解放した。
「成子、アリス……逃げろ。こいつの相手は、私だけだ」
「…………寝言は、寝て言いなさい……魔理沙……」
空中に立ちながら、アリスは言った。声が震えている。
「貴女、今……私たちに、助けられたでしょう? 私たちの助力を……拒む資格が、あると思っているの……」
先程までアリスと呼ばれていた人形が、本物のアリスの眼前にふわりと浮かぶ。
「……1対1で、風見幽香に勝てるわけがないでしょう!?」
「アリス……」
「そ……そういう事ね、魔法人間の魔理沙」
成美も言った。
「私たち3人で戦えば……ちょっと怯ませる、くらいの事は出来ると思うわ。その隙に逃げ出せば」
「言ったでしょう? 逃がさない、ってね」
夜空に、大輪の花が咲いた。
幽香の全身から、色彩豊かな弾幕が広がっていた。
色とりどりの光弾の嵐が、押し寄せて来る。
「ああもう、私ひっそり暮らしたい派なのに! こんな凶悪妖怪がいたんじゃ好戦的にならざるを得ない!」
嘆きつつ、成美も魔力を解放し、ばら撒いた。
炎で出来た呪符が大量に発生し、成美を取り巻いて渦を巻き、幽香の弾幕とぶつかり合う。そして砕け散った。
花吹雪のような光弾の嵐が、炎の飛沫を蹴散らしながら成美を猛襲する。上下左右、東西南北、あらゆる方向からだ。
成美は、逃げ惑うしかなかった。
魔理沙とアリスがどうなっているのか、見て確認する余裕などない。
今は、各々が自力で身を守らねばならない時であった。
「大丈夫よね、アリス・マーガトロイド……」
弾幕を避ける、と言うより弾幕から逃げ回りつつ、成美は呟いた。
「貴女、億劫がらずに戦いさえすれば……私なんかより全然、強い魔法使いなんだから……」
弾幕戦が、1対1の戦いになるとは限らない。
実戦なのである。仲間がいるなら、力を合わせるのは当然であった。現に魔理沙も先の異変では、十六夜咲夜に協力を求めた。魂魄妖夢と共闘する場面もあった。
だが今、風見幽香を相手に行っているのは、異変解決のための戦いではない。
自分・霧雨魔理沙の、完全なる私闘である。
矢田寺成美にもアリス・マーガトロイドにも、この怪物と戦わなければならない理由など何もないのだ。
なのに今、怪物に殺されかけている。
「どう考えたって、私のせいだよな……」
魔法の箒の、速度と進行方向を小刻みに制御しながら、魔理沙は呻いた。
花吹雪を思わせる弾幕が、様々な方向から押し寄せて来て魔理沙の全身各所をかすめて行く。
今は、自分1人で回避に専念するしかない。他の2人を気遣う余裕など、与えてくれる相手ではない。
「ひっ……ひぃ……ひぃいいい……」
アリスが、空中でおたおたと頭を抱えている。
人形が、大きな盾を掲げてふわふわと飛翔し、アリスを防護していた。その盾が、幽香の光弾をことごとく防ぎ弾く。
「アリス……お前の魔力、かなりの部分が人形の方に移っちゃってるぜ」
臓物を揺さぶる高速回避行動を強いられつつ、魔理沙は辛うじて声を発した。
「随分と長いこと……その人形がアリスで、お前はアリスじゃなかった。アリスである事を、やめていた……アリスである事を、今からでもやり直すしかないんだけどな」
「危ないところだったわね、アリス・マーガトロイド」
夜空に弾幕を咲かせながら、幽香が笑う。
「もう少し長く、あんな状態が続いていたら……本当に、そのお人形がアリスになっていたところよ。そして貴女の方がお人形。それはそれで幸せな事だったのかも知れないけれど」
その美しい笑顔が、不穏な陰影を帯びた。
「……貴女は自ら、その幸せを放棄した。アリスである事を、自らの意志で再開した。逃げ込む場所なんて、もうどこにも無いのよ。さあ、こちらを向きなさい」
「…………人形…………」
アリスが何かを言った。人形に守られ、頭を抱えたまま。
俯くアリスの眼光が、しかしギラリと輝いたのを、魔理沙は見逃さなかった。
「私が……あれから、お前を倒すために編み出した秘術よ……魔彩光の上海人形、さあ喰らいなさい風見幽香!」
人形が、飛翔した。高速で弧を描きながら、煌びやかな光を散布する。
弾幕だった。様々な色をした、小さな光弾たち。
それが、幽香の弾幕と激突した。
相殺が起こった。双方の弾幕が、共に砕け散っていた。
キラキラと舞い散る光の破片を蹴散らして、青紫色の塊が飛翔する。
大型の光弾だった。アリスの細い全身から無数、放たれ迸っていた。
「上海……そう、これからは貴女をそう呼ぶ事にするわ。さっきまでのアリス」
アリスの名を取り戻した少女は、もう身を屈め頭を抱えてなどいなかった。
たおやかな背筋をピンと伸ばして空中に佇み、まっすぐに幽香を見据え、細腕を舞わせて弾幕を制御している。
「私が憎いのでしょう? 貴女に自我があるのなら……今すぐにでも私を裏切って、あの女に味方しなさい」
あの女、と呼ばれた幽香に向かって、青紫色の大型光弾たちが一斉に飛んだ。
「あら……ほう、ほうほう。ふふん、なかなか……」
満更でもない様子で、幽香が回避の舞踏を披露する。
微笑む美貌の傍を、大型光弾が通過する。
揺れる緑色の髪を、美脚を取り巻いて翻るロングスカートを、青紫色の光弾たちが高速でかすめて走る。
アリスが息を呑む。
その傍らに、いつの間にか幽香はいた。
「いいわよ。そう、それでこそ。けれど、もう少し頑張ってみましょうか」
美しく不穏な笑顔が、アリスの引きつった美貌を間近から覗き込む。
「貴女は、私と同じ……あの連中を代表して今、この幻想郷にいるのだから」
アリスの唇が、奪われる……寸前で魔理沙は、魔法の箒を加速・突入させていた。星をばら撒きながらだ。
アリスの細い身体を横抱きに奪い取り、幽香の眼前から超高速で離脱する。
大量にばら撒かれた星型の光弾たちを、幽香が軽やかにかわしている間。
魔理沙はアリスを後ろに乗せて箒を飛翔させ、幽香と距離を隔てた。
「……身体の中で植物が育つって、きついぜ」
魔理沙は、軽口を叩いて見せた。
「成子の奴は容赦なく焼きに来るし……あいつ、生きてるかな。姿が見えん。上手く逃げたなら、それでいいけど」
「……あの子は、逃げないわ。貴女と同じよ、魔理沙」
アリスが呻き、歯を食いしばる。
「馬鹿よ。貴女と言い、あの子と言い……本気で、あの化け物と戦うなんて……」
「お前もそうだろ、アリス」
背後から回されて来るアリスの細腕を、魔理沙はそっと撫でた。
「私の戦いだったのに……まったく、本気で割り込んで来やがって」
「本気のわけ……ないでしょ……」
後ろから、アリスはしがみ付いて来る。
「どいつもこいつも、わかっていないわ……本気を出して、戦って……負けるっていうのが、どういう事か……」
「お前は1度、本気で戦った。ボロボロに負けるまで、戦ったんだな」
正面からの抱擁であったら、しっかりと抱き締めて頭を撫でてやるところだ、と魔理沙は思った。
「……偉いぜ、アリス」
「全力で負けたら、後がないのよ……」
アリスの声が震える。
自分にはあるのか、と魔理沙は思う。
後がないところまで負けるほど、全力で、本気で、戦った事が、自分にはあるのか。
自分には、思い出さなければならない事がある。風見幽香の口から、聞き出さなければならない事が。
それはもしかしたら自分にとって、無様な敗北の歴史なのかも知れない。
今の自分は、先程までのアリス・マーガトロイドと同じく、どこかへ逃げ込んでいる真っ最中なのではないのか。
「その先が無いじゃない……本気で戦って、負けてしまったら……」
「アリス……」
花吹雪が、またしても吹き荒れた。
幽香の弾幕。春夏秋冬の花々を思わせる、色彩豊かな光弾の荒波が押し寄せて来る。
とっさに魔理沙は、前方に魔力を広げた。魔法陣が出現し、防壁となった。
その防壁が、砕け散った。
弾幕の直撃は免れたが、衝撃は避けられない。魔理沙もアリスも、魔法陣の破片もろとも吹っ飛んでいた。
「アリス!」
吹っ飛びながら魔理沙は、左手で箒を掴み、右手を伸ばした。
アリスが、別方向へ吹っ飛び流されて行く。
こちらを見つめる顔は、青ざめている。涙に濡れながら、引きつっている。
この少女は、無様な敗北を、偽りの自分へ逃げ込まざるを得ないほどの絶望を、知っているのだ。
何か言葉をかける資格など、他人にはないのかも知れない。
だが魔理沙は叫んでいた。
「聞けアリス! 本気の戦いにはな、まだその先がある!」
幽香が、こちらに人差し指を向けていた。
魔理沙を、アリスを、この偽りの夜空もろとも焼き滅ぼそうとしている。
赤い、巨大なものが、魔理沙の傍を通過して幽香の方へと向かった。
とてつもなく巨大な、光弾。それが無数の小さな光弾を吐き出している。幽香に向かってだ。
「貴女……」
かわしながら、幽香は声を投げた。魔理沙に、ではなくアリスにでもなく。
「……面白いわね。弾幕に、生命を与えるなんて」
「私の魔法の本領は、生命操作。これだけは魔理沙にもアリスさんにも、負けない自信があるわ」
空中に佇み合掌したまま、矢田寺成美は言った。
「私自身、お地蔵に生命が宿ったものだしね……」
「生命なき存在に、生命を与える。逆も出来るのかしら? 生命あるものから生命を奪う。例えば、私の生命を」
「出来るなら、もうやってるわ。そこいらの人間や妖精ならともかく、あんたみたいな化け物……呪文1つで消滅させるなんて無理、だから弾幕戦で砕く!」
成美の闘志を宿した巨大弾生命体が、なおも弾幕を吐いて幽香を猛襲する。
その間、魔理沙はアリスに手を差し伸べ、叫んでいた。
「ある! 本気の先は、絶対にあるんだよアリス!」
「魔理沙……」
アリスは、漂いながらも空中にとどまっている。
上海人形が、自力飛行をしながらアリスの背中を支えていた。
魔理沙は、なおも手を伸ばした。
「本気の戦いの、その先へ……行こうぜ、アリス」
「………………」
弱々しく、躊躇いがちに、アリスの方からも手を伸ばしてくる。
その手を、魔理沙は掴んだ。
華奢に見えて、固い手指。魔法実験や弾幕戦で負傷と治癒を繰り返してきた、それは紛れもなく魔法使いの五指であった。
しっかりと握りながら、魔理沙は箒にまたがった。
成美が、幽香に唇を奪われていた。強大なる妖力の塊である細腕にガッチリと捕獲され、じたばたと暴れている。
その身体が、植物の根に覆われてゆく。
成美が捕われている。マスタースパークは使えない。
「アリス……派手なやつじゃなくていい。集中、いけるか?」
「……魔理沙と、一緒なら」
「頼むぜ!」
魔理沙の周囲に、いくつものスターダストミサイルが発生し浮かんだ。
アリスは左手で魔理沙にしがみついたまま、右手をかざした。掌を、幽香に、向けた。
その掌から、アリスの魔力が迸っていた。真紅の光の形でだ。
気付いた幽香が、成美を放り捨ててこちらを睨む。
そこへ、真紅の魔力光の線条がまっすぐに襲いかかった。
無数のスターダストミサイルが、真紅の線条と合流そして一体化し、同じく幽香を強襲する。
アリスの細身をしっかりと抱き寄せながら魔理沙は、己の魔力をさらなるスターダストミサイルに変えて放ち、真紅の魔力光と合流させていった。
魔理沙とアリスの、魔力が完全に融合を果たしていた。
そして、幽香を直撃する。
無数のスターダストミサイルを呑み込んだ真紅の線条が、幽香の肢体を貫通し引き裂いた、ように見えた。
真っ二つになった、くらいではしかし、この大妖怪は絶命には至らないだろう。
ともかく幽香が、半ば粉砕されたような状態で、魔法の森のどこかへ墜落して行く。
「……やった……か?」
魔理沙は呻いた。アリスは息を切らせたまま、声も出せずにいる。
近くでは成美が、炎に包まれながら泣いていた。
「ひっ……ひっく、うぇええ……わ、私のファーストキスが、あんな外道妖怪に……」
「ちなみに私のファーストキスの相手は霊夢だぜ。ちょっと前の宴会でな。いやあ女同士が泥酔すると本当、恥も外聞もなくなるよな」
言いつつ魔理沙は、植え付けられた植物を自身で焼却処分している成美を観察した。
「……お前の能力、便利だなあ。その炎、きっと植物じゃないものも浄化出来るよな。うん。便利さでは多分この3人の中でお前が一番だよ成子。潜在能力はアリスの方が凄いけどな」
魔理沙は今度こそ、アリスの頭を撫でてやった。
「ま、総合力では私が一番だけどな!」
「…………どうするの、魔理沙…………」
アリスが、ようやく声を発した。
「あの風見幽香……間違いなく、まだ生きているわよ。逃げるなら今しかないと思うけど」
「とどめを刺しましょう! あんなの生かしといちゃ駄目、くたばれ破廉恥妖怪!」
「落ち着け成子。自分がお地蔵だって事、少しは考えなきゃだぜ」
なだめながら魔理沙は、魔法の森を見下ろした。
偽物の月光を浴びながら鬱蒼と生い茂る、この森のどこかに幽香は墜落した。
どこかの木陰で今頃、先程のように肉体を再生・回復させている最中であろう。脅して聞き出すならば今しかない。
魔理沙がそう思った、その時。
「ふうん……空を飛べる知的生命体が、地上にもいたとはね」
声をかけられた。武器、らしきものも向けられている。
槍か。いや違う。同じものを、魔理沙は香霖堂で見かけた事がある。
銃である。素人でも弾幕が撃てる、夢のような道具。
香霖堂に置いてあったものには、しかし弾が入っていなかった。弾丸を、別に用意しなければならないのだ。
気合いと魔力で光弾を撃てる魔法使いから見れば、まあ不便ではある。
そんな不便な道具を構えたまま、その少女は空中に立っていた。
「なるほど豊姫様のおっしゃった通り、地上の弾幕使いは意外に侮れない……と言っても所詮は地上の穢れ生物。私たちに刃向かおうなんて思わないように。いい?」
「……何だ、お前」
とりあえず会話を試みながら魔理沙は、相手を観察した。
頭におかしなものを装着した、1人の少女。いや装着物ではなく、生えているのか。
長い耳、に見えた。
「お前……兎の、妖怪か?」
「失敬な。妖怪ではない、栄光ある玉兎の戦士・レイセンである」
兎の耳を生やした少女が、何やら偉ぶっている。
「地上にいるはずの、もう1人のレイセンがねえ、何か仕事してないから私が降りて来たわけよ。降りて来たところで、月が……変な感じに、なっちゃって」
偽物の月を、レイセンは睨んだ。
「帰れなくなっちゃって……月の都と、連絡もつかないし。まあいいわ、こちらとしては任務を果たすまで」
魔理沙は見回した。
成美とアリスも見回し、息を飲んでいる。
いくつもの人影が、空中に佇んでいた。一目では数えきれない人数である。
いささか不恰好な鎧に身を包んだ、恐らくは兵士たち。魔理沙が同じく香霖堂で見かけた事のある、土偶というものに似ている。
「しばらく。今しばらくお待ち下さい、戦人の皆様。まずは尋問をいたしますゆえ」
レイセンが言い、魔理沙に銃口を向ける。
「地上の者どもよ。この方々は玉兎よりも栄光ある、月人の皆様であらせられる……逆らうな。お前たちよりも、ずっとずっと強いぞ」
「ああ、そうかい」
躊躇いもなく魔理沙は、スターダストミサイルを放った。
いかにも動きの鈍そうな土偶たちに、ミサイルの豪雨が降り注ぐ。
全て、命中した。
土偶たちの体表面で、スターダストミサイルがことごとく砕け散って消滅する。
月の戦人、であるらしい兵士たちは全くの無傷だ。
「な……っ……」
絶句する魔理沙の眼前に、成美がいきなり割り込んで来た。
土偶の1体が、片手を掲げたところである。その太い指先が光を放つ。
放たれた光が、成美を直撃した。
「成子!」
血飛沫を引きずりながら、成美が魔法の森に墜落して行く。
呆然とする魔理沙に銃口を向けたまま、レイセンが嘲笑った。
「無駄だ。月の叡知の結晶たるフェムトファイバー装甲に、地上の弾幕など通用しない」
嘲りの笑顔が、険しく引き締まる。
「我らは何も地上で暴虐を働こうというわけではない。お前たちはただ、私の質問に答えるだけで良いのだ……答えよ。綿月依姫と蓬莱山輝夜は、どこにいる? 月の罪人どもを、貴様ら地上人は一体どこに匿っているのだ」