第46話 籠の中の不死鳥
原作 上海アリス幻樂団
改変、独自設定その他諸々 小湊拓也
ルナサ・プリズムリバーの演奏を聴いて、自殺をした人間がいる。30名ほど、私は知っている。
彼女の楽曲は、人間の心を暗く沈ませる。その暗さが、重さが、人を虜にしてしまうのだ。
対極にあるのが、メルラン・プリズムリバーの奏でるトランペットの調べである。
彼女の音楽は、人間の心を高揚させる。
メルランの単独演奏会の帰り道、喜び喚きながら裸で走り回り、霧の湖に飛び込み、そのまま溺死した人間を20名ほど私は知っている。
プリズムリバー楽団の演奏を人間に聞かせようとするならば、やはりリリカ・プリズムリバーによる調整と編曲は欠かせないのだ。
「いやあ、喜んでくれたね。子供たち」
メルランが、満足げである。
「子供って正直だからさあ。飽きてくれば平気で欠伸はする、寝る、私語はする、走り回る。どれもさせなかったんだから自慢していいと思うよ、あたしたち」
「……そうね。自分の実力を知ろうとするなら、人間の子供に聴かせるのが一番なのよね」
ルナサが言い、お茶を啜り、そして軽く私を睨む。
「なかなか、その機会がなかったわ。私たちの音楽、子供に聴かせるのはやめた方がいい……なんて、どなたかが本に書いて下さったから」
「……実際、貴女がたの演奏が原因で人死にが出ています。稗田家としては、注意喚起をしなければなりません」
私は応えた。
「人間を、死に至らしめる音楽……ある意味、貴女がたとしては理想なのでしょうけど」
「まあねー。この幻想郷、妖怪は山ほどいるけど。音楽で人間を殺せるのなんて、あたしらくらいだもんね」
メルランが、遠慮なく菓子を食らい、お茶を飲む。
「音楽で、災いを振りまく。本望っちゃ本望よ。けど、それとは別にね……出来るだけ大勢に聴いてもらいたいっていう欲求も、ないワケじゃあないから」
「……菓子のお代わりは、要るかな?」
「もらう! 悪いねー、上白沢センセ。演奏がんばり過ぎちゃってさ、ちょっと甘いものでカロリー補給しないとだから」
上白沢慧音の、寺子屋兼自宅。居間である。
本日、プリズムリバー三姉妹による演奏会が寺子屋で催された。私は居合わせた。
長く続いた奇妙な夜が明け、人里が慧音の能力から解放されたところである。人々に、日常が戻った。
夜が明けぬ異変。それは、解決された。一見そうだ。
実はまだ解決されていないのかも知れない、と私は思う。博麗の巫女が、何やら動いている気配があるのだ。
「……貴女のおかげね、リリカ」
ルナサが言った。
「私とメルランだけでは、ね。人間の子供たちに聴かせる音楽なんて、とても無理」
「うふふふ、ルナ姉の演奏でみんな死んじゃう。あたしの演奏で、みんな変になっちゃう」
慧音が新しく持ってきてくれた菓子を、メルランがばりばりと食らう。
「リリカがねえ。あたしとルナ姉の音楽を、いい感じにまとめてくれるのよねえ」
「……私、それしか出来ないから」
リリカの口調が、暗い。
「ルナ姉やメル姉みたいに、強烈なもの……私、何にも持ってないから……むっぐ」
「まだ言うかね、この子はもう」
メルランが、妹の口に無理矢理お菓子を詰め込んでいる。
「あのね、あんたがいないとプリズムリバー楽団なんて成立しないわけよ。あたしとルナ姉だけじゃ、とっくに空中分解」
「……リリカは知らないのね。私とメルラン、2人きりだと……どれだけ、仲が悪いのか」
ルナサが、呪詛のように呟いた。
「……殺し合いに近い事、何度もしているわよ」
「そりゃ殺意も湧くってもんよ。ルナ姉のヴァイオリン、くっそ暗いんだもの」
「明るいだけのトランペット……音楽を馬鹿にしているとしか、思えないのよね……」
「えっと、じゃあルナ姉に対するクッソ暗い思いを込めて。1曲吹いてみよっか」
メルランの傍に、トランペットが出現した。
「殺意丸出しの弾幕が出て来るけど、覚悟はいい?」
「……そうね。私も、愚かな妹に捧げる葬送曲……頭の中で、楽譜が書けたわ」
ルナサの傍にも、ヴァイオリンが浮かんでいた。
両者の間に、慧音が割って入る。
「やめたまえ。まったく、あの素晴らしい演奏が不協和音と紙一重だったとは……」
「そういうもんよ先生。仲良しこよしで、いい音楽は出来ないから」
メルランが言う。そうかも知れない、と私も思う。
我ら稗田家が記す幻想郷縁起も、その内容は平和的なものではない。幻想郷の歴史は、すなわち人妖の諍いの歴史なのだ。
弾幕戦の歴史、なのである。
それを記している時、私は心が躍る。
凶暴で、禍々しくも華々しい、弾幕戦の煌めき。
幻想郷の彩り、そのものであると私は思ってしまう。
歴史を記す者として、未熟であるのは百も承知だ。
私の、この弾幕戦とは縁のない脆弱な肉体は、人妖の争いに魅了されてしまう未熟な心を宿している。
先だっての異変を書き記しながら私は、博麗の巫女の弾幕を想った。スカーレット姉妹の弾幕を思った。八雲の妖怪たちの弾幕を想った。
この度の、永き夜の異変。これもまた、数々の弾幕戦によって目映く彩られているに違いない。
今、調べている真っ最中である。その一環として私は今日、上白沢慧音のもとを訪れた。
「慧音、ただいま」
突然、居間の戸が開いた。
「おっと……失礼、お客がいたのか」
「その節は……」
挨拶をしようとして、私は息を呑んだ。
そこにいたのは、藤原妹紅である。間違いない。
以前、夜が続いている最中のある時、私は彼女から話を聞いた。
あの時の妹紅と、違う。
別人、というわけではない。穏やかに笑う顔は、紛れもなく藤原妹紅だ。身体の弱い私を気遣いながら話を聞かせてくれた、あの時と同じだ。何も、変わりはしない。
だが、違う。
物を書く人間でありながら私は、それを説明するための言葉を持っていない。やはり未熟なのだ。
「珍しい客人だな。稗田の御令嬢は、ともかくとして……幽霊楽団の三姉妹か。こないだの演奏会は良かったよ。私が、死ねるかも知れないと思ったくらいさ」
「貴女の中から聞こえる音を、編曲してみただけよ……死を願う、音を」
ルナサが、続いてメルランが言った。
「今日はまた……おかしな音、鳴らしてるわねえ藤原さん。一体、何があったの」
「何もないって。私は、いつも通りさ」
妹紅が微笑む。やはり、あの時とは何かが違う笑顔。
メルランの言う「おかしな音」に近いものを、私は感じているのだろうか。
「おかえり、妹紅」
慧音も微笑む。
「今日は遅かったね。苦戦をした? もしかして……負けたのかな?」
「まさか」
妹紅の笑顔は、穏やかで優しい。だが、どこかがおかしい。
「勝負は早めについたよ。いつも通り、私の勝ち……そうしたら輝夜の奴、泣いちゃってさ。慰めていたんだ。それで遅くなった」
何かを見ている。私は、そう感じた。
あの時には見ていなかった何かを今、妹紅は見ている。
それは、私には決して見えないものだ。
プリズムリバー姉妹は3人とも、妹紅から何か奇妙な音を聞き取っている。だが見えてはいない。
「そうか。優しいものな、妹紅は」
慧音はどうか。
妹紅が見ているものを、何らかの形で知覚しているのか。
「お腹が空いた? すまないが夕食はまだだ」
「寝てるよ。じゃ、お客人方。またな」
妹紅が、戸を閉めて立ち去った。
私は、おぼろげに気付いた。慧音の笑顔を見て、気付いてしまった。
彼女は、見せている側だ。
妹紅にしか見えていない何かは、このワー・ハクタクによって生み出されたものだ。
「上白沢先生……貴女は……」
私は問いかけた。
「藤原妹紅に……一体、何をしたのですか」
「呪いの歴史から、解放しただけだよ」
歴史喰らいの魔獣は、静かに答えた。
「妹紅は今、妹紅だけの歴史を歩んでいる。幻想郷縁起に記すまでもない、取るに足らぬ歴史……どうか放っておいてはくれないだろうか、稗田阿求女史」
井の中の蛙。それが自分だ、と岡崎夢美は思う。
可能性空間移動船を駆り、様々な世界を往来した。
それだけで自分は、あらゆる宇宙を掌握した気になっていた。
恐ろしいものを、何も知らなかったのだ。
風見幽香という怪物が存在する事を、知らなかったのだ。
そして今、目の前にいるものは何か。
風見幽香に匹敵しうる怪物、ではないのか。
『なるほど……満月の夜をとどめていたのは、お前だね。何とも猪口才である』
声は聞こえる。が、姿は把握出来ない。
宇宙の深淵そのものが揺らめいて、この可能性空間移動船と対峙している。そう見える。
本来ならば、この宙域には月の艦隊が布陣しているはずであった。月の都を、守るために。
艦隊は壊滅した。綿月豊姫は、それだけを言った。
現在、月の都の防衛に当たっているのは、この可能性空間移動船ただ1隻である。
巨大な船体の、あちこちで小規模な爆発が起こっている。中破、といったところであろうか。
『綿月豊姫……愚かな娘よ。私と嫦娥のくだらぬ殺し合いに、無関係の者を巻き込むとは』
そう言われた綿月豊姫は負傷し、可能性空間移動船の甲板上に倒れ込んでいる。
抱き起こしながら夢美は、揺らめく怪物との会話を試みた。
「巻き込まれたわけではない……綿月豊姫は、私にとって恩人だ。盟友だ。私が、己の意思で……及ばずながら、力を貸している……」
夢美も、無傷ではない。
光波障壁は粉砕され、ぼろぼろの衣服に血が滲んでいる。
同じく血まみれの北白河ちゆりが、近くで倒れていた。
夢美の腕の中で、豊姫は辛うじて意識を保っている。
その美貌は、血に染まりながらも青ざめ、それでも凜として怪物を睨んでいる。
光り輝くものを、豊姫は抱き締めていた。
繭、に見える。光の繭。
フェムトファイバーの、球形の塊である。光る何かを内包している、ようであった。
『ほう……それは、何かえ』
揺らめく怪物が、光の繭に興味を示した。
『月の都の丞相よ、お前の大切なものであるならば……ふふ、奪ってみようか。私が、奪われたように』
「……なるほど、何かの復讐というわけか」
夢美は、豊姫を背後に庇った。
「事情は、聞かない事にしよう。そんなものに関わりなく私は……豊姫を、死なせるわけにはいかない」
「駄目……」
豊姫が、声を漏らした。
「命乞いをしなさい岡崎教授……私の身柄を、差し出して」
「そんなものを、聞き入れてくれる相手とは思えないが」
揺らめく怪物を、夢美は見上げた。
「月の都に与する者は、生かしておけないのだろう?」
『無論である』
怪物の眼差しが、可能性空間移動船の後方……月に向けられた。
『私はまず、あやつから……綿月豊姫よ、お前を奪う事にしよう。そして岡崎夢美とやら、盟友ならば死出の旅路の共をしておやり』
「…………させるか……よ……」
ちゆりが、よろよろと立ち上がっていた。
「教授は……私が、守る……」
「ちゆり……」
馬鹿、よせ、逃げろ、と夢美は叫びそうになった。
この怪物から、逃げられるとは思えなかった。
『…………守りたい、か……』
揺らめく怪物が、ちゆりを見つめている。
『……失いたくないのだね。奪われたく、ないのだね……ふ、ふふふ……わかって、いるのか? 私だって……失いたく、なかったのだよ……』
声が、微かに震えているようだ。
宇宙が、震えている。夢美は、そう感じた。
『…………おや?』
揺らめく怪物が、何か感知したようである。
『……ほう、これは……ほうほう、うむ。実に良かった』
喜んでいる、のであろうか。
『お前は……守り抜いたのだね? 失わずに済んだのだね、名無しの小悪魔よ……本当に、良かった。ふふ、うっふふふふ』
「何がおかしい……こいつ!」
激昂するちゆりに、怪物が愉しげな視線を向けている。
『喜ぶが良い、お前たち。ある理由で私は突然、機嫌が良くなった……この度は私の勝ちという事で、このまま引き上げてくれよう』
気配が、声が、遠ざかって行く。
『……少しは、目を見開いて周りを見るのだな。己の愛娘に命を賭けさせておきながら、自らは月の都に閉じ籠もる臆病者……嫦娥よ、見ているか! この宇宙にはな、貴様が穢れと断じて忌み嫌うものが満ち溢れている……』
そろそろ夕刻である。
赤みを増した日の光を浴びながら、藤原妹紅は縁側に寝転がっていた。幸せそうに、寝息を発している。
上白沢慧音の自宅を、まるで自分の家のように使っている。慧音も、それを受け入れている。
むしろ慧音の方が、誘拐も同然の形で、妹紅をここに住まわせているのではないか、とリリカ・プリズムリバーは思う。
縁側に腰を下ろす。妹紅の隣である。
姉たちは、まだ居間で何やら話し込んでいるようだ。
妹紅から、おかしな音は相変わらず聞こえて来る。音楽の体を成していない、不穏な音の流れ。
鳥籠に囚われた、鳥の鳴き声。リリカは、そう感じた。
その鳥は、鳥籠からの解放を、それほど痛切に望んでいるわけではない。囚われの境遇に、ある種の心地良さを感じている。飼い主の寵愛を一身に受ける安楽・悦楽を。
一方。自由に空を飛びたいという願いが、全く無いわけではない。
相反する思いが、未完成の音となって溢れ出し、リリカの聴覚を、心を、ざわつかせている。
「この音……ルナ姉なら、どう編曲するかな……メル姉なら……」
ルナサであれば、飼い主に死なれ、籠の中で朽ち果ててゆく鳥の歌を仕上げて見せるだろう。人里の住人ことごとくが自殺しかねないほど、悲しみに満ちた楽曲となるに違いない。
メルランの手にかかれば、鳥籠から飛び出して大空に挑む、勇敢あるいは無謀な鳥の歌が出来上がるだろう。その鳥は、自由を謳歌しつつも、大自然の厳しさに敗れて死ぬかも知れない。明るく勇壮な、だがどこか不吉な楽曲となるだろう。
「私……どっちの曲も、作れない……」
リリカは俯いた。
自分が楽曲を作ったところで、良くとも姉たちの模倣にしかならないのだ。
「……私……中途半端……」
「それが今の、この人の心よ」
声がした。
少女が1人。眠る妹紅の、リリカとは反対側の隣に腰掛けていた。
「鳥籠から、出たいのか出たくないのか……この人、きっと自分でもわかってない」
「誰……」
小鳥のさえずりが、聞こえた。
少女の白い帽子に、細い肩に、愛らしい手に、何羽もの小鳥たちが止まっている。可憐な美貌の周囲を、ぱたぱた飛び回ってもいる。
この少女が何者であるのかを、リリカはおぼろげに直感した。
「……貴女……騒霊ね? 私らと同じ」
「仲間に会えて、嬉しい」
少女が、寂しげに微笑む。
「私、ね……忘れられちゃったの」
「騒霊は、騒がなきゃ誰にも見てもらえないもんね」
だから、プリズムリバー三姉妹は音楽をしている。
自分リリカは、しかし姉たちの付属物に過ぎない。
リリカ・プリズムリバー個人の音楽など、誰も聞いてはくれない。そして自分は忘れられる。
「私……この人には、籠の中から出て来て欲しい。思いきり、大空を飛んで見せて欲しいの」
笑顔の周囲に小鳥たちを滞空させながら、少女は言った。
「……真っ赤に燃える、火の翼で……」
「…………ッッ!」
リリカは息を呑んだ。
凄まじい、としか言いようのない音が、騒霊の少女から聞こえて来たのだ。
(……この、音……! ルナ姉なら……メル姉なら……私じゃ、もちろん無理……)
どうしてもリリカは、そう考えてしまう。
(……いや。あの2人でも難しい、んじゃない? 凄いよ、この子の音……)
リリカは戦慄した。
少女は、小鳥たちと戯れていた。