第43話 夢幻の紅魔
原作 上海アリス幻樂団
改変、独自設定 小湊拓也
「ごめん! 本当にごめんよ小悪魔、だけど信じて欲しい! パチュリー様を蔑ろにする気はなかったんだよぉおおおお!」
紅美鈴が、悲鳴を上げながら吹っ飛んで行く。
紫色の、光の直撃だった。
大小の、光弾の嵐。鮮烈な紫色をしている。
夜闇を紫色に照らし染める弾幕が、美鈴を容赦なく叩きのめしていた。
花火の如く血飛沫を宙に咲かせながら、美鈴は錐揉み回転をして地面に激突し、倒れ伏してボロ雑巾のような様を晒す。
相変わらず見事な倒されぶりだ、と十六夜咲夜は思った。
名無しの人形使いが、美鈴を気遣う。
「ちょっと……貴女、大丈夫?」
「だ、誰だか知らないけど逃げろ……今の小悪魔は、本当にヤバい……」
今や小悪魔などと呼ぶべきではないかも知れない少女が、永遠亭の方からユラリと歩み寄って来る。
たおやかな背中から広がる翼が、いくらか大きさを増しているようだ。
その翼が、羽ばたいた。
飛行の羽ばたき、ではない。翼が、光をばら撒いたのだ。
紫色の光。
大小の、光弾の嵐が吹き荒れていた。
竹林の夜景を紫色に染める弾幕が、再び美鈴を襲う。
美鈴を助け起こそうとする、人形使いの少女を襲う。
両名を、咲夜はまとめて背後に庇った。優美な片手を振るい、ナイフではないものを投射した。
「パーフェクト・スクウェア……」
退魔の念が、巨大な四角形を成しながら空中に広がり、紫色の弾幕を包み込む。
敵弾をことごとく消滅させる、四角形の領域。
それが、しかし次の瞬間、砕け散っていた。
領域の破片を蹴散らしながら、紫色の弾幕が咲夜を襲う。
いくつもの盾が、咲夜を守った。
盾を構えた、人形たちだった。
紫色の光弾が、それら盾をことごとく粉砕する。
盾を失った人形たちが、衝撃で吹っ飛び、人形使いの少女の周囲でどうにか体勢を立て直す。
咲夜は、まずは礼を言った。
「……助かったわ。ありがとう、ええと」
「アリス・マーガトロイドよ」
「自分の名前を、思い出したのね」
魔法の森で出会った時には、廃人にも等しかった少女である。
「戦う意志を、力を、取り戻した。それは、わかるわ……けれど私の意見も美鈴と同じよ。逃げなさい、アリス・マーガトロイド」
「……貴女たちは、逃げないの?」
自分よりも大柄な美鈴に肩を貸しながら、アリスは言った。
「あの子は……貴女たちの手にも、いくらか余るように見えるわ」
「確かにな……」
美鈴が呻く。
そして、迫り来る悪魔の少女を見据える。
「……だけど、駄目なんだ。あいつは、私たちで……何とかしなきゃ、いけない」
「止まりなさい、小悪魔」
咲夜の傍らに、パチュリー・ノーレッジが立った。
「……それ以上は、許さないわよ」
「あの、パチュリー様……小悪魔に、何かしました?」
美鈴が問う。
「めちゃくちゃ強くなる魔法とか……」
「いいわね。そんな便利なものがあるなら私、まず自分に使うわ」
「パチュリー様……どうか、お許しを……」
小悪魔が微笑んだ。
燃え盛るように輝く両眼から、涙が溢れ出している。
「……いえ、未来永劫お許しいただけなくとも私は構いません。小悪魔は、貴女様に背きます。全ては私の自分勝手、パチュリー様には関わりなき事」
「小悪魔……」
「紅美鈴、それに十六夜咲夜……お前たちは、生かしておいてやってもいいわ。これまでの億倍、パチュリー様に忠誠を尽くすのであれば」
「ありがたき御言葉」
咲夜は、冷笑をして見せた。
「お前……私を、殺したいのではなくて? 紅魔館では随分と、いびったものね」
「成り上がりメイド長の低次元な嫌がらせで、いちいち目くじらを立てたりしないわ」
小悪魔が眼光を燃やし、牙を剥き、人差し指を咲夜に向ける。
「お前はただパチュリー様に尽くしていればいいのよ。それがメイドの存在意義でしょう? 目上の相手に媚びて尻尾を振るだけの牝犬が!」
「……お前、いい加減にしろよ」
前に出ようとする美鈴を、咲夜は押しとどめた。
「下がっていなさい美鈴……パチュリー様、申し訳ございません。私、小悪魔を切り刻みます」
「貴女も下がりなさい、咲夜」
小さな人影が、いつの間にか咲夜の前に佇んでいた。
「暴言の罰は、私が与えておくわ。それ以外にも……言っておかなければ、ならない事がある」
小悪魔が、息を飲んだ。息を飲みながら、言葉を発した。
「…………レミリア……スカーレット……」
「まずは、ありがとう小悪魔。パチェを助けてくれて」
これほど優しいレミリア・スカーレットの声を、咲夜は聞いた事がなかった。
「私が無様であったのは、言い訳のしようもない事実……そのせいで、パチェを死なせてしまうところだった。貴女がいてくれなかったらと思うと、ぞっとするわ」
「……お前……お前は……」
「紅魔館に、お前がいてくれて……本当に良かったわ、小悪魔」
「この世に、お前がいるせいで……パチュリー様が……」
禍々しく紫色に揺らめくものが、小悪魔の細い全身から立ちのぼり、燃え上がる。
悪魔族の少女の、たおやかな肉体を組成している魔力が、溶け出している。そのように咲夜には見えた。
「レミリア・スカーレット……お前が何も命じなくとも、パチュリー様は御自身の意思で……御自分の、儚いお命を削ってしまわれる……お前が、お前がいるせいで」
呪詛の言葉を漏らす小悪魔に、何かがぶつかって行った。
レミリアと同じくらいの、小さな人影。砲弾の如く、小悪魔を直撃する。
「……あ? 何よ、この使えないクソガキ……」
小悪魔の翼が一瞬、巨大化し、高速ではためき、直撃を受け流していた。
受け流されたフランドール・スカーレットが、即座に体勢を立て直し、光の剣を振るう。
その斬撃に、小悪魔は右手で、紫色の大型光弾を叩き付けていった。
「あんたね、一体何やってたのよ!? 私がっ、何のために! あんたを解き放ってやったと思ってるわけ!? そこのクソったれ姉貴をォ、ぶち殺すためでしょうがぁあああああああああああッッ!」
爆発にも等しい衝撃。
光の剣も、紫色の大型光弾も、砕け散っていた。
激突に弾かれた小悪魔とフランドールが、いくらか間合いを開いて着地し睨み合う。
フランドールには、相変わらず表情はない。
小悪魔は、牙を剥いている。
「期待……してたわよ、あんたには」
その全身から揺らめき出でる紫色のものが、何か、とてつもなく凶悪な姿を形作っているように咲夜には見えた。
「あんたなら、紅魔館の暴君をこの世から消してくれるって……それが何よ、飼い馴らされてンじゃあないわよ役立たず! もういい、姉もろとも死んでしまえ!」
「何度でも言うわよ。私はフランを、飼い馴らしてなどいない……仲直りを、しただけ」
レミリアが、フランドールの首根っこを掴んで引き戻した。
「……下がりなさいフラン。これは私の戦い、貴女でも立ち入る事は許さない」
「……お前…………!」
小悪魔の燃え盛る眼光を正面から受け止め、レミリアは微笑んでいる。
「貴女とも仲直りをしたいわ、小悪魔」
「お前はぁ……お前の、せいで…………ッッ!」
「全て、私にぶつけなさい。受け止めるわ、紅魔館の主として」
「お前の……せいでっ……! パチュリー様がぁ…………!」
「……パチェを大切に思ってくれて、本当にありがとう」
「おまえぇええええええええええええ!」
夜を砕くかのような、絶叫だった。
「お前、おまえ! お前がいるから! オマエさえ、お前さえ! お前さえ、いなければ! お前さえいなければレミリア・スカーレットォオオオオオオオオオオッッ!」
紫色の光と真紅の光が、ぶつかり合った。
至近距離から弾幕をぶつけ合った、ようにも見える。レミリアと小悪魔、少女2人の肉体が光をまといながら直接、正面衝突したようでもあった。
ともかく、爆発が起こった。
真紅と紫、二色の爆炎が融合しながら巨大な火柱と化し、永遠亭庭園の土を大量に夜空へと噴出させる。
咲夜は見上げた。
レミリアも小悪魔も、空中にいた。
つい先程までは天使たちで占められていた夜空が、今は2色の光で満たされている。
2色の宝珠が無数、飛び交っている。
紫と真紅の、大型光弾だった。
それらが、空中各所で激しくぶつかり合い、美しく砕け散ってゆく。
煌めきの中、小悪魔とレミリアは対峙していた。
小悪魔の細身から溢れ出す紫色の揺らめきが、炎のように燃え上がる。
「暴君が! 暴君がッ! 暴君がぁあああああああああっ!」
大きな翼を、華奢な手足を、小悪魔は荒々しく躍動させる。めちゃめちゃにレミリアを殴りつける、ような動きであるが、拳や蹴りの届く間合いではない。
だが。紫色の炎は小悪魔の暴れように合わせ、激しく禍々しくうねり狂ってレミリアを強襲する。
「くっ……!」
小さな全身を、レミリアは翼で包み込んだ。
その防御の上から、紫色の炎が叩き付けられる。3度、5度と、凄まじい勢いで。
閉じた翼に閉じ籠ったまま、レミリアが揺らぐ。砕け散った炎の飛沫が、その周囲で膨れ上がり輝いた。
無数の、大型光弾だった。紫色の、宝珠の群れ。
小悪魔の全身から溢れ出し燃え盛る、紫色の炎。それを燃料とする弾幕である。
「暴君だからって、搾取しないでよ! 奪わないでよ! 私からパチュリー様を奪うな!」
小悪魔の絶叫に従い、それらが全方向からレミリアを直撃した。
宝珠の破片が、キラキラと舞う。
その煌めきの中に、レミリアの血飛沫があった。
「お嬢様…………!」
悲鳴に近い声を、咲夜は漏らしていた。
このような心配、レミリアは煩わしがるだけであろう。
「返せ……返せよ……」
小悪魔が羽ばたいた。飛翔した。空中でよろめくレミリアに向かってだ。
紫色に燃える、流星であった。
「返せ! 返せっ! パチュリー様を私に返せぇええええええええええッッ!」
激突した。
紫色の流星と化した小悪魔が、レミリアに。
2色の光が、血飛沫の如く飛び散った。紫色と、真紅。
永遠亭の家屋の一部が、潰れて砕けて噴き上がった。
小悪魔が、墜落していた。
激突の際、レミリアの方からもぶつかって行ったのだ。真紅の流星となって。
「……そう……それで、いいのよ。名無しの小悪魔……」
瓦礫に埋もれた小悪魔を、レミリアは空中から見下ろしている。
微笑む美貌を、鮮血がつたう。
「お前は今、名前などよりもずっと……己を証明するものを、獲得している。紅魔館に仕える者は、そうでなければ」
ボロボロに裂けた衣服も、血まみれだ。
まるで鮮血が全身から漂い出しているかのように、レミリアは今、赤色の光をまとっている。
瓦礫が、動いた。
「…………誰が……っ」
小悪魔が、よろよろと立ち上がっていた。
「……誰が……紅魔館になんて、仕えるもんか……」
「従えるわ。私が、今から貴女を…………うっぐ!?」
起こって当然の、だが起こってはならない事が、起きていた。
レミリアの身体が、煙を発しながら痙攣する。
呆然と、咲夜は呟いた。
「…………夜明け……」
フランドールを抱き寄せ、日傘を開く。
だが空中のレミリアを、日傘で守る者はいない。
東の方角から竹林を白く照らす、朝焼けの光。
長く、あまりにも長く続いた夜が、明けたのだ。
幻想郷の誰もが望んだ光。
それが今、レミリアを滅ぼそうとしている。
「悪運……尽きたわね、くそったれ吸血鬼!」
瓦礫を飛び散らせて、小悪魔が飛翔する。
紫色の流星だった。
「日光で焼け死ぬのは辛いでしょう。安心なさいな、その前に私が楽に死なせてやる!」
直撃を受けたレミリアが、へし曲がりながら様々なものを飛び散らせた。
紫色の火の粉、血飛沫、そして灰。
白い肌が、剥離しながら灰に変わってゆく。
そんな有り様を晒しながら、レミリアは叫ぶ。
「咲夜! フランを止めなさい!」
日傘の下から飛び出そうとするフランドールを、咲夜は抱き締め、抱き止めていた。
「駄目……なりません、妹様……」
激痛に、咲夜は耐えた。
フランドールが、咲夜の腕を掴んでいる。
剥き出しの二の腕に、可憐な五指が刃物のように突き刺さっている。鮮血が、滴り落ちた。
咲夜の腕を引きちぎろうとしながら、フランドールが見上げてくる。
表情のない美貌、虚ろなほど澄んだ真紅の瞳。
それらの下で、激情が溶岩の如く渦巻いている。人形の美貌が、ひび割れ始めているように咲夜には思えた。
「嬉しい……私に対しても、お怒りを露わにして下さるのですね。フランドール様……」
咲夜は微笑んだ。
「……ご覧下さい。貴女様の姉君はね、戦っておられるのです」
空中ではレミリアが、紫色の宝珠を大量に撃ち込まれていた。
小悪魔の放つ大型光弾の嵐が、レミリアを打ちのめし、吹っ飛ばし、灰を散らす。
「外の世界で、フランドール様と大喧嘩なさった時と同じ……私どもに言わせれば、まるで意味の無い戦いです。馬鹿げております」
ひび割れそうな真紅の瞳を、咲夜はまっすぐ見据えた。
「本当に、まったく……馬鹿げて、いますわ……」
澄んだ真紅の瞳から、溶岩の如き激情が一瞬、噴出したように見えた。
人形の美貌が、微かに震えている。
フランドールは今、咲夜の腕どころか身体を引き裂こうとしているのか。
「妹様……やめて、フランドール様!」
美鈴が叫び、駆け寄って来て血を吐いた。
右手で咲夜の腕を掴んだまま、フランドールは左手を美鈴の腹部に突き刺していた。
「私の命……握り潰していただいて、構いません……どうか咲夜さんだけは……」
血を吐き、涙を流しながら、美鈴は笑った。
「妹様……私に対しても感情、見せてくれましたね? お前ぶっ殺すって感情……嬉しいです」
「……いいわ美鈴。その頑丈な身体で、フランを止めていなさい」
容赦のない事を言いながらレミリアが、灰を散らす。
焼けただれた顔面から、頬が崩れ落ち、白く鋭い牙が凶暴に露出していた。
その顔面に、紫色の宝珠の直撃を喰らいつつ、レミリアは吼える。
「フラン……私を、この姉を、見ていなさい!」
崩壊しかけた全身から、炎のような鮮血のような真紅の光が溢れ出す。
「私に何かあれば、貴女が紅魔館を率いる事になるわ……」
その光が球形に固まり、膨張し、燃え輝く。
太陽にも似た、超大型光弾。
巨大な真紅の宝珠が、出現していた。
「美鈴が、咲夜が、パチェが、刃向かって来た時には! 貴女がこうして受けて立つのよフラン、たとえ陽の光の中であろうとも!」
「……ねえフランドール様。貴女の姉上、バカですよね」
苦しげに微笑みながら美鈴が、咲夜とフランドールをひとまとめに抱き締める。
「本当……どうしようもない、大バカ者ですよね……」
巨大な真紅の宝珠が、小悪魔を直撃していた。
爆発が、起こった。
真紅の爆炎が、紫色の揺らめくものを消し飛ばしてゆく。
小悪魔の姿が、薄れてゆく。
「……まだ……まだ、まだっ! 私は、やれる……パチュリー様の、御ために……」
「……やめて。もうやめなさい、小悪魔」
朝焼けをも圧倒する真紅の爆発を見上げ、見据え、パチュリーは言った。
「貴女に……そんな力を与えたのは一体、誰なの。誰が……そんなふうに、貴女に道を誤らせたのは……一体、誰」
「申し上げましたよパチュリー様……全ては、私の自分勝手。私の一存……私は……」
爆発は消え、小悪魔は宙を漂う。落下に必要な質量を、失っている。
その姿が薄れ、迷いの竹林の、朝の風景に溶け込んでゆく。
「自分勝手を、押し通す事が出来て……私、幸せでした……パチュリー様……」
「……パチェが、死ぬわよ」
空中に灰をばら撒きながら、レミリアが落下して行く。
翼が、ほとんど白骨化していた。
「私、パチェをこき使うわよ……」
「……お前…………!」
「……パチェを、守ってごらんなさい……」
「……くそったれ吸血鬼がぁああ……っ……!」
小悪魔が、墜落して行く。
薄れ、消えかけていた肉体が、質量を取り戻したのだ。
八雲藍が、空中で小悪魔を抱き止めていた。
「お見事……君が、ここまでやるとは思わなかったよ」
しなやかな細腕と、豊かな胸と、巨大な9つの尻尾で、藍は小悪魔を抱き締めている。
一方レミリアの身体も、空中で確保されていた。
「私が貴女を成長へ導いた……などと、思い上がるつもりはないわ」
日傘の下で、八雲紫はレミリアを抱き支えている。
「自力で進化を遂げつつある魔王……ふふっ、恐ろしいわ。この先、貴女は一体どこまで行ってしまうのかしらね。レミリア・スカーレット」