第69話 人形裁判
原作 上海アリス幻樂団
改変、独自設定その他諸々 小湊拓也
真紅の宝珠が、光の長槍が、砕け散った。
無数の光の破片をキラキラと引きずりながら、レミリア・スカーレットの小さな身体が吹っ飛んで行く。
「ぐうっ……!」
宇宙空間でレミリアは羽ばたき、踏みとどまった。
そこへ、光弾とレーザーの嵐が襲いかかる。
直撃。
レミリアは、砕け散った。無数の破片が、羽ばたき飛翔する。
蝙蝠の、群れであった。
それと、ほぼ同数の蝙蝠たちが出現していた。
蝙蝠の群れと蝙蝠の群れが、ぶつかり合った。
片方の群れが蹴散らされ、ズタズタに負傷し、逃げ回りながら辛うじて集合・融合し、小さな少女の形を取り戻す。
血まみれの、レミリアだった。
幼い肌が、桃色のドレスもろとも裂けて穿たれ、鮮血の霧を発する。
可憐な美貌は、血の気を失い青ざめながらも牙を剥き、真紅の両眼を爛々と輝かせる。
そこへ、死の天使サリエルが微笑みかける。
「教えてあげよう、レミリア・スカーレット」
羽ばたく蝙蝠、に見える小さな魔獣の群れを周囲に従えながら、サリエルは優美な片手を振るう。
戦場の背景……月を、指し示している。
「この月という天体を……君たち妖怪に活力をもたらす、穢れの根源たらしめているのは私、サリエルなのだよ」
レミリアは、口元の血を片手で拭った。
「……だから?」
「言わせるのかね、君はそれを私に」
天使の冷たい美貌に、困ったような笑みが浮かぶ。
「君のような子供を相手に、あまり大人げない事を言いたくはないのだが……吸血鬼のお嬢さん。ボロボロで今にも泣き出しそうな君に、月の力を注いで差し上げても良いのだよ? その程度の傷はたちどころに治ってしまうだろう。私と、今少しまともに戦う事も出来るようになる。さあ、可愛らしくお願いしてごらん?」
レミリアの返答は、言葉ではなかった。
鮮血の霧。その粒子、1つ1つが巨大化し、赤く光り輝きながら飛翔する。
宝珠の如き、真紅の大型光弾。
無数のそれらがサリエルを強襲し、砕け散った。
6枚の翼を、ふわりと羽ばたかせるだけで、サリエルは真紅の宝珠を全て粉砕していた。
光の破片を無数に含む暴風が、レミリアを吹き飛ばす。
なす術なく、吹っ飛ばされている。それは間違いない。
だが。
「……いいわよ、レミィ。その調子」
宇宙空間あちこちに魔法陣を出現させながら、パチュリー・ノーレッジは呟いた。
死の天使サリエルの分身たちが、弾幕を降らせてくる。
光弾の嵐、レーザーの豪雨。
パチュリーを猛襲するそれらが、醜悪なものたちを粉砕してゆく。
罪悪の袋の、群れ。
パチュリーの盾となり、ことごとく撃ち砕かれていった。
その間。宇宙空間あちこちに出現した無数の魔法陣が、一斉に弾幕を吐き出していた。
色彩豊かな、光弾の奔流。刃の如く鋭利なレーザー光。太陽に似た、爆炎の塊。
全てが、死の天使の分身たちを直撃する。
翼ある優美な全身甲冑が、光弾に打たれてひび割れ、そこへ爆炎の塊に激突されて砕け散る。露わになった中身が、レーザーに切り刻まれて消滅する。
分身たちが、明らかに弱体化している。
本体が、レミリアとの戦いに力を注ぎ込んでいるのだ。
分身に力を与える余裕を、失っている。
「……強く、なったのね。レミィ」
紅魔館の主は、長らく見て見ぬふりをし続けてきた妹と真っ正面から向き合う事で、完全なる覚醒を遂げたのだ。
「私も、少しは頑張らないといけないわね。紅魔館の居候として、大きな顔をするために」
パチュリーは睨み合った。
宇宙空間に開いた、5つの眼と。
『……少しは、やるようだな。博麗靈夢に与する魔法使いよ』
災いの目ユウゲンマガンが、言った。
『だが、まだまだ……貴様よりも遥かに恐るべき魔法使いを、私は知っている』
5つの眼から、涙が溢れ出す。
いや涙ではない。光弾だった。
『…………法界の、怪物……あの化け物に比べれば、貴様など!』
法界の怪物、という何者かを恐れて泣きじゃくっている、ようでもある。
涙の如き光弾の雨を、パチュリーはかわした。
ゆったりとした衣服をはためかせ、ふわふわと回避の飛翔をする。
そうしながら、無数の魔法陣から弾幕を噴射する。
光弾が、レーザーが、爆炎が、5つの眼を直撃し灼き払う。
いや。
弾幕使いであれば遠距離でも感じられる、着弾の手応えが、全くない。
パチュリー自身もよく用いる、幻覚の魔法か。幻影に、弾幕をぶつけているのか。
『だが最も恐るべきは! 法界のあやつよりも、博麗靈夢!』
5つの瞳が、視線を放つ。
5本の視線が交わり、五芒星を作り上げる。
巨大な五芒星が、円盤状に回転しながら、大量の光弾を放ち撒いた。
パチュリーは、自身の魔力を広範囲に放出し、膜状に張り巡らせた。
防壁だった。
五芒星のばら撒く光弾の豪雨が、魔力の防壁にぶつかり続ける。
弱くはない衝撃を、病弱な全身で感じながら、パチュリーは呟いた。
「博麗の巫女に与する魔法使いは……私では、ないわ」
振り返る。
宇宙に浮かぶ、木造の掘っ立て小屋……住吉ロケット。
本当の意味で博麗霊夢に味方する魔法使いは、その中にいる。今は、行動する力を失っている。
別に、守る必要などない。
思いつつパチュリーは、魔法陣の1つを操作した。
微かに向きを変えた魔法陣から、レーザー化した魔力の閃光が迸る。
それが、住吉ロケットを直撃した。
いや違う。
ロケットの出入り口。今は閉ざされている扉の傍らに立つ何者かを、直撃していた。
「ぐはっ……!」
ひらひらとした金色の和装をまとう、1人の少女。宇宙空間に血飛沫をぶちまけ、ロケットの上に倒れ込み、扉にすがり付く。
ロケットの中に、入り込もうとしている。
「……中に……この中に、我らの敵が……博麗靈夢……滅ぼすべきもの……が……っ」
「死の天使たちと同じ。貴女にも、本体と呼ぶべきものが存在している、とは思っていたわ」
弾幕を吐く五芒星も、宇宙に開いた5つの眼も、消え失せていた。
「ロケットに忍び込んで、霊夢を暗殺……愚かな事を考えたものね。今の霊夢は、迂闊に手を出したら、どんな目覚め方をするかわからない状態なのよ」
「……お前……たちはっ……!」
ユウゲンマガンの本体と言うべき少女が、パチュリーを見上げ、睨む。血走った目に、涙が浮かぶ。
「まるで警戒を、しておらんのか……! 貴様らの幻想郷も、いずれ制圧されるかも知れんのだぞ博麗靈夢に!」
「貴女たちの……博麗霊夢に対する警戒心、大いに理解は出来るわ。私たち紅魔館も結局、霊夢と魔理沙に制圧されてしまった」
パチュリー自身は、霊夢とは戦っていない。
自分を、完膚なきまでに制圧してくれたのは、魔理沙である。
負傷したユウゲンマガンの傍らに、パチュリーはフワリと降り立った。
放っておけば、この少女は、霊夢のついでに魔理沙も暗殺してくれたかも知れない。
止める理由は全くなかった、とパチュリーが思った、その時。
またしても、涙が降り注いだ。
真紅の涙。
閉ざされた両眼から、赤色の破壊光線を飛び散らせている者がいる。
『……やはり、魔界の者どもに任せてはおけない』
満月を思わせる、円形の巨大な金属板。
浮き彫りの女人像が、言葉を発しながら、赤い涙を流している。
『所詮は、作り物の世界に住まう人形の群れ……魔界神・神綺の壮大な人形遊びに過ぎない者どもに、博麗の巫女を滅ぼす事など出来はしないのね』
「…………キクリ……貴様……!」
呻くユウゲンマガンにも、真紅の涙が降り注ぐ。
パチュリーにも、住吉ロケットにも、赤い破壊光線の滝が襲いかかる。
その滝を、罪悪の袋たちが身体で止めた。
無数の醜悪な肉塊が潰れ散り、汚らしい体液が飛散した。
『ああ……何という、惨めな……』
キクリと呼ばれた浮き彫りの女は、本当に悲しくて涙を流している、ようでもある。
真紅の破壊光線が、降り注ぐ。
『この宇宙に、これほど無様でかわいそうな生き物が存在するなんて……地獄ヘ落ちる事も出来ず、その醜悪で痛ましい実体を晒し続けるだけ……』
赤い涙の雨が、パチュリーの魔力防壁に次々と激突した。
光の破片が、飛び散った。
防壁が、粉砕されていた。
「く……っ!」
『この、かわいそうな生き物たち……貴女が作り出したの? ひどい事をするのね』
まるでユウゲンマガンを背後に庇っているようでもあるパチュリーに、キクリが悲しげに微笑みかける。
その閉ざされた両眼から、真紅の涙が溢れ続け、罪悪の袋たちをことごとく粉砕してゆく。
おかげで、住吉ロケットは被弾を免れている。
今この戦場にいる幻想郷の弾幕使いの誰よりも、罪悪の袋たちは役に立っているかも知れない、とパチュリーは思った。
『……でも、嫌いではないわ。魔界神のお人形遊びよりは、ずっと趣深い』
キクリは言った。
『貴女……地獄を統べる、あの御方よりも、残酷さは上ね』
「光栄だわ」
パチュリーの、本心からの言葉である。
「あの御方と比べていただけるなんて……魔法使いとして、これほどの栄誉は考えられない」
『あの御方が今、幻想郷に興味をお持ちなのよ』
閉ざされた目で、キクリはパチュリーを見つめている。
『わかる気がするわ。貴女のような、禍々しい存在……地獄にも、そうはいない。ねえ貴女、元々は非力な人間だったのでしょう? どれほど悪事を働いたら、そこまで邪悪なものに成れるのかしら』
「私はただ、魔法使いとして……あの御方の、偉大なる力に連なる者として、探究と研鑽に励んだだけ。その過程で、他者の命を奪う事は確かにあったかしら」
浮かび群がって住吉ロケットを守る罪悪の袋たちを、パチュリーは見渡した。
「でも私、それほど殺してはいないのよ? むしろ生かしたわ。命は大切だもの。この者たちのように、有効活用をしなければね」
このような言葉、魔理沙が聞いたら怒り狂うだろうか、とパチュリーは思わない事もなかった。
『……貴女ほどの腐れ外道、地獄にもなかなかいないわ』
キクリが、呆れているのか、感心してくれたのか。
『博麗靈夢がね、腐れ外道の軍団を率いて様々な世界を蹂躙する……地獄が、今度こそ本当に制圧されてしまう。今の貴女たちの行動を見ていると、そう思えてしまうわ』
真紅の涙が、またしても住吉ロケットに降り注ぐ……と見えた、その時。
何かが飛んで来て、キクリに激突した。
歪んだ人体。男にも、女にも見える。
「ぐっ……う……」
それが血を吐きながら、円形金属板にめり込んでいる。
「私たちは私たちで、幻想郷を守るために動いている……つもりなのだけど」
アリス・マーガトロイドが言った。
スカートを押しのけて跳ね上がった左の美脚を、ゆらりと下ろしながらだ。
蹴り、であった。
「……それが他勢力からは、危険な示威行動に見えてしまうのね。そういうもの、かも知れないわね確かに」
人形たちが、アリスの周囲を飛翔し、色とりどりの光弾を撒き散らしている。
その弾幕が、死の天使の分身たちを片っ端から撃ち砕く。
分身の群れが、急激な弱体化を遂げていた。
本体が、レミリアを仕留めるのに手間取っている。力を、使い過ぎている。分身たちから、力を奪っている。
『……どきなさい、役立たずの門番』
キクリの円い全身から、大量の光弾が溢れ出した。
そして、門番シンギョクの身体を至近距離から直撃し、吹っ飛ばす。
ヘし曲がっていた、ように見えた円形金属板が、何事もなく元に戻り、浮き彫りの美女が冷たく言葉を発した。
『しっかりなさい異界の門番、それに魔界の非力な人形たち。貴女たちがそんな様では、博麗の巫女を止める事は出来ない。幻想郷の腐れ外道たちが、様々な世界を蹂躙する……それを、止める事が出来ないのよ』
血まみれのシンギョクが、住吉ロケットの船体上に落下していた。
同じく負傷したユウゲンマガンと、身を寄せ合うようにしている。立ち上がれぬまま、俯いている。
油断なくキクリを見据えたまま、パチュリーは声をかけた。
「叩きのめされ、倒れ、役立たずと罵られようと……紅魔館の門番は、決して心を折らないわ。あなたにも同じ事が出来るはずよ」
「…………情けを、かけるのか……我々に……」
シンギョクが、続いてユウゲンマガンが、呻いた。
「……殺せ。それが……弾幕戦というもの……何故、我々を殺さない?」
パチュリーは答えなかった。
魔理沙が、自分を殺さなかったから。
口に出して、言う事ではなかった。
「地獄のキクリ……貴女の言葉を、確認させてもらうわ」
アリスは言った。
「魔界が、作り物の世界……神綺様の壮大な人形遊びである、と。貴女さっき、そう言ったのよね?」
『違うのかしら』
「魔界の、非力な人形たち……それは私も含まれると、そういう解釈でいいのね?」
『違うのかしら』
「……私たちが、神綺様の人形であると。貴女はそう言ったのね、間違いなく」
『違うのかしら? 魔界の姫君』
キクリの口調は、冷たい。
『神綺という孤独な神が、己を慰めるために作り上げた、壮大なお人形遊びの空間。それが魔界……正直に言うと、少し許せないところがあるのよね。そんなおままごとの世界が、私たちの地獄界と同列に扱われがちな風潮。おままごとの女神が、私たちの偉大なる地獄の女神と並べて語られがちな現状』
「……貴女は貴女で、許し難いものを抱えているのね」
『貴女は……ふん。神綺という独りぼっちの女神が抱える孤独を、最も色濃く受け継いでいるわね』
浮き彫りの美貌に、微かな嘲笑が浮かんだ。
『規模の小さな魔界遊びを、貴女もしていたのではなくて? その人形たちを使って……人形たちに、名前を付けて。貴女自身は、魔界の創造主でも気取っていたのでしょう』
キクリは今アリスの、触れてはならない部分に触れている。パチュリーは、そう感じた。
『貴女はね、なるべくして人形使いになったのよアリス・マーガトロイド。孤独な女神の持つ、独りおままごとの才能を受け継いでしまったのだから。こんな戦いに参加しなければ貴女、楽しいお人形遊びをずっと続けていられたのよ? うふふ……いつしか、もうひとつの魔界を作り上げていたかも知れないわね』
「…………貴女の言葉……何ひとつ、間違ってはいないわ」
アリスは、冷静である。
「貴女の言った事、全てが正しい……正しいものを否定するには、ねえパチュリー? どうすればいいのかしら」
「……この戦いに参加した時点で、貴女はその答えに到達しているはずよ。アリス」
パチュリーは、それだけを言った。
アリスは、微笑んだ。
「そう……正しいものを否定するためには、暴力を振るうのみ……弾幕を、放つのみ」
理知的な笑顔。アリスの感情は、高ぶってはいない。
だがパチュリーは見た。一瞬、幻視した。いや、本当に幻覚なのか。
「キクリ、貴女の言った事は正しい。正誤を判断する余地はない。裁判をするなら私の負け……だから私は、弾幕で勝つ。覚悟なさい」
アリスの綺麗な背中から、6枚の翼が広がった、ように見えたのだ。