第71話 ストロベリー・クライシス
原作 上海アリス幻樂団
改変、独自設定その他諸々 小湊拓也
まるで満月のような、巨大な金属製の円盤に、人形たちが次々とぶつかって行く。
そして、爆発する。
荒れ狂う爆風と爆炎の中キクリは、しかし満月の如き円形を欠けさせる事はなかった。
爆発力を失った人形たちが、跳ね返ってアリス・マーガトロイドの周囲に浮かぶ。
『まだ……まだよ。こんなもので、私は滅びはしない……』
円盤に浮き彫りされた女人像が、ひび割れている。
頬を縦断する亀裂は、まるで涙だ。
『魔界神の人形ごときが……なめるな、我ら地獄の軍勢をなめるなぁあああああッ!』
本物の涙が溢れ出した、ように見えた。
血の涙。
真紅のレーザー光が、キクリの両眼から迸り、降り注ぐ。アリスに、そして住吉ロケットに。
罪悪の袋たちが、ロケットの周囲に群れて盾となった。
その醜悪な身体で、レーザー光の豪雨を受け止めていた。
汚らしいものが大量に飛散する。
罪悪の袋たちが、真紅の破壊光線に粉砕され、ことごとく破裂してゆく。
汚らしく飛散した肉片が、体液の飛沫が、キラキラと光に変わる。
光弾だった。
罪悪の袋の、命そのものと言える弾幕が、キクリに向かって弱々しく流れて行く。
嘲笑うような炎が、その弾幕を焼き払った。
ひび割れた金属円盤の周囲。まるでキクリの激情が具現化したかの如く炎が生じ、燃え盛り荒れ狂い、非力な弾幕を粉砕しながらアリスに迫る。住吉ロケットに迫る。
ふわりと飛翔し、アリスは炎をかわした。
ロケットを守るため、罪悪の袋たちのように、身体を盾にする必要はない。
魔法使いは、もう1人いるのだ。
「貴女は……地獄界の魔物、なのね」
静かな声に合わせ、激しい爆発が起こった。
まるで小さな太陽のような、爆炎の塊。
無数のそれらを、パチュリー・ノーレッジは繊手の動きで操っている。
「……それなら、あの御方をお連れしなさい。私たちを滅ぼしたいのなら、ね」
小さな太陽たちが、一斉に爆発する。
爆炎が、爆風が、キクリの炎を消し飛ばしていた。
『地上の魔法使いごときが、身の程知らずにも! あの御方の存在に言及しようなどと!』
キクリが怒り狂い、炎を、光弾を、真紅の涙を、迸らせようとする。
その時には、アリスは己の周囲に、6体の人形を布陣させていた。
「霧の、倫敦人形……」
人形たちが回転・旋回しながら、無数の光弾を噴射した。
美しく渦巻く弾幕が、キクリを強襲する。
ひび割れた女人像に、光弾の渦が激しくぶつかって行った。
細かな金属片が、鮮血が、宇宙空間に飛散した。
『ぐっ! こ、この程度で……』
「……春の、京人形」
アリスの呟きに合わせ、人形が増えた。
軍勢を成す人形たちが、くるくると回りながら光弾の嵐を放射する。
弾幕が、とてつもなく複雑な紋様を宇宙空間に描いて渦を巻きながら、キクリを直撃した。
彩り豊かに渦巻く弾幕の嵐の中。満月のような金属の円盤が、さらに亀裂を広げ、ポロポロと欠けてゆく。
その様に、アリスは声を投げた。
「地獄のキクリ……貴女はね、私の人形遊びで砕けてゆくの。滅びて、ゆくのよ」
『……滅びる、ものか……滅びて、たまるか! 我が名はキクリ、栄光ある地獄の軍勢を率いる者!』
美しく渦巻いていた弾幕が、砕け散った。
光の破片を激しく蹴散らして、炎が荒れ狂う。血の涙が、迸る。
『敗れはしない。地上の魔法使いごときを、魔界の人形ごときを、勝たせはしなぁあああああい!』
「くっ……」
アリスの回避を先回りする形に、炎の渦が襲い来る。真紅のレーザー光が、降り注ぐ。
光弾の嵐が、アリスの細い全身をかすめて吹き荒れ、炎の渦を粉砕した。赤いレーザー光の雨を、打ち砕いて蹴散らした。
パチュリーの弾幕だった。
「手強いわね。さすが……あの御方に、いくらかは近しい存在」
謎めいた事を呟きながら、パチュリーは見上げる。
アリスも、見上げた。
宇宙空間に浮かぶ、滅びの月を。
金属製の満月は、いくらか欠け始めていた。
『……やって、くれたわね。地上の魔法使いたち……』
浮き彫りの女人像が、大量を金属片をバラバラと剥離させながら牙を剥く。
端麗な唇が、半ば以上、失われていた。
牙の如く鋭い歯の列が、頬の筋肉もろとも露わである。
『お化粧直しが必要なところまで、私を追い込んだ……それは誉めてあげる。でも、まだまだよ』
左目は目蓋が消し飛び、眼球が剥き出しになっていた。
露出した眼球から、血の涙が大量に溢れ出す。
半壊した美貌の周囲で、炎が燃え上がり渦巻く。
『さあ地獄へ連れて行ってあげる。貴女たちなら、あの御方もお喜びになるわ!』
真紅のレーザー光が、猛火の渦が、アリスとパチュリーを強襲した。
人形たちが、無数の光弾を放つ。色とりどりの、弾幕の渦。
アリス自身は、いくつもの大型光弾を投げ撒いていた。
パチュリーは複数の魔法陣を宇宙空間に描き出し、光弾の嵐を、レーザー光の雨を、いくつもの小型太陽を、発射している。
魔法使い2名の弾幕が、キクリの涙と炎に、ぶつかって行った。
激突そして爆発が、宇宙空間を揺るがした。
パチュリーの病弱な細身が、爆風に吹っ飛ばされて行く。
アリスは、抱き止める事も掴み止めてやる事も出来なかった。
「ぐぅ……ッ!」
自身もまた爆発の衝撃に圧され、宇宙空間に踏みとどまるのが精一杯だった。
キクリは炎をまとい、血の涙を流しながら、笑っている。頬の筋肉がちぎれ、端正に並んだ歯の白さが剥き出しである。
宇宙空間に佇む、死の満月であった。
「さすが……地獄界の、重鎮」
アリスは、人形たちを周囲に布陣させた。
パチュリーの安否は、とりあえず考えない事にした。信じるしかない。
「……今ここで、貴女を仕留めるしかない。あの星幽剣士が、現れる前に」
『その言葉お返しするわ、魔界の姫君。神綺が現れる前に、貴女を始末しなければ』
「……そう、か。神綺は、まだ来ていないのか」
声がした。
懐かしい声。アリスは、そう感じた。
「ま、そのうち来るよな。多分……幽香も、いる」
おかしい、とアリスは思う。
何故、魔理沙の声を、これほど懐かしく感じられてしまうのか。
「魔理沙……貴女……」
「ありがとうな。2人で私の事、守ってくれたんだろ?」
魔法の箒の長柄に腰掛けたまま、霧雨魔理沙はパチュリーの身体を抱き上げていた。
「……私は、ロケットを守っていたのよ」
抱擁の中、パチュリーが間近から魔理沙を睨む。
魔理沙は微笑んだが、その笑顔は翳りを帯びている。
「…………魅魔様は?」
忘却の彼方にあった、はずの名前を口にしながら、魔理沙は見回している。
「さっき確かに……魅魔様が、いたんだ。私が目を覚ました時には、もういなかったけど……」
「……思い出して、しまったのね」
アリスは言った。
魔理沙は、キクリを見上げた。
「幽香をぶちのめして、聞き出すつもりだったんだが……まあいい。今はアレだ、みんなして弾幕戦の真っ最中なんだな」
アリスは目を見開き、息を呑んだ。
魔理沙は、翳りある笑顔をニヤリと歪めている。
「後れ馳せながら霧雨魔理沙……参戦させて、もらうぜ」
赤、青、緑、紫。
まるで惑星のような4つの球体が、魔理沙の周囲を浮遊し、ゆらりと旋回を始めていた。
宇宙空間に、巨大な卍が出現していた。
回転する八雲藍を中心として卍型に広がった、光の刃。
それが岡崎夢美に斬りかかり、だが止まった。
赤い十字架に、止められていた。
材質不明の十字架が、4本。
卍型、4方向に伸びた光刃と、噛み合っている。
回転の止まった藍に、夢美が狙いを定める。
苺を思わせる赤い衣服とマントが、ふわりと翻って光を撒いた。
弾幕だった。
振り撒かれた光弾の嵐が、藍を直撃し、粉砕する。
破片が、光に変わりながら夢美を襲った。
こちらもまた、弾幕である。
「ほう……」
真紅のマントを揺らめかせ、夢美はかわした。
歴戦の弾幕使いの動きだ、と八雲紫は思った。
妖力も、魔力も霊力も持たない、肉体的にも霊的にも普通の人間である岡崎夢美を、自分は愚かにも侮った。
そのような力が無くとも、彼女は紛れもなく弾幕使いなのだ。
侮った結果が、この磔刑である。
紫だけではない。十六夜咲夜も魂魄妖夢も、同じく赤い十字架に拘束されている。
辛うじて死んではいない。意識があるのかどうかは、わからない。
砕け散った、はずの藍の姿が、夢美の背後にある。
藍の背後には、しかし赤い十字架が出現していた。
この十字架には、鎖も手枷・足枷も付いていない。
触れた瞬間、謎めいた力で四肢を束縛されてしまうのだ。
藍の両腕が広がり、十字架に貼り付いた。
この妖獣・八雲式には、しかし紫にも咲夜・妖夢にも無いものがある。
黄金色の、九本尻尾。
それらが十字架を絡め取り、メキメキと締め潰してゆく。
赤い破片が飛び散り、消えた。
十字架は、ふっさりとした九尾に破壊されていた。
その時には、夢美が藍の方を振り返り、力を解放していた。
妖力、魔力、霊力、いずれとも異なる力。
それが、巨大な図形となって発現する。組み合わさった、2つの三角形。
魔法陣、に見える。
霧雨魔理沙やパチュリー・ノーレッジが描き出すものとは、根本的に異なる。この岡崎夢美という娘は、魔力を持たないのだ。
擬似的な魔力、とでも呼ぶベきもので出来た巨大な魔法陣が、藍を直撃し吹っ飛ばしていた。
「ぐっ……ぅ……!」
鮮血の飛沫を咲かせながら、藍は宇宙空間を舞った。
擬似的な魔力とは言え、破壊力は本物だ。並みの妖怪であれば、原形も残さず砕け散っていたところであろう。
吹っ飛んだ藍に向かって、夢美が弾幕の狙いを定める。
「君たち幻想郷の妖怪の力はね、風見幽香との戦いで学習・解析済みなのさ!」
赤いマントのはためきが、光を撒き散らす。
光弾だった。
キラキラと輝く光弾の嵐が、藍を直撃する……寸前で、消えた。
よろめく藍の眼前で、空間が裂けていた。
その裂け目に、夢美の弾幕は吸い込まれていた。
「……君か」
紫の方を振り向き、夢美は微笑んだ。
「君の用いる、空間転移・空間連結能力……なかなかに興味深い。だが」
その笑顔を、紫は睨み据えた。
夢美の背後に、空間の裂け目を開く。
そこから、吸い込んだばかりの弾幕が溢れ出し、夢美を奇襲する。
そのはず、であった。
裂け目は、しかし紫の眼前に開いていた。
吸い込まれた光弾の嵐が、そこから溢れ出した。
「そんな……!? あうっ、ぐッ!」
動けぬ紫の全身に、弾幕が容赦なく激突し、めり込んで来る。
十字架に囚われたまま、紫は血を吐いた。
「紫様!」
悲鳴に近い声を発する藍の周囲に、何本もの十字架が出現している。
赤い十字架の林に、藍は閉じ込められていた。
橙も、北白河ちゆりを捕らえたまま悲鳴を上げている。
「紫さまぁあああ!」
「わぁい、猫ちゃん」
無数の小鳥が、橙の周囲で羽ばたいた。
その群れを従えているのは、カナ・アナベラルである。
「ね、仲良くしよう? 鳥籠に入れる代わりに、鈴を付けてあげる。私が大事に、飼ってあげるから」
「世迷い言をさえずる小鳥! お前なんか猫のおやつよ!」
ちゆりを放り捨て、橙は真紅の爪を一閃させた。
その一撃がカナに、痛手を負わせたかどうかは、わからない。
ともかく夢美が、紫に語りかけてくる。
「君の能力は、我が盟友・綿月豊姫のそれと同系統……だが君の場合、空間に断裂を引き起こす一手間が、どうしても必要になってしまう。断裂の位置を予測出来れば、座標をずらす事も出来る」
自分が、研究材料にされている。
それを紫は、呆然と認識した。
「興味深いのは……その断裂の内部に、別の空間が広がっていると見られる点だ。亜空間? 異空間? そこへ逃げ込む事も、出来るようだね。そこは豊姫の能力とは明確に異なる、どちらも一長一短というところか。うふふ、本当に興味深い」
血まみれの紫を見つめる夢美の眼差しには、ひとかけらの邪気もない。
橙は、滞空する小鳥の群れの中で意識を失い、浮かんでいた。
藍は、組み合わさった何本もの十字架に四肢を、九尾を、絡め取られていた。
「紫……さま……ッ!」
それは、複数の十字架で出来た檻であった。
「さあさあ皆、もう大人しくしたまえ。悪いようには、しないから」
動けなくなった者たちに、夢美は明るく呼びかけた。
「私の研究に付き合ってくれるだけでいいんだ。なに、別に解剖をしようというわけではない。私はね、君たちと仲良く」
言葉が、そこで止まった。
赤く煌めくものが、超高速で飛翔し、夢美を襲う。
鋭利な、真紅の光弾だった。
その弾幕を、夢美はマントで打ち払った。
「君は……」
赤い光の破片をキラキラと払い落としながら、夢美は言う。
「自分の居場所を、失ってしまったのではなかったかな? 私の庇護下で、新たなる居場所を作るしかないと思うのだが……いや、別に媚びへつらえと言っているわけではないけれど」
「……私の居場所なんて……この宇宙、どこにもないわ……」
鈴仙・優曇華院・イナバが、夢美に人差し指を向けている。
「私は……この戦いで、死ぬしかないの」
「駄目だよ!」
カナが叫んだ。
「私がいるよ、兎ちゃん! こっちの猫ちゃんと一緒に、ねえ仲良く暮らそう? それじゃ駄目なの? ねえってば」
「……みんな、ね。同じ事、言ってくれるわ。貴女も、お師匠様も輝夜様も……リグルとミスティアと、霊夢も……きっと、嫦娥様も……みんなで私に、優しくしてくれるわ……この無様な兎に……みんな私を、かわいそうがってくれる……」
鈴仙は、笑いながら涙を流していた。
その涙が、真紅の眼光に灼かれ、蒸発した。
「かわいそうって言うな! 私を、哀れむなあああああああああああッッ!」
赤い、極太の光が、鈴仙の両眼から迸っていた。
「む……」
夢美の前方に再び、擬似魔力の魔法陣が生じた。
そこに、巨大な真紅の眼光が激突する。
魔法陣が、砕け散った。
その破片をかわしながら、夢美がひらひらと赤いマントを舞わせて宇宙を翔ぶ。
「……なるほど。侮れない力を、まだ温存していたのだね」
苺のような衣装を軽やかに翻し、夢美は無数の光を撒いた。
「いいだろう、持てるもの全てを披露したまえ。全て、解析して見せるとも」
ある光は、そのまま光弾となった。
ある光は、芽吹くように上下左右に伸び、赤い十字架となった。
ある光は、光弾の塊だった。
無数の十字架を内包する、弾幕。それは、鬼火の輝く墓地のようでもあった。
宇宙空間に出現した、墓地。それが鈴仙を包み込む。
十字架の群れが、全方向から鈴仙を捕らえにかかる。
光弾の嵐が、全方向から鈴仙にぶつかって行く。
そして。全てが、消え失せた。光弾も、十字架も。
墓地のような弾幕、そのものが消滅していた。
「何……」
夢美の、声と表情が凍り付く。
突然、紫は解放された。十字架が消え失せていた。
何が起こったのかは、朧げに理解出来る。
夢美の弾幕が全て消滅する寸前。巨大な光の四角形が、この宙域全体を包み込んだのだ。
「……パーフェクト……スクウェア」
十六夜咲夜が、宇宙に着地していた。
「弾幕と呼べるもの、ことごとくを私は消し去る事が出来る……八雲の者たちよ。私が退魔の念を錬成するための時間を、よくぞ稼いでくれたわ。誉めてあげる」
「貴様もだ鈴仙。折れた心を、よくぞ立ち直らせた。いや立ち直ってはいないか」
楼観・白楼の双刀を半霊から受け取りつつ、魂魄妖夢が言う。
鈴仙は応えず、俯いた顔をただ逸らせた。
「それでいい。今は、自暴自棄でも戦う時だ。が……戦って死ぬ、などと口には出すな」
楼観剣と白楼剣を振るい構え、妖夢は言った。
「…………幽々子様に、連れて行かれてしまうぞ」
やはり、と紫は思った。
自分が今、漠然と感じているもの。それと同じものを、魂魄妖夢も感じている。
もはや、月の内部に囚われてはいない。
この戦場のどこかに、西行寺幽々子がいるのだ。