第65話 魔界の乱、地獄の乱
原作 上海アリス幻樂団
改変、独自設定その他諸々 小湊拓也
「いらっしゃいませ……あ、こんにちは」
「はぁい、る~ちゃん。例のヤツ、入ったんだって?」
明るい声を発しながら、その少女が、店員のメイドロボットと軽いハイタッチをしている。
小柄な細身に星条旗をまとった、妖精の少女。
エレンは、カウンターを出て迎えた。
「いらっしゃい、クラピちゃん。ふわふわエレンの魔法のお店へ、今日もようこそ!」
その名の通り、と言うべきか。様々な魔法的商品を、適当に取り扱っている店である。
地獄の妖精クラウンピースが、興味津々の様子で店内を見回している。
「いつ来ても、面白そうなモノいっぱいあるねえ……あ、これマンドラゴラの天然物? ああ、いや鉢に植えられてる時点で天然じゃないのか。でもイイ声出しそう! ね、エレンちゃん。引っこ抜いてもいい? 引っこ抜いてみない!?」
「うふふ、ダメに決まってるでしょ。貴女なら、引っこ抜いても平気だとは思うけど」
馴染みの植物業者から仕入れた逸品である。
「粗末に扱ったらね、私もクラピちゃんも、その人に潰されて畑の土になっちゃうんだから……はい、それより御注文の品」
包装済みの商品を、エレンはカウンター上に置いた。
「八塩折の超限定醸造ね」
「わぁオリエンタル! うちのご主人様、ネクタル系のお酒はあらかた制覇しちゃってるからねえ」
クラウンピースの差し出したクレジットカードを、エレンは指先で読み取った。
ふと、視線を動かす。
1人、クラウンピースは同行者を伴っていた。
赤系統の和装。ポニーテールの黒髪、鋭利な美貌。そして額から伸びた1本の角。
静かな佇まいの中に、とてつもなく不穏な何かを秘めている。エレンは、そう感じた。
とりあえず、訊いてみる。
「……そちら様は?」
「あたいの同僚。ご主人様の、懐刀だよ」
答えつつクラウンピースが、少し困ったように微笑む。
「普段はクールで大人しいんだけど、今はちょっとねえ……突っ走らないように、あたいが監視してるの」
「地獄の女神様の、懐刀……」
エレンも、聞いた事はあった。
「……噂に聞く、星幽剣士さん? 初めまして。御贔屓にしていただいております」
「こやつが、迷惑をかけていないだろうか」
星幽剣士が、クラウンピースの頭を、撫でたのか。軽く叩いたのか。
どちらにせよ、クラウンピースが憤慨している。
「何だよう! 突っ走って暴走して、あたいやご主人様に迷惑かける気満々の奴が!」
「貴様ではあるまいし、誰が暴走などするか」
星幽剣士が言った。
「私はな、冷静に己の為すべき事を見極めた上で……博麗靈夢を殺すのだ。その時は、貴様では止められぬ。あの御方でも、な」
私を守る事は一切、考えないように。
八雲紫は、そう厳命した。
最優先事項は、敵の殲滅。
その速やかなる遂行が、結局は味方全員を守る事になる。
紫の言う通りだと、今は思うしかない。
乱戦に、なってしまった。
死の天使と、植物の塊。
2種類の兵士から成る大軍勢が、宇宙空間を満たしていた。
様々な方向から、攻撃を加えて来る。
死の天使が、光弾を放ちながらレーザーを迸らせる。
植物の塊が、人型の全身に咲いた花々から、花粉の如き光弾の嵐を放散する。
弾幕が、全方向から押し寄せて来ているのだ。
誰かを守る余裕など、なかった。
「紫様、どうか御無事で……!」
とうの昔にはぐれて姿の見えぬ主に語りかけながら、八雲藍は飛翔した。
豊かな九尾を引きずりながら、宇宙空間を高速で泳いだ。
光弾が、レーザーが、全身各所をかすめて走る。
回避の飛翔を、藍はそのまま攻撃へと移行させた。
身を丸め、全身で九尾を振り回す。
回転。
9つの尻尾が、黄金色の妖力を放ちながら全方位を薙ぎ払う。
藍は黄金色の火の玉と化し、死の天使の1体にぶつかって行った。
優美かつ強固な人型の装甲が、ひび割れた。
その亀裂に、藍は零距離から光弾速射を叩き込んだ。
死の天使が、砕け散った。装甲も中身も、もろともに飛散し消滅する。
そこで、藍の回転は止まった。止められていた。
「く……っ!」
全身に、蛇のようなものたちが巻き付いている。
蔓草と根と荊が一緒くたに絡み合って出来た、植物の鞭。
何本ものそれらが、藍の肢体を絡め取っていた。
人型の、植物の塊が4体。前後左右から鞭を伸ばし、九尾の妖獣を拘束している。
凹凸のくっきりとした身体を、大量の蔓草と根と荊が容赦なく締め上げる。
鞭と鞭の間から、形良く豊かな胸の膨らみが、衣服を突き破ってしまいそうなほどに押し出される。
押し出された膨らみを横殴りに揺らしながら、藍は身を翻していた。優美にくびれた胴体が、植物の鞭に締め上げられつつ捻転する。
その柔らかな捻転に合わせて、光の刃が生じた。
四方向、巨大な卍型に伸びた、妖力の刃。
それが、植物の塊たちを鞭もろとも叩き斬る。
叩き斬られた身体が、根や蔓草を蠢かせ繋げて再生してゆく。
卍型の刃と同時に、藍の捻転がばら撒いた光弾の嵐が、再生中の裂け目を直撃する。
植物の塊は4体とも、ちぎれ飛んで枯れ砕け、消滅した。
消滅した植物たちの向こうから、死の天使たちが弾幕を放ってくる。
光弾の嵐が、レーザーの豪雨が、攻撃直後の藍を襲う。
かわせない。そう思えた瞬間。
醜悪なものたちが、藍の周囲で砕け散った。
罪悪の袋の、群れ。
藍の盾となり、光弾に穿たれてゆく。レーザーに切り裂かれてゆく。
「貴様ら…………!」
「構うな藍! 俺たちは、このためにいる」
穿たれ、切り裂かれ、飛び散りながら、罪悪の袋たちは口々に言った。
「呼吸を整えろ。体勢を、整えろ」
「休み、そして戦え! 紫のために……」
「頼むぞ。俺たちには、出来ない事を!」
飛び散った肉片が、体液が、光に変わってゆく。光弾。
罪悪の袋たちは、弾幕と化していた。
命そのものの弾幕が、死の天使たちにぶつかって行く。
金属製の女人像を思わせる全身装甲が、ひび割れた。
そこへ、隕石のようなものが激突する。妖力を放ちまとう回転体。二又の尻尾が、高速で弧を描く。
死の天使が1体、砕け散り消し飛んだ。
藍は叫んだ。
「橙! お前には、この戦いは危険だ!」
「藍様。こいつらが幻想郷に攻めて来たら、安全な場所なんて無くなるね」
ひび割れた死の天使を、もう1体。回転体当たりで粉砕しながら、橙は言った。
「逃げ場なんて、ないね。鼠が猫に狙われるみたいに、じっくりゆっくり狩り殺される……だったら橙、ここで戦って死ぬよ。藍様、紫様と一緒に」
「橙……馬鹿、死ぬものか。死なせるものか」
ひび割れた天使たちを、藍は卍の刃で薙ぎ払い、消し飛ばした。
そうしながら、見上げる。
こちらを見下ろすが如く宇宙空間に佇む、1人の少女を。
「……ふん。やるもんだね、幻想郷の妖怪ども」
白い水兵服を着た少女。
妖力も魔力も、霊力も感じられない。
綿月依姫がもたらす住吉三神の加護と同じようなものを、あの可能性空間移動船から受け取っているようである。だから、宇宙空間でも生身で行動が出来る。
「私は北白河ちゆり。今からお前らを解剖調査する。せいぜい元気に暴れて、いいデータを提供しろよ検体ども」
「消えろ、人間」
藍は言った。
「見ればわかる。貴様、魔法使いでも巫女でもない単なる人間だろう? 妖怪と戦う夢を見るのは良いが、夢だけにしておけ」
「……そうやって、人間を見下してるから」
北白河ちゆりは、小さく溜め息をついた。
「いくつかの世界じゃ、妖怪や魔物は人間に駆逐されて完全に消え失せた。お前らはな、絶滅危惧種なんだよ。だけど保護はしてやらない……私、妖怪から痛い目に遭わされたばっかりなんでね」
根が、荊が、蔓草が、あらゆる方向から襲いかかって来る。
宙を泳ぐ、植物の鞭。
それらが、アリス・マーガトロイドの周囲で閃光に叩き斬られ、飛び散って枯れ砕ける。
「……本物の風見幽香を連れて来なさい。私を殺したいのなら、ね」
呟くアリスの周囲で、人形たちが剣を振るったところである。
人型の、植物の塊……風見幽香の分身たちが、切断された鞭をニョロニョロと再生させる。
その時には、人形の1体が飛び出し、飛翔していた。
「魔彩光の、上海人形……」
アリスの声に合わせ、飛翔する上海人形が光を散布する。
色とりどりの、光弾の嵐。
その弾幕が、人型植物の群れを薙ぎ払った。
花や草葉の破片が、舞い散った。風見幽香の分身たちが、怯んだように一瞬、硬直する。
その一瞬の間、アリスは己の魔力を解放していた。
たおやかな全身から、青紫色の大型光弾が無数、放たれ迸る。
それらが、硬直した植物たちを直撃・粉砕していた。
枯れ砕け消えゆく植物の破片を蹴散らして、光が来た。
光弾とレーザーの雨。
死の天使の軍勢が放つ、弾幕であった。
アリスの周囲で、人形たちが盾を構える。
そこへ、光弾やレーザーが容赦なく激突する。
人形たちが、よろめき揺らいでいる間。
宇宙空間に、いくつもの魔法陣が出現していた。
それらが一斉に、弾幕を吐き出した。光弾、レーザー、そして爆炎の塊。
破壊そのものの魔法弾幕が、死の天使たちを片っ端から粉砕してゆく。装甲も中身も、もろともに。
アリスは慄然とした。
住吉ロケットの近く。宇宙空間にふわりと佇む、優美な姿。
長らく体調不良で死にかけていたというパチュリー・ノーレッジは今、健康とそして力を、完全に取り戻していた。
「私、健康になったわけではないから……」
パチュリーが、ちらりとアリスの方を見る。
「無理が出来る身体ではないわ。貴女の助けが必要なのよ、アリス」
「……わかっている。体力は、きっと私の方が上よね」
言いつつアリスは、宇宙空間を蹴って踏み込んだ。
スカートが激しく舞いはためき、鍛え込まれた美脚が一閃する。
魔力を宿した蹴りが、死の天使の1体を連続で打ちのめしていた。
光弾を放ちかけていた全身装甲が、ひび割れた。
そこへ人形たちが殺到し、槍を突き込んでゆく。
砕け散る死の天使を見つめ、アリスは思う。
純粋な魔法の勝負であれば、自分はパチュリー・ノーレッジの足元にも及ばないと。
今は、そんなパチュリーとアリスの2人で、住吉ロケットの防衛に当たっている。
宇宙空間で、このように生身で動き回る事が出来る。
その状態を維持するためには、このロケットを、ロケット内で祈祷を行う綿月依姫を、守り通さなければならない。
依姫には本当に、感謝をするべきだ。
謝罪もしなければならない、とアリスは思う。
何故ならば。自分が今、本当に守ろうとしているのは、ロケットでも依姫でもない。
(魔理沙……貴女は、私が守る)
ロケット内で倒れている少女に、アリスは心の中から語りかけた。無論、返事などない。
『……退け、魔法使いたち』
声がした。
宇宙空間に開いた5つの眼が、ロケットを、魔法使い2人を、見据えている。
『我々の目的は、その中にいる博麗靈夢の命ひとつ。お前たちに用はない……命を、無駄にするな』
「と、いう話だけど。貴女はどうするの? パチュリー」
アリスは訊いた。
「貴女に、霊夢を守る理由はないはずよ」
「貴女にもね、アリス」
パチュリーが、淀みなく即答する。
「私が輝夜さんを助けに来たのは、八意先生に負い目を抱きたくないから……紅魔館で、やましい事なく堂々と居候を続けるためよ。そのためにも、博麗の巫女には貸しを作っておくの」
「……憂えるべき事態、と言えるな」
声と共に突然、丸いものが生じた。
博麗霊夢の陰陽玉、に似ている。
今、宇宙空間に出現したそれは、しかし球体ではなく巨大な円盤に見えた。陰陽模様の円盤。
それが、ぼんやりと人影に変わった。
「単身で魔界と地獄を制圧した博麗靈夢が、仲間を獲得してしまった……禍々しき弾幕戦の化身が、かの幻想郷という場所には続々と生まれ、集いつつある」
男にも見える、女にも見える。
和装の青年のようでもあり、洋装の美少女にも見える、その者が言った。
「滅ぼすべし、幻想郷……と思うが、今は博麗の巫女よ。生かしてはおかぬ。この好機、逃しはせぬ」
「……魔界は、制圧されてなどいないわ」
アリスは言った。
「死の天使サリエルの、いくらか強めの分身体が魔界に出現しただけ……それを、博麗靈夢は片付けてくれた。確かに動乱と言うべきものではあったけれど、魔界神・神綺は全くの無傷よ。地獄界も同じようなものでしょう」
『……………………貴女は…………』
5つの眼が、アリスを睨む。血走っている。
『…………馬鹿な……何故、貴女が……このような場所に……』
「災いの目ユウゲンマガン。神綺様に背き、死の天使に与した貴女を……安心なさい、この場で罰しようという気はないわ」
アリスは微笑んだ。
「今の私に、そんな資格はないから」
「アリス、貴女……」
パチュリーが、興味深げな眼差しを向けてくる。
「……想像を絶する大物、なのかしら? もしかすると紅魔館の主よりも、ずっと」
「想像を絶する存在なのは、私の生みの親。アリス・マーガトロイド自身は、単なる……ふふっ、何かしらね。棄て子? 逃亡者? まあそれはともかく」
アリスは、口調を改めた。
魔界神・神綺の威を借りて偉そうな口上を述べる、夢子のように。
「聞きなさいユウゲンマガン、それに門番シンギョクよ。今ここに居るのは、あなたたちが恐れる博麗靈夢ではないわ。幻想郷のだらけた巫女・博麗霊夢よ。魔界や地獄を制圧するような存在ではない事、私が保証します」
「だからこそだ魔界の姫よ。恐るべき制圧者としての覚醒を遂げる前に、この宇宙より消し去らねばならぬ」
シンギョクが言った。
「わからぬか……博麗靈夢は今、眠りについている。それが恐るべき覚醒の前の静けさであるという事、我らが気付いておらぬとでも思うのか」
『魔界の姫よ、貴女にとっても博麗靈夢は忌まわしき仇敵であるはず。何故、守ろうとする』
ユウゲンマガンの問いに、アリスは答えなかった。
魔理沙なら、霊夢を守るから。
それは、言葉にして発するものではないのだ。
もうひとつ、丸いものが生じた。
一瞬、満月に見えた。
この戦場の背景として、月はすでにある。
それとは別に、新たな月が浮かんだように見えたのだ。
アリスは見上げ、息を呑んだ
「貴女は……」
『まさしく……貴女のおっしゃる通りよ。魔界の姫君』
巨大な、円形の金属板であった。美しい女人像が彫り込まれている。
浮き彫りの美女が、微笑み、言葉を発しているのだ。
『地獄は確かに、制圧されたわけではないわ。勇み足の星幽剣士が、愚かしい不覚を取っただけ……地獄を統べる御方は全くの無傷。それはそれとして、地獄界に刃向かった者を許してはおけないというお話よ』