第54話 襲来、時空犯罪者
原作 上海アリス幻樂団
改変、独自設定その他諸々 小湊拓也
明らかに自分は、何かを忘れている。
それは、しかし思い出す必要がないどころか、忘れたままでいた方が幸せな何かであるのかも知れない。
霧雨魔理沙は、そう思う。
その何かに、このカナ・アナベラルという少女は、強烈に触れてくる。
「あいつを立ち直らせるために……わざわざ、出て来たのか?」
「私、誰かのために何かした事なんてないわ。今までも、これからだって」
魔理沙の問いかけに、カナはそう答えた。
太陽の畑・上空。激烈な弾幕戦が、今まで繰り広げられていたところである。
あいつ、と呼んだ少女を、魔理沙は見やった。
対峙するカナと魔理沙から少し離れたところで、空中に佇んでいる。炎の翼を広げ、紅蓮の尾羽を揺らめかせる、銀髪の少女。
藤原妹紅である。
強靭な細腕で上白沢慧音を抱き上げたまま、さらなる上空を見上げている。
空から来るものを、警戒するかのように。
「炎の、翼……」
カナが、陶然と呟く。
「鳥籠を灼き砕いて、羽ばたく翼……私、それが見たかっただけ……」
「鳥籠、か……」
鳥籠の中で、安穏と飼われる。その方が、あるいは幸せな事なのかも知れない。
その幸せを妹紅は、炎の翼で焼却・粉砕した。
忘れたままでいるべきであった何かを、妺紅は思い出してしまったのだ。
「…………妹紅……」
抱き上げられたまま、慧音が呻く。
「駄目だ……戻って来ては、いけない……過酷な、戦いの歴史に……」
「……慧音、ごめん」
名残惜しげに妺紅は、慧音の身体を抱擁から解放し、空中に立たせ、背後に庇った。
「本当に、ありがとう……」
「妹紅……」
「……駄目なんだよ、慧音」
妺紅は見上げ、見据えた。
「今、目の前にある弾幕戦……それが、私の歴史なんだ」
高空から、そのものたちは舞い降りて来た。
空中、一面に花が咲いたかのようである。
全身各所で色とりどりの花々を開かせ、葉を茂らせた、恐らくは妖怪。人の体型をした、植物の塊。
そんなものが無数、翼もなく飛翔しながら妹紅を取り囲む。魔理沙たちを、包囲している。
どこかで見た事がある、と魔理沙は思った。
のんびりと思い出している、暇はなかった。
植物の塊たちが、全身の花々から一斉に、花粉を噴射したのだ。
花粉は全て、光弾だった。
煌めく花の弾幕が、妹紅を襲う。魔理沙たちを襲う。
「……逃げられないんだよ慧音。弾幕使いは、戦いからは」
言葉と共に、妹紅は羽ばたいた。
炎の翼が、轟音を立てて空中に燃え広がり、花の弾幕を焼き払う。殺傷力を有する光の花粉が無数、ことごとく焼却され消滅する。
「こいつらが何者なのかは知らないけど、わかる事が1つある……私がどこへ逃げ込んだって、こいつらは逃がしてくれない。戦わなきゃ、いけないんだ」
「逃げればいい……戦いなど、戦いたがる者たちに任せておけばいいだろう……」
慧音が涙を流し、声を震わせる。
「立ち向かいたがる者どもが……見ろ妹紅、ここに何人もいる。こやつらに、戦わせておけばいい……妹紅が、立ち向かう必要など……」
「随分な言われようね。私たちに全て押し付けようと言うの? この、難儀な敵との戦いを」
アリス・マーガトロイドが言った。
言葉に合わせて人形たちが盾を掲げ、花の弾幕を跳ね返す。
「私は知っている。この怪物たちは、とてつもなく危険な相手よ。ねえ藤原妹紅、一緒に戦ってくれないかしら?」
「任せろ……!」
炎の翼が、羽を舞い散らせた。
舞い散ったものが火球に変わり、植物の塊たちを直撃する。
「妹紅…………」
なおも何かを言おうとする慧音を、プリズムリバー三姉妹が取り囲んだ。
「上白沢先生……今の貴女、とても素敵な音を鳴らしているわ。でも」
「そういう事。この場で出来る事なんて、あんたもう無いから」
ルナサ・プリズムリバーとメルラン・プリズムリバーが、慧音を左右から捕えて妹紅から引き離す。
リリカ・プリズムリバーが、入れ替わるように妹紅と並んだ。
「ルナ姉もメル姉も、先生の安全確保……しっかりね」
「お前さんの安全確保は、どうなる?」
問いかけながら魔理沙は、大量のスターダストミサイルを飛ばした。
リリカが、それに合わせてキーボードを叩き鳴らす。無数の音符が溢れ出し、弾幕を成した。
「私……ここで戦う。今の演奏で、ハッキリわかったから……ルナ姉メル姉に比べて私、自分の音楽ってものが全然なってない」
「そう? そんな事ないと思うけど。でもやっぱり騒霊は弾幕戦やって騒がないとね!」
カナが、白色の大型光弾を複数ぶっ放して渦巻かせる。
妹紅の炎、魔理沙のスターダストミサイル、リリカの音符、カナの白色光球。
4種の弾幕が、植物の塊たちを粉砕していった。無数の花が、蔓草や葉が、ちぎれて枯れて崩れ散る。
そして、即座に生え替わってゆく。
粉砕された、ように見えた植物の塊たちが、何事もなく花を咲かせ、蔓草や葉を生い茂らせ、完全なる再生を遂げていた。
「こいつら……!?」
魔理沙が息を呑んでいる間に、再生した怪物たちが武器を振るう。
鞭、であった。絡み合う蔓草と荊で出来た、植物の鞭。
怪物たちの右手から伸びたそれが、魔理沙の全身に絡み付いていた。
「ぐぅっ!」
荊が、白黒の衣服もろとも皮膚を穿つ。突き刺さって来る。
激痛が、魔理沙から行動力も集中力も奪い取っていた。魔力を振り絞ってスターダストミサイルを生成する、事も出来ない。
激痛、だけではなかった。
荊の棘から魔理沙の体内へと、何か禍々しいものが注入されて来る。毒か。いや、もっとおぞましいものだ。
この感覚には、覚えがある。かつて、同じ目に遭った。
声が出ない。息も苦しい。声帯が、呼吸器官が、おぞましい何かにメキメキと侵蝕されつつある。
妹紅も、リリカも、カナも、それにアリスも、同じ事になっていた。植物の鞭に絡め取られ、荊に切り裂かれて鮮血の飛沫を散らせながら、侵蝕されてゆく。
アリスが、魔理沙に向かって何か叫ぼうとしている。が、声は出ない。おそらく呼吸も出来ていない。
引きつり青ざめた美貌に、無数の血管が浮かんでいる。いや、神経か。
違う。植物の根、である。
自分も同じ有り様を晒しているのが、魔理沙にはわかった。
声が聞こえた。
「リリカ……」
「ああもう何やってんの、あの子は!」
ルナサとメルランが、妹を気遣いながら動けずにいた。怪物たちが、植物の鞭を揺らめかせながら彼女らの方にも向かっている。
プリズムリバーの姉2名に護衛されながら、慧音が呟く。
「妹紅……だから、言ったのだ……」
騒霊2名もろとも慧音も、植物の鞭に絡め取られていた。
「こんな、おぞましい歴史を……歩むしか、なくなってしまう……」
泣き歪む慧音の顔が、メキメキと植物の根を走らせながら、なおも歪む。
妹紅が、何か叫ぼうとして声も出せぬまま、全身で炎を燃やした。
その炎が、幾重にも巻き付く荊と蔓草に埋め尽くされ消えてゆく。植物が、炎を吸収しているようにも見える。
それとは別の炎が、見えた。
アリスとカナ、妺紅と慧音、プリズムリバー三姉妹、それに魔理沙。
植物に侵蝕されつつある全員が、炎に包まれていた。
妹紅の振るう破壊の炎、とは違う。
少女たちの肉体を侵蝕する植物のみを灼き滅ぼす、浄化の炎。
「全員……魔力なり霊力なりで、自分の身体をしっかり守るように」
声がした。
1人の、合掌する少女の姿が見えた。空中に立って両手を合わせ、浄化を念じている。
魔理沙の、呼吸が回復した。声も出せるようになった。
「…………な……るこ……」
「お久しぶりね魔法人間。お互い、生きていられて何より何より」
矢田寺成美が、合掌したまま微笑んでいる。
「夜は明けても。異変は、まだまだ片付かないわね」
「……もう一息、なんだけどな」
魔理沙は苦笑した。
「助かったぜ成子……ここへ来て、まさかこんな連中が出て来るとは」
「まったくねえ。ちょっと貴女、説明するべきなんじゃないの?」
成美は声を投げた。
「一体どこで、どれだけ外道破廉恥な事をやらかしてきたのよ」
「とっても可愛い女の子がいたから、ちょっとお花を植えてあげただけ」
空中に佇み、日傘をくるくると弄びながら、風見幽香が言った。
「それがね、まさか……これほどの事態になるとは、思わなかったけど」
「おい、何だこりゃ。こいつら、まさかお前の……分身、みたいなものか?」
怪物たちが、焼けちぎれた植物の鞭をシュルシュルと再生させる様に、魔理沙は片手を向けた。
「道理で、くそ強いと思ったぜ」
「そうねえ。間に合わせの促成栽培、にしては悪くない出来だと思うわ」
自身の量産品、とも言うべきものたちを、幽香は興味深げに見渡した。
「……岡崎教授の作品、かしら?」
「私の身体の中に、こびり付いていた……お前の力の、汚らしい残りカスが原材料だ」
敵意、そのものの声であった。
植物の塊たちを率いる格好で、その少女はそこにいた。八雲紫の如く、いつの間にか出現していた。
「風見幽香……見ての通り、お前と同じくらい醜悪で汚らしい、けどまあお前のクソ力をそこそこ受け継いだ兵隊どもだ。愛着が全く湧かないから、いくらでも使い潰すぞ」
「……誰だ、お前」
魔理沙は問いかけた。帽子の上から、頭を押さえた。
「いや……会ったか? どこかで」
「私は北白河ちゆり。お前……霧雨魔理沙だな。それに、そこにいるのはカナ・アナベラルか」
「ちゆりちゃん! 私の事、覚えててくれたの? 嬉しい!」
カナが、声を弾ませる。
北白河ちゆりが、片手を差し伸べる。
「カナ、お前はこっちへ来い。私や教授と一緒に、豊姫さんの味方として戦うんだ」
「豊姫、だと……」
妹紅の声が、微かに震える。
「まさか綿月豊姫か……こいつらは、月の兵隊なのか」
「うちの教授と豊姫さんは、同盟を結んでいる」
ちゆりが言った。
「……豊姫さんが、この幻想郷を滅ぼすと言ってる。だから教授も私も、それに協力する」
「させない……!」
「戦うの? 妖怪退治人・藤原妹紅」
妖怪退治人にとっては最も危険度の高い標的であろう風見幽香が、言った。
「今……随分と手酷く、してやられていたように見えたけど。鳥籠から大空へと飛び出した瞬間、出鼻を挫かれてしまったわね」
「返す言葉もない。立ち塞がるもの全て焼き尽くす、つもりでいたんだけどな」
妹紅が、頭を掻いている。
「籠の外へ出るっていうのは、まあ、こういう事なんだろうさ。そこのお地蔵さん、助けてくれてありがとうよ。花妖怪の風見幽香、私はいずれお前を退治するが……その前に、やる事が出来た」
「今からでも、鳥籠へ戻る事は出来ると思うけれど」
幽香の視線が、ちらりと動く。
「……そうよね? 上白沢先生」
「……戻れ……妹紅……」
プリズムリバー三姉妹に支えられながら慧音が、どうにか聞き取れる声を漏らす。
「鳥籠の中で、安穏と餌を啄む……時折、綺麗な歌を聴かせてくれる……そんな歴史でも、いいだろう? いいじゃないか……」
「……私、心のどこかで気付いていたと思う。これは慧音が見せてくれている、幸せな夢なんだって」
妹紅は羽ばたき、駆けた。飛翔か、疾駆か。
「それでもいいって、思ってた。私……慧音に、甘えてたんだ」
風見幽香の分身たちが、一斉に鞭を振るう。
襲い来る荊を、蔓草を、炎の翼で打ち払いながら妹紅は言う。
「甘えてもいいって、慧音は言うよな。でも……ごめん、私が駄目なんだ。慧音に甘えてダラダラやってる私を、私が許せない」
植物の塊が1体、人型が崩れるほどに歪んだ。
妹紅の蹴りが、超高速で叩き込まれていた。
すらりと鋭利な両脚が、様々な形に乱舞する。前蹴り、回し蹴り、踵落とし。後ろ回し蹴り。
植物の塊が、ズタズタにちぎれながら、即座に再生してゆく。
際限なく花を咲かせ、葉を広げ、蔓草を伸ばす怪物に、
「慧音……ごめん。本当にごめん……」
妹紅は、右手を叩き込んでいた。炎をまとう、五指と掌。
火の鳥の、鉤爪だった。
その炎が、轟音を立てて燃え上がる。零距離からの、炎の弾幕。
植物の怪物が、ちぎれ飛び砕け散り、灰となって舞う。
風見幽香の分身を、ようやく1体、倒す事が出来た。
まだ大量にいる怪物たちが、光弾の花粉を噴射する。植物の鞭を、振るい伸ばす。全てが、妹紅を襲う。
紅蓮の羽ばたきが、太陽の畑の上空を薙ぎ払った。
炎の翼。
花粉嵐の如き弾幕が、焼き払われて砕け散る。蔓草と荊の鞭が、灰に変わる。
飛散した火の粉が、空中あちこちで巨大に燃え上がり、羽ばたいた。
無数の、火の鳥が出現していた。
それらが妹紅と共に飛翔し、幽香の分身たちに激突してゆく。
焼け焦げた植物の破片を飛び散らせながら、怪物たちは揺らぎ、忙しなく再生を行っている。
再生途中の1体に、妹紅の飛び蹴りが突き刺さった。
植物の塊が、爆発した。妹紅の片足が、衝撃と共に爆炎を叩き込んでいた。
「お見事……」
己の分身が灼き砕かれ灰に変わる様を、幽香は愉しげに見物している。
自身もまた、植物の塊たちに取り囲まれながらだ。
「と、いうわけよ上白沢先生。もう貴女では、藤原妹紅を鳥籠に閉じ込める事は出来ない」
「駄目だ、妹紅……行ってはいけない……」
戦い続ける妹紅に、慧音の声は、もはや届いていない。
「止めて……誰か、妺紅を止めて……」
「お前、自分でそれが出来ないなら黙ってろよ」
言いつつ、ちゆりが何かを片手で握り込んでいる。
小さな、道具……であろうか。
小さくとも必殺の武器。
この少女は、かつて、そんな事を言っていなかったか。
「まったく、実物を見たのは初めてだけど……こんなに未練がましい奴だったとはね」
ちゆりが、それを操作したようである。
「本当は官憲に引き渡すべきなんだろうけど、私らもお尋ね者だし……いいや面倒くさい。ここで死んでおけ、時空犯罪者・上白沢慧音」
空間が、裂けた。魔理沙には、そう見えた。
魔力レーザー、に似た何本もの光の線条が、空間そのものを断裂させるが如く斜めに走ったのだ。
そして、慧音を直撃する。
否。
飛び込んで慧音を庇った、騒霊の少女を直撃していた。
「…………カナ・アナベラル……」
呆然と呟く慧音の眼前で、カナのふわふわとした全身がズタズタに裂けている。
「……何故……私を……」
「…………次は、ね……慧音先生が、鳥籠から出て来る番だよ……?」
ズタズタに裂けた少女の霊体が、落下して行く。
「おい……! 貴様……」
火の鳥の鉤爪と化した手で、植物の鞭を引きちぎりながら、妹紅が吼えた。
「……今……慧音を、殺そうとした……のか貴様ぁああああああッ!」
「当然。弾幕戦って、そういうもんだろう。私だってな、そこのクソったれバケモノ女に1度殺されかけたんだ」
ちゆりが応える。
「お前も。そこそこ頑張ってるみたいだけど、弾幕戦の最中に気ぃ抜いたら死ぬぞ?」
「…………ほう……」
妹紅は、牙を剥くように微笑んだ。
「お前……私を、殺してくれるのかい……」