第60話 Lotus Land Story(3)
原作 上海アリス幻樂団
改変、独自設定その他諸々 小湊拓也
紅魔館の広大なエントランスホール内に、破壊の暴風が吹き荒れた。
時計の針、のような槍。燃え盛る光の剣。
左右2つの巨大な得物が、愛らしい繊手で軽々と振り回されて夢月を猛襲する。
猛襲が、ことごとく空を切った。
直撃の瞬間、夢月のメイド姿は消失し、別の場所に出現する。それが繰り返される。
「遅い、遅い! ぬるい風吹かせてんじゃないわよ、せめて涼しくしなさいってぇの!」
何人もの夢月が、フランドール・スカーレットを嘲笑っている。そう見えた。
嘲笑いながら夢月が、ブーケトスの如く弾幕をばら撒いた。
超高速で押し寄せる光弾の嵐を、フランドールは2つの武器で薙ぎ払った。歪んだ時計の針のような槍が、光の剣が、可憐な細腕で豪快に振り回されて弾幕を粉砕する。
キラキラと舞う光の破片を蹴散らして、いくつもの魔法陣が飛翔する。大量の光弾を吐き出しながら。
「……何? それ。まさか弾幕のつもり?」
嘲笑を歪めつつ夢月が、無数の花火を咲かせた。小悪魔には、そう見えた。
天井の高いエントランスホール全域に、光弾の花火が咲き乱れていた。
「しょうがないかなあ? 吸血鬼なんて、悪魔の成り損ないみたいな劣等種だもんねえ! てなワケでえ、悪魔のお姉さんがあ、劣等種のメスガキちゃんに本物の弾幕の基本の基本の基本の基本を教えてあげまぁああああああす!」
花火状の弾幕が、いくつもの魔法陣を粉砕しつつフランドールを直撃する。
直撃を喰らった吸血鬼の少女が、砕け散った。いや、4つに分裂しようとしている。
「はい残念でしたあ。分身? 高速移動と幻覚魔法の併用? そんなの最初っから見切ってまぁーす!」
夢月の右手が、フランドールの細首を掴んだ。
一見たおやかな片手の握力が、少女の分身をガッチリと捕え封じる。
悪魔の力で頸部を圧迫拘束されながら、フランドールはしかし無表情である。人形の美貌が、血に染まっている。
紅玉のような瞳は虚ろに澄んだまま、夢月の形相を見つめている。
「……何よ、その目は……劣等種がねぇ、私ら悪魔に向かって……そういう目、していいと思っちゃうんだぁあふぅううううううん」
夢月が牙を剥いた。綺麗な口元が凶暴に捲れ上がって歯茎が見えた。
「メスガキ! クソガキ! ゴミカスがぁあああああああああああああッッ!」
光と鮮血が、大量に飛び散った。
フランドールの首を掴む右手が、そのまま光弾の嵐を発射したのだ。
弾幕が、零距離から叩き込まれていた。フランドールの細い喉首に、愛らしい顎と口元に。
立て続けに、夢月の怒号・罵声に合わせてだ。
「多いのよねえ吸血鬼って、劣等種のクセに悪魔気取りな身の程知らず! アンタらなんか墓場を這いずって死体の体液でもしゃぶってンのが分相応だってぇのよクソが! クソが! クソゴミが! ゴミカスがあ! ゴミゴミゴミゴミゴミぎゃあああああああああ!」
罵声が、悲鳴に変わった。
夢月の右手、いや右腕が、引きちぎられていた。
フランドールは、血まみれである。
赤い衣服は肌もろともズタズタに裂け、鮮血の霧を飛び散らせている。
可憐な美貌は、血を流しながらも無表情のままである。
血を噴く人形。小悪魔は、そう思った。
紅色の霧をまといながらフランドールは、可愛らしい手でむしり取ったものを高々と掲げている。
夢月の右腕。
滴り落ちる鮮血を、フランドールは小さな口で受けた。白く鋭い牙が、可憐な舌先が、悪魔の血にまみれた。
荒々しく、フランドールは夢月の右腕を投げ捨てた。あまりの不味さに苛立った、そんな仕草だが、顔は無表情のままである。
「こっ、このクソメスガキ! いきなり何しやがんのよ……」
夢月の右腕が、ぬるりと生え替わる。
その間フランドールは、すでに夢月の眼前にいた。
可愛い左手が、夢月の脇腹に突き刺さっていた。
怒号も悲鳴も罵詈雑言も、夢月の口からは出なかった。
代わりに、臓物が体内から押し出されて来て、愛らしい唇を内側から押し開ける。
それを、夢月は無理矢理に飲み込んだ。両手で口を押さえた。
押し込められたものが、他の出口を求めて夢月の体内で暴れ回っているのがわかる。悪魔少女の肉体が、メイド衣装もろとも歪み、ねじ曲がり、膨れ上がってフランドールを弾き飛ばす。
飛ばされた少女の小さな身体が、空中で踏みとどまる。奇怪な翼がはためき、七色の宝石を揺らす。
夢月の体内で、フランドールは何かを握り潰したのだ。
破裂しつつある己の肉体を、夢月は懸命に維持している。暴れ膨れ上がる腹を、どうにか凹ませて体型を保つ、それに魔力を注ぎ込んでいるようであった。
すらりと綺麗に伸びていた手足が、メキメキと痙攣しながら折れ曲がる。
夢月は、口を押さえていられなくなっていた。可愛い顔が膨らみ、凹み、歪み、どうにか元に戻り、またしても膨張しねじ曲がる。
「うぐぅう……ぷっぐ……ぶびぃぃい……」
込み上げる内臓を飲み込むのが精一杯の口の中で、舌がおかしな感じに暴れているようだ。夢月は今や、言葉を発する事も出来ずにいる。
封じられた罵詈雑言を両眼に宿し、夢月はフランドールを睨んでいる。ひび割れたように血走った左右の眼球が、歪む顔面から今にも押し出されてしまいそうだ。
「ぷぐぅう……ぶびっふ、うっぐぷっぐ! ぷぶぴぴびぃいいいいいいいいいい!」
夢月の絶叫が、そのまま弾幕に変わった。そう見えた。
花火を思わせる光弾の嵐が、エントランスホール内を吹き荒れる。
フランドールの周囲で、鮮血の霧が激しく膨張した。
血液の粒子ひとつひとつが巨大化し、真紅の光弾と化していた。
赤く輝く血の弾幕。それが夢月の弾幕とぶつかり合う。
双方、共に砕け散っていた。血と光の破片が、キラキラと漂い消えてゆく。
その間、夢月はエントランスホールの壁を体当たりで破壊し、紅魔館の外へと逃げていた。
フランドールは、それを見送っている。
床に座り込んだまま、小悪魔は声を投げた。
「……ありがとうございます、フランドール様」
私を助けて下さるつもりが貴女にあったのかどうか、それはわかりませんが。
小悪魔はつい、そう言ってしまいそうになった。別の事を言った。
「それはそれとして……私、貴女の事も許していませんよ。一時的にしても紅魔館の主だったくせに、パチュリー様をほったらかしにして」
フランドールは、小悪魔の方を見ようともしなかった。
すすり泣きが、聞こえた。
夢月に粉砕された妖精メイドたちが、エントランスホール内あちこちでキラキラと再生しながら涙ぐんでいる。
何名かが、救急箱を持って小悪魔の方に駆け付けてくれた。
自分が夢月に殺されかけていた事を、小悪魔はようやく思い出した。顔面を剥がされるところであったのだ。
フランドール・スカーレットに、自分は救われた。紛れもない事実である。
小悪魔は思う。ひとつ、夢月は正しい事を言った。
悪魔は、借りを返さなければ先に進めない。
スカーレット姉妹と、名無しの小悪魔。
両者の間には、悪魔族として命懸けで履行しなければならない契約が成立してしまった。
どれほど許せぬ思いがあろうと、小悪魔は今後もスカーレット姉妹に仕え続けなければならないのだ。
虹が飛んで来た。幻月には、そう見えた。
紅美鈴の長い脚が、蹴りの形に跳ね上がったのだ。無論、当たりはしない。格闘戦の距離ではない。
その蹴りが、虹色の光を放っていた。高速の蹴りの軌道そのままに旋回する、七色の気の光。
それが発射され、幻月を襲う。
「くっ……!」
身体を幽体状に揺らめかせて、幻月はかわした。
揺らめいて消えた悪魔少女の身体が、全く別の場所でユラリと実体化を遂げる。
そこに、紅美鈴はすでに回り込んでいた。
虹が、またしても幻月を強襲した。
七色の光に包まれた、美鈴の拳。
回避の暇もなく、幻月はグシャリとへし曲がりながら吹っ飛んだ。虹色の拳を叩き込まれていた。
天使の如き白色の翼を激しくはためかせ、幻月は空中で踏みとどまった。
「……なめるなよ、偽幻想郷の下等妖怪が!」
たおやかな両手で、大量の光弾を散布する。
弾幕の嵐が吹き荒れ、美鈴を猛襲する。
虹の竜巻が、発生した。
美鈴の長身が、空中でステップを踏んで軽やかに回転する。虹色の、気の光を発しながら。
その回転が、竜巻を巻き起こしたのだ。
巨大な虹色の竜巻が、幻月の弾幕を全て跳ね返し、吹っ飛ばしていた。
「この…………っ!」
両手に、幻月は魔力を集めていった。
集まった魔力が、光の束となって放たれ、美鈴に向かって迸る。極太の、白い魔力光。
美鈴が、回転を止めながら1歩だけ踏み込んだ。空中の見えざる足場を踏み締めながら、両手を突き出した。
怪物の顎、の形である。鋭利な五指は、牙だ。
七色の光が、美鈴の両掌から迸る。
それはまるで、龍が虹を吐き出したかのようであった。
弓形を崩した虹、のような光の嵐が、幻月の魔力光と正面衝突する。
そして爆発した。
幻月は吹っ飛び、墜落し、地面に激突した。
「ぐっ……ば、馬鹿な……私が、この私がぁ……っ」
呻き、上体だけを弱々しく起こす。
そんな幻月の様を見下ろしながら、紅美鈴はゆったりと夜空から降下して来る。
天空から降臨する、神々しく禍々しい何かのように。
『ふむ……? 大して、期待してはいなかったが……』
着地しつつ美鈴は、己の全身を見回している。
『……なかなかのものだな紅美鈴。私の力を、ここまで受け入れ使いこなすとは』
「…………何……一体、誰なの……君は……」
幻月は、立ち上がる事も出来なかった。
「偽幻想郷の下っ端妖怪……じゃあ、ないよね。その力……悪魔族の、有名な誰か? それなら、こんな紛い物の幻想郷に味方する理由なんて」
『私の名を知りたいのか? それは、やめた方が良い』
紅美鈴、という仮の名前を持つ何者かが微笑む。
『私の名前がもたらす災いに……お前は、きっと耐えられない。私は凶神、全宇宙のあらゆる災厄を司るもの』
微笑みながら、この怪物は今から自分を殺す。それを幻月は確信した。
『災いのひとかけらを見つめながら……死ぬが良い』
「ま……待って……」
幻月は、愛想笑いを作った。
「災いの神様なら、私ら悪魔の親類みたいなもの。仲良くしよ? 私、君の役に立つから……あ、あなた様のお役に、立てますからぁあ……」
『お前、なかなか良いね。命乞いをしながらも懸命に、反撃の機会をうかがっている』
見抜かれていた。
『もう、ひと頑張り出来そうじゃないか? せいぜい抵抗したまえ』
美鈴が拳を握り、踏み込んで来る。
いや。その前に、光が生じた。
冷たい、光の粒子が無数。美鈴の眼前で、キラキラと固まってゆく。
水分だった。
霧から水滴へ、水滴から氷へと変わってゆく。
氷の塊が、そこに出現していた。何かの卵のようでもある。
いくらか怪訝そうにしている美鈴の目の前で、氷の卵が砕け散った。
「あたい復活! ダメだよ、美鈴!」
氷の翅を広げた妖精が、そこにいた。小さな両腕で通せん坊をしながら、ちらりと幻月の方を見る。
ボロ雑巾のような幻月の様を、一瞥する。妖精の分際でだ。
「こいつボロボロじゃないか、もう美鈴の勝ちだよ! これ以上ぶん殴ったら、かわいそうだ。あたい、美鈴にそんな事して欲しくない」
「何やってるのチルノちゃん!」
妖精が、もう1匹。キラキラと出現していた。
「早く! 逃げないと」
「大ちゃん逃げてくれ。あたい、美鈴を止めないと」
幻月が先程、撃ち砕いた2匹の妖精。
もう1度、撃ち砕く……必要は、なさそうである。美鈴の踏み込みが、拳が、妖精2匹を粉砕するところだった。
……否。
妖精2匹をひとまとめに直撃する、寸前で美鈴の拳は止まった。硬直し、微かに震えている。
「…………ふざけるな……よ……」
美鈴は、牙を喰いしばっていた。
「どこの、どいつか知らないが……私に、またチルノを殴らせようって言うのか……!」
「頑張る! 頑張る、頑張っちゃってるねえ2人とも」
吸血鬼くるみが、空中で手を叩いている。
地上でよろよろと肩を貸し合う、明羅とエリーを見下ろしながらだ。
「頑張ってる人は、ん~……応援してあげたいんだけどぉ」
「……そろそろ、鬱陶しいわね。死になさい」
悪魔エリスが言った。
他に、妖怪オレンジがいる。夢子を筆頭とする、魔界神・神綺の娘たちがいる。
計8名もの弾幕使いが空中から、明羅とエリーにとどめを刺そうとしているところだ。
「やめろ、お前たち……」
明羅は、呻いた。
「……いや……やめられなど、しないか。それは……わかっているが……」
「そう……弾幕使いは、暴れるもの。弾幕で破壊と殺傷を行う、それを止められはしない……」
エリーは、涙を流していた。
「忘れられた歴史として、大人しく隠居など……出来るはずがない……」
「わかっているじゃないの。安穏と生きて、どうするのよ」
夢子が、声を降らせてくる。
「弾幕使いは、戦うもの……そうでしょう? たとえ共倒れで死に果てたとしても。2つの幻想郷が、ぶつかり合い消滅したとしても」
「……うーん」
オレンジが、難しい顔をしている。
「おかしい……2つの幻想郷のぶつかり合い、とっくに起こってるはずなのに」
空中から見下ろし、見渡している。幻想郷の、夜の風景を。
「幻想郷の崩壊、とっくに始まってなきゃいけないのに……風景が全然、変わらないよ? 何で……」
「私がいるから、に決まっているだろう」
夜空に佇む、8人の弾幕使い。
その全員を、さらなる高空から見下ろす人影がひとつ。
「私がな、博麗大結界を今しっかりと維持しているから、幻想郷は辛うじて形を保っている」
空に浮かぶ、玉座。
それに腰を下ろした何者かが、ちらりと視線を月に向ける。
「……仕方がない。本来、結界の管理を担当しているはずの者が、月に行ってしまったからな」
不格好なものが、満月に向かって空を飛んでいた。
掘っ立て小屋を3つ重ねたような、奇怪な構造物。
「この度の異変……解決に力添えするよう、八雲藍からは頼まれている。頼まれずとも、私がやらねばならない事だ。幻想郷の、賢者として」
満月を背景に、その女賢者は玉座の上で優雅に頬杖をついている。
「そもそも……こんな事が起こるのは、幻想郷が2つもあるからだ。古い方は、要らんな」