第41話 死の天使
原作 上海アリス幻樂団
改変、独自設定その他諸々 小湊拓也
月に眠る、最古の穢れ。死、そのもの。
それが、自分を迎えに来てくれた。死に抱かれながら、自分は月に帰る事が出来る。
ぼんやりと座り込んだまま、鈴仙・優曇華院・イナバは、そんな事を思った。
「…………きれい……」
呟き、見上げる。綺麗なものたちで満たされた、夜空を。
未だ夜の明けぬ永遠亭の上空を、輝ける天使の軍勢が埋め尽くしている。
死の天使。そう呼ばれるものの存在は、鈴仙も伝説として聞いた事はある。
伝説が、月から幻想郷へと降りて来た。愚かな玉兎を裁くために。
鈴仙は立ち上がり、両腕を広げていた。
裁きの光が、降り注いで来たのだ。
天使たちの放つ、レーザー光。
それが鈴仙の身体を切り裂く寸前、何かが飛び込んで来た。天使たちと比べて、あまりにもみすぼらしい、2つの小柄な影。
リグル・ナイトバグと、ミスティア・ローレライだった。
両名が羽ばたきながら鈴仙を掴んで引きずり、物の如く移動させる。
直前まで鈴仙のいた辺りで、天使のレーザー光が地面を穿つ。
「御命令を……鈴仙少尉」
呆然とする鈴仙の腕を掴んだまま、ミスティアが、続いてリグルが言った。
「……行動の御指示を、いただきたいと思います。鈴仙隊長」
「貴女たち……」
鈴仙は、安堵の息をついた。
自分はこのまま死ぬにしても、この2人は助かった。八意永琳の薬のおかげ……いや、尽力してくれたパチュリー・ノーレッジ、霧雨魔理沙、アリス・マーガトロイドの3名にも感謝をするべきであろう。
「……貴女たちの、任を解くわ。私なんか放っておいて逃げなさい」
鈴仙は言った。
「時間が経てば催眠は解けます。今まで本当に、ありがとう……」
「御命令を、鈴仙隊長」
リグルの口調に、淀みはない。
真紅に輝く両眼を、リグルもミスティアも、まっすぐ鈴仙に向けてくる。
「我々は、誇りある永遠亭の戦士……鈴仙少尉と共に、戦います。御命令を」
「貴女たちは……!」
鈴仙が息を呑んだ、その時。
裁きの光が、またしても降り注いで来た。レーザー光の雨。
巨大なものが跳躍し、鈴仙をリグルとミスティアもろとも庇った。
白い、巨獣。熊か、猪か。
否、兎であった。
白色の巨体が3名の頭上で傘の如く広がり、レーザー光の直撃を受け止める。
鮮血が降り注ぎ、鈴仙を、リグルを、ミスティアをびちゃびちゃと赤く汚した。
巨大な兎が、血まみれのまま鈴仙の傍に墜落する。
いや、その姿は今や白い巨獣ではなく小柄な少女だ。
「てゐ……」
「ったく……こうなるんじゃないかって、思ってたよ……」
言葉と共に、因幡てゐは血を吐いた。その体内では、恐らく内臓がズタズタに焼き切られている。
「お前さんはアレだねえ鈴仙、結局のところ……安定を、求めてるんだ。帰る場所が、無くなっちまうと……生きる気力も無くしちまう……任務を果たして、月に帰る。それだけが心の支えだったんだろう? 諦めな……あんたはもう、月には帰れない……」
最後の力を振り絞るようにして、てゐは何かを呷った。小さな瓶の中身を、飲み干した。
「ぐえええええええええええ!」
大量の血反吐をぶちまけながら、てゐはのたうち回った。
裁きの光で切り苛まれた身体が、メキメキと凄惨な音を発している。治癒の響き。見えざる手によって、麻酔無しの外科手術を施されているのだ。
「まったくもう! 八意先生に、ようく言っとかないと。せっかくのお薬、もうちょっと人様に飲んでいただく努力をしろって! 飲む人を選んじゃ駄目だっての」
八意永琳は、天空から戻って来ない。稀神サグメの艦隊と、刺し違えたのか。
蓬莱山輝夜は霊魂のみの存在と成り果てた挙句、綿月豊姫に連れて行かれた。
そして自分・鈴仙は、幻想郷に捨て置かれた。
「……ほれ、お前さんも持ってな」
てゐが、中身の入った小瓶を押し付けてくる。
「これ……」
「あの連中から、分けてもらった」
あの連中、と呼ばれた弾幕使いたちが、死の天使の軍勢と交戦状態に入っている。
「ま、元々はウチで作ったお薬なんだがね」
「……どうして……私を、助けたの……」
鈴仙は訊いた。
「私は……永遠亭を、裏切ったのよ……」
「あんたのこだわりや自由意思を尊重しようって気はないんだよ、こちとら」
てゐが、鈴仙の胸ぐらを掴んだ。
「現実を見な。あんたはね、月のお偉い様に捨てられたんだよ。もう幻想郷で生きるしかないんだ。永遠亭を裏切った? 申し訳ない? だったら働いてもらう。先生と姫様が戻って来るまで、永遠亭は私とあんたで切り盛りしなきゃいけなくなるんだ。こき使ってやるから覚悟しな」
間近から鈴仙の顔を睨み据えながら、てゐはニヤリと笑った。
「……あんたに死なれたら私、八意先生に〆られちまうよ」
綿月豊姫が去った。同時に、西行寺幽々子が姿を消した。
豊姫に連れ去られた、と言えなくもない状況ではある。
違う。
ぼんやりと魂魄妖夢は、その確信に至りつつあった。
「……お前だ……お前が、幽々子様を……」
空中に立ち、楼観・白楼の二刀を構えたまま、妖夢は声を投げた。
死の天使、と呼ばれたものたちに。
美しい、有翼の女体。
そんな形をした甲冑が、何やら不吉に燃え輝くものを内包している。
不吉な何かがフェムトファイバー装甲をまとい、群れを成しているわけだが、全ては分身に過ぎない事を妖夢は感じ取っていた。
もっと不吉な、巨大な、本体と呼ぶべきものが、月に存在している。
それが、幽々子を引き寄せたのだ。拉致、と言うより共鳴に近い何かが起こった。
「……何でも、構わん……幽々子様を返せ貴様ぁあああっ!」
竜巻の如く、妖夢は細身を翻した。双刀が荒々しく閃き、斬撃の孤をいくつも描き出す。
それらが、全方向から飛来したレーザーを打ち払う。
その間、もう1人の妖夢が超高速で踏み込み、空中を駆け、死の天使たちに双刀を叩き込んでゆく。
全て、跳ね返された。あの土偶たちであれば、5体か6体は切り刻んでいたところであるが。
跳ね返された半霊が、妖夢の姿を維持出来なくなって霊体に戻り、弱々しく渦を巻く。
「くっ……無傷とは……」
半霊を従えたまま、妖夢はふわりと後退した。
死の天使たちが、レーザー光のみならず光弾を放ってくる。
翼を開き、たおやかな細腕を広げ、裁きの光を放射する天使たちの肢体は、よく見ると全くの無傷ではなかった。
優美なフェムトファイバー装甲の表面に、妖夢の斬撃の跡がうっすらと残っている。拭ったら消えてしまいそうなほど、微かなものだ。
そこへ寸分たがわず再度の斬撃を喰らわせれば、あるいは切り裂く事が出来るかも知れない。が、そんな余裕を与えてくれる相手ではなかった。
レーザーの豪雨を、光弾の嵐を、かわし、双刀で斬り弾きながら、妖夢は防戦と後退を強いられていた。
だが。攻撃が妖夢に集中している間、動いてくれた者がいる。
「魂魄妖夢! 貴女の斬撃、見た目以上に効いているわよ」
言葉に合わせ、いくつもの火の玉が飛翔し、天使たちにぶつかって行く。
炎をまとう、人形たち。
自爆特攻、にしか見えぬ攻撃であった。爆発力を付与された人形の群れが、死の天使たちに激突して行く。
爆撃。
妖夢の微かな斬撃の跡が、爆炎と爆風に圧されてバックリと裂けてゆく。数体分のフェムトファイバー装甲が、切り刻まれて吹っ飛んだ。
自殺にしか見えぬ爆撃を終えた人形たちが、アリス・マーガトロイドの周囲に浮かんだ。見たところ無傷である。何度でも、爆発力を付与する事が出来るのだろうか。
「便利なものだな……」
「そう何度も何度も、出来る事ではないわ……それよりも」
アリスが目を見張り、妖夢は息を呑んだ。
優美な甲冑を剥ぎ取られた死の天使たちが、優美ではない正体を明らかにしていた。
霊体にも肉塊にも見える、おぞましく奇怪なものたちが、ドロリと露わになりつつ妖夢を襲う。アリスを襲う。
両名を護衛する形に、閃光が走った。いくつもの、光の矢。
死の天使のおぞましい正体たちが、射貫かれ、切り裂かれ、砕け散って消滅する。
「厄介な連中だぜ。それに、数が多い!」
霧雨魔理沙が、光の矢を無数、己の周囲に発生させながら、魔法の箒を駆っている。
妖夢は、思わず訊いた。
「お前たち、2人とも……随分と派手に叩きのめされていたが、無事なのか?」
「肋骨が、もしかしたら折れてるかも知れん。だけど痛みを感じてる暇が今はない!」
魔理沙の叫びに合わせ、光の矢の豪雨が一斉に発射される。
一向に減ったように見えぬ死の天使たちに、それらは全て命中した。
翼を広げた、優美なフェムトファイバー甲冑の群れ。全くの無傷、に見える。光の矢の破片を蹴散らして飛翔しつつ、反撃の弾幕を放ってくる。
レーザー光が、光弾が、嵐となって吹き荒れる。押し寄せて来る。
アリスの人形たちが盾を掲げ、全てを防ぎ弾いた。
その間、妖夢は、空中を蹴って跳躍していた。
死の天使たちは、魔理沙の攻撃に対し無傷ではなかった。優美な装甲のあちこちに、うっすらと亀裂が生じている。
それら亀裂に、妖夢は楼観剣・白楼剣を叩き込んだ。
翼ある甲冑が砕け、おぞましく奇怪な中身が空中に溢れ出す。霊体か肉塊か判然としないものたちが、どろどろと浮遊し、妖夢に迫る。
死、そのもの。それを妖夢は直感した。これに触れただけで、生あるものは死に至る。
西行寺幽々子と同質の存在、と言えるのだろうか。この醜悪なものたちが。
醜悪なものたちの根源、とも呼べる存在が、月にいる。幽々子は、それに呼ばれた。共鳴を起こし、召喚された。
「……返せ、幽々子様を!」
妖夢の声に応じ、半霊が荒々しくうねって光弾を掃射する。
霊体か肉塊かわからぬものたちが、撃ち砕かれて飛散・消滅した。
死の天使の群れは、しかしやはり減ったように見えない。迷いの竹林の夜空を埋め尽くし、レーザーや光弾を降らせて来る。
「全員、聞いて!」
八雲紫の声だった。
「この敵たちを、幻想郷全域に散らせるわけにはいかない。ここから、どこにも行かせてはならない! 永遠亭上空に、とどめおく。私は今、そのために結界を張っている」
永遠亭の屋根の上に紫は佇み、たおやかな全身をぼんやりと発光させている。
彼女の絶大な妖力が、永遠亭を中心とする竹林の一区画を完全に包み込んでいる。それを妖夢は感じた。
八雲紫の、結界。
それが今、おびただしい数の死の天使たちを、この一区画に閉じ込めているのだ。
「死の天使の1体が、どれだけの人間を殺戮し得るかを考えて。私たちは、これらをここで斃し尽くさなければならない……」
「結界の外へ、1匹も出しちゃいけない。それはわかるぜ」
降り注ぐレーザーや光弾を、魔法陣の形の障壁で防ぎながら、魔理沙はいくらか苦笑しているようだ。
「見たところ紫、お前さんはその結界の維持で手一杯か。完全無防備、要するに守ってくれと」
「そうしてくれると助かるわ」
微笑む紫に、死の天使たちの弾幕が降り注ぐ。
レーザー光が、光弾が、しかし猛回転する黄金色の何かによって、ことごとく粉砕された。
「……無論、私も守る」
八雲藍だった。
凹凸の見事な裸身に、ふっさりとした九尾が、扇情的な衣装のように絡み付いている。
「皆で……紫様を、守って欲しい。頼む!」
花火のような光景が、生じた。
いくつもの大型光弾が、藍の全身から夜空へと放出され、破裂し、無数の小型光弾となって死の天使たちを直撃したのだ。
フェムトファイバー甲冑に、微かな亀裂が生じた。
ひび割れた天使たちが、次の瞬間には砕け散っていた。美しい甲冑も、醜悪奇怪な中身も、もろともに粉砕されていた。破片が、黄金色の九尾に蹴散らされ消滅する。
藍の、回転。光弾を速射しながらの、体当たりだった。
「なるほど見事なもの……貴女たちは幻想郷の守り手、なのでしょうね。八雲の妖怪たち」
言葉と共にパチュリー・ノーレッジが空中にいて、死の天使たちの包囲を受けている。
その天使たちを、無数の魔法陣が包囲していた。
煌びやかな光が、夜空に満ちた。
魔法陣たちが一斉に、多色の光弾を放出したのだ。
永遠亭に、虹が降り注いで来た。
そんな事を妖夢が感じている間、色とりどりの光弾の嵐が、死の天使たちを激しく直撃していた。
直撃を受けた甲冑が、ひび割れてゆく。
ひび割れた天使たちに向かって、か弱い繊手をかざしながら、パチュリーは言った。
「教えて、魔理沙」
いくつもの太陽が生じた、ように見えた。
超高温の、魔力の膨張体。
大量のそれらが、全方向からパチュリーを照らしながら、
「貴女に……あの方の御声は、聞こえた?」
爆発した。
ひび割れた死の天使たちが、砕け散った。醜悪奇怪な中身が、ことごとく爆炎に灼かれて消滅する。
その様を見つめつつ、魔理沙が答える。
「…………アレの事か? ああ、聞こえたぜ」
「心しておきなさい魔理沙、それにアリス・マーガトロイド。あの御方は、私たち魔法使いにとっての太陽神であり地母神……そして、この者たちの本体は」
若干は減ったように見えなくもない死の天使たちを、パチュリーは見据えた。
「……私たちよりもずっと、あの御方に近い存在よ」
「つまり、こいつらに楽勝出来るくらいじゃないと……アレの、足元も背中も見えてこないって事だな」
魔理沙は、息を飲みながら微笑した。
「アレは、まあ途方もない化け物なんだろうけど……お前も凄いぜ、パチュリー。思った通り、健康を取り戻したお前は本当に凄い魔法使いだ」
「取り戻した、というほど取り戻してはいないわ。ただ、この永遠亭で命を拾う事は出来た。八意先生のおかげ……」
パチュリーは俯いた。地上を、見下ろした。
切り刻まれた蓬莱山輝夜の屍を、パチュリーは見つめている。
「……私……このままでは、八意先生に顔向けが出来ない……」
その視線が、ちらりと動いた。
「……輝夜さんを、取り戻す。私も、それに貴女も、これから歩む道はそれしかないのよ藤原妹紅」
竹にすがりつくようにして、藤原妹紅は呆然と座り込んでいる。
「立ちなさい。今、貴女に必要なのは戦う事よ」
「……戦う……取り戻す? ……輝夜を……?」
パチュリーの言葉に、妹紅は弱々しく応えた。
「私に……そんな資格、あるわけない……だって輝夜は、私のせいで……」
そんな妹紅に、死の天使たちの弾幕が降り注ぐ。
「おい、しっかりしろ藤原妹紅!」
妖夢は叫び、妹紅の頭上で双刀を一閃させた。降り注ぐ光弾とレーザー光を、斬り砕いた。
「折れた心を立ち直らせるために、お前はこの永遠亭という場所を訪れたのだろうが!」
自分の心も今、妹紅と同じような状態にあるのかも知れない、と妖夢は思う。
(…………幽々子様……っ!)
流星のようなものが、その時、飛んだ。
死の天使が1体、2体と、砕け散ってゆく。甲冑も中身も、もろともにだ。
陰陽玉、であった。
「……さっき偶然、発見したのよね。このやり方」
手元に戻って来た陰陽玉を、博麗霊夢は受け止め、再び投擲する。
「こいつら、陰陽玉ぶつけると一撃で斃せるからっ」
投擲された陰陽玉が、霊夢の言葉通り、死の天使を一撃で粉砕した。装甲も、中身もだ。
跳ね返って来た陰陽玉に、霊夢がお祓い棒を叩き付ける。
打ち飛ばされた陰陽玉が、2体もの天使を一緒くたに直撃した。装甲の破片と中身の飛沫が2体分、飛び散って消えた。
「霊夢……貴女は……」
アリスが、息を飲んでいる。
「……何かを、思い出してしまったの?」
「さて? 思い出すような事、何かあるのかしらね私」
言いつつ霊夢は、呪符を投げた。
あらぬ方向へと墜落しかけた陰陽玉が、呪符の直撃によって跳ね上がり、また1体の死の天使に激突する。甲冑と中身が、潰れ混ざり合いながら破裂した。
反撃は無論ある。まだ大量に群れている死の天使たちが、レーザーの雨を放ち、光弾の塊を放出する。
霊夢は飛翔し、全てをかわした。回避をしながら、陰陽玉の行く先へと回り込む。
「私みたいに……なあ霊夢。お前にも、誰かに喰われちまった歴史が……あるんじゃないか?」
呟く魔理沙の視界内で霊夢は、失速しかけていた陰陽玉に蹴りを食らわせていた。すらりと伸びた片脚が、袴スカートを跳ね除けて一閃する。
その直撃を受けた陰陽玉が、超高速で飛翔直進し、死の天使たちを貫通した。計3体。優美な甲冑とおぞましい中身が、穿たれ破裂し、飛び散って消滅する。
陰陽玉が、強力な武器である事に違いはない。それでも、と妖夢は思う。
「博麗霊夢……貴様、やはり戦闘能力の塊だ。禍々しいほどの、実戦の天稟……」
そこで、妖夢の思考は潰れた。
脳髄が、潰れた。妖夢は、そう錯覚した。
気が付いたら、妹紅の傍に墜落していた。
「うっぐ……ぅぁああああ……ッッ!」
楼観剣も白楼剣も手放し、頭を抱えてのたうち回る。
まるで、頭蓋の内部に弾幕を撃ち込まれたかのようであった。
思考力が潰れるほどの激痛の中、妖夢は何かを幻視していた。どこからか見えざる攻撃を撃ち込まれた脳が、妖夢に幻覚を見せていた。
6枚もの翼を広げた、優美なる姿。冷酷な美貌が、微笑んでいる。
見る者を、死へといざなう微笑。幽々子の笑顔と、どこか似ているのか。
否。幽々子の笑顔は、これほど冷たくはない。
近くでは、妹紅も同じく頭を抱え、長い銀色の髪を両手で搔きむしり、痙攣している。
魔理沙も、アリスもパチュリーも、墜落していた。弱々しい悲鳴を漏らしながら、立ち上がれずにいる。
全員、妖夢と同じものを見ているに違いなかった。6枚の翼を背負った、美しく冷たい姿を。
「ぐぁあああああっ! あッあんた、あんたは…………っっ!」
霊夢1人が、空中にとどまっていた。左手で頭を押さえ、右手で辛うじてお祓い棒を握っている。
血走った両眼は、やはり6枚の翼を持つ何者かを睨んでいるに違いない。
そんな霊夢に、死の天使たちが弾幕を集中させる。
霊夢は防御した。霊力の障壁が発生し、そこに光弾とレーザーの嵐が激突する。
障壁は砕け散り、霊夢は血飛沫を夜空にぶちまけ、墜落した。
天使たちの、火力が強化されている。恐らくは装甲も。
激痛に支配された頭で、妖夢は確信した。
6枚の翼を広げた、冷たく優美なるもの。
あれが、あれこそが『死の天使』なのだ。今ここにいるものたちは、その分身でしかない。
分身たちに力を与える、と同時に、妖夢たちに攻撃を撃ち込んで来た。物理的な破壊を伴わぬ、精神への攻撃。
物理的な殺戮を行うのは、この分身たちだ。
「…………霊夢……!」
魔理沙が呻き、霊夢に這い寄ろうとしながら血を吐いた。光の破片を、飛び散らせた。
魔力の防壁が、レーザー光に粉砕されたのだ。
死の天使たちが、上空から弾幕を降らせて来る。無数のレーザー光。無数の光弾。
妖夢の身体の、どこかが破裂した。呼吸が、吐血で潰れた。光弾かレーザー、どちらを喰らったのかはわからない。
屋根の上では、八雲の妖怪たちが集中攻撃を受けていた。レーザー光の豪雨と光弾の嵐が、紫と藍を全方向から直撃する。
藍が、紫の盾になろうとしたようである。両者、抱き合うような格好で屋根から転落した。大量の鮮血が、地面にぶちまけられた。2人とも、肉体の原形は辛うじて保っている。
「……いけ……ない……結界が……」
紫が、声を漏らす。
結界が、失われていた。
死の天使たちが、様々な方向へと飛んで行く。幻想郷全域に散り、殺戮を行おうとしている。綿月豊姫の命令通りに。
「…………させない……!」
パチュリーが、頭を押さえながら弱々しく立ち上がる。
当然そこへも、弾幕は降り注ぐ。
何かしら魔法を使う事も出来ぬまま、パチュリーはよろめいた。6枚の翼を持つ美しいものが、まだ見えているに違いない。
疾風が、吹いた。
疾風、としか思えぬ何かが飛び込んで来て、パチュリーのか弱い身体をさらって行ったのだ。標的を失った光弾とレーザーが、地面を穿つ。
轟音が、聞こえて来た。
光が見える。弾幕の光、とてつもない魔力の光。ただ、魔理沙たち魔法使いの魔力とは何かが違う。
迷いの竹林、全域が、その光に照らされているようであった。
幻想郷各地に散ろうとしていた死の天使たちが、その光に灼かれ、薙ぎ払われ、打ち砕かれ、粉々に消滅してゆく。
「……何だ? 何が……起こって、いる……」
呻きながら、妖夢は見た。
疾風の正体が、パチュリーを優しく抱き上げている、その様を。
「えー……っと、ですねパチュリー様。放ったらかしにしておく、つもりはなかったんですよ」
「…………美鈴……」
抱かれたまま、パチュリーは呆然と呟く。
魔理沙が、アリスに肩を借りて、よろよろと立ち上がる。
「……随分と……お前ら、鳴りを潜めていたじゃないか……」
「パチュリー様が、心お静かに療養なさっている間はね。私たちも動く理由はなかったから」
もう1つ、声がした。
何体もの死の天使が、永遠亭上空で硬直している。
その全身、強度を増したフェムトファイバー装甲に、無数のナイフが突き刺さっていた。
そんな光景の中央で、十六夜咲夜は空中に佇んでいる。時の止まったナイフの上に、立っている。
「……お久しぶりね魂魄妖夢。難儀をしているようだから、助太刀をさせてもらうわ。拒否権は認めません」
硬直していた天使たちが、破裂した。無数のナイフに、咲夜が何か念を送り込んだように見えた。
凄まじい力、ではある。
だが、もっと恐るべき力を振るっている者たちがいる。
迷いの竹林全域を禍々しく照らす、破壊の光。
死の天使たちを粉砕し続ける、その凶暴な輝きの根源たるもの。
2つの、小さな人影だった。
災いを、暴力を、この世の悪しき力の全てを、限界まで凝縮圧縮し、小さく可憐な形に圧し固めた。そんな2つの姿。
片方は、妖夢も知っている。冥界で、この怪物とは戦った事がある。
声を発したのは、もう片方であった。
「この度の異変……」
悪魔だ、と妖夢は思った。天使の群れを滅ぼす、紅い悪魔。
「……ここから先は、紅魔館が仕切るわよ」