第6話 夜を灼き尽くす
原作 上海アリス幻樂団
改変、独自設定その他諸々 小湊拓也
霧雨魔理沙は思う。自分は、様々な点で博麗霊夢に及ばないと。
魔法の箒を使えば、霊夢より速く空を飛べはする。あと、料理の腕も自分の方がいくらか上だ。
その他、霊夢を上回るものが自分にあるとすれば……胸の大きさ、くらいであろうかと魔理沙は思う。
それもしかし、この女から見れば、どんぐりの背比べであろう。
美しく豊かな双丘が、純白のカッターシャツに閉じ込められている。そんな束縛を内側からちぎり飛ばしてしまいそうである。
胴は綺麗にくびれて引き締まり、そこから尻・太股にかけて曲線が魅惑的に膨らんでゆく。赤いチェック柄のロングスカートは、すらりと優美でありながら獰猛な肉感を漲らせる下半身のボディラインを隠しきれていない。たおやかに伸びた美脚は、しかし複数の人体をまとめて踏み潰す事が出来るだろう。
測定不能なほどに絶大なる妖力が、この上なく美しい形の中に収まっているのだ。
スカートと同じくチェック柄の赤いベストから、白いカッターシャツの圧倒的な膨らみが溢れ出している。
こんな服ではなかった。魔理沙はふと、そんな事を思った。
初めて会った時、この女は、もっとだらしない格好をしていた。そう、寝起きではなかったか。白に近い桃色のネグリジェを、着崩していたような気がする。
(……って、いつなんだよ。初めて会った時ってのは!)
それも含めて、聞き出さなければならない事はいくらでもある。
打ち負かして聞き出すべき相手を、魔理沙は見据えた。
風見幽香という大妖怪の、妖力の在りようとも言うべき美しい姿が、夜空に佇んでいる。
箒にまたがる魔理沙と、対峙している。満月を背景にだ。
まるで絵に描いたように、綺麗な月である。
「あの月は……ちょっと、綺麗過ぎるわね」
幽香が言った。
「……まるで作り物みたい。気に入らないわ」
魔法の森、上空。
妙に明るい月光の中で、幽香の美貌がにこりと歪む。
その笑顔を取り巻いて飾る緑色の髪は、草葉の瑞々しさそのもの、とも言える。
もう少し長かった。そんな事を、ふと魔理沙は思った。
口では、別の事を言った。
「……気に入らないからって、弱い者いじめはやめとけよ」
箒の上から、地上を見下ろす。
日傘の下敷きになったルーミアが、倒れている。
人形使いの少女は、いない。逃げてくれたようだ。
「あそこまで、腑抜けになっていたとは……」
幽香の笑顔が、とてつもなく不穏な翳りを帯びる。
「……あの戦いで、殺しておいてあげれば良かった」
「させないぜ」
魔理沙は言った。夜空に佇む優美な姿を、じっと観察しながら。
「お前……スカートなんて、穿くんだな」
「変?」
「いや。ただ前はパンツ、って言うかズボンだったような。それと……髪、切った? どうでもいい事ばっかり気になって申し訳ないけど……くそっ、だから前っていつなんだよ!」
「いい線、いってるわよ」
幽香の言葉に合わせ、夜空に花が咲いた。
「大切な事を思い出す時はね、そういう他愛のないところから少しずつ……ね」
色彩豊かな無数の光弾が、幽香のたおやかな繊手によって撒き散らされ、渦を巻く。弾幕の花。
「やっぱりだ……私、お前に会った事あるぜ間違いなく!」
魔理沙は箒を駆った。長柄にしがみつき、加速した。
迫り来る弾幕の花を、一気にかわし、振りきった。
「お前と……戦った事がある、間違いなく……!」
夜空に咲き広がる弾幕から、魔理沙を乗せた魔法の箒が飛び出して行く。
高速飛翔しながら、魔理沙は己の魔力をばら撒いた。
魔法の箒が、大量の星を夜空に撒き散らす。煌めく星型の光弾。
無数のそれらが、流星雨となって幽香を襲う。
直撃した、ように見えた。
流星雨の如き弾幕が、幽香の身体を擦り抜けた、ようにも見えた。残像、幻影か。
違う。単なる回避であった。
しなやかに捻転するボディラインを、横殴りに揺れる胸を、翻るロングスカートを、魔理沙の弾幕はかすめて走る。
光弾と光弾の隙間に、幽香は無理なく己の身体を滑り込ませていた。霊夢に劣らぬ回避能力。
時折、溺れる金魚の如く珍妙な動きになってしまう霊夢と比べ、幽香の回避は舞踏のようである。
思わず、魔理沙は見惚れた。
見惚れながらも、攻撃の手を休めない。
「弾幕は……罠にはめるもの、だぜ」
チロチロと炎を発するものが、魔理沙の眼前に浮かんでいる。
小型の、八卦炉。蛇の舌のような炎が、幽香に向けられている。小刻みな回避の舞踏に専念している、幽香にだ。
蛇の舌が、竜の炎に変わった。
轟音と共に夜空が一瞬、昼空と化した。
爆炎の閃光が、八卦炉から迸り出て幽香を直撃する。
いや。直撃の寸前、幽香は謎めいた事をした。
掌に生じた小さな何かを、眼前に浮かべている。
魔理沙も何度か、酒のつまみにした事がある。向日葵の種、であった。
種が、割れた。
芽吹いた向日葵が、一瞬にして成長し、大輪の花を咲かせる。人体を包めるほど、巨大な向日葵。
それが、幽香の妖力を栄養分として、幽香の眼前に咲き、幽香の盾となった。
昼をもたらすマスタースパークが、その盾に激突する。
爆炎の閃光が、向日葵の盾が、共に砕け散ってキラキラと消滅してゆく。
散華する光の向こうで、無傷の幽香が微笑んでいた。
「なかなか……いい道具を、持っているわね」
「……だろ。幻想郷一の道具職人が、作ってくれたんだぜ」
魔理沙も、微笑んでみせた。その笑顔が引きつってしまう。
「こんなものでも無いとな、私ら人間は……お前みたいな凶悪妖怪と、戦えない」
「前は、そんなものが無くても戦っていたじゃない」
弾幕戦の遠い間合いから、幽香が手を差し伸べてくる。たおやかな細腕、優美な五指。キラキラと撒き散らされる光。
「……駄目よ? 魔理沙。弱気になっては」
「そう……だな。その、前ってやつを……何としても、お前から聞き出さないと」
魔理沙の周囲に、いくつもの光の矢が生じて浮かんだ。
「マジックミサイルをな、少しばかり改良した……つもりだけど今ひとつ上手くいかなかったけど、まあ食らってみろ! スターダストミサイル!」
叫んだ直後、魔理沙は息を呑んだ。
幽香に振り撒かれ、キラキラと漂って来る光。それらが大量の、向日葵の種であると気付いたからだ。
発芽が起こった。芽吹いたものが一瞬にして育った。
いくつもの大輪の向日葵が、魔理沙の周囲に咲いていた。
スターダストミサイルの豪雨が、それらに命中し、跳ね返る。
光の矢の雨を、魔理沙は自ら浴びる事となった。
「くっ!」
回避のための細やかな制動と、脱出のための急加速を、魔理沙は同時に行っていた。
臓物が、体内で激しく揺さぶられる。無理矢理に抑え込みながら魔理沙は、スターダストミサイルを際限なく跳ね返し続ける向日葵たちの包囲を脱出していた。
錐揉み状に回転する箒にしがみついたまま、上空へと向かう。
幽香が、じっと見上げてくる。
「弾幕のかわし方に、磨きがかかっているわね。大したもの……」
綺麗な人差し指が、魔理沙に向けられる。
「それなら……逃げ場を奪う戦い方で、いきましょうか」
逃げ場を奪う。
また1つ何かを思い出した、と魔理沙は感じた。忘れていた方が幸せでいられる何かをだ。
逃げ場を奪う。そう、この風見幽香という妖怪は確か、そのような戦い方をしてくる。
幽香は今、魔理沙を見据えている。魔理沙を、指差している。
いや。魔理沙の遥か後方に浮かぶ満月を、睨み指弾しているようでもある。
「……気に入らないわ、あの月」
幽香の指先が、光った。
魔理沙は箒もろとも身体を傾け、光をかわした。凄まじい何かが、頰の辺りをかすめて行く。
幽香の繊細な指先から、まっすぐに光が伸びていた。細く鋭利な、1条の光線。魔理沙を貫通し、月をも穿つ。そんな勢いで夜空を切り裂いている。
それは細く圧縮された、超々高密度の妖力であった。
辛うじて貫通を免れた魔理沙をかすめ、月に向かってどこまでも伸びている、ように見える。
月の地表に達し、突き刺さっているのではないか、と魔理沙は錯覚していた。
「誰かが夜空に描いた、偽物の月……本当に、気に入らない……許せない……!」
細い光線が、急激に太さを増した。
超圧縮されていた妖力の線条が、本来の太さを取り戻してゆく。
またしても昼が来た、と魔理沙は思った。
「……何の権利があって、花から太陽を奪うの? ねえ」
幽香の声に合わせ、膨張する光が魔理沙にも迫る。
当然、逃げるしかない。だが光は、魔法の箒の速度をも上回る勢いで夜空を白く塗り潰してゆく。
魔理沙の逃げ場が、光に塗り潰されてゆく。
それは夜空が、この夜そのものが、灼き払われてゆく光景であった。
「紅い霧、長い冬、それに……明けない、夜……どいつもこいつも本当に、いい加減にしないと……潰して、太陽の畑の肥やしに変えるわよ?」
光の膨張が、魔理沙に追い付いた。
全ての魔力を、身体防御に注ぎ込む。魔理沙に出来る事は今、それだけであった。
「おおう、何か派手にやってやがんな。誰だか知らんが」
伊吹萃香が屋根の上で、片手を庇にしている。
夜空が、うっすらと明るい。その光源の方向を、萃香は興味深げに見物していた。
「魔法の森だぞ、ありゃあ」
「……魔理沙が、何かやらかしてるのね」
博麗霊夢も、空を見上げた。
光はやがて消え失せ、夜空の静寂が戻った。
時が止まったかのような夜空である。見事な満月が、中天に貼り付いたままだ。あれを引き剥がさなければ夜が明けないのではないか、と霊夢は思う。
「異変解決、ってやつじゃねえのか。おい」
博麗神社、社務所兼自宅。屋根の上で萃香が、瓢簞の中身を呷っている。
「魔理ちゃん頑張ってんじゃねえのか、なあ」
「異変……なのかしらね」
「異変だろお、どう見たって」
萃香が、月を睨む。
「飯食って酒飲んで、風呂入って一晩ぐっすり寝ても朝にならねえ。夜がよ、止まってやがる」
屋根の上から飛び降りて来た萃香が、霊夢の傍に着地する。
「……止めてる奴がいるんだよ。そいつを、ぶちのめして来たらどうだい博麗の巫女」
「うーん……だけど、ねえ」
ちらりと、霊夢は視線を動かした。放ってはおけない存在が、そこにいた。
1人の少女が、縁側に座ったまま俯いている。うなだれ、消沈している。今にも、世闇の中に消え入りそうな様子だ。
「おいおいおい、まぁだ凹んでやがんのか綿月依姫」
萃香の小さな身体が、依姫の隣にどっかと座った。
「私が悪かったよ。まさか、いきなりあんな大物が来やがるたぁ思わなかったさ」
「私は……試されたのだな。幻想郷の神に……」
依姫の声は、弱々しい。
「……私が巫女として、いかほどのものか……博麗霊夢と比べて……まるで、なっていないという事……」
弱々しい言葉を漏らす口に、萃香がどうにかして瓢箪の飲み口を突っ込もうとしているのが霊夢にはわかった。
意気消沈しながらも、依姫はその隙を見せない。
それだけでも大したものだ、と思いながら霊夢は言った。
「依姫さん貴女……もしかして、神降ろしが恐くなっちゃった?」
「…………」
「自分の首、切っちゃうところだったもんね」
「……助けてくれた事、本当に感謝している。ありがとう博麗霊夢」
依姫が、震える瞳を向けてくる。今にも、泣き出しそうである。
「だけど……そのせいで貴女、大変なお荷物を抱え込む事になってしまったのよ。私など……生かしておいたせいで……」
実際、依姫は昨夜、大いに泣いた。萃香に酒を呑まされてだ。なかなかに大変な宴会ではあった。
昨夜、と言っても夜はまだ明けていない。
絵に描いたように美しい満月を、霊夢はじっと見上げた。
「大変な居候を抱え込むのは慣れているから……それより、あの沈んでくれないお月様。一体何なのか、月から来た人なら、わかったりする?」
「……私の知る、とある御方の行いによるもの。だと思う」
依姫は言った。
「私は、その御方に会わなければならない……だけど、今の私では……」
「そう。貴女を、八意永琳と合流させるわけにはいかない」
声がした。
博麗神社への不法侵入者。まあ、珍しい事ではない。
霊夢は睨み据えた。
「……また、ぶちのめされに来たってわけ? 今度こそ本気で戦おうって言うんなら、相手になるわよスキマ妖怪」
「貴女が本気で戦うべき相手はね、私ではないのよ霊夢」
八雲紫の眼差しが、霊夢を迂回し、依姫に向けられる。
「かなり手酷く……してやられたようね、月の姫巫女よ。お気の毒様、とは申し上げておきますわ」
「……貴様の思惑通り、とでも言うのか。八雲紫……」
ほんの少しだけ、依姫は腰を浮かせた。紫の攻撃に備えている……と言うより、単に逃げようとしているのか。
「あの時の、貴様たちの攻撃は……月の都に元々あった内紛の火種を、刺激した」
「内紛なんて起こらなかったわ。起こる前に……ほら、嫦娥への反乱は鎮圧されてしまった」
言葉と共に紫が、依姫に対し、何かをしようとしている。それが霊夢にはわかった。
「反乱の首魁たる綿月依姫は、こうして地上へ追放されて死に体を晒している。まあ、好機とは言えるかしらね」
「あんた……!」
霊夢は踏み込み、お祓い棒を振るった。大型の紙垂が、斬撃の如く弧を描く。
その一撃を、紫はかわした。ゆらりと後退し、霊夢と対峙する。
「今……依姫さんを、消そうとしたわね」
背後に依姫を庇いながら、霊夢はお祓い棒を紫に向けた。
「博麗神社の居候を……私の目の前で、消そうとしたわね」
「月の姫巫女は今、戦いに敗れて自我を粉砕された状態よ。己と他者を隔てる境界を、見失いかけている……輪郭が、弱まっている」
紫は言った。
「今ならば、容易く消滅させる事が出来る」
「その前に私があんたを消滅させる!」
右手でお祓い棒を保持したまま、霊夢は左手で呪符の束を広げた。
紫が、さらに1歩、後退した。
代わりに進み出て来たのは、八雲藍である。
「……紫様への無礼は、許さぬ」
「スキマ妖怪と、その手下が……随分、堂々と押し入って来るものねえ」
呻く霊夢の左右に、2つの陰陽玉が浮かんだ。
「……うちの狛犬は、どうしたの」
「我らを通しては、くれなかったのでな」
藍の冷酷な美貌に、微かな笑みが浮かんだ。
「……実力行使に及ばざるを得なかった。悲しい事だ」
「この……ッ……!」
牙を剥くように、霊夢は歯を噛み鳴らした。
睨む眼光を正面から受け止め、藍は冷笑している。後光の如く豊かな9つの尻尾を、もふもふと蠢かせながらだ。
「うへ、えへへへへへへ霊夢さぁあん」
蠢く九尾の中で、高麗野あうんは蕩けていた。
「すみませぇん、やられちゃいましたああ。うへへへ」
「あうんちゃん、がんばったんですよぉお。あー、もふもふ」
「もっふもっふもっふ……あー、あたしもうダメぇ」
「ちょっとぉ、こんなとこで寝てるんじゃないわよ寝坊助サニー。もふもふ、うふふ」
巻き添えとなった妖精3匹が、九尾の拘束の中で、夢見心地の様を晒している。
霊夢は、軽く頭を押さえた。
「……まあ、弱い者いじめは程々にね」
「おおいおいおい。何て事しやがんだ、てめえ」
萃香が、ふらふらと藍に歩み寄る。
「わっ私も混ぜろよ。おめえのもっふもふに私も混ぜろや牝狐ちゃんよおお」
「貴様は、可愛くないから駄目だ」
「はっはっは、こんな可愛い萃香ちゃん捕まえといて世迷言こいてんじゃねえぞコラ」
萃香と藍、霊夢と紫、睨み合いが2つ生じていた。
「……異変が、起こっている。それは理解しているのよね? 霊夢」
紫が言う。
「月人たちが、まさかこんな手段に出るとは思わなかった」
「この朝にならない状況の事? もしかしたら、あんたの仕業かも知れないって思いかけてたんだけど」
「そうね。私でも、出来ない事はないわ」
綺麗すぎる月を、紫は見上げた。
「何者かが、月に異状をもたらした……別の何者かが、その異状を解決するために夜を延ばした。それが今回の異変よ」
「何言ってるのかわかんないけど、それと依姫さんがどう関係あるってのよ」
依姫が、背後で怯えている。それを霊夢は感じ取った。
怯えるのも当然だ。依姫は今、殺される、と言うより存在そのものを消されるところであったのだ。
八雲紫の、おぞましい能力によって。
「今が異変の真っ最中であるとして。それを解決するために依姫さんを……消さなきゃいけない理由は、何。私を怒らせないように説明しなさいスキマ妖怪」
「彼女は、幻想郷の敵よ」
「違う。依姫さんは、博麗神社の居候」
紫の目をまっすぐに見据え、霊夢は言い放った。
「私が、守る」
「……貴女、まるで成長していないのね霊夢。個人的な情誼を重んずるばかりで、事態の深刻さを見つめようともしない」
「あんたの思い通りに動けるようになるのが成長ってわけ? だったら成長なんかしなくていい!」
「霊夢……お願い、少しはわかってちょうだい」
母親が娘に言い聞かせるような口調。霊夢は、気に入らなかった。
「異変解決の障害となり得る存在は、出来るうちに排除しておかなければ」
「異変解決の障害? 依姫さんが、そうだって言うの!? だったら、はっきりそうわかった時に戦えばいいじゃない!」
「勝てないわよ」
はっきりと、紫は言った。
「綿月依姫が、輪郭の強さを取り戻したら……ここにいる全員が束になっても、絶対に勝てない」