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異説・東方永夜抄  作者: 小湊拓也
66/90

第66話 戦の海に月が浮かぶ

原作 上海アリス幻樂団


改変、独自設定その他諸々 小湊拓也

「お疲れ様」

 声をかけられた。

 この宇宙に、これほど優しい声があるのか。

 どれほど慈悲深い心を持っていれば、これほど優しい声を発する事が出来るのか。

 鈴仙は、そう思った。

 涙を拭い、鼻水を無理矢理に啜り上げて1滴残らず飲み込んだ。そして顔を上げる。

 いや、それだけでは駄目だ。立ち上がり背筋を伸ばし、直立不動の姿勢を取らなければ。

 こんなふうに、膝を抱えて座り込むなど、この女性の視界の中では許されない。

「ああ、そのままでいいのよ。貴女、疲れているのでしょう?」

 静かの海。

 この宇宙で最も高貴なる、輝ける御姿が、事もあろうに玉兎の傍で膝を曲げ、砂浜に座した。

「……私だって、疲れてしまうわ。色々と、ね」

「…………は…………ぁ…………」

 そんな声を発するのが、鈴仙は精一杯だった。

 静かの海の砂浜に今、2つの人影がある。この宇宙で最も貴き存在と、最も無様なる存在。

 並んで膝を抱え、海面を見つめている。

「……依姫を、どうか許してあげて欲しいわ」

「…………はい……あ、いえ! そのような、そのような」

 直答が許される相手ではない。

 それでも鈴仙は、そんな声を発していた。

「私が悪いのです。私が、未熟なのです……無様なのです……依姫様の御期待に応えられない、私が……どうしようもなく、駄目なんですぅ……」

 拭い取ったはずの涙が、とめどなく溢れ出して来る。

「どうして……私って、こんなに駄目なんだろうって……」

「それならね、依姫だって同じくらい駄目な子よ」

 優しい、そして高貴なる声。

「あの子が、貴女たち玉兎に優しく出来ないのはね、期待しているから厳しくするとか、そんな立派な理由ではないわ。ただ、あの子自身が未熟なだけ……困ったものよね。神様を依らせて憑かせる能力者が、ああも心に余裕を持てないのでは。神様たちだって、依って来てはくれないわ」

「依姫様を悪く言わないで下さい!」

 直答の許されぬ相手に向かって、鈴仙は叫んでいた。

 自分は死んだ、と思った。

 それでも、言わねばならない事はある。

「依姫様は優しい御方です! 素敵な人です! それは時々、変な神様を拾っておかしくなっちゃう事ありますけど、そういうの含めて可愛いと思います! だから」

「ありがとう」

 微笑みかけられた。

 ちっぽけな玉兎など、きらきらと光に変わって消えてしまう。そんな笑顔だった。

「依姫を好きでいてくれて、本当にありがとう。あの子が、貴女たち玉兎に愛されている……それだけで私はね、あと何億年かは心穏やかでいられるわ」

 永劫の時を生きる。死ぬ事が出来ない。

 それがどういう事であるのか、自分ごときでは片鱗すら掴めるものではないだろうと鈴仙は思う。

 永劫を見つめる眼差しが、海面に向けられる。

「生命の棲まわぬ、静かの海……月の都も今、同じような有り様よ」

 愁いを含んだ、優しい声。

「月人は今や、自力では何も出来ない生命体になってしまった。貴女たち玉兎が持つような穢れを、蔑み排除してきた結果……であるとしたら……ああ、私は一体どこで間違えてしまったのかしら……」

 独り言、であろう。

 この女性の相談相手など、玉兎に務まるわけがない。

「月の民は、長きに渡る戦乱を教訓として、穢れを捨てる道を選んだ。私は喜んだわ。戦乱に苦しんできた月の民が、己の意志で歩み始めた道だから……そこへ私は、どこかで介入をするべきだったの? 穢れを受け入れよ、と。もっと穢れよ、と」

 そのような話をされたところで、ちっぽけな玉兎の1匹が出来る事など、あるわけがなかった。

「……1人、私には親友がいた。とても穢れていたわ」

 永劫を見つめる瞳が、今は遥けき過去に向けられているようだ。

「思えば、あれが最後の分岐点……彼女が月の都にいれば、月人という種族は穢れを取り戻す事が出来る。結果、月はまたしても戦乱の時代を迎えるかも知れない……私は、それが恐かった……だから……」

 手を、触れていた。

 相談に乗る事など出来ない。出来る事など、あるわけがなかった。

 ただ鈴仙は、この宇宙で最も高貴なる女性の背中に、そっと片手を触れていた。

 豪奢な衣服の下に、たおやかな肉体の感触があった。

 慰めよう、などと鈴仙は思ったわけではない。そこまで身の程知らずではない。

 ただ、触れたいと思っただけだ。

 結果、不敬を咎められ誅殺されたとしても、それは仕方がない。

 本気で、そう思わせる女性なのだ。

 優しさと柔らかさが突然、鈴仙の細身を包み込んだ。高貴なる香りが、ふんわりと満ちた。

「ありがとう……」

 鈴仙は、抱き締められていた。

「貴女の、その優しさも……ああ、私は穢れと断じ……月から取り除いてしまった……」



 宇宙空間を、兎が跳ね回っている。

 狩りの対象であった。

 月を背景とする宙域を埋め尽くす、狩人の群れ。

 ただ1匹の可憐な兎に狙いを定め、容赦なく弾幕をぶちまけている。

 金属製の女人像、とも言える姿の、死の天使たち。細腕と翼を広げ、無数の光弾をばら撒きながらレーザーを放つ。

 人型の、植物の塊。全身に咲いた花々から花粉の如く光弾を噴射する。近い距離では腕を振るい、蔓草と根と荊の鞭を伸ばす。

 弾幕の海を、鈴仙・優曇華院・イナバは懸命に泳ぎ抜けた。

 しなやかな肢体の曲線が柔軟にうねり、無数の光弾にかすめられる。

 形良く引き締まった左右の太股が、絡まろうとする植物の鞭をかわしながら躍動する。

 回避の躍動を披露し続ける玉兎の少女に、レーザー光の豪雨が降り注いだ。

 降り注ぐものを、鈴仙は睨んだ。

 真紅の眼光が、レーザーの雨を薙ぎ払い、粉砕した。

 それと同時に鈴仙の動きが、回避の遊泳から、攻撃の旋回へと移行してゆく。

 両の細腕が、弧を描く。

 左右の愛らしい指先が、真紅の光弾を速射していた。

 鋭利な、光の弾丸の嵐。鈴仙の周囲に吹き荒れ、狩人たちを直撃する。

 死の天使たちが、ひび割れて揺らぐ。人型植物の群れが、草花の破片を散らす。

 1発や2発の被弾で戦闘不能に陥るような、生易しい敵ではない。1体に対して、10発20発と撃ち込むしかない。

「これが……今の、月の軍勢……」

 真紅の集中射撃が、鈴仙の周囲あらゆる敵に対し、行われていた。

 鋭利な弾幕の嵐が、ひび割れた死の天使たちを、再生中の人型植物たちを、完全に粉砕し消し飛ばす。

 鈴仙は思う。本来ここで自分たちを迎撃するのは、月の都の艦隊であったはずだ。

 その艦隊は、しかし八意永琳によって殲滅された。

 ならば代わりに、玉兎の兵士たちが防衛戦力として駆り出されていても、おかしくはなかったのだ。

「それを、せずにいて下さった事……感謝いたします。ありがとう、ございます……嫦娥様……」

 涙が溢れた。あの時のように。

 自分はもう、嫦娥のもとへ戻る事は出来ない。

 涙を弾き飛ばすように、真紅の眼光が迸った。

 それが極太の光条となって、死の天使を、植物の塊を、数体まとめて撃ち砕く。

「この軍勢が、幻想郷を攻めるのであれば……私の部下たちを、殺すのであれば……どうか、お許し下さい。いえ、お許しいただけなくて構いません嫦娥様……鈴仙は、貴女様に背きます」

 様々なものが飛び散った。フェムトファイバー装甲の破片。枯れ砕けゆく植物の破片。

 そうではないものも、見えた。舞い散り、羽ばたいている。

 小鳥の群れ、であった。

「貴女は……妹紅さんとは、違うのね」

 宇宙空間に浮かび横たわる、道路標識。

 そこに、1人の少女が軽やかに腰掛けている。周囲に小鳥たちを従えて。

「鳥籠の中じゃないと、生きていけない……新しい鳥籠を、探しているのね」

 嫦娥のもとへ、戻る事は出来ない。

 そして、もはや永遠亭にも居場所はない。

 自分はこの戦いで死ぬしかないのだ、と鈴仙は思った。



 植物の鞭が、あらゆる方向から超高速で伸びて来る。

「どけ!」

 魂魄妖夢は、楼観・白楼の二刀を抜き放ち、全てを切り払った。

 切断された鞭を、人型植物の一体がニョロニョロと再生させる。

 そこへ、もう1人の妖夢が斬り掛かっていた。楼観剣と白楼剣が、交差する形に一閃する。

 人型の植物の塊が、十文字に裂けた。

 その裂け目が塞がる前に、2人の妖夢が、容赦のない滅多斬りを遂行する。2本の楼観剣と2本の白楼剣、計4つの刃が乱舞して、植物の塊を切り刻んでいた。

 草葉が、花々が、根が、跡形もなく飛散して枯れ砕ける。

 2人の妖夢の片方が、少女剣士の姿を崩し、人魂状の半霊に戻りながら旋回し、光弾を散布した。

 攻撃の構えに入っていた死の天使が数体、半霊の弾幕を喰らってよろめき、ひび割れつつも、光弾とレーザーを放とうとする。

 そこへ、妖夢は斬り掛かっていた。

 長大な楼観剣が、燃え上がる妖気の揺らめきを帯び、さらに巨大な刃となって一閃する。

 その斬撃が、死の天使たちを粉砕していた。ひび割れた装甲も、中身も、もろともにだ。

 死の天使。

 この者たちの本体と言うべき存在が、月にいる。

 月に居ながら、西行寺幽々子を連れ去ったのだ。

 妖夢は見据えた。

 戦場の背景を成す、可能性空間移動船。

 そのさらに後方で威容を誇示する、隕石孔だらけの天体。

 月は、間近にある。そう見える。

「幽々子様……参ります!」

 妖夢は飛翔した。

 月。それ以外のものは一切、見えなくなった。

 気が付いた時には、取り囲まれていた。

 植物の塊、死の天使。

 妖夢の周囲で群れを成し、光弾を放つ。レーザーを射出する。光の花粉を、噴射する。

 それら全方向からの弾幕が、妖夢を直撃する寸前、消え失せた。

 空間が、裂けている。

 その裂け目に、弾幕は全て吸い込まれていた。

 裂け目が閉じた。

 別の場所で、空間が裂けていた。

 光弾とレーザーの豪雨が、花粉光弾の嵐が、その裂け目から噴出し、死の天使たちを襲う。植物の塊の群れを、直撃する。

 何体もの優美な甲冑が粉砕され、その中身が潰れ飛び散った。いくつもの人型を成していた植物が、ちぎれ砕けて枯れ崩れ、消滅する。

「貴女1人を、月に送り込んであげたいところだけど」

 妖夢の傍らに、八雲紫が佇んでいた。

「月の都への直通経路は、さすがにまだ封鎖されている。焦らず急がず、私たちと一緒に行きましょう。地道に敵を撃破しながら、ね」

「…………すまない、助かった」

 気に入らぬ相手であろうと、助けられたのは事実であった。

 可能性空間移動船を拠点とする軍勢は、まだまだ減ったようには見えない。

 死の天使も、植物の塊も、宇宙空間を埋め尽くすが如く大量に布陣し、弾幕を放って来る。

「凄まじい火力……それが、そのまま私たちの武器となる」

 紫が、優雅に繊手をかざす。

 空間の裂け目がいくつも開き、押し寄せる弾幕を全て呑み込んでしまう。

 ……否。呑み込む前に、それら裂け目は全て閉ざされていた。

 紫の美貌が、微かに青ざめる。

 空間の裂け目は、全て縫い合わされていた。煌めく、光の糸で。

「綿月豊姫……!」

 妖夢が呻いている間にも、弾幕は押し寄せて来る。呑み込まれる事のなかった、光弾の嵐。レーザー光の雨。

 穢らしいものが、大量に飛散した。

 痛ましくなるほど醜悪なものたちが、大量に飛び込んで来て紫の盾となり、妖夢の盾となった。

 そして、弾幕を喰らったのだ。

「貴方たち……!」

 紫が息を呑む。

 醜悪なものたちが、弾幕に粉砕されてゆく。

「何も言わないでくれ、紫……」

「俺たちは、ただ……これだけの存在……」

 粉砕され、飛び散ったものが、光に変わった。

 光弾だった。

 命そのものの弾幕が、紫と妖夢の周囲を吹き荒れた。

 死の天使を直撃し、よろめかせる。植物の塊を直撃し、微量の草葉を引きちぎる。

 そこへ紫が、猛然と突っ込んで行った。

 一見たおやかな両手が、日傘を開いて猛回転させる。

 その回転が、卍型の光の刃を生んだ。

 斬撃が、死の天使たちを打ち砕き、植物の塊たちをズタズタに切り刻む。

 紫の顔は見えない。

 だが妖夢は思った。八雲紫が激昂している、と。

 先程とは逆。今は紫の方が冷静さを欠いている、と。

「取り澄ませた面の皮が1枚剥がれたな。悪くはないぞ自称賢者、だが少し待て……」

 妖夢は踏み込んだ。

 綿月豊姫の、姿は見えない。

 遠隔攻撃。光の糸を、遠く離れた場所へと及ばせる事が出来る……のであるとしたら。

 空間の裂け目を縫い合わせる、だけで済むはずがなかった。

「八雲紫、かわせぇえええっ!」

 妖夢は叫ぶ。が、遅い。

 斬撃が来た。

 煌めき揺らめく、一瞬の光。

 フェムトファイバー、と呼ばれた光の糸である。

 それが、妖夢と紫を撫でていった。

 宇宙空間に、大量の鮮血が飛散した。

 自分の身体が輪切りにされていない事を、まず妖夢は確認した。

 腕も繋がっている。動く。ならば、するべき事は1つだ。

 懐から小瓶を取り出し、中身を呷った。

 とてつもない不味さが、体内で暴れ回る。

 血を吐きながら、妖夢は辛うじて声を発した。

「八雲、紫……ッ! 例の薬、持っているのだろう! 早く飲め……っ!」

 紫の細身も、原型はとどめている。だが血まみれだ。裂傷は、臓物にまで及んでいるかも知れない。

 妖怪が、その程度で絶命するはずがなかった。

 だが。死の天使と人型植物の軍勢が、周囲に満ちている。弾幕の狙いを、妖夢と紫に定めている。

 死を覚悟する暇すらない、と思われた、その時。

 自分を含む、世界の全てが、停止した。妖夢には、それがわかった。

 軍勢を成す死の天使が、植物の塊たちが、弾幕を放つ体勢のまま硬直している。

 彼らの全身に、細かな光が突き刺さっていた。

 無数の、ナイフであった。

「この世で、最も無様な生き物に……」

 十六夜咲夜が、いつの間にか妖夢の傍にいる。時の止まったナイフの上に、綺麗な爪先を載せている。

「……少しばかり、良い格好をされてしまったわね。気に入らないわ」

 鋭利な美貌の眼前に、咲夜はナイフを立てた。何か念じたようである。

 死の天使たちが、装甲も中身も一緒くたに破裂した。人型植物たちが、枯れて崩れて消え失せた。

 突き刺さっていた無数のナイフに、咲夜の念が伝播したのだ。

「……退魔の……念……」

 血を吐きながら、紫が呻く。小瓶の中身を、飲み干したところである。

「……外の世界で、猛威を振るった妖怪退治人が……幻想郷で、ますます腕を上げているのね……ふふっ、時間を止めて修行をしているのかしら?」

「八雲紫。私たち紅魔館を、貴女が幻想郷へと引き入れたのは……このような戦いに備えての事なのね」

 咲夜は言い、見上げた。

 幻想郷の弾幕使い3名を見下ろす、赤い人影を。

「……今は、貴女の思惑に乗っておきましょう。幻想郷を守るために」

「守るため、か。それを言い始めるとな、戦争というものは止まらなくなる」

 こちらを見下ろし、言葉を発しているのは、赤一色の少女である。

 まるで苺だ、と妖夢は思った。

 苺の生菓子を頬張る幽々子の、幸せそうな笑顔が、脳裏に浮かぶ。

「我が盟友・綿月豊姫はな、幻想郷を滅ぼす事が即ち月の都を守る事であると、心の底から信じている。愚か、とは言えない。私から見ても君たちは危険だ」

「何者……」

 咲夜が呻く。

「魔力も、妖力も霊力も……まるで感じられない。それでいて……この、不穏な何かは一体……」

「魔力、妖力、霊力。いいね、実に良い。欲しいよ」

 苺のような少女が、微笑んだ。

 どろどろしたもの、ぎらぎらしたものを恋しがる、幽々子の笑顔に似ていた。

「君たちを倒せば……今度こそ、手に入るのだろうか?」

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