第51話 歴史喰らい
原作 上海アリス幻樂団
改変、独自設定その他諸々 小湊拓也
拳を、思いきり叩き込んだ。
怒りにまかせた、単純な攻撃になってしまった。
こんなものでは全然駄目だ、と紅美鈴は思う。こんな一撃が、通用する相手ではない。
そのはず、なのだ。
なのに、藤原妹紅は吹っ飛んでいた。
まるで木偶人形を殴ったかのような手応えを、美鈴は握り締めた。拳が、震えた。
「……お前は……木偶人形じゃ、ないだろうが……ッ!」
声も、震えた。
「何お前、こんなパンチまともに喰らって! 紙切れみたく吹っ飛んでんだコラふざけんなあああああああっ!」
美鈴は飛翔した、と言うより空中を疾駆した。そして、吹っ飛んで行く妹紅を追う。
人里の上空、であった。先程までは。
こんなふうに吹っ飛んだり追いかけたりを繰り返しているうちに、いつしか人里の外へと出てしまった。今はどの辺りか見当も付かない。
「幻想郷の外へ出たって構わない……地の果てまで、地獄までだって追いかけてやるぞ藤原妹紅。お前がそんな様でどうする、お前にぶちのめされた私はどうなる!」
美鈴は妹紅に追い付き、胸ぐらを掴んだ。
「痛……って…………ふ、ふふっ。やってくれるじゃないか、輝夜……」
妺紅が、少しだけ腫れた顔で微笑む。
「そうだな……忘れてたよ、お前の馬鹿力」
「私は輝夜とかいう奴じゃあない、紅美鈴だ! 呼べ! 私の名前をちゃんと呼べぇええええッ!」
もう1度、美鈴は拳を叩き込んだ。
微量の血飛沫を飛ばして、妹紅が吹っ飛んで行く。
否。
空中で踏みとどまった妹紅が、
「ふっ、はははっ、楽しいなぁ輝夜……」
右手を燃え上がらせた。その右手を、振るった。
「お前との弾幕戦は、いつまでだって続けられる……永遠に、なぁああ」
空中に、いくつもの火の玉がばら撒かれた。紅蓮の弾幕。
それを美鈴は、平手打ちで粉砕した。火の粉が散った。
飛散する火の粉の向こうから、蹴りが飛んで来た。
すらりと鋭利な妺紅の脚が、様々な形に躍動しつつ美鈴を強襲する。前蹴り、回し蹴り、踵落とし。
「そうじゃ、ないだろ……!」
それらを全て美鈴は、1発の蹴りで薙ぎ払った。むっちりと強靭な美脚の一閃。
よろめく妹紅に向かって、美鈴は左手をかざす。掌から、虹色の光が溢れ出す。
「一撃で私の肋をへし折ってはらわたに突き刺してくれた、お前の蹴りはどうした! 私の身体も誇りもボロボロに灼き焦がしてくれた、お前の炎はどこへ行った!? おい藤原妹紅、お前一体どこへ行っちまったんだよ!」
刃物の如く鍛え上げた五指で、美鈴は光をばら撒いていた。
色彩豊かな気の光。無数の、虹色の光弾であった。
それらが台風の如く渦を巻き、全方向から妹紅を直撃する。
鮮血をしぶかせる妹紅に向かって、美鈴は踏み込んだ。
「一体どこへ閉じ籠もってやがる! 出て来い、出て来い! 出てこぉおおおおおい!」
「……誰が、決めた?」
耳元で、声。
美鈴の踏み込みは、止まった。止められていた。
「閉じ籠もってはならない、出て行かなければならない、立ち向かわなければならない……そのような事を一体、誰が決めたのだろうか」
「なっ……んだ、お前……」
一見たおやかな手が、美鈴の腕を掴んで後ろ手に捻じり上げている。
「私は上白沢慧音。藤原妹紅の、個人的な知り合いだ」
美鈴の背後で、その女性は名乗った。
「紅魔館の門番よ。君は、随分と個人的な思い込みを妹紅にぶつけようとしているようだな? 私も個人的な思いを述べておく……妹紅に、あまり過酷な歴史を押し付けないでもらいたい」
「こいつ…………!」
美鈴の強靭な細腕が、へし折られる寸前でガッチリと固められている。
(……何て……力……)
「……妹紅は今まで、充分に苦しんできたんだ。もう、いいだろう? まるで外の世界のような闘争の歴史からは、解放してやってくれないか」
「充分に苦しんできた……か」
声がした。
上白沢慧音の後方。霧雨魔理沙が、箒にまたがり滞空している。
「私には……その藤原妹紅が、今もまだ苦しんでるように見えるぜ」
血飛沫を散らせて空中でよろめき、落下しかけた妹紅を、魂魄妖夢が抱き止めていた。
「いてててて……ふん。思ったより、やるなあ輝夜」
抱かれながら、妹紅が笑う。妖夢を見つめているが、妖夢が見えてはいない。
「参った参った、今日は私の負けでいいよ。さ、飯でも食いに行こう」
「今日は、自分の負けでいい……魂魄妖忌が相手でも、お前はそんな戦いをしていたのか」
言いつつ妖夢は、妹紅を空中に立たせた。両手で、妹紅の肩を掴んだ。
まっすぐに、妹紅の目を見据えた。
「しっかりしろ藤原妹紅、私は魂魄妖夢だ。蓬莱山輝夜は、ここにはいない……いなくなって、しまったのだよ」
「……少し黙れ、白玉楼の庭師」
慧音の口調が、いくらか剣呑なものを帯びた。
「偽りの歴史を妹紅に吹き込む事は、許さない」
「偽りの歴史とやらをでっち上げてるのは、あんたじゃないのか先生」
魔理沙が言った。
「あんたの能力については、こーりんから色々聞いてる。実際見るのは初めてだけど……それは、駄目だ」
幸せそうに微笑む妹紅を、魔理沙は見つめた。
「私は……あんたが、絶対やっちゃいけない事をしてると思うぜ。上白沢先生」
「……確かに、君たちから見れば偽りの歴史だ。たが妹紅にとっては、真実の歴史なのだよ」
慧音が言った。
「歴史とは……そういうもの、だろう?」
「…………屁理屈にもなってない、世迷い言を……っ」
捻じり上げられた腕を、美鈴は全身で振り回した。
「私の耳元でっ、得意気に囁くのはやめろ! この腐れ妖怪がぁああああッ!」
振り回され、振りほどかれた慧音の身体が、空中でよろめいて踏みとどまる。
「ふ……膂力だけが取り柄の、下等妖怪が」
慧音の美貌が、歪んだ。怒りを漲らせた、笑顔。
「……白澤たる私に、刃向かうと言うのだな」
「お前が白澤だと? ……ふん、それっぽい気を多少は持ってるようだが」
美鈴は身構えた。
「まあ何でもいい。とにかく、そこでヘラヘラ笑ってやがる大馬鹿野郎をおかしな術から解放しろ! この瑞獣もどきが」
「……それでは駄目だ、紅美鈴」
幸せそうに笑う妹紅の胸ぐらを、妖夢は掴んだ。
「術を解いてもらう、のではなく……こやつは自力で、正気を取り戻さなければならない」
「……正気、と言うか。妹紅が狂っている、と言うのか」
光が、生じた。
人の頭ほどもある光の球体が複数、慧音の周囲に発生・浮遊している。
「敗れたままでいる事を、許さない。力尽き倒れた者を、無理矢理に引きずり起こし戦わせずにはいられない……そんな君たちの方が、私に言わせれば狂っている」
光弾、ではない。
光弾の、発射装置であった。
「……妹紅の歴史は、妹紅が幸せになる歴史でなければならない。それがわからないのか、君たちには」
慧音の妖力で組成された発射装置の群れが、ゆらりと飛翔しながら一斉に弾幕を吐く。
光弾の嵐が、美鈴を、妖夢を、魔理沙を襲う。
妹紅1人を、避けながらだ。
「おおー……慧音の弾幕は、やっぱり綺麗だなぁ」
脳天気に、妺紅は手を叩いている。そして見物している。
美鈴が、妖夢が、魔理沙が、空中を右往左往しつつ弾幕をかわす様を。
「綺麗だなー、じゃないだろ。お前もやるんだよ藤原の! 私と弾幕戦を!」
回避に忙殺されながら、美鈴は叫ぶ。
「その腑抜けた心、叩き直してやる!」
「……腑抜けではいけないと、誰が決めたのだ下等妖怪」
慧音の両眼が、美鈴に向かって禍々しく輝く。
無数の光弾が、押し寄せて来る。
弾幕の激流が、美鈴に向かって密度を増した。魔理沙と妖夢に向かっては、薄くなった。
「倒れたら、立ち上がる……命ある限り、困難に挑み続ける……何が楽しい? どこが美しい? そんなものは呪いの歴史だ! 妹紅はな、今までずっと呪われ続けてきた! 貴様ら死ねる者どもに、その苦しみがわかるものか!」
慧音の叫びに合わせ、光弾の嵐が美鈴を猛襲する。
かわせない。
判断を下し、覚悟を決めながら、美鈴は両手に気の光をまとった。
虹色に輝く左右の手刀で、慧音の光弾をことごとく粉砕した。弾幕を、切り刻んだ。
「……ようく、わかった」
気で防護された両手で、それでも骨が砕けそうな手応えを感じながら、美鈴は歯を食いしばった。
「そこの大馬鹿たれに目を覚まさせるには、まず貴様をぶちのめす必要があるって事だな。この神獣もどきが!」
「やめろ輝夜……」
妹紅が、すがり付いて来た。
「……慧音には、手を……出さないでくれ……頼む……」
「頼むんじゃあない! 相手をぶちのめして言う事を聞かせるんだよ、こんなふうになあああッッ!」
美鈴は妹紅の、胸ぐらを掴んだ。顔面に、平手打ちを叩き込んだ。
「おかしな夜は続いてたけど、太陽はとっくに昇ってんだよ! とっとと目を覚ませド阿呆がっ!」
「……寝ぼけているのは貴様だ、この下等妖怪! 妹紅に触れるなあッ!」
慧音の怒号が、そのまま大型の光弾となって美鈴を襲う。
いくつもの、紫色の大型光弾。
それらが斬撃に薙ぎ払われ、砕け散った。双刀の一閃。
「上白沢慧音……お前には、わからないのか」
妖夢が、美鈴と妹紅をまとめて背後に庇っていた。
「今の藤原妹紅が、どれだけ無様で哀れむべき状態にあるのか……」
「……無様で、哀れで、何か問題があるのかと。私は先程からずっと、そう問いかけているのだがな」
弾幕発生装置である光球たちが、慧音を取り囲んで三角形に布陣している。
「満足のゆく答えを、君たちは私にくれないのか?」
三角形が、回転しながら大量の光弾を吐き出した。
その弾幕に、横合いから光が降り注ぐ。光の矢の、豪雨であった。
弾幕と弾幕が衝突し、キラキラと砕け散る。
「……どういう答えなら、満足いくのかな」
まだまだ大量の光の矢を周囲に浮かべ、待機させながら、魔理沙が言った。
「都合のいい夢の中に、ずっと閉じ込める。閉じ籠もる……それで満足なのか。いやまあ、そうかも知れないけど」
魔理沙の左右に、水晶球も浮かんでいる。
2つのそれが、激しく発光した。レーザー化した魔力が、迸っていた。
「……駄目だよ、先生。それは駄目だぜ。弾幕使いは、それじゃ駄目なんだ。本当は、わかっているんだろ」
光の矢が無数、魔理沙の言葉に合わせて一斉に飛んだ。
「おい聞け藤原妺紅! 次の満月の夜、私たちは月に行く……綿月豊姫とな、決着をつける。お前も来るんだぜ!」
レーザーが、光の矢の雨が、慧音を強襲する。
「取り戻すんだよ! 本物の、蓬莱山輝夜をな!」
「……ほざくな……世迷い言を、ほざくな……ッ!」
慧音の全身から、紫色の大型光弾が大量に溢れ出した。
三角形が、猛回転をしながら小型光弾の嵐を放射する。
大小の光弾から成る弾幕が、魔理沙の魔力レーザーを、光の矢の豪雨を、粉砕し蹴散らした。
「何故、取り戻させる! 何故、戦わせる!? 何故、立ち向かわせる! 何故、逃げる事を許そうとしない! 過酷な呪いの歴史を何故、歩ませようとするのだ貴様たちはぁああああっ!」
魔理沙が息を呑み、箒を駆ってその場を離脱する。慧音の弾幕が、猛然と執拗に追いすがる。
妖夢が双刀を振るい、防御の斬撃を間断なく繰り出してゆく。幾重にも描かれる剣閃の弧が、慧音の弾幕を斬り砕く。斬り砕きながらも、妖夢は後退を強いられている。
美鈴は、虹色の気の光弾を無数、己の周囲にぶちまけ渦巻かせていた。
渦巻く虹色の嵐が、慧音の弾幕とぶつかり合い、爆発そのものの相殺を引き起こす。
「ぐぅ……っ……!?」
爆発に圧されながら、美鈴は見た。
荒れ狂う弾幕の嵐の中を、小鳥たちが飛んでいる。光弾と光弾の隙間を、ぱたぱたと軽やかに通過してゆく。
「やめろ……やめてくれ、輝夜も慧音も……やめてくれよう……」
妹紅が、相変わらず愚かしい言葉を発している。涙ぐんでいるようだ。
「お前ら2人が……喧嘩したら、駄目だ……」
「貴女が、止めるしかないよ」
少女が1人、妹紅の眼前に、いつの間にかいた。
小鳥の群れを従えた少女。
「貴女が、そんな有り様じゃあ……ね。この戦いは、止まらない。それはそれで、私は一向に構わないけど」
リボンの巻かれた白い帽子、青と白を基調とした衣装。
長手袋の似合う愛らしい両手で、道路標識を携えている。
呆然と涙ぐむ妹紅に、その少女は正面から微笑みかけた。
「でも私、見てみたいな。貴女の翼……真っ赤に燃える、炎の翼……」
「おい! 誰だか知らんが、危ないから入って来るなよ!」
魔理沙が叫ぶ。
微笑みの消えた顔を、少女は魔理沙に向けた。
「…………私の事、忘れちゃったんだね。霧雨魔理沙……」
悲しそうな、寂しそうな顔。
「そうだよね……戦わなきゃ、忘れられちゃう……私たち、弾幕使いだもの……」
三妖精が、博麗神社に謎の人物を連れて来た。
「あうんちゃん、あうんちゃん! 紹介するね。八意永琳さん」
サニーミルクに紹介されて、その女性は頭を下げた。
「八意永琳と申します。博麗の巫女様は、こちらでしょうか?」
「え……あ、これはどうも御丁寧に」
高麗野あうんは台座から降り、ぺこりと一礼した。
「狛犬の高麗野あうんと申します。巫女の博麗霊夢は今、不在でして」
「そう……忙しく動き回っているのね」
八意永琳の口調は、まるで霊夢を気遣っているかのようだ。
母親のように、というほどではない。親類の、年上の女性。そんな感じがある。
「正気の霊夢と、話をしたかったのだけど」
「霊夢さんはね、正気のまんまトチ狂ってるわよ大抵。酔っ払いの鬼と一緒に」
ルナチャイルドが言った。
「……鬼さんも、いないのね。あうんちゃん1人だけ?」
「はい、寂しいです」
「ええと……私たち、神社に住み着いてあげようか?」
スターサファイアの言葉に、あうんは微笑みを返した。
「お気持ちだけ。霊夢さんが帰って来たら、3人ともまた1回休みになっちゃいますよ」
「ああ本当、1回休みなんて久し振りだったわ。あいつら、まったく」
サニーミルクの言う『あいつら』とは、あの土偶たちの事であろう。
「ねえ永琳さん? あうんちゃんも酷い目に遭ったんだから」
「知っているわ。月の関係者が、迷惑をかけたわね」
永琳が、あうんの髪をそっと撫でた。
「……でも良かったわ。あの薬が、ちゃんと効いてくれたようで」
あの薬。
その言葉だけで、あうんは全身で思い出した。舌だけでなく身体で感じる、凄まじい不味さを。
「貴女ですか、あれを作ったのは! いやまあ助かりましたけど、ありがとうございましたけど。もう少し何と言いますか」
「良薬は口に苦し。宇宙の真理よ」
永琳は笑った。
「あの薬の最初の実験台になってくれた、霧雨魔理沙ともお話をしたいところ。まあ、事が落ち着いてからね」
「落ち着くと思うの? ねえ、月の賢者殿」
聞き覚えのある声だ、とあうんは思った。
鳥居の陰に、その女性はいた。見えるのは右腕だけだ。
包帯の巻かれた、形良い細腕。
「夜が続いていた時よりも、とんでもない事態になりつつあるのよ。ご存じかしら? 貴女がお探しの博麗霊夢、霧雨魔理沙……両名とも、月の都に乗り込もうとしているわ。歴史は繰り返すと言うけれど、八雲紫のかつての愚行が再現されようとしている。いくらか規模を増して、ね」
鳥居にもたれたまま、その女性は視線を永琳に向けている。
「……全て、貴女の目論見通り?」
「私はただ、パチュリー・ノーレッジと雑談をしただけよ。あの子は恐ろしく賢いから、雑談で様々な知識を吸収してくれた……月への航行手段を、これほど短期間で確立してしまうとは思わなかったけれど」
「貴女の可愛い姫君が……今、どのような事になっているのか」
「輝夜が、遅かれ早かれ受けなければならない試練よ。月の都から……豊姫から、永遠に逃げ続けていられるわけはないのだから」
あうんも、サニーミルクもルナチャイルドもスターサファイアも、気が付けば永琳の背中に隠れていた。
「月の都と、決着を付けなければならない……幻想郷を巻き込んでしまった事は、本当に申し訳なく思うわ」
「決着を付ける戦いに八意永琳、貴女は参加する事が出来ない。姫君を助けに向かう事も」
「……年甲斐もなく、張り切り過ぎてしまったのよね。身体は、この子たちのおかげで回復したけれど」
永琳は、微かに唇を噛んだようだ。
「力が……まだ、戻っていないの」
「それほど消耗しながらも、貴女は幻想郷を守るために戦ってくれた。月の都の艦隊と」
鳥居の陰で、眼光が燃え上がっている。
「……私たちが、何もしないわけにはいかないわね。まあ、傷病者は大人しくしていてちょうだい」
「貴女も、傷病者ではないの?」
永琳が問いかける。
「その右腕……診せて、ごらんなさいな」
「お気持ちだけ、いただいておくわね」
鳥居の陰に、女性の姿はすでにない。声だけが残った。
「この腕はね、治すものではなく……私が、取り戻すものだから」