第70話 破壊者の国・幻想郷
原作 上海アリス幻樂団
改変、独自設定その他諸々 小湊拓也
まるで、2本の尻尾を生やした毬である。
死の天使の分身たちを直撃しつつ、それは戦場を軽やかに縦横無尽に跳ね回っていた。
翼ある全身甲冑の群れが、その毬を跳ね返しながら、ひび割れてゆく。
ひび割れた天使たちに、無数の光弾が降り注ぐ。
尻尾ある毬が、跳ね回りながら撒き散らした弾幕。
それが、死の天使の分身たちを粉砕していった。
脆い。
死の天使の本体が、分身たちから力を奪っている。吸い上げている。
そうせねばならない状況に、陥っている。
レミリア・スカーレットが粘りに粘っている、という事だ。
「しゃぁああああああああッ!」
尻尾ある毬が、丸まっていた身体を伸ばしながら、赤く鋭い爪を一閃させた。
ひび割れていた有翼甲冑が1体、中身もろともズタズタに斬り砕かれた。
死の天使の分身たちは、本体に力を奪われ、弱体化している。それは間違いないにしても、と八雲藍は思う。
橙は、本当に強くなった。
見渡せる範囲内に、死の天使の分身は1体もいない。
「大勢は決した、と見て良いのではないだろうか」
藍は、問いかけた。
「どう思う? 北白河ちゆり」
「……………………」
藍の九尾にもふもふと拘束されたまま、北白河ちゆりは答えない。
窒息しかけている、ように見えたので、藍は頸部近辺の拘束を少し緩めてやった。
「……ち、畜生……こっこんな、こんなもので畜生……」
ちゆりは顔を赤らめ、泣きじゃくっている。
「調子に乗るな妖怪め! こっこの、あふうぅ……ぜ、ぜぜ絶滅危惧種の分際でぇ、人間様に刃向かうなんて、くふう! も、もふもふが、もふもふがぁあああああ」
「もう諦めるね。藍様の最強必殺技、お前じゃ外せないよ」
橙が、藍の傍らで停止し、言葉をかける。
藍も言った。
「妖力も、霊力も魔力も無しに我ら妖怪に挑む……そして、それなりの戦いをしてのける。私に言わせればな、貴様のような人間こそが絶滅寸前の希少生物だ。死なせたくはない。もうやめておけ、北白河ちゆり」
「うっぐぐぐ…………い、いい気になるなよ。まだ岡崎教授がいるんだぞ」
ぱたぱたと舞う、何かが見えた。
「お前らなんか、うちの教授の手にかかれば単なる犬猫だ。尻尾振って愛想振りまけば、可愛がってもらえるぞ。さあ鳴け、わんわんコンコンにゃーにゃーって、もふぎゅうううぅぅ」
ちゆりを尻尾で締め上げ、黙らせながら、藍は見回した。
小鳥だった。
無数の小鳥たちが、宇宙空間を飛び交っている。
「わーい、鳥肉!」
橙が、飛びついて行った。
小鳥が1羽、化け猫の少女に食い付かれ、爆発した。
飛び交っているのは全て、小鳥の形をした光弾であった。
「何をしているんだ、まったく」
愛らしい口元を痛々しく腫れさせ、のたうち回っている橙を、藍は片手で掴み寄せた。
「お前もな、もう宿無しの野良化け猫ではないんだぞ。拾い食いはやめておけと何度も言っているだろう」
「ふみいぃぃ……」
身を寄せ合う妖狐と化け猫。
その周囲で、小鳥の大群の形をした弾幕が渦巻いている。
「……貴女たちも、鳥籠の中ね」
宇宙空間に横たわり浮遊する、道路標識。
そこに1人の少女が、ちょこんと腰掛けていた。
「鳥籠の中で、可愛いお歌を歌う……そうしないと生きていけないタイプね。いいと思う。お歌、聴かせて?」
「何だ貴様……」
言いかけて藍は、その少女への興味をすぐに失った。
それどころでは、なくなったのだ。
「何をやっているんだ、ちゆり! 羨ましい」
苺のような赤さが、眩しかった。
岡崎教授、というのは、この娘であろう。赤一色の装いが禍々しい。
「しばらく放っておいてやろうか?」
「き、教授も一緒に、じゃなくて……助けてぇええ……」
泣き呻くちゆりを、藍は九尾の束縛から放り出した。
放り出された少女を、橙が捕らえる。妖怪の膂力で、しっかりと捕獲する。
人質、のような形になった。
人質は、岡崎教授の側にもいた。
「紫様…………!」
己の顔面から血の気が引いてゆく音を、藍は確かに聞いた。
岡崎の背後。宇宙空間に、3つの十字架が打ち立てられている。
八雲紫、だけではない。十六夜咲夜に、魂魄妖夢。
3人とも、血まみれで意識を失ったまま、磔にされていた。
「安心したまえ。この3名は、人質ではない。そんな手は使わないよ」
岡崎教授は言った。
「私は今から、君を捕らえる。ついでに、ちゆりを助けてやる……君は私を倒し、この3人を助けてあげて見せたまえ」
3人ではない、と藍は思った。
人質、に見えなくもない少女が1人、岡崎の傍らに佇んでいる。俯いている。顔を上げようとしない。
飾り物かどうか判然としない兎の耳が、垂れ萎れている。
「鈴仙・優曇華院・イナバ……」
拘束は、されていない。
だが、目に見えぬ十字架に捕らわれている、と藍は思った。
「心が折れたか……まあ良い、貴様も助けてやる」
「この兎ちゃんは、今や私の愛玩動物さ」
岡崎が笑う。その笑みが、藍に向けられる。
「……君たちもそうなるのだよ、猫ちゃんに狐さん。さ、その尻尾で私も包んでもらおうか」
「貴様は……」
睨み返し、藍は言った。
「……可愛くないから、駄目だ」
不死身は、最強ではない。
それを自分は、かつて魂魄妖忌から学んだはずであった。
「まだ……全然、学びが足りてないって事か……っ!」
背中から広がる炎の翼を、藤原妹紅は激しく羽ばたかせた。
襲い来る斬撃に対する、防御の羽ばたき。
火の粉と血飛沫が、同時に飛散した。
何本もの光の糸が、炎の翼を切り刻み、妹紅の全身各所を浅く切り裂いていた。
「ぐっ!」
皮一枚で済んだ。筋肉や骨に至る斬撃は、辛うじて回避した。
懐かしい、と妹紅は思う。
魂魄妖忌も、こんなふうに妹紅の炎を切り裂いてくれたものだ。
あの時とは違う。今、妹紅を強襲しているのは、楼観・白楼の二刀ではない。
揺らめき、煌めきながら乱舞する、フェムトファイバーである。
蓬莱人の、肉体を切り刻んで魂を捕獲する兵器。
魂を核として再生する蓬莱人を、永遠に封印・無力化しておく事も出来るのだろう。
少し前まで、蓬莱山輝夜が、そうされていたように。
全身に浅手を負いながら、妺紅は後退した。追いすがるようなフェムトファイバーの揺らめきから、脱出していた。
宇宙空間に鮮血を撒き散らしつつ、妹紅は睨んだ。
血飛沫の向こう。光の揺らめきをまとって佇む、優美な姿を。
美しい指先から光の糸を伸ばし、揺らめかせながら、綿月豊姫も妹紅を見据えている。
「蓬莱人である、にしても。しぶといわね」
両の細腕が、繊手が、ゆらりと躍った。
「まさしく穢れ、そのものの命と魂……永遠に、封じてあげる」
何本ものフェムトファイバーが、斬撃の揺らめきを見せる……否、その前に。
宇宙空間に飛び散った大量の血飛沫が、全て発火した。
炎の弾幕が、出現していた。
鮮血の雫、ひとつひとつが小さな火炎弾と化し、豊姫を襲う。
降り注ぐ火弾の雨が、しかし豊姫の周囲で、全て砕け散った。
光の、螺旋。
無数のフェムトファイバーが、より合わされて光の組み紐となり、豊姫を螺旋状に取り巻きながら、火炎弾をことごとく打ち砕いていた。
火の粉を蹴散らし、光が踊る。
組み紐がほぐれて光の糸に戻り、妺紅に斬りかかっていた。
全てを、妹紅は両手で掴み取った。
五指が、掌が、ズタズタに裂けて鮮血が溢れた。
その鮮血が、発火した。
「穢れを燃料に、燃え盛る炎……こんな糸クズで、止められるかっ!」
妹紅の叫びに合わせ、掴まれたフェムトファイバーの束が炎に焼かれ、焦げて崩れて跡形も無くなった。
豊姫が、息を呑む。
そこへ、妹紅は突っ込んで行った。燃え盛る左足を先端として。
炎の飛び蹴りを、豊姫はかわした。
かわされた左足を軸に、妹紅は身を捻った。右足が、炎をまといながら豊姫を襲う。
回し蹴り。踵落とし。横蹴り、前蹴り、後ろ回し蹴り。
妹紅の鋭利な両脚が、立て続けに様々な形に豊姫を強襲する。
全て、かわされた。
豊姫の肢体が、優美な回避の舞いを披露しながら、キラキラと光をこぼす。
フェムトファイバー。
回避の舞踏が、攻撃の躍動に変わっていた。
光の糸の斬撃が、豊姫のたおやかな全身から溢れ出し、押し寄せて来る。
弾幕と同じだ、と妹紅は思った。
光の糸と光の糸、その隙間を瞬時に見出し、そこへ無理矢理にでも身体を滑り込ませてゆく。
豊姫と比べ、いくらか不格好な回避になってしまった。
宇宙空間に威容を晒す、可能性空間移動船を背景に、2人の弾幕使いは片や優美に、片や不格好に、舞い続けていた。
原初の時代。月という天体には、何も存在しなかった。
最初に生まれたのは、生命ではなく死であった、と伝わっている。
まずは死の穢れが、月には満ちた。
最初の月人たちは、その穢れの中から生まれた。
死の穢れより生じた生命体。
生まれながらに、死を帯びた生命体。
いずれは死へと還らざるを得ない生命体。死から逃れる事の出来ない生命体。
それが、月人だった。
だから月人たちは、大いに殺し合った。
いずれは死す。その宿命を、体現するかのように。
月という世界は、知的生命体の出現とほぼ同時に、戦乱の時代を迎えたのだ。
その戦乱を終結せしめたのが、嫦娥そして八意永琳である。
彼女らの導きによって平和を得た月人たちは、その平和を決して手放すまいとした。平和の維持を希求し、戦乱の時代を二度と迎えるまいとした。
戦乱の根源たる『死の穢れ』に繋がり得るものを、ことごとく排除していった。
結果、月の都は確かに平和になったのだろう、と綿月依姫は思っている。
いかなる形であろうと、平和は平和だ。戦乱よりは、遥かにましだ。
月の都の民は今、この宇宙で最も平和な状態にある。
そんな月人という種族そのものに対する、裏切り、とも言うべき研究が、姉・綿月豊姫によって行われた。
原初の時代、月に死の穢れをもたらした存在。
大いなる死そのもの、と呼べるものが、月の地中には封じられている。
何者によって封印されたのかは、謎である。嫦娥と八意永琳、両名によるもの、とも伝わっている。
ともかく。
その封じられし大いなる穢れ、そのものに関する研究を、豊姫は始めたのだ。
月に再度の戦乱をもたらし得るものを、解き放ちかねない研究。
妹である自分が、もっと積極的に反対を叫ぶべきであったのか、と依姫は思う。
現在この住吉ロケットの外では、死の穢れが嵐となって吹き荒れている。
「……解き放たれて、しまったのね……あれが……」
ロケット内壁に設置された小さな神棚を、依姫はひたすら伏し拝んだ。
「掛けまくも畏き底筒之男命・中筒之男命・上筒之男命……各々様方、どうか幻想郷の者たちを死の穢れよりお護り賜りますように綿月依姫、かしこみかしこみ申し上げ奉る」
航海の安全を司る神々の加護により、幻想郷の弾幕使いたちは宇宙空間にあっても、大気圏内を飛び回るが如く行動する事が出来る。
このロケットが無事である限り、その状態は維持される。
皆で現在、死力を尽くして、このロケットを守ってくれている。結果的に、依姫の身の安全も確保されているのだ。
最も近い所では、アリス・マーガトロイドとパチュリー・ノーレッジが奮戦している。
「……みんな、戦っているぞ」
声が聞こえた。
依姫の、全身の血が凍った。
侵入者。アリスとパチュリーによる決死の防衛を、すり抜けて来たのか。
愛用の長剣が傍らにあるのを、依姫はそっと手探りで確認した。
戦えるか。住吉三神への祈祷を維持したまま、戦う事は出来るのか。
依姫が今この場で守らなければならないのは、己の身の安全だけではない。
行動不能に陥った2人の少女が、床に横たえられ、意識を失っているのだ。
侵入者は、その2人に語りかけているようだ。
「この事態……予想していなかった、わけじゃあない。けど結局、何も手を打てなかった……お前らを、放ったらかしにしたのと同じだな。おっと、すまない。不法侵入になってしまったな」
依姫の背中に、侵入者が微笑みかけてくる。
「ああ返事はしてくれなくていい、大事なお祈りの最中だろう。私はただ、この2人に話があるだけでね。話だけさ、害意はない」
穢れだ、と依姫は思った。
今、自分の後ろにいるのは、穢れの塊だ。
嫦娥を不倶戴天の敵と定め、月に攻撃を仕掛けて来る、かの敵と本質は近い。
「以前は、大いに害意があったよ。こっちの巫女さんに対しては、ね」
侵入者が、何かを懐かしんでいるようだ。
「だけど私は結局、こいつに勝てなかった。あれ以上、無様を晒す前に引退した、つもりだったんだが……お前も無様だなあ博麗の巫女。何をやっているんだ、まったく」
「……霊夢を、悪く言うな」
振り向かず、依姫は言った。
「無様であったのは私だ。私が、不甲斐なくも己を見失っている間……霊夢が、どれほど血を流し戦っていたのか、貴様は知っているのか」
「うん。申し訳ないけどね、私はあんたよりも、こいつの事をよく知っているんだよ。自慢したって意味はないけれど」
「貴様、何者……」
「博麗の巫女の、ちょっとした腐れ縁者さ」
振り返らずとも、その不敵な笑顔が見えるかのようである。
「まあ確かに、こいつを責めるような問題じゃあないんだけどね。博麗大結界に、あんな不具合が起こる……歴史喰らいの時空犯罪者に、少し大きな役目を押し付け過ぎた。幻想郷の賢者どもの不手際さ。あの連中の小細工で、そもそも博麗靈夢を封じ込めておけるわけがないんだ」
口調が、いくらか熱を帯びたのか。
「なあ靈夢。確かにお前、随分と頑張っていたようだけど……そんなものじゃないだろう。お前が本気を出せば、幻想郷なんて簡単に守れる……その課程で、幻想郷以外の世界は滅びてしまうかな。月も、地獄も魔界も。お前らが外の世界と呼んでいる、あの汚物溜まりも」
憧憬の熱。そう思えた。
この侵入者は、博麗の巫女が様々な世界を滅ぼす事を、心のどこかで期待しているのではないか。
「……わかるんだよ、あの賢者どもの目論見は。靈夢を、幻想郷という檻に閉じ込めて、無害な小娘として生涯を過ごさせる。そうすれば他の世界は守られる……着眼点は悪くない。でもなぁ、それを成功させるには」
もう1人の少女に、侵入者は語りかけた。
「お前が、もう少し頑張らないとな。というわけで……そろそろ起きろ、魔理沙」