第53話 夢消失
原作 上海アリス幻樂団
改変、独自設定その他諸々 小湊拓也
「ねえ妹紅……貴女、あの上白沢先生と」
蓬莱山輝夜が、ぽつりと言った。
「……随分、仲がいいのよね?」
「ああ。だからさ、お前にも慧音とは仲良くして欲しいんだ」
藤原妹紅は微笑み、輝夜の黒髪をそっと撫でた。
自分の髪は、白い。輝夜とは、残酷なまでに鮮烈な対照をなしている。
美しい銀色だ、などと上白沢慧音は言ってくれる。気を遣ってくれる。
自分など、白髪の老婆でもおかしくはないのだ、と妹紅は思っている。
肉体は小娘のまま、心だけが老いぼれてゆく。それが、髪の色に表れている。
「みんなで仲良く暮らそう。幻想郷って、そういう所だろ?」
「そうね……誰とでも、分け隔てなく仲良く出来たら……本当に、いいわよね」
言いつつ輝夜が、どこを見つめているのか。
自分と輝夜が今、どこにいるのか。
妹紅は、わからなくなっていた。
迷いの竹林、のようでもある。永遠亭に上がり込んでいる、ようでもある。
いや、輝夜と2人で人里を歩いているのか。
2人で空を飛び、幻想郷の様々な場所を見下ろしているのか。
どこでも良い、と妹紅は思う事にした。ここが幻想郷であろうが、外の世界であろうが、天国や地獄であろうが。
どこであろうと、自分と蓬莱山輝夜は共に在る。永遠に、在り続けるのだ。
「……私と貴女は、ずっと一緒よ妹紅」
言わずもがなの事を、輝夜は言った。
「私の方が……上白沢先生よりも、ずっと昔から貴女の近くにいたのよ……」
「おいおい、やきもちか?」
妹紅は笑った。
輝夜は笑っていない。真顔で、じっと見つめてくる。
笑ってはならない事なのだ、と妹紅は気付いた。
「……ごめん。慧音も、私にとっては大切な存在なんだ。本当に……ごめん」
謝ってもならない事なのだ、と妹紅は思った。
「……私の方こそ、つまらない事を言ったわ」
輝夜が、視線を外した。
見渡している。この、迷いの竹林か人里か、幻想郷か外の世界か、天国なのか地獄なのか、よくわからぬ空間を。
「これが……貴女の、歴史なのね」
まるで慧音のような事を、輝夜は言い始めた。
「貴女だけの歴史、貴女にとって都合の良い歴史……貴女は、どこでもいいのね。大切な誰かが、傍らに居てくれさえすれば」
「うん? まあ確かに、お前や慧音が居てくれるなら私はどこだっていい。迷いの竹林だろうが人里だろうが、幻想郷だろうが、外の世界だろうが。天国だろうが地獄だろうが」
話を聞いてやろう、と妹紅は思った。誰にだって、何やら語ってみたくなる時はある。
「……私も、引きこもっていたわ。私の歴史、私だけが幸せな歴史に」
「幸せなら良かったじゃないか。誰かに迷惑、かけたわけじゃないんだろ?」
「迷惑を被ったのは私の方よ。幸せな場所から無理矢理、引きずり出されて」
迷惑と言いつつ、輝夜は微笑んでいる。
「ねえ。貴女は……誰?」
「何だ。今更、名乗りを上げろって言うのか? よしよし何度だって聞かせてやるぞ、私は藤原妹紅! お前を焼き尽くす者だ」
「貴女は、私よりずっと強いわね。藤原妹紅」
輝夜は言った。
「私は……自分の名前すら、忘れていたわ。私だけの歴史に、閉じこもっている間」
「お前は輝夜だろう? 蓬莱山輝夜」
「違うわ」
輝夜が、じっと見つめてくる。
「私は……アリス・マーガトロイドよ」
カナ・アナベラルが、スターダストミサイルの直撃を受けて砕け散った。
飛び散った破片は、全て小鳥だった。
小鳥たちが空中を舞い、ぱたぱたと集合し、融合して少女の姿を取り戻す。
カナは微笑み、霧雨魔理沙は息を呑んでいる。
「くそっ、何だ……お前と私、どこかで会ったか? この厄介さ、覚えがあるような……」
「忘れちゃったなら、思い出してくれなくてもいいわ」
無数の光弾を、カナは楽しげに放射している。
「新しく覚えてもらうから。初めまして! 私、カナ・アナベラルよ」
その弾幕を、魔理沙がかわす。魔法の箒で、空中あちこちを逃げ回る。
太陽の畑、上空である。
2つの弾幕戦が、繰り広げられていた。ひとつは、カナと魔理沙。
もうひとつは、凄まじい斬撃を伴う弾幕戦であった。
上白沢慧音の放つ光弾の嵐が、燃え盛る2つの斬撃によって、ことごとく斬り砕かれる。
楼観剣と、白楼剣。
二刀が、炎のような憎悪の揺らめきを帯びたまま一閃を繰り返し、慧音の弾幕を粉砕し続けていた。
防御の二刀流を披露しながら、魂魄妖夢は叫んだ。吼えた。憤怒の咆哮。
それに応じて、半霊が同じく怒りと憎しみの炎を燃やす。
その炎が、噴出し発射された。憤怒と憎悪の光弾、あるいは火球。
立て続けに放たれたそれらを、慧音が逃げるようにかわす。妖夢が空中を蹴って踏み込み、追う。
妖夢が何故、そこまで怒り狂っているのか。おぼろげに、ながらアリスにはわかる。
慧音によって妖夢もまた、歴史の中に閉じ込められるところであったのだ。妖夢だけの、妖夢にとってのみ心地良い歴史の中に。
だが妖夢の中には、もっと強固な歴史があった。
「藤原妹紅……貴女に、それはないの?」
呆然としている妺紅の顔を、アリスは正面から見つめた。
「私には……なかったわ。だから私だけの、甘い歴史に逃げ込む事が出来た。強固な歴史を作るのは、これからよ」
「人形師・神綺! 妹紅に要らぬ話を吹き込むのは、やめてもらいたいな」
吹き荒れる妖夢の双刀をかわしながら、慧音は言った。
彼女に請われ、寺子屋で人形劇を披露した事もある。
「妺紅は今、頑是ない子供と同じだ。貴女の人形劇には……子供たちを、洗脳する力がある。不穏な脚本で、妹紅を惑わせてはいけない」
「まずは1つ、お詫びをしておかないといけないわね。上白沢先生」
アリスは言った。
「私の名前……神綺、ではないのよ。私は、アリス・マーガトロイド」
「自分だけの歴史を……貴女も、捨ててしまうのか」
「私の歴史は、私がこれから作っていくのよ。今からでも、そうするしかないわ」
言葉と共に、アリスは人形の糸を操った。
上海人形、他数体の人形たちが、アリスの頭上で盾を掲げた。
それら盾に、光弾の雨が激突した。
弾幕が、降り注いで来たのだ。
いくらか危うい回避飛行をしていた魔理沙が、アリスの傍らで箒を停めた。
盾を持つ人形たちで魔理沙を防護しながら、アリスは言う。
「苦戦しているわね、魔理沙」
「ああ……ちょっとな、やばい事になってきた。見ろよ」
言われるまでもなく、アリスは見上げていた。
カナが、上空から見下ろしてくる。
彼女だけではなかった。3人、いつの間にか出現していて、正三角形にカナを取り巻いている。
「なるほど……リリカの言う通りね。凄いわ、この子の……音……」
「幽々子さんと、どっちが……って感じ。ふふ、うっふふふ……よっぽど気合い入れないと。あたしら全員、消えて無くなる」
メルラン・プリズムリバーが、陽気に不敵に笑う。
騒霊楽団の三姉妹に囲まれて、カナが呆然と、陶然と、している。
「貴女たち……私の、音楽を……演奏して、くれるの……?」
「貴女のため、じゃあないのよね」
リリカ・プリズムリバーが言った。
「ルナ姉もメル姉も、こんな音を聴かされて……大人しく、してられるわけないじゃない」
「そういう事よ、カナ・アナベラル。貴女には……プリズムリバー楽団の、新曲の素材になってもらうわ」
ルナサ・プリズムリバーが、ヴァイオリンに弓を当てる。
メルランが、トランペットを構える。
「さあて、どんなストーリーの楽曲になるかしらねえ。籠の中の小鳥ちゃんが……籠の中で朽ち果てるお話か。それとも籠を飛び出して、野垂れ死ぬか食われるか」
眼差しは、妹紅に向けられている。
「……見せて、もらうわよ」
「やめろ……」
半霊の放つ光弾の直撃を受け、空中でよろめきながら、慧音が悲鳴に近い声を漏らす。
「やめてくれ……お前たちの音楽は、歴史を破壊する……」
「……いいわね、上白沢先生。貴女も今、とても良い音を鳴らしているわ。絶望の音」
ルナサが言った。
「いずれ私が編曲してあげる……今は、この曲を聴きなさい」
それは、音楽という形をした、悲哀そのものだった。
「……何が、そんなに悲しい?」
藤原妹紅が、何やら不機嫌である。
怒り狂ってくれるのならば良い、と紅美鈴は思う。腑抜けのまま、おかしな夢を見続けるより、遥かにましだ。
「私を……哀れんでいる、のか? ふざけるな、私は幸せだぞ。慧音がいるし、いつでもぶちのめせる輝夜もいる。私は今、幻想郷で一番、幸せなんだぞ」
「……鳥籠の中で、大事に飼ってもらう。幸せ、よね。確かに」
カナ・アナベラルの言葉に合わせて、無数の小鳥が空を舞う。まるで弾幕のように。
怒りと憎悪に燃えていた魂魄妖夢が、斬撃を中断し、その有り様を見回している。
斬撃に追い立てられていた上白沢慧音が、妖夢に反撃する事もなく叫ぶ。
「やめろ! やめてくれ、騒霊たち……音を発する事に関して、お前たちを超える種族は宇宙に存在しない……だが、まさかプリズムリバー、それにカナ・アナベラル……お前たちの奏でる音が、これほどとは……」
「それは違うわ、慧音先生」
カナが言った。
「ルナサ、メルラン、リリカ……確かに、この子たちの音楽は凄いわ。でもね、それと共鳴するものが……妹紅さん、貴女の中にあるからこそ」
悲哀、だけではない。ぼんやりと、美鈴はそれに気付いた。
プリズムリバー楽団の奏でる、悲哀。その根底には微かに、だが確かに、燃えている何かがある。
今は、弱々しい種火でしかない。いつ消えても、おかしくない。
消しては、ならない。美鈴は、そう思った。
カナが言う。
「ほら……鳥籠が、壊れ始めてるよ」
「……黙れよ、輝夜」
妹紅の声が、震えている。怒りか。
「お前……今日は、私に負けたんだから……大人しくしてろよ、な……」
「私、カナ・アナベラルよ。間違えないで。私の名前、覚えて。忘れないで」
白い光が、カナの眼前で渦巻いた。
「そんな所に閉じ籠もっていたら、貴女だって忘れられちゃうよ? 忘れられるって……とっても、辛いよ……」
白色の、大型光弾。
複数のそれが、渦を巻くように旋回しながら飛翔し、妹紅を直撃する。
血飛沫を散らし、吹っ飛んで行く妹紅を、慧音が追う。
「やめろぉーっ!」
「やめるのは、お前だよ。この似非神獣が」
美鈴は、慧音の胸ぐらを掴んで引きずり寄せた。
「お前は今、消しちゃならない種火に、水や砂をぶっかけようとしている。させない」
「消してやる、そんなものはいくらでも消してやる! 妹紅はな、もう炎など燃やす必要はないんだ。火の鳥であってはならない! 籠の中の小鳥で、何が悪い!」
「……お前、あの時の私らにそっくりだな」
美鈴は思い返した。
自分もあの時、今の慧音と同じような事を言いながら、レミリア・スカーレットを叩きのめした。
そして、叩きのめされた。
レミリア・スカーレットは結局、博麗神社という鳥籠で大人しく飼われる小鳥ではなかったのだ。
「お前は……どうなんだ? 藤原の」
小鳥たちの乱舞を、美鈴は見渡した。
この鳥たちは今や、騒霊少女の生み出した幻影ではない。
藤原妹紅の、心の現れだ。
プリズムリバー楽団の演奏によって呼び起こされ、可視化を遂げたものだ。
自由に飛び回っている、ように見えて、鳥籠を求めている。
鳥籠を求めて飛び回りながら、空に憧れてもいる。自由で過酷な、大空を。
悲哀そのものの静かな曲調に隠されていた、激しい何かが、燃え上がり始めていた。
種火が、焚火に、松明に、篝火に、変わってゆく。プリズムリバー楽団の奏でる、楽曲の進行に合わせてだ。
「妹紅…………!」
慧音の声が、上擦った。
無数の小鳥たちに、ちらちらと炎が混ざりつつある。
2羽、3羽、5羽。小鳥が、火の鳥に変わってゆく。
「…………ああ……ああぁ…………うぁああああ…………」
乱舞する鳥たちの渦。その中心で、妹紅は頭を抱えている。白銀色の髪を、掻き乱している。
「……か……ぐや……かぐやぁ……」
涙が、飛び散っていた。
「……私の……私の、せいで……輝夜ぁあ……」
「私たちと一緒に来い、妹紅」
魔理沙が、語りかける。
「輝夜を、助けるぞ」
「……助ける……輝夜を……」
また1羽、小鳥が火の鳥に変わった。
悲哀を帯びたまま、激しく燃え上がる。その曲調に聴き入ったまま、アリスが呟く。
「そう……そうなのね。これは……夢を、終わらせる……夢の消失を、告げる曲……」
「……夢は終わりだ。本当は気付いてるんだろ、妹紅」
魔理沙が言う。
小鳥が火の鳥に変わってゆく光景を一瞬、見渡した後、妹紅の目を正面から見据える。
「輝夜を助けに行こう。私たちと一緒に」
「……やめろ…………」
慧音が、青ざめている。
「どこから、何から、助けようと言うのだ……妹紅、騙されてはいけない! 蓬萊山輝夜はそこにいる、お前の目の前に!」
「私は、霧雨魔理沙だぜ」
「何度でも言うわ。私は、アリス・マーガトロイドよ」
「ちなみに、お前の目の前にいるのは紅美鈴だ。わかるか偽神獣」
美鈴は、慧音の胸ぐらを掴む手に力を込めた。
「このまま裸に剥いて、生かじりしてやろうか? 性根は腐ってても肉は美味そうだな、お前」
「下衆の下等妖怪が……」
慧音の両眼が、間近から美鈴を見据えたまま、禍々しく燃え輝く。
「貴様にも、貴様にだけ都合の良い歴史を見せてやる! さぞ薄汚い歴史であろうが……」
違いない、と美鈴は思った。スカーレット家に仕える者たちの中では、自分が最も汚らしい歴史の持ち主だ。
小さな少女と病弱な魔女しか住んでいない、おかしな赤色の屋敷に、金目の物を求めて押し入り、殺されかけた。あれは何百年前の事であったか。
吸血鬼の少女の気まぐれで、自分は生かされた。紅魔館の肉体労働者として、使われる事になった。
その労働内容は、主に殺戮である。
スカーレット家に低次元な嫌がらせを仕掛けてくる人間たちを、引きちぎったり叩き割ったりして、紅魔館の庭園植物を大いに肥やす。まあ難しい仕事ではなかった。
それ以前の自分は、どこで何をしていたのか。美鈴は、思い出せないが気にした事はなかった。ひたすら人間を食い殺し、命を繋いできたのだろう。している事は大して変わっていない。
「…………貴様……!」
慧音が、息を呑んでいる。
「紅美鈴、貴様は……貴様の、歴史は……!」
「何だ、どうした。よっぽどなものが見えたか? ええおい!」
美鈴は、慧音の腹に膝を叩き込んだ。
血を吐き、へし曲がった慧音の身体を、掴んで引き起こす。にやりと牙を見せ、間近から微笑みかける。
「殺して殺して殺しまくる歴史か? ほれ、こんなふうに。こんなふうに! こんなふうにッ!」
美鈴は、ひたすら拳を叩き込んだ。
慧音の美貌が歪み、血飛沫を散らせ続ける。
「紅美鈴、それを私によこせ」
魂魄妖夢が、声をかけてきた。憎悪のゆらめきを帯びた切っ先を、慧音に向けている。
「腐り果てた脳髄とはらわたをなあ、大いにぶちまけてくれるぞ上白沢慧音!」
妖夢が必要以上に大声を出している、と美鈴は思った。まるで、誰かに聞かせるかのように。
「……渡せないなあ。このなんちゃって聖獣は、私がぶち殺す!」
美鈴も、大声を出した。
「肉もはらわたも、私が食らう! 血はお嬢様に捧げよう……と言いたいが、こんな腐れ聖獣もどきの体液を紅魔館の食卓に出したら私、咲夜さんに殺されるな。しょうがない、1滴残らず私が啜ってやるよジュルジュルってなあああああああ!」
小鳥たちが、全て火の鳥に変わった。
燃え盛る、鳥型の弾幕。それが妖夢を、美鈴を、猛襲・直撃する。
あの時の炎だ、と美鈴は思った。かつて紅魔館で、美鈴を焼き払い、レミリアの弾幕とも互角に激突して見せた、4人目のヴァンパイアハンターの炎。
血飛沫と火の粉をぶちまけながら妖夢が、太陽の畑へと墜落する。
空中に突然、巨大な向日葵が咲いた。
妖夢の身体が、それに激突して跳ね返り、あらぬ方向へと飛んで行く。
自分も一瞬後には同じ目に遭うのだろう、と思いながら美鈴は見上げた。
不死鳥の群れを従えた藤原妹紅が、そこにいた。
血まみれの慧音を両腕で抱き上げ、空中に佇んでいる。燃え盛る炎の翼と紅蓮の尾羽を、猛々しく揺らめかせながら。
「……そう……そういう、事だよ……」
空中に咲いた巨大な向日葵に激突しつつ、美鈴は呻き、微笑んだ。
「お前を閉じ込めておける鳥籠なんて……あるわけ、ないだろう? 藤原妹紅……」