第59話 Lotus Land Story(2)
原作 上海アリス幻樂団
改変、独自設定その他諸々 小湊拓也
紅魔館の主レミリア・スカーレットも、メイド長の十六夜咲夜も、間もなく月へ向かう。
だからと言って、紅魔館から仕事が無くなってしまうわけではない。主やメイド長が月から帰って来るまで紅魔館を清潔に保っておく、そのためにするべき事はいくらでもある。
だから妖精メイドたちは、エントランスホール内を忙しそうに動き回っていた。
忙しく働いている、ように見えて単に遊び回っているだけの者もいる。
紅魔館における、日常風景ではあった。
「ちょっと、そこの貴女」
妖精メイドの1人を、小悪魔は呼び止めた。
「そうそう、貴女よ。そこで一体、何をしているの?」
「は、はい……あのう、ええと……」
呼び止められた妖精メイドが、おどおどとしている。
小悪魔は日頃、妖精メイドたちに親切に接しているわけではなかった。主の友人パチュリー・ノーレッジの威を借る横暴者、などと思われていたとしても、まあ仕方がない。
「す、すみません! 私、ここで働くの初めてで」
おどおどとしていた妖精メイドが、涙ぐんでいる。
「何したらいいか、わかんなくて……」
「仕事してないのを咎めてるわけじゃないわ」
小悪魔は、苦笑をして見せた。
「それより……貴女、何かを探しているように見えたから。一体、何を」
その苦笑が、引きつった。
泣きじゃくる妖精メイドが、ちらりと涙目を向けてきたからだ。
「……あの、私……もこう、って人を探してるんですけど……」
藤原妹紅の事か。いや、それよりも。
「その、もこうさん? 以外の連中は皆殺しにしなきゃいけないんです。クッソめんどいけど、そういう契約……成立しちゃったんで。悪魔はね、借りを作ったまんまじゃ先へ進めませんから……」
「誰……貴女、妖精メイドじゃないわね……!?」
「あっははははは、やだなぁ、もう。あんただって悪魔のくせに」
小悪魔は、吹っ飛んでいた。
衝撃が、全身を痺れさせている。痺れる身体が、床に叩き付けられる。
光弾の、直撃。それだけが、小悪魔には辛うじてわかった。
「下っ端のクソザコ、とは言え悪魔のくせに……何、私が誰なのか知らないワケ? ねえちょっと」
メイド衣装を身にまとっている、だが妖精メイドでは絶対にあり得ない少女が、倒れた小悪魔に歩み迫る。愛らしい顔立ちを、ニコニコと歪めながら。
メイド姿の、怪物。
小悪魔も、名前は聞いた事があった。
「……ま、まさか…………む……夢月、さま……」
「だからぁ、あんたみたいなクソザコごみカス下っ端悪魔がぁ、駄目でしょ? 私の名前、直で呼んだりしちゃあ」
悪魔・夢月が、可愛らしい片手で再び光弾を撒き散らす。
キラキラと美しく撒き散らされた弾幕が、小悪魔を直撃し、吹っ飛ばす。妖精メイドたちを直撃し、粉砕する。
エントランスホールのあちこちで、妖精メイドが砕け散り消滅した。
「うっざ……なに、何のためにいるわけ? この妖精って連中」
夢月の、声だけが聞こえる。姿は見えない。
小悪魔は顔面から壁に激突し、ずり落ちていた。
壁が、血まみれになった。
「と、いうワケでぇ。こんなクソ契約さっさと履行完了して、あのムカつく白澤女をブッチ殺しに行きたいからさ」
夢月が、小悪魔の髪を掴んだ。
「ゴミカス底辺悪魔ちゃんに、直答を許可してあげますから正直に言いなさい……私らがただ1人、助けなきゃいけない『もこう』さんは一体どこにいるのかなぁ?」
藤原妹紅は今、ロケットの中である。今それを正直に告げたら、どうなるのか。
彼女以外は皆殺しにする、などと夢月は言っている。恐らくは、姉の幻月も来ているのだろう。
ロケットの中には、スカーレット姉妹もいる。十六夜咲夜、博麗霊夢、霧雨魔理沙がいる。幻想郷の名だたる弾幕使いたちが、一堂に会しているのだ。
夢幻姉妹と言えど、皆殺しなど実行出来るわけがない。
ただ、戦いになればロケットは破壊される。
小悪魔も、そしてパチュリー・ノーレッジも、永遠亭のために命を懸けなければならぬ身である。
蓬莱山輝夜を、救い出さねばならない。
(…………お別れです……パチュリー様……)
小悪魔は、血を吐いた。
それを、夢月の顔面にぶちまけた。
(貴女の往かれる道……誰にも、妨げさせはしません……)
小悪魔の顔面が、エントランスホールの床にグシャアッ! とめり込んだ。
夢月の片手で、叩き付けられていた。
「……ねえクソザコちゃん。楽に死ねる、なぁんて思ってる? もしかして」
小悪魔の頭を、夢月は鷲摑みのまま引きずり起こした。床の破片が、ボロボロとこぼれ落ちる。
自分の首から上が、辛うじて原形をとどめている事だけを、小悪魔はぼんやりと把握した。
「魔法使いなんかに飼われて生きてると、アレね……悪魔っていうのがどういう存在なのか、うっかり忘れちゃうみたいねえ。ちょっと思い出させてあげよっか」
小悪魔の、血まみれの顔面。いくつもある傷口に、夢月の可憐な指先がズブリと突き刺ってくる。
皮膚を、剥がされる。
いや、その寸前。小悪魔は光を見た。
色とりどりの、煌めく輝き。
飴玉を思わせる、カラフルな光弾の嵐が、夢月を直撃していた。
「うぐぅううぅぅ……ッ!」
悲鳴を引きずり吹っ飛んで行く夢月の手から、小悪魔は放り出された。
七色の宝石が、見えた。色とりどりの煌めきを発する翼が、ぱたぱたと可愛らしく羽ばたいている。
時計の針のような形状の、槍。燃え盛る、光の剣。
可憐な両手で、巨大な2つの得物を軽々と保持した少女。空中に佇み、夢月を見据えている。
虚ろなまでに澄んだ真紅の瞳に、感情はない。愛らしい美貌に、表情はない。
まるで人形だった。
「…………何……なによ、あんた……」
ゆらりと、夢月が立ち上がる。
可愛らしい顔立ちが、禍々しく、おぞましく、憎悪に歪む。
「……吸血鬼? じゃないのよ……そんな、ねえ……底辺クソザコ種族がねえ…………悪魔に、刃向かうとか…………バカなの? 死ぬの? はらわたも脳みそもブチまけて死にたいワケ? ってゆーかぁああああ、楽に死ねるとか思ってンのかこのメスガキがああああああああああああああッッ!」
フランドール・スカーレットは、何も応えなかった。
空中分解が起こる、とアリス・マーガトロイドは思った。
いや。空中に達する事なく、ここ大図書館の床の上で、ロケットは木っ端微塵に砕け散る。そう思った。
それほどの、振動である。掘っ立て小屋を3つ積み重ねたようなロケットなど、ひとたまりもないように思える。
激しく震え動くロケット内で、しかし綿月依姫は神棚に向かってしとやかに正座したまま凛と背筋を伸ばし、祈りを捧げている。綺麗な唇から、呪文のような祝詞が紡ぎ出される。
神々しい。アリスは、そう感じた。
「……心配無用よ、アリス・マーガトロイド」
鈴仙・優曇華院・イナバが、声をかけてくる。
「依姫様がいらっしゃる限り、こんなロケットでも無事に飛べるわ。月の都に、間違いなく到着する。こんなロケットでもね」
「一言、多いわよ。月の兎さん」
パチュリー・ノーレッジが言った。
「……貴女、かつての味方勢力と戦う覚悟は決まっているのでしょうね? ロケットはもう動き出した、降りる事は出来ないわよ」
「こちらに依姫様がいらっしゃる限り、私は貴女がたの味方」
鈴仙が応える。
「……忘れないで。今ここにいる誰かが依姫様に無礼を働いたら、私は貴女たち全員を背後から撃ち殺すわよ」
「本当にやるだろうな、貴様は」
魂魄妖夢が、苦笑している。
「……振動が、収まってきた。どうやら無事に離陸したようだ」
図書館の天井は開閉式で、紅魔館の妖精メイドたちが先程、手動で開いてくれた。
ロケットが、そこを通り抜けて、ゆっくりと上昇する。
妖夢が、ここにいる全員の統率者……を気取っている1人の少女に、声を投げる。
「妹を置いて行く事になってしまったな、レミリア・スカーレット」
「あの子が、自分で決めた事よ」
振動するロケットの中にあってレミリア・スカーレットは、椅子に座って優雅に紅茶を飲んでいる。傍らに、十六夜咲夜を控えさせてだ。
出発の直前になってフランドール・スカーレットは、ロケットに乗らず図書館を出て行ってしまった。
それを、レミリアは止めなかった。
「美鈴や小悪魔だけでは心配、だったのでしょうね」
「小悪魔、か」
霧雨魔理沙が、ぽつりと言った。
「……なあパチュリー。お前、小悪魔がいなくて大丈夫か?」
「どういう意味かしら」
パチュリーが、魔理沙を睨む。
「こんな所で、喧嘩を売ろうと言うの?」
「わかっているんだろパチュリー。お前が今ここに居られるのはな、小悪魔のおかげなんだぜ」
「……貴女に、言われるまでもないわ」
1度はレミリアと互角に戦って見せた小悪魔の力は、しかしすでに失われてしまったようである。
「まあなぁ。これが終わったら、もう少し優しくしてやっても」
いいと思うぜ、とでも言おうとしたのであろう魔理沙が突然、頭を押さえてよろめき、壁にぶつかった。
「……魔理沙?」
パチュリーが怪訝そうにしている。魔理沙を黙らせるために何かをした、というわけではなさそうだ。
「ちょっと、どうしたのよ……」
「魔理沙……!」
アリスは駆け寄り、魔理沙を支えた。
支えておくべきか、寝かせるべきなのか、アリスはわからなかった。
「だ……大丈夫……」
帽子もろとも頭を抱えながら、魔理沙は呻く。
「……ちょっと頭痛が……な。すぐ治る。多分……密閉されてる場所に、大勢でいるせいだと思う。ま、しばらくの辛抱だぜ」
アリスは気付いた。
博麗霊夢が床に座り込み、壁にもたれ、片手で頭を押さえている。
恐らくは、魔理沙と同じ頭痛に耐えている。
霊夢と魔理沙。この両名のみを襲う、体調不良。
思い当たるものがアリスには、ないわけではなかった。
「まさか…………!」
その時。ロケットが、またしても揺れた。
いや。幻想郷の大気が、揺れている。
幻想郷そのものが、激しく揺らいでいる。
咆哮が聞こえた、ような気がした。得体の知れぬ怪物が、どこかで吼えているのか。
その咆哮を聞き取ったのは、藤原妹紅だった。
「慧音!」
窓に、しがみ付いている。
開かぬ窓を、壁もろとも弾幕で粉砕しかねない勢いである。
それを、妖夢が止めた。
「落ち着け、妹紅」
「放せ妖夢! 慧音が、私は慧音を!」
ロケットは、紅魔館上空に達している。
幻想郷を、霧の湖周辺を、窓から見下ろす事が出来る。
湖畔に、巨大な怪物がいた。角を振り立て、暴れ狂っている。
誰かと戦っている、ようであった。俊敏な人影が、巨大な怪物を翻弄している。
妹紅が叫んだ。
「慧音が、ああなったら! 私しか止められないんだよッ!」
「お前はお前で、しなければならない事があるのだろう? 私にもある。それを遅らせたくはない」
妖夢が言う。
「お前にしか止められない、ようでは駄目だ。あの上白沢慧音は……妺紅、お前のいない所で少し己を見つめ直す必要があると思う」
「……簡単に言うわね。自分を見つめ直すって、辛いのよ」
アリスは言うが、そんな問答をしている場合ではない。
ちらりと、視線を動かす。
八雲紫と、目が合った。
「幻想郷の賢者……今、起こっている事態に関して、何か説明は出来るのかしら?」
「想定外の出来事は起こるものよ。開き直り、と受け取られてしまうかも知れないけれど」
アリスの問いかけに、紫は応えた。
「……大丈夫。幻想郷の賢者は、私だけではないわ。地上の事は彼女らに任せて、私たちはこのまま月に向かいましょう」
高貴なる天使が、地を這う無様なものを見下ろしている。
傍から見れば、そういう事にしかならないだろう、と紅美鈴は思う。
一体いかなる攻撃を喰らったのか、それすら把握出来ない。
超高速の、恐らくは弾幕。
激痛が、美鈴の全身を穿っていた。
「ん〜……あれ? おっかしいなぁ……」
悪魔・幻月が、空中で困惑している。満月を背負い、観察している。
紅魔館の門前、血まみれで倒れ伏す美鈴の姿をだ。
「ねえ君……弱くない? え、もしかして……それが本気? 嘘でしょう」
天使を思わせる美貌に、微かな戸惑いの表情が浮かんでいる。
「……見込み違い、かぁ。何かちょっとヤバそうなもの、君から感じたような気がしたんだけどなあ」
(……何だ…………こいつ……強過ぎる……)
藤原妹紅に、スカーレット姉妹に、匹敵し得る。いや、彼女たちに勝るのではないのか。
そんな思考が、今の美鈴には精一杯だった。声を発する事も出来ない。
幻月が、困ったように頭を掻いている。
「……まあ、いいや。こういう事もあるでしょ。さっさと『もこう』さんを探して拉致って、それ以外の連中は皆殺しにしないとね。うん、そうゆう契約だから」
幻月の愛らしい顔に、殺意は浮かんでいない。
殺意も何もなく、この少女は殺戮を行う事が出来るのだ。まるでフランドール・スカーレットのように。
自分も、今から殺される。
美鈴が思った、その時。
轟音が、紅魔館の敷地全域を揺るがした。
振動を、美鈴は倒れたまま全身で感じた。
身体は動かない。いや、弱々しく顔を上げる事は出来る。
巨大なものが、見えた。
掘っ立て小屋を3つ重ねたような、不格好極まる構造物。轟音を発しながら、ゆっくりと上昇して行く。
紅魔館内部から、夜空へ向かって、満月へと向かって。
「ありゃあ……」
幻月が、いくらか間抜けな声を発した。
「え……もこうさん、あの中? もしかして……もー、何やってんの夢月ったら」
優雅に溜め息をつきながら幻月も、ふわりと上昇して行く。崩れかけた達磨落としのようなロケットを追って。
どこへ行くつもりか、何をするつもりか、問いただすまでもない。
ロケットを破壊し、藤原妹紅以外の全員を殺す。
容易く皆殺しにされるような面々であるかどうかはともかく、ロケットは破壊される。
「…………させない……」
美鈴は立ち上がった。身体が動かない、などと言っている場合ではない。
血まみれの身体を、無理矢理に跳躍させる。
「行かせるかぁ……ぁあああ……っ!」
跳躍が、飛翔になった。
美鈴の全身から鮮血が散り、その飛沫が全て虹色の光に変わった。光弾だった。
弾幕をまとう拳を、蹴りを、美鈴は幻月に叩き付けていった。
「お嬢様の、パチュリー様の、咲夜さんの! 邪魔はさせない!」
「そういうの、いいから」
言葉と共に、幻月の姿が揺らいだ。霞のように。
無様な空振りの踊りを披露する美鈴の全身に、次の瞬間、無数の光弾がめり込んだ。霞が、弾幕に変わっていた。
大量の血飛沫を、花火の如く夜空に咲かせながら、美鈴は墜落した。
『……まったく、何という様だ』
幻月の嘲笑、ではない。
姿の見えない何者かが、美鈴に語りかけている。いや、幻聴に違いなかった。
美鈴は今、死につつあるのだ。
『私はお前に、あまり無様な姿を晒して欲しくはないのだよ。だから仕方ない、力を与えてやろう』
死にゆく肉体に、力が漲り始める。
それも錯覚に違いない、と美鈴は思った。
『……戦え、紅美鈴。無様な敗者ではない、威風堂々たる勝利者の姿を世に示すのだ』
わけのわからぬ何者かが、わけのわからぬ幻聴を聞かせてくる。
『出来が良くない方、とは言え……華人小娘よ。お前は私の、影の1つなのだからな。無様では困る』