第40話 竹取物語、終幕
原作 上海アリス幻樂団
改変、独自設定その他諸々 小湊拓也
「私の……せいで、輝夜が……」
藤原妹紅が呆然と、そんな事を呟いている。
今、彼女の中では何かが渦巻いている。西行寺幽々子は、そう思う。
「……どろどろと、ね」
扇の陰で、微笑んだ。
「いいわよ、思い悩みなさい藤原妹紅。さらに猛々しく禍々しく、ぎらぎらと燃え輝くために」
幽々子の中でも、どろどろした何かが渦巻き、ぎらぎらと燃えている。
その炎が、たおやかな全身から溢れ出し、可視化を遂げていた。
蝶々、である。
綿月豊姫が『穢れ』と呼ぶもので組成された、無数の蝶。幽々子の全身から溢れ出し、空間を満たしながら、ひらひらと舞い漂っている。
「フェムトファイバーを蝕む……穢れの、蝶々」
豊姫の綺麗な両手の間で、光の紐がピンと伸びた。無数のフェムトファイバーが一瞬にして束ねられ、縒り合わされ、組紐となったのだ。
「私の知る限り、地上の弾幕使いで最もおぞましい存在。それが貴女よ、西行寺幽々子」
「おぞましい、どろどろとしたものに成らなければ……綿月豊姫、貴女には勝てないわ」
自分の両眼がぼんやりと発光するのを、幽々子は止められなかった。
おぞましい何かが、自分の中で、どろどろと増量されてゆく。
「駄目……それは駄目よ、幽々子……」
八雲紫が言った。
「……西行妖の操り人形に、戻ろうと言うの? 貴女は……そこから脱却し、新たなる段階に至ったはずよ……」
「…………ねえ紫、あれは私なの。紛れもなく」
焼き払い、無かった事にする。確かに、それは許されないのかも知れない。
「都合良く切り離して、新しい自分に変わる……そんな事は、出来ない……」
「駄目だ」
はっきりと告げたのは、霧雨魔理沙である。
「お前のアレは、本当にやばいんだからな。桜の根元に埋まったままにしておけ」
魔理沙、だけではない。アリス・マーガトロイドに、パチュリー・ノーレッジもいる。空中に佇む、3人の魔法使い。フェムトファイバーを蝕む蝶の群れに護衛されながら、豊姫を見下ろしている。
「冥界の管理人……私、何度も貴女の姿を垣間見たわ」
パチュリーが、繊手を掲げた。
「死にかけている私の、夢の中で……手招きをしてくれていたわね」
豊姫の周囲に、いくつもの魔法陣が生じていた。
「八意先生のおかげで、その手招きに応じなくて済んだと思っていたのに」
それら魔法陣が一斉に、小さな太陽を吐き出した。そう見えた。
まるで恒星のような、爆炎の塊。全てが、全方向から豊姫を直撃する。
「今、こんなにはっきりと貴女の姿が見えるなんて……不吉ね。この上なく」
パチュリーの言葉に、幽々子は微笑みを返した。
「白玉楼で、養生させてあげても良かったのよ?」
「冗談……」
そんな会話の間、いくつもの爆発が豊姫を消し飛ばしていた。優美な肢体が、本当に灰も残さず爆殺火葬されてしまったかのように見えた。
そうではなかった。豊姫の姿は、すでに空中にある。パチュリーの背後にいる。
山と海を繋ぐ能力。一瞬の時間があれば、彼女はどこにでも行けるのだ。
「地獄の女神に与する者、生かしてはおかない……」
フェムトファイバーの組紐が、背後からパチュリーを縛り上げる。病弱な魔女の細身は、強めに束縛されただけで折れ潰れてしまいかねない。
縛り上げられた途端、しかしパチュリーの姿は消え失せた。
幻覚魔法。
幻影ではないパチュリーが、幽々子の近くにふわりと着地する。
束縛対象を失った組紐が次の瞬間、蛇の群れの如く、豊姫の全身を螺旋状に取り巻いた。
防御だった。
螺旋の防御に、光が激突する。
光線状に細長く超圧縮された、魔力。
豊姫の防御を撃ち貫かんとするそれは、人形から放たれていた。
魔法の箒に、魔理沙とアリスが相乗りしている。
魔理沙の眼前に浮かぶ人形が、両名の魔力を束ねて圧縮し、射出しているのだ。
「悪いな。私ら2人がかりじゃないと、その何たらファイバーってやつを粉砕出来ないんだ」
微笑む魔理沙に、後方から身を重ねながらアリスが言う。
「月が……ずっと偽物なら、良かったのに」
魔法使い2人の魔力が、超高圧力の線条となって、フェムトファイバーの螺旋を穿ちにかかる。
「……本物の月は……綿月豊姫、貴女のような冷酷で傲慢な腐れ外道を地上に降らせるだけ。私と魔理沙で……ただひたすらに冷たいだけの本物の月を、滅ぼしてしまいたい」
「私たちなら出来るぜアリス。もちろんやらないから安心しろ綿月豊姫、だがお前はここで倒す!」
「…………っっ!」
何本もの光の組紐を超高速で渦巻かせ、防御の螺旋を維持しながら、豊姫は歯を食いしばったようだ。
幽々子は、片手をかざした。蝶の群れが、一斉に豊姫へと向かう。
紫とパチュリーも、弾幕を放つ構えに入っている。豊姫への、集中攻撃の体勢。
迸る光の線条に、さらなる魔力を注ぎ込みながら魔理沙は吼えた。
「……月を守るために、幻想郷を滅ぼすだと? どっちかが滅びて無くなれば片方は守られるだと? ……月にいるの、お前みたいな奴ばっかじゃないよな!? おい! お前はただの頭おかしい例外だよなぁああああああああああッ!」
「…………穢らわしい……!」
幾重にも渦巻く螺旋の防御が、1つにまとまりながら攻撃に転じた。
光の線条が、砕け散った。
幽々子の蝶が1羽残らず、粉砕されていた。
「魔法! 地獄の女神の、おぞましき力!」
魔理沙が、アリスが、吹っ飛んだ。
何かの直撃を喰らう、その瞬間に魔力の防壁を発生させたようだが、それも砕け散っていた。
「それが今、幻想郷の穢れと融合し……この宇宙で最も悪しきものと化して、月の都を脅かす!」
不可視の一撃が、地上にも及んだ。
妹紅が、まずは直撃を喰らった。血飛沫を飛ばして宙を舞い、地面にぶつかり倒れ伏す。
パチュリーが、魔理沙らと同じく魔力防壁の破片を散らせて吹っ飛び、竹に激突して動かなくなる。
死んでしまったのか、などと心配している場合でもなく、幽々子も直撃を喰らっていた。
紫と共に、である。
豊姫の一撃が、紫と幽々子をもろともに叩きのめし、吹っ飛ばしていた。
見間違い、ではない。今、紫が間違いなく、幽々子の眼前に飛び込んで来た。盾の形にだ。
「幽々子……私、1人で逃げようと……なんて、していないわ……」
血を吐きながら紫は、幽々子と抱き合うようにして地面に倒れ込んだ。
「別の場所にスキマを開いて……豊姫に、奇襲を仕掛けるつもりでいたのよ……」
「……それは、駄目よ……紫……」
幽々子も、血を吐いていた。
「そんな、やり方で……勝てる相手……では、ないわ……」
輝くものを揺らめかせながら、豊姫は空中の見えざる足場を優雅に踏んでいる。
フェムトファイバーの組紐。
何本ものそれらが、さらに束ねられ縒り合わされ、長大な縄を形成していた。
「月の都は……私が、守る」
光の、注連縄。
それが今、この場にいる弾幕使いたちを、鞭のように打ち据えたのだ。
魔理沙も、アリスも、墜落して地面に激突し、壊れた人形のように倒れて微動だにしない。
妖夢と藍は、縛られたままだ。
優美なる肢体の周囲に、光の注連縄を蛇の如くうねらせながら、月の筆頭執政官は夜空に佇み、地を這う弾幕使いたちを傲然と見下ろしている。
「…………これが……綿月豊姫……」
紫を抱き上げるようにして、幽々子は上体を起こした。
「勝てない……私が、無様な事をしなければ……」
おぞましい何かが、自分の中で、どろどろと増量されてゆく。
自力で、増やしているわけではない。どこからか、際限なく流れ込んで来る。
否、と幽々子は思う。
おぞましく、どろどろと蠢くこの大量の何かは、かつて間違いなく自分のものであったのだ。
「失ったものを……取り戻さなければ……這いずり、手を伸ばし、掴み寄せなければ……」
「…………駄目よ、幽々子……」
紫が呻き、妖夢が叫んだ。
「なりません幽々子様! 貴女様と西行妖との、悪しき縁は! 私が、この魂魄妖夢が、断ち切ったのですよ!? それを……幽々子様が、繋げてしまわれるのですか……?」
「……妖夢……あれはね、私なのよ……」
縛り上げられ、芋虫のような様を晒す妖夢と藍を、幽々子は見据えた。
その眼光が、蝶々に変わった。
「貴女の剣でも……私から切り離す事など、出来はしない……」
どろどろとした何かで組成された蝶の群れが、妖夢と藍の周囲をひらひらと舞いながら、フェムトファイバーの組紐を蝕んでゆく。
食いちぎられた組紐の破片を飛び散らせながら、
「西行寺幽々子……感謝はする。だが、そこまでにしておけ!」
藍が回転・飛翔した。黄金色の火の玉が、地表から発射されたようでもある。
猛回転する獣毛の塊が、隕石の如く豊姫を直撃する。
いや。鞭のように一閃した光の注連縄に、弾き返されていた。
ちぎれた衣服を飛び散らせつつ藍は吹っ飛び、空中で踏みとどまって急停止をした。
豊姫は、しかしさらなる攻撃を繰り出そうとはせず、何者かと会話をしている。
「何……どうしたの、岡崎教授」
幻聴、でなければ何らかの手段を用いて遠隔通信を行っているのだろう。
岡崎教授と呼ばれた何者かの姿は当然、ここにはない。だが傍らにいるかの如く、豊姫は会話をしている。
「幻想郷の……夜が、終わる? 一体何が……いえ、もともと無理を言っていたのは私の方ね。感謝するわ岡崎教授、貴女のおかげで」
すぐ近くに浮かぶ光の繭を、豊姫は愛おしげに抱き寄せていた。
「最低限……取り戻さなければならないものは、取り戻す事が出来たわ。どうか気にしないで。貴女の方で何かが起こったのなら、そちらへの対処を最優先で。こちらはこちらで、私さえいればどうとでも出来るわ」
光の繭を抱いたまま、豊姫はふわりと上昇して行く。
「……本当に、ありがとう岡崎教授。ううん、そんな事は言わないで。貴女や私の頭脳をもってしても想定通りにはいかないもの、それが宇宙の真理よ。全て片がついたら、一緒に祝杯を上げましょうね」
通信は、切れたようだ。
「……喜びなさい、地上の穢れた者どもよ。もう間もなく夜が明けるわ」
豊姫は言った。高度を、ゆっくりと上げながら。
「…………逃げよう、ってのか……」
魔理沙が、よろよろと立ち上がった。
「私たちを……見逃してくれる、わけじゃあないんだよな?」
「当然。日が昇る前に幻想郷は滅ぶ。久方ぶりの太陽を見る事なく、貴女たちは死ぬ」
山と海を繋ぐ能力で、豊姫は大量の何かを、どこかから呼び出していた。
彼女が今、抱擁しているものと形は同じ、光の繭。
無数のそれらが、いつの間にか出現して夜空の全域に浮かんでいる。
上昇して行く豊姫とは対照的に、ふわふわと高度を下げて来る。
「これらを……出来る事なら、使いたくはなかった。月の都においても、全くと言って良いほど研究が進んでいないものだから」
おかしい、と幽々子は思った。
ふわふわと降下して来るものたちに、自分は何やら、懐かしさに似たものを感じてしまう。
懐かしい何かが、フェムトファイバーで包み隠され、光の繭と化している。そして無数、永遠亭に、迷いの竹林に……幻想郷に、降下しつつあるのだ。
「けれど私の力では、貴女たちを瞬時に殺し尽くす事が出来ない。幻想郷という穢れの大地を、丁寧に時間をかけて滅ぼしたいところ……だけど、こちらの方で緊急事態が生じてしまった。休戦の約定が、期限を迎える」
腕に抱いた光の繭に、豊姫は愛おしげに頬を寄せた。
「この度は……私の大切な輝夜を、おぞましい穢れの海から拾い上げる事が出来た。それだけで良しとしておきましょう。私は、もう行かなければ」
豊姫に抱かれていない光の繭たちが、ぼんやりと輝きを増しててゆく。
不吉な、禍々しい、そして懐かしい光。幽々子は、そう感じた。
「月の都に眠るもの……月の地中に、封じられたもの」
豊姫の言葉に合わせ、羽化が始まった。繭の中の蛹たちが、禍々しい成虫に変わり始めた。
それに合わせて、繭も形を変えつつある。
「月に眠る、太古の穢れ……死、そのもの」
球形の繭が、歪み、膨れ上がり、手足を伸ばす。翼を開く。
「その一部、ほんの一部分を抽出し、フェムトファイバーで包み込んだものよ」
夜空に浮かぶ光の繭は、全て、人型のフェムトファイバー装甲に変化していた。
すらりと伸びた手足、魅惑的に起伏した胴体、美しい仮面に煌めく光の頭髪。そして、優美な背中から広がる翼。
あの不恰好な土偶たちとは、まるで違う。甲冑の性能も、そして中身の禍々しさも。
「これらが、今から貴女たちを殲滅し、幻想郷を滅ぼす……月の都の、永遠の安泰が約束される」
光り輝く美しいものへと羽化を遂げたものたちに、豊姫は命じた。
「さあ、この宇宙から幻想郷を消去しなさい。月に眠る、最古の穢れ……死の天使よ」
光の繭を抱いたまま、豊姫は姿を消した。
死の天使、と呼ばれたものたちが軍勢を成し、夜空を埋め尽くしている。その有り様だけが残された。
幽々子は、見上げた。
「…………死の、天使……」
呟いてみる。馴染みのある単語、ではない。
しかし、やはり懐かしさに似たものを、この者たちには感じてしまう。
死の天使たちも、幽々子を見つめていた。
いや。今、夜空に浮かんでいるものたちは分身に過ぎない。ほんの一部分であると、豊姫も言っていた。
彼女の言葉通り、月の都の地下深くに、本体と呼ぶべき何者かが眠っている。いや、今は半ば覚醒しているのか。
それが今、無数の分身たちを通して幽々子を見ている。
懐かしさ、と呼ぶのが適切であるのかどうか、幽々子にはわからない。
自分と、同じ本質を持っているもの。
それが好ましいものであるのか否かも、判断がつかない。
「…………誰? 貴女は……」
幽々子は、問いかけた。
月の地中にいる何者かは、答えてくれない。
何枚もの翼を広げた、荘厳なる姿を、ぼんやりと見せてくれるだけだ。
「……貴女は……どろどろ、しているの? ぎらぎら……しているの……?」
荘厳なる何者かが微笑んだ、ような気がした。
「…………か……ぐや……ぁ……」
藤原妹紅の、かすれた声が、やがて絶叫に変わってゆく。
「輝夜……輝夜ぁ、輝夜ああああ! かぐやぁああああああああああああああッッ!」
その声は、しかし届いてなどいないだろう。
蓬莱山輝夜は、死んだのだ。
死んではいない、魂を中核に再生する、という話が本当であるにしても、その魂を綿月豊姫に持ち去られてしまった。
同じく、何者かに連れ去られてしまったのか。そのような事、出来る者が存在するのか。
呆然と、魂魄妖夢はそう思った。
西行寺幽々子が、忽然と姿を消したのだ。
「……幽々子……様……」
妖夢は呟いた。本当は、妹紅のように泣き叫びたいのかも知れない。
「…………ゆゆこ……さま…………」
「……月の連中に、さらわれた。今は、そう考えるしかない」
声を、かけられた。ぽん、と肩を叩かれた。
「助けに行くにしても、まずは……この場を、切り抜ける必要がある。お前の力が必要だ」
霧雨魔理沙だった。
「……やれるか? 魂魄妖夢」
「…………頼む……」
声が震える。それを、妖夢は懸命に抑え込んだ。
「……幽々子様を、捜す……助ける……力を、貸してくれ……」
「無論だぜ。さ、やるぞ」
魔理沙が、見上げた。
まだ、夜空である。夜が明ける、と豊姫は言っていたが、今少し時間がかかるようだ。
その夜空を、死の天使の群れが埋め尽くしていた。
「何……何よ、何なのよ一体」
ゆらり、と血生臭い人影が進み出て来た。
「私が失血死しかけてる間……妙な事に、なってるじゃない。あの綿月豊姫は、どこへ行ったの」
博麗霊夢だった。空になった小瓶を放り捨て、夜空を睨んでいる。
血まみれであるが、傷は癒えたようだ。
「あー……不味い、気持ち悪い。この薬、慣れないわ」
「綿月豊姫は逃げた。豪勢な置き土産を、残してな」
魔理沙が言う。
「死の天使、だそうだ。まずは、こいつらを片付けるぜ」
「死の、天使……」
ぼんやりと不吉に輝く、翼あるものたちの群れを、霊夢は見上げた。見据えた。
「……おかしいわね。私、こいつらを……知ってる、ような……」