第50話 紅の者ども
原作 上海アリス幻樂団
改変、独自設定その他諸々 小湊拓也
死の世界だ、と綿月依姫は思った。
見渡す限り、広がるもの。それは、形の同じ建物の列。
列と列の間は、道路である。が、そこを通るものはない。
人も、乗り物も、通らない。
移動という行為は、事故を生む。
移動して他者と出会う、それは時として諍いをもたらす。
だから、この都の民は、動いて出歩く事を放棄したのだ。
あらゆる能動的行為を拒絶し、ただ生存し続けるだけ。
それが、月の都の民なのである。
生死を拒絶した種族。
生を喚起するもの、死へと繋がり得るもの、全てを排除し続けてきた知的生命体。
排除に排除を重ね、残ったものが、この静寂の光景である。
死の世界。依姫には、やはりそうとしか思えない。
空中から見下ろし見渡す依姫に、語りかける者がいる。
『生死を拒絶した結果、死んだも同然の有り様を晒す……笑い話のようだけど、笑えないわねえ』
依姫は、振り返らなかった。何者であるのかは、わかっている。
「……私の母と姉が時折、口にしていた。地獄の女神というのが、貴様だな」
『月の高貴なる方々の、御家族団欒の場で、私の事が話題になるのね。とっても光栄』
「母も姉も……貴様の事を大層、嫌っている」
『ふふん。私もねえ、月の連中は大っ嫌い』
地獄の女神が、嘲笑った。
『排他的な選民主義者の群れ、に見えて実はただ臆病なだけ。自分たち以外の知的生命体を、極度に恐れている。死ぬ事も、生きる事すらも恐くて恐くて仕方がない……ついには、その恐いという感情すらも拒絶して、ほらこの通り」
無数の列をなす建物の、内部が見えた。
カプセル状の、生命維持装置。
みすぼらしい有機物の塊が、その中で弱々しく息づいている。
全ての建物が、そんなものを内包しているのだ。
『何も思考しない、何も知覚しない、もはや知的生命体とも呼べない、ただ存在するだけの惨めで無様な何か。それが月の民……ねえ綿月依姫。貴女は、こんなものたちを守るの?』
「守る」
依姫は即答した。
「私は、月の姫巫女だ。月の都の民を守る、それが務め……」
『貴女のそれは、月人という種族が永らく忌避し続けてきたものよ。穢れ、としてね』
かつて月人という種族は、戦乱の時代にあったという。
その戦乱を終わらせたのが、嫦娥。
賢者・八意永琳を腹心として、彼女は月を統治し、月人の世に平和をもたらした。
平和を維持すべく、嫦娥は月人たちを徹底的に教育した。
戦う事は、穢れであると。
他者を守るためであろうと、闘争は穢れでしかあり得ないと。
その教育が、功を奏した。奏しすぎた、と言えるだろう。
戦乱の再来を恐れるあまり、月人たちは自ら、様々なものを穢れと断じ、排除していった。
『綿月依姫……貴女は、穢れを排除する事が出来なかった。穢れを、捨てられなかった。だから、そこまで美しい知的生命体の肉体を維持している。認めなければ、いけないと思うわ』
「……そうだな。私は、穢れている」
依姫は今、再び、月の都を見下ろしている。
「まるで……そう、幻想郷の人妖の如く」
『ようこそ、幻想郷へ』
別の女神が、そこにいた。
『難しく考える事はないのだ、月の姫巫女よ。自分勝手にしか生きられぬ幻想郷の者どもの如く、お前もひたすら穢れれば良い。穢れで、神を圧倒するのだ。綿月依姫よ、お前がそれをするならば……全ての神が、お前にひれ伏すであろう』
『知りたい。君の穢れを、私はもっと知りたい』
計3柱の神が、そこにいた。
『一片の穢れもなかった、清く美しき偶像が……ついに、穢れたね。偶像に、生命が宿った。ああ……これこそが、芸術……』
3柱の邪神が今、依姫を取り囲んでいた。
綿月依姫が一瞬、目を閉じた。
その一瞬の間、とてつもなく不吉な人影が3つ、依姫を取り囲んで浮かび上がった、ように八雲紫には見えた。
うち1つは、自分とも馴染みがある。そう思えた。
依姫が、目を開いた。
その目が、博麗霊夢に向けられている。
禍々しくも神々しい3つの人影は、すでに消えていた。
「……立ち直っちゃった、のよね。依姫さん」
霊夢が言う。
依姫の目をまっすぐ見つめ、それが紛れもなく綿月依姫の瞳である事を確認しながらだ。
「私ね、立ち直る奴って好きじゃないの。でも今回だけはね……私じゃ住吉様、降ろせないし」
「霊夢……」
依姫がこうして霊夢の名を呼ぶと、まるで姉が妹に呼びかけているようである。
「……申し訳ないけど、状況を教えて欲しいわ。何やらね、貴女の声が聞こえたような気がするのよ。月へ行って……綿月豊姫と、話をつける……信じられない話。私が、錯乱して聞き間違えたのかしら?」
「安心なさい、正気よ。貴女も、霊夢も私たちも」
紫が言うと、依姫が鋭い眼光を向けてきた。
「八雲紫……先程の者どもは」
「罪悪の袋よ。本体はまだ健在、いくらでも増やせるわ」
紫は、空間の裂け目を開いた。
罪悪の袋が数体、産み落とされたかの如く出現する。
「もちろん、いくら増やしたところで貴女を倒せるわけはない。けれど」
「月に送り込まれでもしたら……月の都は、間違いなく滅ぶ。月の民は死に絶える」
依姫が呟く。
その優美な両手に握られた抜き身の長物は、いつでも紫を切り刻む事が出来るだろう。
「八雲紫……貴様は、私を脅迫しているのか? 何か要求があるなら、言うだけは言ってみたらどうだ」
「残念ね。そうしたいのは山々なれど、今の私には……この子たちを、月の都に送り込む手段がない。スキマを開いて月へと至る経路は、貴女の姉上によって封鎖されてしまった」
紫は言った。
「だから私たちは、別の手段で月に行かなければならない。綿月依姫、貴女の力で住吉三神を降ろして欲しいの。月への、航海のために。もちろん罪悪の袋は連れて行かない、月の都を滅ぼすのが目的ではないから」
「……聞き間違いじゃないのよ依姫さん。私たちね、あの綿月豊姫と話をつけなきゃいけないの」
霊夢が、説得に協力してくれた。自分は黙っていた方が良いか、と紫は思った。
「話だけじゃ……多分、済まなくなると思うけど」
「……豊姫が、来たのね。幻想郷に」
依姫の声が、震えを帯びる。
「豊姫と……戦ったのね? 霊夢……」
「……負けたわ。言い訳しようもない、無様な負け」
俯く霊夢を、依姫は抱き締めていた。抜き身の長物を、放り捨てて。
「……よくぞ……よく、生きていたわね霊夢。豊姫を相手に……それだけでも、凄いわ……八雲紫、貴様は殺されていれば良かったのにな」
霊夢を抱き締めながら、依姫が紫を睨む。
「綿月豊姫と戦って生き延びた、その幸運を無にするな。あれと再び戦うなど、やめておけ」
「……依姫さん……あいつ、言ったわ。幻想郷を滅ぼすって……」
柔らかな抱擁の中で、霊夢は言った。
「脅し言葉だけで済ませる奴じゃないってのは、わかった……こっちから、あいつを倒しに行かないと」
「……豊姫とは、私が話をするわ。幻想郷には手を出さないようにさせる。だから霊夢は」
「……それをね、私たちがやるの」
いくらか上背の勝る依姫の美貌を、霊夢は間近から見上げた。
「依姫さん……お願い。力を貸して」
「霊夢……」
「……貴女にもね、私たちと共に月へ行かなければならない理由があるのよ綿月依姫」
黙っていた方が良いか、と紫は思ったが、これだけは伝えておかねばならない。
「蓬莱山輝夜が、囚われたわ。綿月豊姫に……切り刻まれて肉体を滅ぼされ、魂を持ち去られた」
「輝夜が……」
紫を睨む依姫の目が、燃え上がった。
「……豊姫に……何を、された……と? 妄言で私を惑わそうと言うのなら許さんぞ、スキマ妖怪……」
「切り刻まれた。本当の事よ、依姫さん」
霊夢が、依姫の腕を掴む。
「幻想郷に住んでる人たち、全員が……あんなふうに切り刻まれる……私どうしても、そう思っちゃうのよ……」
「……豊姫の力を目の当たりにすれば、そう思ってしまうだろうな」
依姫が、いくらかは冷静さを取り戻したのか。
「…………輝夜が……豊姫に、囚われた……」
「幻想郷を守る、ついでみたいになっちゃうけど助けるわ。もちろん……だから依姫さん」
「駄目……やめて……」
声がした。
橙と今泉影狼、2人がかりで無理矢理に服を着せられている八雲藍。その九尾の束縛を、1匹の玉兎が振りほどいたところである。
「やめて、やめてやめて! 依姫様を戦わせるのは、もうやめてよぉおおおおおおおお!」
まさしく脱兎の勢いで、しかし逃げるのではなく飛び込んで来た玉兎が、霊夢を突き飛ばして依姫の抱擁を奪い取る。
「…………レイセン……」
「もういいでしょ!? 依姫様!」
玉兎が、依姫にしがみ付いて泣き叫ぶ。
「勝ち目のない反乱を起こして、案の定負けて! だけど死なずに済んで、もうそれでいいじゃないですか依姫様! 戦争なんかもうやめて、平和に暮らしましょうよぉおおおおおおおおッッ!」
「ちょっとお兄さん、顔色良くないよ? 栄養足りてないでしょう。まあ男の子の独り暮らしだもんね……そこでコレよ、八意印の特製栄養剤! 永遠亭の美人薬師が真心こめて調合した、ってその美人薬師の事はご存じ? ふんふん、噂だけ聞いてると。じゃちょっと思い浮かべて御覧なさい、その想像の少なくとも百倍は美人だから! いや本当。そんな超絶美人の先生がね、アナタの健康だけを思って一粒一粒丹念に仕上げた永遠亭秘伝の一品! 今ならたったの、はいお買い上げ! お大事にねっ、顔色さえ良ければ色男のお兄さん!」
因幡てゐから教わった薬売りの口上を、ミスティア・ローレライは完璧に己のものとしていた。
声も良い。
自分に同じ事が言えたとしても、こんな怪しげな錠剤は誰も買ってくれないだろう、と鈴仙・優曇華院・イナバは思う。
「おいおい。売れちゃったのかよ、あの栄養剤」
満足げに歩み去って行く男の背中を見送りながら、霧雨魔理沙があまり大きくない声を出す。
「あれ調合したの私だぜ。美人だけど薬師じゃあない。噂の美人薬師が今は行方不明中だって事」
「もちろん誰も知らないから、まあ黙っていた方がいいと思うわ」
リグル・ナイトバグが言った。
人里である。
最高権力者が不在であろうと、永遠亭は通常業務をこなさなければならない。
だから鈴仙は今、人里の大通りで薬を売り歩いている。ミスティアもリグルも魔理沙も、形としては鈴仙の補佐である。
得意先の、置き薬の確認。
今までは主にそれだけで済んでいた鈴仙の仕事に、因幡てゐが様々な薬の行商を追加してくれた。
現在、永遠亭を取り仕切っているのは彼女である。無数いるイナバたちは基本的に、鈴仙の言う事など聞いてはくれないから仕方がない。
八意永琳が不在の今、永遠亭において製薬の技能をいささかなりとも有しているのは因幡てゐ1人であった。
そんな彼女が、霧雨魔理沙の調合技術を認めてしまったのだ。
「……まあ、飲んだら死ぬようなもの作ったわけじゃないけどさ」
魔理沙が、頭を掻いている。
「確かに栄養満点だとは思うけど……お前よく売り付けたなミスティア・ローレライ。商売、向いてると思うぜ」
「えっへん。霧雨店のお嬢様に、太鼓判もらっちゃった」
「……言うなって」
「ミスティアは、商売やるのが夢なのよね」
リグルが言った。ミスティアが、空を見上げた。
「……私ね、屋台をやろうと思ってる」
「へえ、焼き鳥でも売るのか」
そんな事を言う魔理沙に、ミスティアがびしっと人差し指を向けた。
「それ! 一杯やる時は焼き鳥、その固定概念をぶっ壊す。私はね、鳥たちを守るよ。私の店では鳥肉は出さない。代替品を今、見繕ってるとこなのよ。焼き人肉とか、どう?」
「やめとけ。霊夢に退治されるから」
博麗霊夢が何やら忙しく動いている、という話は鈴仙も耳にしている。
月へ、征くために。
幻想郷からロケットを打ち上げ、月へと向かう。
鈴仙に言わせれば、夢を見ている、としか思えない。が、本気で取り組んでいる者たちがいるのだ。
そんなものには関わりなく、永遠亭は薬を売らなければならない。人里で、置き薬が不足するような事があってはならない。
だから鈴仙は今ここにいる。
「と、いうわけだからね。わかってる? かわいそうな鈴仙隊長」
ミスティアが、いきなり話しかけてきた。
「私そのうち自分で商売始めるから、もう薬売りのお手伝いは出来なくなるよ。人を撃ち殺すのは得意だけど人と話をするのは全然ダメな鈴仙少尉殿が、自分でお薬売らなきゃいけなくなるんだよ? しっかりしなきゃ」
「……かわいそうって、言うな。隊長って言うな。少尉って言うな」
呻く鈴仙の肩に、リグルが優しく手を置いた。
「私たちにとっては隊長よ。一生懸命で、ちょっと頼りない、何をしても報われない、健気でかわいそうな鈴仙隊長」
「少尉ってのもさ、私らを洗脳した時にあんたが自分で名乗った御身分でしょ。間違いなく適当に言っただけだと思うけど」
容赦のない事を言いながらミスティアが、鈴仙の背中をばんばんと叩く。
「洗脳されててもね、鈴仙隊長のかわいそうな言動は私らぜぇんぶ覚えてるから!」
「私たちの事、守ってくれた。私たちのために泣いてもくれた。大丈夫! 私もミスティアも、泣き虫でかわいそうな鈴仙少尉を絶対に見捨てたりしないから安心してね」
「……おい、もうやめろよ。泣いちゃったぞ、この優曇華院」
魔理沙の言う通り、鈴仙は歩きながら泣きじゃくっていた。涙と鼻水が、もはや自分では止められない。
通行人が2人、こちらを見て立ち止まった。若い娘の2人連れだ。
「あ……おーい、霧雨」
「よう。紅魔館の門番が、こんな所で何やってるんだ?」
「ロケットが、ほとんど完成したからな。ちょっとばかり自由時間をもらった」
人混みをうまく擦り抜け、歩み寄って来たのは、紅美鈴と魂魄妖夢である。両名とも、見事な足運びであった。
「……どうした鈴仙、何を泣く」
妖夢が言った。
鈴仙は応えられない。リグルのハンカチで、顔面を拭われるだけである。
「まあ……いいか。戦いが始まる前に、泣けるだけ泣いておけ」
「……私に……何と、戦えって言うのよ……」
鈴仙は、どうにか声を出せた。
「貴女たち……ねえ、正気なの? あんなロケットで月へ行くなんて。と言うより、あれロケットのつもりなの!? 最初に見た時、私お腹抱えて笑ったわよ! あんなので月に辿り着けるわけないじゃない! 貴女たちが馬鹿をやるのは勝手だけど、私を巻き込まないでよ!」
「巻き込むぜ。お前には、何としても協力してもらう」
魔理沙が、少し強めに鈴仙の肩を叩いた。
「……私はな、あれで月へ行けると思ってる。パチュリーが、それに1度は月に行った事のある八雲紫がな、行けると断言してる代物だ。私たちは、あれで月へ行く。そして綿月豊姫と話をつける……ま、話だけじゃ済まないだろうな。とにかく、幻想郷にはもう手出しをさせないようにする。そのついでに取り戻さなきゃならないものが、お前にはあるだろ鈴仙」
「輝夜様を……」
鈴仙は、つい口にしてしまった。自分にとっては敵でしかなかった、はずの姫君の名を。
蓬莱山輝夜を、取り戻す。そのために……綿月豊姫と、戦う。
それは鈴仙にとって、掘っ建て小屋を積み重ねたようなロケットで月を目指すよりも、正気を疑うべき行為であった。
「貴女たちは、本気で……本当に、戦うつもりなの? ……豊姫様と……」
妹・依姫のように、神を憑かせる必要もなく最強の力を振るう。
それが、月の守護者・綿月豊姫なのだ。
「あの方が、どういう存在なのか……貴女たち全員、身をもって知ったはずよ……」
「いやあ、綺麗にぶった斬られたよねえ。私たち」
ミスティアが、リグルと笑い合う。
妖夢が、空を睨んだ。見えぬ月を、見据えた。
「綿月豊姫……敵ながら、あれは傑物だ。尊敬すべき存在だとは思う。だが鈴仙……あやつの、お前に対する仕打ちだけは許せん。私が勝手に思っているだけだ、せいぜい迷惑がれ」
「大迷惑よ……」
鈴仙は、しゃくり上げた。
美鈴が、咳払いをした。
「ちょうどよく会えたから、この場の全員に伝えておく。うちのお嬢様の御言葉だ……ロケットの打ち上げは、次の満月。各自それまでに準備を整えておけ、との事。帰りの切符がない、ほとんど沈没前提の船旅だ。降りたい奴は今のうちに、な。大丈夫、誰も責めはしない」
「完全に仕切ってるつもりだな、レミリアの奴」
魔理沙が苦笑した。
「で……お前は降りないのか? 門番」
「なあ霧雨、本当は気付いているんだろ。今回の件、本当に仕切ってるのはお嬢様じゃあない。パチュリー様だよ。せっかく甦った、なけなしの命の炎をな、燃やし尽くさんとしていらっしゃる。私が、のんびりしていられるわけないだろう」
「ありゃもう死なないぜ当分」
「で、まあそれとは別にな。私は私で、やらなきゃいけない事がある。この戦い、どうしても参加させたい奴が1人」
美鈴が言いかけた、その時。
「……何をしている。こんな往来で、可愛い兎を泣かせてはいけない」
声をかけられた。鈴仙は、まだ泣いていた。
美鈴と妖夢は、巧みな足運びで通行人をかわし、歩み寄って来た。
その女性は、いつの間にか、そこにいた。
「あ……先生」
「どうした霧雨魔理沙。お父上と、仲直りをする気になったのかな?」
「そ、そんなんじゃない。まったく、あんたと言い、こーりんと言い」
鈴仙の知る限り、幻想郷で先生と呼ばれる人物は2人いる。1人は八意永琳。
もう1人が、この上白沢慧音だ。
一癖も二癖もある、という意味においても永琳に劣らぬ美貌が、鈴仙に向かって微笑んだ。
「置き薬の確認に来てくれたのだろう? いつも助かっている」
「……仕事、ですから」
鈴仙は思う。
かつては、八意永琳の暗殺が自分の任務であった。
永遠亭の、結界の無力化。それが、任務であった。
しがない薬売りという表向きの仕事で、それを隠していた、つもりであった。
しがない表向きの仕事だけが、結局は自分に残されたのか。
「上白沢先生は……お買い物か、何かですか。まさか私を、わざわざ迎えに来てくれたわけじゃないですよね」
「付き添いだよ。あの子の、ね」
人里の上空。
慧音が『あの子』と呼んだ何者かが、そこにいた。
楽しげに、空を飛んでいる。羽ばたきと共に、炎の光弾をばら撒きながら。
「こっちだ、こっち! 私に追いついてみろ輝夜!」
炎の翼を広げた、1人の少女。まるで不死鳥である。
藤原妹紅は大抵、このような感じで永遠亭に殴り込んで来る。そして蓬莱山輝夜と殺し合いながら、迷いの竹林の上空を飛び回る。
「どうした、どうした! そんな弾幕、私にはかすりもしないぞ。腕が鈍ったんじゃないのか輝夜、引きこもり過ぎだ!」
楽しげに、本当に楽しそうに、幸せそうに、妹紅は空を飛んでいる。羽ばたき、紅蓮の光弾を乱射している。人里に降り注がぬよう、最低限の制御は働かせているようである。
通行人たちが、見上げ、ざわついていた。
慧音1人が、目を細めている。
「見ての通り……妹紅は今、忙しい。幸せな歴史の真っ最中なんだ。放っておいてやってはくれないか」
彼女もまた、幸せそうにしていた。
妹紅が、存在しない蓬莱山輝夜を相手に、弾幕戦を繰り広げる。その様に、微笑みを向けている。
魔理沙も、妖夢も、リグルとミスティアも、息を呑んでいた。
1人、声を震わせる者がいる。
「……………………藤原妹紅…………ふざけてんのか? お前…………」
空気も、震えている。
人里そのものを震わせ揺るがす怒りの咆哮が、紅美鈴の身体の奥底から迸っていた。
「なっ…………ンだぁ、その! 腑抜けた弾幕はぁあああああああああああああッ!」