第72話 アルラウネの飛翔
原作 上海アリス幻樂団
改変、独自設定その他諸々 小湊拓也
全宇宙の地獄を統べ、全宇宙の魔法を司る、かの女神の如く。
霧雨魔理沙は今、いくつもの惑星を従えている。
パチュリー・ノーレッジには、そう見えた。
星が、星を生み出している。そんな光景である。
魔理沙を取り巻いて浮遊する、惑星のような4色の魔法球体が、星型の光弾を大量に散布しているのだ。
その弾幕が、押し寄せる炎の波とぶつかり合い、激烈な相殺を引き起こしていた。
キクリが放つ、紅蓮の波濤。
宇宙空間でも燃え盛る地獄の炎が、星の弾幕に粉砕され、火の粉と化して舞い散ってゆく。
星型の光弾たちも、そこで力尽き、砕けて消える。
『そう……貴女ね。あの忌まわしい魅魔が育てていたという、人間の魔法使い』
目蓋が剥離し、頭蓋骨の一部もろとも剥き出しとなった眼球から、キクリは血の涙を流していた。
真紅の、破壊光線だった。
『小賢しい悪霊……! あの方に反旗を翻すなら、自身で戦えば良いものを!』
「……知ってるのか? 魅魔様を」
魔理沙の周囲で、4つの球体が光を放った。
4条の、白いレーザー光。
それらが、キクリの放つ血の涙と、激しくぶつかり合う。
『私たち地獄の軍勢、末端に属する下級の悪霊……で、ありながら! いつの間にやら、あの御方に近いところまで這い上がって来ていた成り上がり者よ。ふん、その力は認めざるを得ないけれど!』
赤と白、二色の光が、キクリと魔理沙の間で砕け散る。
キラキラと舞う紅白の光の破片を、爆炎の閃光が蹴散らした。
「そうか……魅魔様、あんまり好かれちゃいないんだな。そりゃそうか」
マスタースパークだった。
魔理沙の眼前に浮かぶ小型八卦炉から迸り、キクリを直撃している。
満月に似た、巨大な金属製の円盤が、爆炎の閃光の中でメキメキと歪んでいる。
細かな金属片が、光の中を漂う。
悲鳴と怒号の混ざり合ったものを、キクリは発した。
倒してしまうのか、とパチュリーは思った。
このキクリという強敵を、霧雨魔理沙が単独で。
自分とアリス・マーガトロイドが2人がかりで苦戦を強いられた怪物を、魔理沙が単身で打ち破ってしまうのか。
「貴女が……」
パチュリーは呟いた。
「貴女、1人が……あの御方に、愛されていると言うの? 魔理沙……」
「もう諦めろ、キクリとか言うの!」
爆炎の閃光を制御しながら、魔理沙が叫ぶ。
「お前は強い! だけどアリスとパチュリーに散々消耗させられた上で、万全の私と戦おうなんて無理が過ぎるぜ。3対1だ、負けたって恥じゃあない! 一言、参ったと言え!」
魔理沙に、気遣われている。
屈辱が、嫉妬が、パチュリーの中で燃え上がった。
『…………まっ……まだ!』
マスタースパークによって少しずつ、だが確実に、全身を削り取られながら、キクリは呻き叫ぶ。
『この程度でっ! 栄光ある地獄の軍勢を率いる私が、この程度で! 滅びはしない! 滅びる時は……貴様ら、もろとも……死なば、もろとも……』
「……あのねえ、おキクちゃん。うちの御主人様、そういうの求めてないから」
声がした。
光が、一閃した。斬撃の光。
それが、マスタースパークを斬り砕いていた。
巨大な爆炎の閃光が、粉々に切り刻まれ、微かな光の破片に変わって消滅する。
「ほう……?」
魔理沙が、感心している。
魂魄妖夢か。パチュリーは一瞬、そんな事を思った。
光の破片をキラキラとまといながら、その剣がゆらりと動きを止める。
妖夢ではない。楼観・白楼の二刀、ではなかった。
ただ一振りの、両刃の直刀。
それを左手で振るい構える、1人の剣士が、そこにいた。
ゆったりとした赤い衣服、白い袖。束ねられた黒髪。
顔立ちは凛として美しく、白い額からは黒髪を割るようにして真紅の角が生えている。
その背後では1人の少女が、ボロボロの金属残骸を抱えていた。声を発したのは、その少女だ。
「こんな所でカッコつけて、死ぬまで戦ったってね。だぁれも幸せにならないんだから」
縞模様と星。
小柄な細身を、そんな珍妙な彩りの服に包んだ、金髪の少女である。捻れて絡み合ったような、おかしな形の帽子を被っている。
道化師の格好だった。
少なくとも外見は可愛らしい、道化の少女。
その可憐な細腕に抱かれた金属残骸が、弱々しく言葉を発する。
『……貴女たち……何故、ここに……』
「博麗靈夢が、いるのだろう」
有角の剣士が、住吉ロケットを見据える。
「あれが再び、真の脅威となり得るか否か……それを見定めようと思っていたが、その前に貴様が死にそうなのでな」
『…………助けに……来て、くれたとでも……』
「悔しかろうな」
グシャグシャの残骸と化したキクリと会話をしつつ、剣士はロケットから視線を外さない。
その眼差しを、アリス・マーガトロイドが遮った。
「現れたわね。地獄の軍勢を、真に統率する者……星幽剣士・コンガラ」
「魔界の姫君は、今ひとつ物を知らぬようだな」
コンガラ、と呼ばれた有角の剣士が、微笑したようだ。
「私ごときが、地獄の統率者であるものか。真に地獄を率いる御方を……姫君、貴女はご存じのはずだ。魔法使いとして、道を歩んでおられるならば」
「…………貴女の上が、いると言うの? 地獄界に」
「その、偉大なる御意思に……貴女も触れたはずよ、アリス」
パチュリーは言った。
「ねえ星幽剣士とやら。貴女を倒せば、あの御方にお目通り叶う……と、いう事で良いのかしら?」
「だとしたら、どうする。地上の邪悪なる魔法使いよ」
星幽剣士コンガラが、パチュリーに眼光を向けた。
そのまま弾幕になってしまいそうなほど、攻撃的な眼光だ。
「私と一戦、交えるか?」
「そうしたいのは山々だけど。あの御方より直に御言葉を賜る機会、逃したくはないけれど」
パチュリーは正面から受け止め、見つめ返した。
「……今の私には、それよりも優先させるベき目的がある。どうか、道を塞がないで欲しいわ」
「良かろう、塞がずにおいてやる。博麗靈夢の命を差し出すならば、な」
嘘ではない、とパチュリーは思った。
ここで自分たちが本当に、動けぬ博麗霊夢の身柄を捧げれば、コンガラは攻撃を仕掛けて来る事はないであろう。
「……私の目的。それはね、紅魔館で堂々と居候をし続ける事よ。大きな顔が、したいの」
パチュリーの言葉に合わせ、宇宙空間にいくつもの魔法陣が描き出される。
「堂々と出来なくなるような事、するわけにはいかないわ」
「よく言ったぜ、パチュリー」
魔理沙が、微笑みかけてくる。
黙れ、とパチュリーは思った。
「霊夢の奴を……守って、やろうぜ? 後で思いきり、恩を着せてやるんだ」
「貴女って……」
黙れ、とパチュリーは言えなかった。
魔理沙の、笑顔。押し付けがましく、図々しい笑顔。
それだけで、燃え上がるような屈辱も嫉妬も、薄れて消えてしまう。消火されてしまう。
「……押し付けがましい上に、恩着せがましい。最悪ね」
「何か疲れてるな、パチュリー。しっかりしろよ、こいつらきっと手強いぜ!」
「ねえ魔理沙。私もパチュリーも、まずは貴女に恩を着せるわよ」
アリスが言った。
幻想郷の魔法使いが3人。住吉ロケットを背後に庇い、星幽剣士と対峙する形である。
道化師の少女は、キクリの残骸を抱えたまま、コンガラの後方に下がっていた。
「やる? やっちゃうんだね、コンちゃん相手に弾幕戦。あーあ」
そんな事を、言っている。
「じゃもう、あたいら出番ないね。帰ろっか、おキクちゃん」
『やめて……このまま、殺して……こんな様、あの御方に……お見せ出来ない……』
「てなわけでコンちゃん、あとよろしくー」
「逃げるのか?」
魔理沙が、余計な事を言い始める。
「……お前の仲間、1人になっちゃうぞ。また3対1だぞ、見捨てるのか?」
「えっ何、あたいにまでケンカ売っちゃう?」
道化の少女が、本当に驚いている。
「おキクちゃんも、そうだけどね。命知らずって全然カッコいい事じゃないよ?」
「行け、クラウンピース」
コンガラが言った。
「キクリには、治療が必要だ」
「そうだね、ご主人様に治してもらわなきゃ。じゃ、そうゆう事で」
クラウンピース、と呼ばれた道化師の少女が、まだ何やら言おうとしているキクリを運び去って行く。
それを一瞬だけ、コンガラは見送った。
「警告しておこう。あのクラウンピースを、あまり刺激するな。あやつを怒らせてはならぬ……何度も殺されるぞ。際限なく惨たらしく、な」
有角の美貌に、冷たい笑みが浮かぶ。
「私に任せておけ。お前たちを、あやつよりは優しく綺麗に殺してやれる」
「ふん、大きく出るじゃないか」
魔理沙も、笑った。
「私たち3人を、1人で相手にするってのが……どういう事か、わかってないと見えるぜ」
「貴様こそ」
マスタースパークを切り刻んだ剣が、魔理沙に、アリスに、パチュリーに、向けられる。
「誰に向かって物を言っているのか……まずは、そこから教えなければならんと見えるな」
穢れを燃料に、燃え盛る太陽。
綿月豊姫は、そう思った。
「いい……お前、いいなぁ綿月豊姫」
血まみれの笑顔を、藤原妹紅がニヤリと向けてくる。
全身、無数に刻み込まれた浅手から、鮮血が霧状に噴き出している。
そして、発火している。
「お前と戦ってるとなぁ……お前らが穢れと呼ぶものが際限なく、この身体の奥底から湧いてくる。止まらないよ」
豊姫の振るったフェムトファイバーが、その炎に焼かれて跡形もなく焦げちぎれたところである。
血まみれの全身に炎をまといながら、妹紅は吼えた。
「同じもの、お前も持っている! 認めろよ月の丞相、受け入れろぉおおおおおっ!」
咆哮に合わせ、炎が膨張する。豊姫を襲う。
穢れの太陽から迸り伸びる、プロミネンスであった。
糸は、焼かれる。組み紐でも、恐らくは防げない。ならば。
「世迷い言を……ッ!」
豊姫は思いきり、光を振るった。
無数のフェムトファイバーを組み紐に、それらをさらに巨大な縄へと、超高速で編み上げていた。
フェムトファイバーの、注連縄。
それが、襲い来る穢れのプロミネンスを粉砕していた。
火の粉を蹴散らし、光の注連縄はなおも大海蛇の如く宇宙を泳ぐ。
「この私に、お前たちのような穢れなど! あるはずがない! 穢れなき私が、穢れなき環境で、穢れなき輝夜を清らかに育て直すのよ。邪魔はさせない!」
凶暴にうねる注連縄の一撃が、妹紅を叩きのめしていた。
「ぐっ……ぅ……!」
発火する血飛沫を宇宙空間にぶちまけて、妹紅は吹っ飛び、炎の翼を広げ、羽ばたいた。
そして消えた。豊姫には、そう見えた。
目視不可能な、超高速飛翔。
巨大な火の鳥が、炎の弧を大きく描いて、横合いから豊姫にぶつかって来る。
光の注連縄で、その一撃を防ぐ。
火の粉が散った。
妹紅の五指から、炎の鉤爪が伸び、豊姫を引き裂こうとして注連縄に弾かれていた。
炎の鉤爪は、砕け散った。
妹紅の五指は、しかしそのまま、フェムトファイバーの注連縄を掴んでいた。
「いけない……っ!」
豊姫は息を呑み、次の瞬間には微量の鮮血を吐いた。
優美な肢体が、痛々しく前屈みにヘし曲がる。
妹紅の蹴りが、腹部に叩き込まれていた。
一撃、だけでは終わらない。
鋭利な両脚が、ゆったりとした赤い指貫袴をはためかせ、様々な蹴りの形に躍動する。
回し蹴り、突き蹴り、踵落とし、足刀、後ろ回し蹴り。
全て、直撃だった。
幾度もヘし曲がりながら豊姫は吹っ飛び、鮮血を撒き散らしながら、固い場所に激突した。
金属製の、広大な足場。
可能性空間移動船の、甲板上である。
「うっぐ……ぅ……」
豊姫は立ち上がる事が出来ず、這いずるようにして上体を起こし、見上げた。
炎の翼を、炎の尾羽を、ゆったりと揺らめかせて、藤原妹紅が降下して来る。甲板上を這う豊姫を、じっと見下ろしている。
(…………これ……が……戦闘用……蓬莱人形……)
血の味がする口の中で、豊姫は呻いた。
(……大賢者・八意永琳の、最もおぞましい作品……宇宙最凶の生体兵器…………穢れを動力源とする、戦闘機械……)
「お前……大した奴だよ、綿月豊姫」
妹紅の、口調も眼差しも優しい。
それが、豊姫は気に入らなかった。
「蓬莱人の私よりも、お前ずっと長く生きて……研究と努力を、続けてきたんだろう。幻想郷の弾幕使い大勢を相手に、まったく見事な戦いぶりだった。綿月豊姫! 私は、お前を尊敬する」
ふわりと甲板上に降り立った妹紅が、そのまま片膝をついて身を屈め、豊姫に片手を差し伸べて来る。
「……藤原妹紅……貴女は……」
その手を取らず、豊姫は呟いた。
「紛れもなく……穢れの、塊……月人という種族を、滅びへと導いたもの…………それを、貴女は持ち過ぎている……」
滅び。
今の月人の状態は、もはや、そう呼ぶしかないであろう。
「わかっているんだろ、本当は」
妹紅が言った。
「お前らが穢れと呼ぶもの、お前だって充分に持っているよ。お前は、それを捨てられない」
「世迷い言を……妄言を、戯れ言を……っ!」
豊姫は、綺麗な歯を食いしばった。
妹紅が、ちらりと見上げた。
「……あいつだって、そうだ。どっぷりと地上の穢れに染まっている、もう手遅れだよ」
宇宙空間に浮かぶ光の揺り籠。
その中から、1人の愛らしい赤ん坊が、興味深げにこちらを見下ろしている。
「どんな聖人君子がな、どんなに綺麗な育て方したって……あいつは私のよく知る、くそったれ女にしかならない。蓬莱人ってのは、そういうもんなんだ」
食いしばった歯が痙攣し、ひび割れそうである。
豊姫は、激しく震えた。
怒りが、憤激の念が、この宇宙そのものを震撼させている。
違う。
震えているのは、甲板だ。
甲板の下で、何かが暴れている。
夢幻遺跡の内部で、異常事態が生じている。
妹紅が、断りもなく豊姫の身体を抱え上げ、跳躍した。
可能性空間移動船の甲板が、裂けていた。
大蛇のようなものが、出現していた。
否、蛇ではない。
巨大な、植物の根である。
穢れだ、と豊姫は思った。妹紅に抱かれたまま、呆然と。
植物。巨大なる生命体。
まさしく穢れの極みと言うベきものが、船内から甲板の突き破り、現れつつある。
「お前……」
豊姫を抱き上げながら妹紅は浮揚し、呻いた。
広範囲に渡って甲板を破壊し、根を張った巨大植物が、芽吹いてゆく。
醜怪な有機質の尖塔、とも言うベき芽が、ふんわりと毒々しい香気を発しながら開花した。
色とりどりの花弁に囲まれ、白いものが身を起こす。雄しべか、雌しべか。
「……………………やって、くれたわねえ…………岡崎教授…………」
穢れ、そのものの禍々しい生命力を漲らせた、優美かつ豊麗な裸身。
絶大な妖力の塊である両の美乳を細腕で抱え隠し、深く柔らかな谷間を作りながら、その女は微笑んでいる。
「……感謝と、尊敬を込めて……殺してあげないと……」
「……岡崎教授は、私の盟友。手は出させない」
妹紅の抱擁から、豊姫はよろりと脱出した。
花の中から、美しい笑顔が向けられてくる。
「お友達を……守ろう、と言うのね? 素敵よ……」
すらりと伸びた裸の美脚が、巨大な花弁を押しのけた。
「いいわ。今この宙域にいる弾幕使い全員……私の、肥やしにしてあげる。魔理沙もアリスも、紅魔館の軍勢も、八雲の者たちも、月の関係者も、魔界やら地獄の連中も……博麗靈夢も」
たおやかな背中から、光が広がってゆく。
「……妖怪退治人、藤原妹紅。貴女もよ」
それは、巨大な翅であった。
「逃げろ、綿月豊姫……」
妹紅が、豊姫を背後に庇った。
「こいつと戦うのは……幻想郷の妖怪討伐業者たる、私の役目だ」