第75話 妖花絢爛
原作 上海アリス幻樂団
改変、独自設定その他諸々 小湊拓也
宇宙空間に、色とりどりの花が咲き乱れていた。
屍を養分に咲く花だ、と岡崎夢美は思った。
この宇宙に住まう、あらゆる生命を肥やしとして、おぞましく際限なく繁茂する悪しき植物。
「教授……」
北白河ちゆりが、呆然と呟く。
「あのプラント……もしかして、動かしっぱなしっスか?」
「そんなはずはない……仮に、そうであったとしても」
人型の全身で、色とりどりの花を咲かせ、葉を広げ、蔓草を揺らめかせる、植物の塊。
それらが群れを成して宇宙空間に浮かび、布陣している。
この軍勢は先程、幻想郷の弾幕使いたちによって殲滅された、はずであった。
原料は、ちゆりの体内にあった僅かな残留物である。
それを使い果たし、作り上げた怪物たちだ。
可能性空間移動船内の生産プラントが稼働していたとしても、新たに生み出せるはずはない。
そこまで思い至って夢美はようやく、気付いた。思い出した。
可能性空間移動船の内部には今、原料の塊がある。分身体ではない、本物が存在する。
捕獲してある、はずであった。
それは今や、植物の塊たちを率いる格好で宙域に姿を現し、こちらに微笑みかけていた。
「私……貴女が好きよ、岡崎教授」
若草を思わせる緑色の髪が、風のない宇宙空間で妖しく揺らめき、その優美なる笑顔を取り巻いている。
「単なる人間が、私にあれだけの事をしてくれるなんて……靈夢も魔理沙も、あそこまでは出来なかったもの。尊敬するわよ、本当に」
その口調に、皮肉や憎悪はない。
風見幽香は今、本当に、自分を好いて尊敬してくれているのだ、と夢美は思った。
「見習いなさい、今ここにいる幻想郷の面々よ」
この場にいる全員を抱擁するかの如く、幽香は両腕を広げた。
一見たおやかな、左右の細腕。
統一原理に当てはまらぬほど、美しい裸身。
その背中から一瞬、光の翅が広がったのを、夢美は確かに見た。
「魔力も妖力も霊力も持たない人間にだってね、あれだけの事が出来るのよ? 比べて貴女たちは、さあ私をどれだけ……酷い目に、遭わせてくれるのかしら」
いかなる理論をもってしても説明不可能な、白く美しい裸身に、暗黒色のランジェリーが巻き付いた。
純白のカッターシャツが、ふわりと被さっていった。
「……あれだけの事、と言われてもね。貴女がどんな目に遭っていたのか、私は知らないし興味もないわ」
八雲紫が言った。
「私にとって重要な事は……貴女が今ここで何をしているのか、今から何をしようとしているのか。それをしなければならない理由も、出来たら教えて欲しいわね」
「弾幕戦に、理由はないのよ」
すらりと伸びた裸の美脚を、チェック柄の赤いスカートが覆い隠す。
扇情的な脚線が、その上からでも何となく見て取れる。
そんな事を夢美が思っている間に幽香は、同じく赤いチェック柄のベストを羽織り、そして日傘を開いていた。
「境界の八雲紫……貴女、幻想郷の賢者を自認するのなら、その辺りの事も理解しないとね」
「特に理由もなく、争い事は起こるもの。それはね……花の風見幽香、貴女のような危険分子が存在するからよ」
紫が、言い放つ。
「幻想郷の賢者として私は、異変が起こる事を否定はしない。異変は、起こらなければならない……それは幻想郷の、安定と秩序のためよ。理由なき異変など、私は認めない」
「たとえ、この場で私の命を奪ったところで。理由なき弾幕戦が、この宇宙から失われる事は決して無いわ」
幽香の言葉が、眼差しが、十六夜咲夜に向けられる。魂魄妖夢に、鈴仙・優曇華院・イナバに向けられる。
「……何故なら、私たち弾幕使いが存在するから。貴女たちも、わかっているはずよ」
咲夜も妖夢も、黙り込んで何も言わない。
言葉を発したのは、鈴仙だ。
「風見幽香……だったわね。貴女は、穢れの塊よ……」
真紅の瞳を震わせながら、幽香に人差し指を向けている。
「おぞましい……禍々しい……貴女みたいなものがいるから、宇宙は穢れに満ちて……その穢れが、月にも及ぶ。月人は、それを拒絶して……穢れから、逃げようとして……あんな事に……」
「いらっしゃい、兎さん」
幽香は、嬉しそうにしている。
「無菌室を飛び出して、雑菌だらけの世界へ……よく来てくれたわね。不潔極まる土壌から栄養を貪り吸って、花は綺麗に咲き誇るもの。貴女も綺麗よ? その花を、飽きるまで愛でてあげる。飽きたら私の肥やしにしてあげる」
「そうよ……私たち月の民は、穢れを受け入れ、受け止めて、穢れと向き合わなければいけなかった!」
幽香への指弾が、そのまま銃撃に変わった。
鈴仙の人差し指から、鋭利な光弾の嵐が速射される。
植物の塊が何体か、ふわりと動いて幽香の盾となった。
そこへ、鈴仙の弾幕が激突する。
花々が、葉や蔓草が、ちぎれ飛んだ。
それらを払い飛ばすように、翅が広がり羽ばたく。
大型の翅を有する何かが、植物の塊の中から現れつつあった。
「妖精……」
紫が呟く。
「自然界そのものを……この場に現出させたと言うの!? 風見幽香、貴女は……」
人型の、醜悪な植物の塊であったものたちが今。
宙域のあちこちで、醜悪な植物のドレスを脱ぎ捨てていた。
砕け枯れゆく草花の中から、美しく可憐な姿を露わにしつつあった。
小柄な細身から大型の翅を広げた、少女たち。
愛らしい手で、一輪の花を恭しく抱え持っている。
向日葵だった。
向日葵の花を抱いた、少女たち……紫の言葉を借りるなら、妖精たち。
口々に、祈るかのように言葉を発している。
「我らの命は、幽香様と共に……」
「我らの力、我らの戦い」
「全て、幽香様のために……」
「……我らの魂、幽香様と共に」
忠誠を呟く、妖精の軍勢。
その後方で、可能性空間移動船は今、宇宙に浮かぶ巨大な植物園と化していた。
夢幻遺跡を侵蝕しつつ咲き乱れる花々の中央で、2人の少女が眠っている。
色とりどりの植物に囲まれ、囚われ、意識を失っている。
「…………豊姫……」
綿月豊姫と、藤原妹紅だった。
「……私の……失態だ……」
夢美は、絶望の呻きを漏らした。
「風見幽香という怪物の力……完全に、見誤っていた。夢幻遺跡を……乗っ取られるとは……」
「打ちのめされている場合ではないぞ」
八雲藍が、声をかけてきた。
その背後、九尾の束縛の中で、カナ・アナベラルが寝ぼけ眼をこすっている。
「ん……何……? もっふもふ……」
「ほらほら。とっとと起きて、お前も戦うね」
橙が、カナを掴んで引きずり出す。
騒霊の少女を九尾から解放しつつ、藍は言った。
「風見幽香と因縁を持ってしまったようだな? 岡崎夢美よ。あやつの狙いが貴様の命ひとつであれば、この場で差し出して面倒を避けるところだが」
「……残念だったな。私を含む、この場の全員が今や、あやつの標的だ」
「そういう事だな。戦うしか、ない」
向日葵を持つ妖精の軍勢を、藍は見渡した。
「こやつらを突破し……貴様の盟友・綿月豊姫を、仕方がない、救出する手伝いをしてやる。だから貴様も我々に力を貸せ」
「豊姫は……君たちの幻想郷を脅かす、大敵ではないのか?」
「だから我らの手で確実に息の根を止める。反省し命乞いをするなら、一応は聞いてやる」
藍が、ちゆりに抱かれた小さな少女に、視線と言葉を向ける。
「……藤原妹紅を救い出すのは、そのついでという形になるが」
「まあね。あれら2人とも、私としては別にどうなっても良いのだけど」
つい先程まで赤ん坊だった、蓬萊山輝夜である。
「助けて恩を着せれば、少しくらい何かの役に立つかも知れないし」
「そう、それでいいのよ。助けてあげなさい、何としても」
幽香は言った。
「誰かを助けるための戦い、自分1人が生き残るための戦い。私を殺すための戦い、幻想郷を守るための戦い、ただ楽しむための戦い……全てが、弾幕の花を咲かせる肥やしとなるのよ」
妖精とは、自然の力そのものである。
草木も生えぬ、水も空気も存在しない宇宙空間に、妖精が発生するはずはなかった。
それとも、と霧雨魔理沙は思う。
とてつもない拡大解釈を行えば、この宇宙空間も自然界の一部という事になってしまうのか。
「妖精……だと!」
向日葵を抱え持った少女が、無数。
大型の翅を振動させて高速飛翔し、弾幕を散布している。
口々に、唱えながらだ。
「我らの魂……我らの、命」
「……全ては、幽香様と共に」
彩り豊かな光弾の嵐が、魔理沙を襲う。
アリス・マーガトロイドを、パチュリー・ノーレッジを襲う。
星幽剣士コンガラを襲う。
そして、住吉ロケットを襲う。
「くっ! こいつらッ!」
小刻みな回避運動を行う魔法の箒にしがみついたまま、魔理沙は、スターダストミサイルを乱射した。左右に浮かぶ水晶球から、イリュージョンレーザーを迸らせた。
全て、命中した。
向日葵を持つ妖精たちは、微量の血飛沫を散らせつつも、変わらぬ勢いで弾幕を大量放出し続けている。
「嘘だろ!? 何て頑丈さだ……」
驚愕しつつも魔理沙は、4つの魔法球体で住吉ロケットを取り囲んでいた。
赤、青、緑、紫。惑星にも似た、4色の球体。
4色の頂点を有する正四面体が、そこに出現し、住吉ロケットを内包していた。
4つの正四角形は、全て魔力の防壁である。
そこに、妖精たちの弾幕が激突し、砕け散る。弾幕の方がだ。
ロケットを包む正四面体は、光の破片を大量に押し返しながら無傷であった。
4つの魔星に住吉ロケットの防衛を一任しつつ、魔理沙は魔法の箒を駆った。
ひたすら回避である。攻勢に出る事が、出来ない。
色とりどりの光弾が、魔理沙の全身をかすめて飛び交う。
魔力による防御を、全身に施している。そうしなければ、かすめただけで裂傷を負う。直撃すれば命がない。
妖精の火力、とは思えなかった。
慄然としながら、魔理沙は叫んだ。
「パチュリー、アリス! 無事か!」
「……私は、何とかね。パチュリーは、きっと自力で身を守ってくれていると信じるしかない」
何体もの人形が、大型の盾を掲げてアリス防護していた。
恐らくはアリスの魔力で強化されているのであろう、幾つもの大盾が、多方向から襲い来る光弾を跳ね返し受け流す。
その防護の中から、アリスは見据えた。
月の方向から、優雅に宇宙空間を歩んで迫り寄って来る、しとやかな人影を。
「……乱戦になってしまったわね。岡崎教授は、どこかしら」
凄まじい重量の日傘を、たおやかな繊手で軽々と掲げている。
「まあいいわ、のんびりと捜す事にしましょう。貴女たちと遊びながら、ね」
「私らは遊びに来てるわけじゃないんだが……お前みたいな化け物にとっちゃ、まあ遊びか」
魔理沙は言った。
「戦いも、破壊も、殺し合いも、大量虐殺も、何もかも遊びなんだよな。お前にとっちゃ」
「……思い出したのね、魔理沙」
風見幽香が、日傘の向きをひょいと変えて光弾の雨を防いだ。
鋭利な、真紅の光弾。恐らくは鈴仙・優曇華院・イナバが放ったものだろう。
「幸せな夢から、醒めてしまった気分はどう?」
鈴仙だけではない。十六夜咲夜にレミリア・スカーレットも、八雲の妖怪たちも、魂魄妖夢や藤原妹紅も、この宙域のどこかで戦っている。この、向日葵を持つ妖精の軍勢と。
まさしく幽香の言う通り、乱戦である。
「幸せな夢、なのかな。とにかく風見幽香……お前をぶちのめして聞き出す予定だった事、思い出しちまったよ」
乱戦の中、魔理沙は会話を続けた。
「……もうひとつ訊きたい。魅魔様が、どこにいるのか知らないか」
「その辺にいると思うわ。大声で、助けを求めてみてはどう?」
幽香が、微笑んだ。
「貴女が泣き叫べば、きっと助けに来てくれるわ。そうね、泣かせてあげましょうか」
その言葉を合図として、向日葵を抱く妖精たちが光を放つ。
光弾、ではない。レーザーである。
同じくレーザーで、魔理沙は迎え撃った。
左右の水晶球から迸った光の線条が、妖精たちのレーザーとぶつかり合う。
激しい相殺の閃光が、宇宙空間を白く染めた。
その白色光の中から、向日葵を持つ妖精の部隊は襲い来る。
「我らの戦い……幽香様と、共に」
「我らの弾幕、幽香様のために」
言葉と共に発生した光弾の嵐が、しかし直後、灼き砕かれた。
爆炎の塊が、いくつもの小さな太陽のように出現し、妖精たちの弾幕を粉砕していた。
「火力よ、魔理沙」
背後から、言葉をかけられた。
パチュリー・ノーレッジが、いつの間にか魔理沙の後ろで箒に腰掛けている。
「この妖精たちは規格外……小細工が通用する相手ではないわ。正面から破壊力をぶつけるしかない。魔理沙、貴女の得意分野でしょう?」
「……ああ、そうだな」
魔理沙の全身から魔力が溢れ出し、無数のスターダストミサイルと化す。
眼前に小型八卦炉が浮かび、幽香に向かってチロチロと小さな炎を噴出させる。
「誰かを探している、ようだけど」
幾つもの魔法陣を、宇宙空間に描きながら、パチュリーは言った。
「心ここに在らず、で勝てる戦いではないわよ?」
「……そうだな。ありがとうよ」
魅魔の存在を、魔理沙は一旦、心の片隅に追いやった。
「私が探していたのはな、いつの間にか消えちまった無責任な魔女だ。あんなのよりパチュリー、お前の方がよっぽど頼りになるぜ」
「やるわよ」
「おお!」
無数のスターダストミサイルが、一斉に放たれた。
イリュージョンレーザーが出力を増し、水晶球から噴出した。
幾つもの魔法陣が、光弾・レーザー・小型太陽から成る多色の弾幕を放射した。
八卦炉から漏れ出す小さな炎が、爆炎の閃光に変わった。
霧雨魔理沙と、パチュリー・ノーレッジ。
魔法使い2名の魔力が、破壊力そのものと化して宇宙を照らし、妖精たちを向日葵もろとも灼き払う。
そして、幽香をも呑み込む。
呑み込みに来る破壊の光を、幽香は日傘で防御した。
光は、やがて消えた。
妖精の軍勢が一部、削除されたかのように消え失せている。
妖精であるから、いずれは再生する。
日傘は、無傷のまま宇宙空間を漂っている。幽香はいない。
いや。魔理沙の傍らに、いた。
「誰かと、力を合わせられる……それが貴女の強みね、魔理沙」
優しい、微笑み。
それと共に、緑色が閃いた。斬撃、いや鞭の一閃。
蔓草と根と荊が絡み合って出来た、植物の鞭が、幽香の右手から伸びて魔理沙を襲う。パチュリーを襲う。両名を同時に切り裂く……寸前。
斬撃が、横合いから飛び込んで来た。
光の剣が、植物の鞭を切断していた。
「貴様のような、おぞましい魔物……地獄界にも、そうはおらぬぞ」
己の力を光の刀身に変え、星幽剣士コンガラは、さらなる斬撃を繰り出してゆく。
その一閃を、幽香は踊るようにかわした。
「ふん……地獄の魔物が、幻想郷の魔法使いに味方しようと言うの? いいわ、まとめて私の肥やしにしてあげる」
「誰が味方などするか。こやつらは博麗靈夢共々、私が討つ。私の戦いである。貴様の戦いになど、させん!」
弾幕放射の動きに入りかけていた妖精が数体、一瞬の光に薙ぎ払われ、砕けて消えた。
コンガラの斬撃。魔理沙には、見えなかった。
「我ら地獄の軍士を……なめるなよ、地上の妖怪ごときが」
幼い女の子が、岩の上で泣きじゃくっている。
霧雨店の一人娘。名は、何と言ったか。
泣いている理由など、聞くまでもない。父親と喧嘩。いつもの事だ。
馬鹿馬鹿しい、と思う。
それでも博麗の巫女は、岩に上り、隣に腰掛けていた。
間違っても、慰めはしない。
いつも通り、他愛無い話をするだけだ。
違う、と博麗の巫女は思った。
この、自立願望が強いだけで何も出来ない、非力な少女と。
魅魔の弟子で、自分と嫌になるほど戦い、共に修行し、自分を高空へと拉致し、自分をおかしな粘液に漬け、自分を火炙りにしてくれた、あの許し難き魔法使いの少女は、全くの別人だ。
別人であるはずの2人の少女が、いつの間にか、1人の霧雨魔理沙になっていた。
「魔理沙は……」
博麗の巫女は、見回した。
木造の、掘っ建て小屋のような船の中である。
目の前に1人、長い髪を束ねた少女がいるが、霧雨魔理沙ではない。
「……まりさは……どこ……? あなた、だれ……」
『君はまず、自分の事を思い出さなければいけませんね』
魔理沙、ではない少女が言った。
『今、何が見えますか? 私以外で』
見えるものなど、何もない……いや。
白黒、あるいは紅白の交わった色合いの、おかしな球体が見える。
自分の左右に、眼前に。頭上にも。
数は、わからない。本当は1つしかない、ようにも見えた。
「……おんみょう……だま……」
『そう、陰陽玉。私が作ったものです。君を、博麗の巫女たらしめるために』
実体か幻覚かも定かではない、色彩豊かな陰陽玉たちが、自分を取り囲んでいる。
「……きれい…………」
『ありがとう。私の、自信作ですよ』
いくらか悲しげな、笑顔だった。
『破壊と殺傷をもたらす、弾幕戦の本質そのもの……それを博麗の巫女という人の形に整えるための、陰陽玉なのです』