第74話 紅き悪魔と蒼き天使
原作 上海アリス幻樂団
改変、独自設定その他諸々 小湊拓也
あの不味い薬は、とうの昔に使い果たした。
砕け散りかけた肉体を、妖力で繋ぎ止めるのが、今は精一杯である。
レミリア・スカーレットという存在を、維持する。
それだけに、力の全てを注ぎ込まなければならない。
そんな戦いだった。
死の天使サリエルは、それほどの相手であった。
「レミリア・スカーレット……私は、君への興味が尽きない」
サリエルが言った。
宇宙空間に佇む、青白く優美な姿は、相変わらず腹立たしいほど余裕と威厳を感じさせる。
「君は何故、私と戦う? 何故あがく? 絶望的な戦いの果てに、君は……敗北、以外の何を獲得すると言うのか」
「……無様にあがく私が、そんなに目障りなら……早急に、とどめを刺しなさい……」
血を吐きながら、レミリアは牙を剥いた。
鮮血の中から、牙の鋭い白さが浮かび上がった。
「……それが……出来るものなら、ね……」
「死ぬつもりでいるのか、レミリア・スカーレットよ」
サリエルの口調には、いたわるような響きがある。
「無様などとは思わぬ。死に向かう君は今、この宇宙で最も美しい……だが、君自身はそれで良いのか? 仮に今、私が君を見逃すと言ったら。謝罪は必要ない、ただ一言、己の敗北を認めさえすれば、逃げて行く君を追いはしないと私が言ったなら、君はどうする」
「そんな事を言っている間に……その綺麗な喉に喰らい付いて、世迷言を噛みちぎる!」
血まみれの小さな全身から、レミリアは鮮血の飛沫を撒き散らした。
血飛沫の1粒1粒が、光に変わった。
真紅の、宝珠にも似た光弾の嵐。それがサリエルを猛襲する。
閃光が、真紅の弾幕を薙ぎ払い、粉砕した。
サリエルの、6枚の翼から放たれた閃光。
それらが、真紅の光の破片を蹴散らし、レミリアを襲う。
死の天使の、言葉に合わせてだ。
「死に急ぐのか、吸血鬼よ」
「死ぬつもりはない……そう思っていても、いつかは死ぬものよ」
辛うじて、レミリアはかわした。
天使の閃光が、全身各所をかすめて走る。桃色のドレスが裂け、鮮血がしぶく。
「……その時が今であっても、不思議はない……ただ、それだけの事!」
鮮血の霧が、レミリアの身体を螺旋状に取り巻いた。
真紅の螺旋を身にまとい、レミリアは流星の如く飛翔していた。
「死の天使サリエル、お前は確かに強い。けれど私の腕1本、翼1枚! 引きちぎる事が、出来ないようではね!」
サリエルの放つ光弾の嵐が、レーザー状の閃光が、真紅の流星を迎え撃つ。
それらが当たって来る前に、しかしレミリアは、サリエルに激突していた。
真紅の流星が、死の天使の優美な肢体を直撃し、圧し曲げる。
「ぐうっ……!」
「私の身内にはね、私の肉体あちこちを素手でむしり取るような怪物がいるのよ。あれに比べたら、お前はまだまだ」
へし曲がったサリエルの身体に、レミリアは両手で光を叩き込んだ。
愛らしい左右の掌が、赤色に発光しながら、死の天使に押し当てられる。
その赤色光が激しく膨張し、巨大な真紅の宝珠を成した。
紅玉にも似た超大型光弾を、零距離から撃ち込まれたサリエルが、そのまま吹っ飛んで行く。
レミリアは睨み、狙いを定めた。
弾幕を放つ。
いや。放とうとした時には、レミリアは取り囲まれていた。
無数の、赤い蝙蝠。
いや、蝙蝠ではないのか。
死の天使が生み出した、有翼の小さな魔獣の群れ。
それらが、レミリアに向かって一斉に光弾を吐き出す。
全方向からの襲撃に対し、
「…………なめるなぁあああああああッ!」
レミリアは吼えた。
小さな全身から溢れ出す鮮血の霧が、光に変わった。
真紅の光が、激しく燃え上がり膨張し、レミリアの身体から4方向へと伸びて宇宙空間を灼き払う。
それは、巨大な光の十字架であった。
赤い小さな魔獣たちが、吐き放った弾幕もろとも、十文字の光に粉砕されて消え失せる。
レミリアの放った真紅の光が、十字架の形を崩しながら、なおも荒れ狂う。激しくうねる何かを、組成してゆく。
鎖。
何本もの、巨大な真紅の鎖が、多頭竜の如く暴れながら、サリエルの優美な肢体を絡め取り、締め上げる。
「ぐあぁ……ッぐぅ……っ!」
苦悶の声を漏らすサリエルの細い喉に、レミリアは食らいついていた。
鋭く可憐な牙が、死の天使の気管と声帯を一緒くたに噛みちぎり、頸動脈を切断し、頸骨をも砕いてゆく。
噴出した鮮血を、レミリアは全身に浴びていた。
口だけでなく、負傷した全身で、天使の血液を吸収していた。
「……悪くは、ないわね」
半ばちぎれたサリエルの首を、右手で完全に引きちぎりながら、レミリアは言った。
「けれど思ったよりも淡白……濃厚な力のうねりが、この血の中には感じられない」
サリエルの生首を、レミリアは眼前に掲げた。
「お前、死の天使の……本体、ではないわね」
「その通り……」
声帯を噛み砕かれた、はずの生首が、言葉を発している。
「これは……先程まで大量にいた者たちよりは若干、強い力を与えられただけの……分身に過ぎない……ふふ、それでも君には勝てる……と思っていたのだが、な……」
「お前の、本体は……」
戦場の背景を成す、隕石孔だらけの天体を、レミリアは見やった。
「…………月に?」
「私はね、月を離れる事が出来ないのだよ。今は嫦娥が、月の都の守護に全力を注ぎ込んでいる……だから私は、こうして力の一部を外出させる事くらいは出来る。あの時も、そうだった……」
頭部だけになりながら、サリエルは何かを懐かしんでいるようだ。
「私はね、これと同じく……いくらかは強めの分身体を魔界に放ち、制圧を試みた。だが神綺との直接対決に至る、その前に……博麗靈夢に、倒されてしまった……」
「……そう。お前、霊夢とも戦ったのね」
サリエルの、胴体はすでに崩壊し、真紅の鎖もろとも消滅している。
「……君の言う通りだよ、レミリア・スカーレット」
生首には、まだ会話をする程度の力は残っているようだ。
「生命あるものは、いつか死ぬ。全ての生命体は、この宇宙に生まれた瞬間から、死へと向かい始めるのだ」
「生きる事とは、すなわち死ぬ事である……とでも?」
「そこまで知ったかぶりをするつもりはない。私は、ただ……博麗靈夢、それにレミリア・スカーレット……命ある限り、全身全霊で戦い抜きながら、死へと向かい続ける……君たちが、とても好きだ。そんな君たちに、さらなる死の彩りを与えずにはいられない……だから、月は輝き続けるのさ……私は、死を司る天使。死へと向かう生き様を、祝福する天使」
「幻想郷の妖怪に活力をもたらす、月の光……それが、お前による祝福であると言うの?」
「死を振り撒きながら、死へと向かって驀進する君たちを……どうして、どうして祝福せずにいられようか……」
天使の生首が、微笑んでいる。
「生きる事とは、死へ向かう事。生きるための、あらゆる行為が、すなわち死への接近……月人たちは、それを拒絶してしまった。死を拒絶する、それは即ち生を拒絶する事であると言うのに……君たちには、そのようになって欲しくはない」
「余計なお世話よ」
「それでいい。命ある限り、どうか戦い続けて欲しい。穢れ続けて欲しい。命尽きるまで……死を迎える、その時まで……」
サリエルの生首が、キラキラと消滅してゆく。崩壊し、光の粒子に変わってゆく。
「……いざ、倒れ逝く……その時まで……」
宇宙空間に散華する、光の粒子。
その向こうで、月は相変わらず、冷たく巨大な岩塊でしかない姿を鎮座させている。
単なる岩の塊に過ぎない、はずの天体が、しかし得体の知れぬ禍々しい何かを内包し、内包しきれず溢れさせ、今も地上に降らせている。
「…………私たちの……」
レミリアは、牙を剥いた。
「……運命を、操っている……つもりでいるの? 何とも、小賢しい事……」
苺の果実が、無数の種をばら撒いている。
岡崎夢美の、そんなふうに見える弾幕が、魂魄妖夢と鈴仙・優曇華院・イナバを翻弄していた。
妖夢は双刀を振るい、夢美の放つ無数の光弾をことごとく斬り砕く。
斬撃による防御。
その陰で鈴仙が、人差し指を銃口にして射撃を行っていた。
鋭利な真紅の光弾が、速射される。
妖夢を盾にしている、ようにも見える銃撃が、夢美を襲う。
巨大な魔法陣が、宇宙空間に発生した。
パチュリー・ノーレッジが、近くにいるのか。
いや違う。
魔力を欠片ほども持たぬ、岡崎夢美という人間が、魔力でも妖力・霊力でもない力で作り上げた、紛い物の魔法陣。
それが、夢美の眼前で、鈴仙の銃撃を跳ね返す。
魔法陣の形をした、それは防壁であった。
その防壁が、しかし次の瞬間、砕け散った。
猛回転する光の卍が、魔法陣を粉砕していた。
八雲紫だった。
開いた日傘で、卍型の光刃を発生させつつ、夢美を猛襲している。
このスキマ妖怪が、これほど激しい攻撃に出た事が、十六夜咲夜はいささか意外であった。
博麗神社で霊夢と戦い、敗れた時には無かったものを、この自称・幻想郷の賢者は今、剥き出しにしようとしているのか。
ともかく咲夜は、その戦いを見据えながら懐中時計を取り出した。
その瞬間。
夢美は、咲夜の背後にいた。
背後から、零距離で弾幕を撃ち込まれる……寸前で、咲夜は振り向いた。
振り向きざまに、ナイフを一閃させる。投擲用ではなく白兵戦用の、いくらか大振りな刃である。
その斬撃を、夢美はかわした。
「っと……何と素早い反応。時間停止の能力に頼りきり、というわけではないようだな」
「貴女……今、何を」
「時流操作に関しては、その対応策に至るまで履修済みさ。無論だからと言って、時間を止める事など私には出来ないが……止まった時間の中、動き回るくらいの事は出来る」
咲夜の繰り出すナイフを、ことごとく回避しながら、夢美は身を翻した。
赤いマントが、ふわりと弧を描いて光を撒いた。
光弾だった。
至近距離から放散された弾幕を、咲夜は後方へ跳んで回避した。
パーフェクト・スクウェアの応用。不可視の足場が、咲夜の足下には形成されている。
そこを蹴って跳躍しつつ咲夜は、スカートの内側から光を引き抜いた。
形良い太股に巻かれたベルトから、ナイフが引き抜かれ投射される。
「刃物を投げる……か。ふふふ、君の弾幕は実に原始的だな」
投射された光をかわしながら、夢美はマントをはためかせ、光弾を撒こうとする。
その動きが、硬直した。
「これは……!」
息を呑んだ夢美の首筋に、ナイフが触れる寸前である。
時を止められ、空中に静止した何本ものナイフ。
咲夜が、配置しておいたものだ。
いくつもの切っ先が、夢美の、首筋だけでなく腕や脚や脇腹にも当たりかけている。
今から、それらを避けて身体を動かすのは容易い。
だが咲夜はすでに、夢美の喉元に、白兵戦用のナイフを突き付けていた。
「……弾幕は、罠にはめるもの」
間近から、言葉をかける。
「これが、原始的な弾幕戦よ」
「……殺さないのか、私を」
「殺すのは、いつでも出来るわ」
咲夜は、微笑んで見せた。
「そうよね? 妖夢、鈴仙。それにスキマ妖怪」
「まさしく、な」
妖夢が、夢美の後頭部に楼観剣を突き付けている。
鈴仙は、人差し指を夢美の背中に押し当てている。
そして紫は、尋問を開始していた。
「岡崎夢美……幻想郷に明けない夜をもたらしていたのは、貴女ね」
「……その夜を、明けさせてしまったのも私だ。盟友を裏切ってしまった」
「貴女の、その盟友がね。幻想郷を滅ぼそうとしている……どうかしら? 貴女を人質にでもすれば。貴女の盟友は、それを思いとどまってくれるかしら」
「そんな場合ではないわよ、もう」
誰かが言った。妖夢でも、鈴仙でもない。
光り輝くものが、宇宙空間に浮かんでいる。ふわふわと、こちらに漂い近付いて来る。
揺り籠、であった。
光で出来た、揺り籠。そう見える。
それが、砕け散った。
「幻想郷を滅ぼす? あいつに、そんな事出来るわけないわ。それより、貴女たちにお願いがあるの」
卵から何かが生まれる様、にも似ていた。
赤ん坊が、揺り籠を粉砕しながら現れたのだ。
いや、赤ん坊ではない。
髪が伸びている。
小さな身体よりも、ずっと長く伸びた黒髪。艶やかに煌めいて宇宙空間を流れ漂う。まるで天の川だ。
そんな黒髪が、幼い裸身を巻き隠している。
「…………か………………」
鈴仙が、呆然と呟いた。
「……かぐや……さま……?」
「あら鈴仙、来てくれたのね。ありがとうね」
美しく育つとはっきりわかる、愛らしい顔が、微笑んでいる。
先程まで赤ん坊だった少女。今は、会話が出来る程度には成長をしている。発声・発音は、まだ若干たどたどしいか。
「他の面々も、大儀でした。私のために来てくれた事、感謝します」
「貴様のために来たわけではないぞ」
妖夢が言った。
「……どうやら、死なないというのは本当らしいな。あれほど見事な輪切りにされて、赤ん坊から育ち直したのか」
「不覚だったわ。貴女たちには、無様なところを見せてしまった……それはともかく」
「かーわーぁいいいいいいいいいいいいい」
北白河ちゆりが、飛び込んで来た。
先程まで赤ん坊であった少女を抱き締め、悦び泣き喚いている。
「赤ちゃんは育っちゃダメと思ったけど、このくらいまでならいいよね! ああん、かわいい可愛い髪さらさら頬っぺぷにぷに」
「お前! 捕虜なんだから大人しくするね!」
続いて、橙が飛んで来た。ちゆりを少女から引き剥がし、遠ざける。
じたばた暴れるちゆりを、橙がしっかりと捕獲している。
その近くに、八雲藍がいた。
「紫様……」
「藍、そちらは片付いたのね」
もふもふと蠢く9本の尻尾が、1人の少女を包み捕らえている。
カナ・アナベラルだった。九尾に束縛されたまま、幸せそうに寝息を発している。
「……片付け難い事態が、新たに出来いたしました。あれをご覧下さい」
藍が視線を投げた方向を、咲夜も見た。
宇宙空間に、巨大な花壇が浮かんでいる。そう見えた。
紅美鈴が楽しげに花々の世話をしている、紅魔館の庭園を、咲夜は思い出した。
植物に覆われ、色とりどりの花を咲かせた、巨大構造物。
「き、教授……! あれ、って……」
「馬鹿な…………」
ちゆりが、夢美が、起きながら悪夢を見ているような表情を浮かべる。
「そんな、まさか……あやつが……」
可能性空間移動船。
岡崎夢美の、拠点である。だが今は明らかに、夢美ではない何者かの侵略を受けている。
「……と、いうわけなの」
蓬萊山輝夜が、言った。
「本当に、どうしようもなく愚かな者どもを……お願い。助けてあげて、くれないかしら」
愚かな者ども、と呼ばれた2名が、可能性空間移動船の甲板上で囚われていた。
弾幕使いの視力ならば、この距離でも辛うじて見て取れる。
意識を失った、2人の少女。全身、蔓草に絡め取られている。植物に埋もれている。
花々に囲まれた、その様は、丁重に埋葬される寸前の屍のようでもあるが、2人とも辛うじて死んではいないようだ。
藤原妹紅と、綿月豊姫だった。