第39話 夢時空(後編)
原作 上海アリス幻樂団
改変、独自設定その他諸々 小湊拓也
「私の……私の、せいで……輝夜が……」
藤原妹紅が呆然と、そんな事を呟いている。
彼女を、この場における戦力として計算に入れる事は、もはや出来ない。
八雲紫が、そんな判断を下している間にも、戦いは動いている。
魂魄妖夢と八雲藍が、綿月豊姫を挟撃していた。
妖夢は、楼観・白楼の双刀を一閃させる。藍は、回転をする。
否。
一閃も回転も、起こらなかった。起こる前に、豊姫の優美な肢体がユラリと躍動したのだ。
その躍動が、妖夢に触れた。藍に触れた。両者の、攻撃の初動を撫でたように紫には見えた。
楼観剣と白楼剣が、落下して地面に刺さった。
妖夢も藍も、倒れていた。
「くっ……こ、これは……ッ」
「貴様……!」
倒れ、呻き、じたばたと暴れている。まるで木から落ちた毛虫か芋虫のように。
2人とも、縛り上げられていた。
光の紐、とでも言うべきものが、妖夢の四肢を、藍の手足と尻尾を、幾重にも束縛している。
フェムトファイバーの組紐。
紫の両手首に、拘束の痛みが蘇った。
「安心なさい八雲紫。貴女を、もう縛り上げたりはしないわ」
豊姫が言った。
紫は応えず、そちらに扇子を向けた。
開いた扇子から、光弾が放たれ迸る。
速射された弾幕を、豊姫はかわさなかった。ただ微笑んだだけ、のように見えた。
微笑む豊姫を、光の紐が螺旋状に取り巻いた。フェムトファイバーの螺旋が、紫の光弾を全て薙ぎ払い、粉砕する。
光の破片が、キラキラと舞う。そこに、豊姫の姿はすでに無かった。
涼やかな囁きが、紫の耳元をくすぐる。
「貴女をね、生かしておく理由はないから……」
紫は、眼前にスキマを開いた。今は、そこに逃げ込むしかない。
空間に裂け目が生じ、開き、だが即座に閉じてしまう。
微かな、光の煌めきが見えた。
組紐ではない、糸状のフェムトファイバーが、空間の裂け目を縫い合わせていた。
「……土下座も、させないわよ。死になさい、スキマ妖怪」
呆然とする紫の眼前で、豊姫がふわりと繊手をかざす。
美しい五指から、きらきらと輝くものがこぼれ落ちる。フェムトファイバー。紫を取り巻いている。
自分は、今から輪切りになる。紫は、そう思った。思う、以外の事は何も出来ない。
(…………これが……綿月豊姫……)
蓬莱山輝夜のような死に様を一瞬後、自分は晒す事になる。
蓬莱人ではないから、魂から再生など出来はしない。
(……ここまで……まさか、ここまで格が違うとは……)
「紫様……!」
藍が、動けぬまま悲鳴をかすれさせる。
しっかりなさい、藍。貴女が、私の後を継ぐ事になるのよ。
私や橙を守るためにしか戦えない、私情で戦う時が一番強い。そんな事では駄目なのよ。
そう言おうとした紫の喉に、フェムトファイバーが触れてくる。声帯が切断され、何も言えなくなる……寸前。
ひらひらとしたものが、紫の視界をかすめた。
何羽もの、蝶々だった。
「ねえ紫、貴女……今、1人で逃げようとしたわね?」
西行寺幽々子が、嫣然と微笑んでいる。
蝶々が、フェムトファイバーに止まっていた。まるで蜜や樹液を吸うように、光の糸を侵蝕してゆく。
紫を切り刻む直前であったフェムトファイバーが、弱々しくちぎれ、消え失せていた。
「咎めるつもりはないわ。1人でスキマに逃げ込んで引きこもって、ひたすら自己弁護をしながら鬱々と時を過ごす……どろどろしていて、なかなか素敵よ」
「……まるで、私ね」
アリス・マーガトロイドが、そこにいた。
霧雨魔理沙とパチュリー・ノーレッジが、空中から豊姫を見下ろしている。
「1つだけ、確認をさせて欲しいわ」
パチュリーが言った。
「輝夜さんは……死んでしまった、わけではないのね?」
「輝夜は、ここにいる。貴女たちに渡しはしないわ」
豊姫が、光の繭を左腕で抱き締める。美貌を、愛おしげに寄せてゆく。
フェムトファイバーに包まれた、蓬莱山輝夜の霊魂。
「魂から再生する……そういう、不老不死のシステムか」
魔理沙が、興味深げに言う。
「魔法、とはちょっと違うみたいだな」
「魔法……」
魔法使い3人を見据える豊姫の眼差しが、燃え上がった。
憎しみの、眼光だった。
「魔法使い……おぞましき地獄の女神の下僕ども。生かしてはおかない。八雲紫共々、ここで死になさい」
「さあ岡崎教授……夢幻遺跡を、政府の管理下に返還なさいませ。今なら、まだ禁固刑で済ませて差し上げられますわ」
時空警察官・小兎姫の、その言葉に真っ先に反応したのは、岡崎夢美ではなかった。
「…………ふ…………っざ……けるな…………ぁあああ…………ッ!」
夢幻遺跡……可能性空間移動船の甲板上で、鉢植えが叫んでいる。
「返還、しろ……だと! 寝言は寝て言え馬鹿野郎! この……船は……っ……!」
植物の塊が、鉢の中からズルリと這い出して来る。
「……お前らのもの、じゃあない……岡崎教授の、もの……だぜ……」
「ちゆり……」
夢美は呆然と呟き、小兎姫は冷ややかに言う。
「誰かと思えば……ふん、風見幽香の餌食になりましたのね。お花のドレス、お似合いでしてよ?」
「……消えて……失せろ……」
色とりどりの花の塊が、弱々しく蠢きながら声を発する。
「この船は……教授が、見つけて……教授が、自腹で研究したんだぜ……政府は、何もしなかった! 1円も出さなかった! 今更、権利なんか主張するな!」
「北白河ちゆり……貴女にも随分、痛い目に遭わされましたわ」
小兎姫の口調が、いくらか剣呑な響きを帯びた。
「そんな様では、御自慢のレーザーも撃てませんわねえ」
「……これは……岡崎教授の、船だぜ……」
ちゆりの声に、おかしな音が混ざる。今やどこにあるかわからぬ口の中にも、植物が生えているのだ。
「夢幻遺跡、なんて……馬鹿にした名前、付けやがって……」
「ふふっ……お名前通り、夢見がちな方ですものね。岡崎夢美教授は」
「その夢見がちな教授の研究で、この船が! 実はただの遺跡じゃあない、とんでもない代物だってわかった!」
植物の異音を噛み潰しながら、ちゆりは叫ぶ。
「この……可能性、空間移動船が……あればっ、冗談抜きで何でも出来る! 世界征服どころの話じゃあない……少なくとも、地球国家間レベルの戦争で……負ける事は、まず無くなる……教授の研究で、それがわかった途端に掌を返す! 馬鹿にして見向きもしなかったくせにっ……所有権を、主張し始める! くそ政府、恥ずかしいと思わないのかぁああああっ!」
「貴女は……せっかく綺麗なお花を咲かせているのですから、物言わぬ植物に徹してはいかが?」
小兎姫の両眼が、禍々しく光る。
いくつもの鋭利な光弾が、彼女の眼前に生じ、発射された。甲板上を這う、植物の塊に向かってだ。
夢美は、すでに動いていた。
甲板に着地し、ちゆりの盾となる。
「光波障壁……最大、出力……うっぐ!」
鋭利な光弾の嵐が、ぶつかって来た。
光波発生装置が不調である。風見幽香との戦いで、無理をさせ過ぎた。
出力不足のまま発生した光波障壁に、小兎姫の弾幕が激突する。相殺。双方、共に砕け散った。
光の破片が大量に押し寄せ、夢美の全身を切り苛んだ。衣服がズタズタに裂け、露わになった白い肌にも細かな裂傷が生じた。
「教授…………!」
呻くちゆりを背後に庇ったまま、夢美は甲板に膝をついた。鮮血の飛沫が、虚空を舞う。
小兎姫が、嘲笑った。
「本調子、ではありませんのね岡崎教授。ふふっ、良い時に来たものですわ」
「貴様に……貴様たちに、この船を渡すわけにはいかない」
夢美は綺麗な歯を食いしばり、裂けた布地を抱き集めて胸を隠した。すっきりと美しい鎖骨の凹みも、深く柔らかな谷間も、露わである。
「この可能性空間移動船……世界の1つ2つは容易に滅ぼす力を、秘めているのだぞ。あの愚かしさ極まる統一原理主義者どもは無論、貴様にも任せる事は出来ない。貴様に、この船を使わせたら……一体どれほどの破壊と災厄がもたらされるか、見当も付かん」
「ご安心なさい。統一原理主義者は、私が皆殺しにして差し上げますわ」
小兎姫が冷たく笑い、いくつもの鋭利な光弾を眼前に発生させる。
時空警察の、超能力者。彼女もまた、統一理論の外側にいる存在なのだ。
「しかる後、私が……この船の力で政府を牛耳り、時空警察をも支配下に置いて、全宇宙を掴むのですわ」
「この船を、政府の管理下に返還する……のではなく、貴様の管理下によこせと言うのだな」
「私が、政府でしてよ」
光弾の嵐が、小兎姫の眼前から発射された。夢美とちゆりを、もろともに粉砕する弾幕。
「あの戦いの……借りをね、お返しいたしますわ」
「……そう。貴女たち、因縁があるのね」
声がした。
光弾が全て、砕け散っていた。光の破片をキラキラと蹴散らして、何かが宙を泳ぐ。蛇のように。
「だからと言って割り込みは駄目。私が、まだ弾幕戦をしているのだから……順番を待たないと、ね?」
鞭、であった。蔓草と根と荊が絡み合って出来た、植物の鞭。
それが、風見幽香の優美な右手から伸びている。
小兎姫が、雲に乗ったまま後退りをした。
「超級……有害生物……!」
「ひどい事を言うのね。それとも、誉めてくれたのかしら?」
ゆったりと甲板上を歩む幽香の全身で、衣服が裂け破けている。禍々しいほど色艶の良い肌は、しかし無傷だ。
胸は、自分よりも大きい。まず夢美は、そう思った。
「そこそこの弾幕を使えるのね貴女。私を、こんな目に遭わせてくれるなんて」
幽香は言った。
「弾幕戦……という事で、いいのね? 貴女を弾幕使いとして扱うわよ」
「分際をわきまえなさい……生長し過ぎた、手入れのなっていない、目障りな巨大植物が! 人の言葉を発するなどッ!」
小兎姫が叫ぶ。鋭利な光弾の嵐が発生し、幽香に向かって吹きすさぶ。
幽香が、植物の鞭を振るった。
しなやかな半裸身が捻転躍動し、破けた衣服からブラジャーの膨らみが暴れ出て横殴りに揺れる。やはり自分よりも大きい、と夢美は思ってしまう。
思っている間、超高速で弧を描いた鞭が、小兎姫の光弾を全て粉砕していた。
右手で鞭を操り、左手で日傘を開いたまま、幽香は甲板上から虚空へと軽やかに踏み出した。それは飛行と言うより、空中の歩行であった。
小兎姫が青ざめ、叫ぶ。
「この……ッ! 汚らしい雑草がぁああっ!」
巨大な光の輪が発生し、幽香に向かって射出される。広範囲の敵を粉砕する。小兎姫の必殺攻撃。
幽香は避けず、防がず、ただ見据えた。
眼光が一瞬、可視化して虚空を裂き、光の輪を撃ち砕いた。
妖力。統一理論の外側にある力。
統一原理主義者が、いくら懸命に否定しようと確かに存在し、文明ある全ての知的生命体を脅かし続ける力。
「私には……根本から、欠けている力……」
夢美は微かに、唇を噛んだ。
風見幽香から見れば自分など、あの愚かな統一原理主義者たちと何ら変わらぬ存在なのだ。
小兎姫の鋭い美貌が、引きつり硬直している。
そこへ幽香が、足取り軽く歩み寄って行く。
微笑みと同時に、鞭が一閃した。蔓草と根と荊で構成された、植物の鞭。
小兎姫の全身で、着物がちぎれた。
荊が、白い肌を穿ち裂く。蔓草が、血まみれの裸身を幾重にも絡め取る。根が、愛らしい唇を上下に押し開いて小兎姫の口中へ、体内へと、這入り込んで行く。
口を、気道を、発声器官を、植物に塞がれたまま、小兎姫は泣き叫んでいた。潰れた絶叫が、虚空に響き渡る。
「可愛い悲鳴……なかなか素敵よ、貴女」
幽香が笑う。
小兎姫は、泣いている。涙を飛び散らせる眼球を押しのけて、芽が生え伸びる。
それが、開花した。
小兎姫の全身あちこちで花が咲き、葉が広がった。
「綺麗に、咲いたわね……」
幽香が、鞭を手放す。
荊に、根に、蔓草に侵蝕された小兎姫が、ちゆりと同じく植物の塊と化しながら、虚空の彼方へと遠ざかって行く。
最後にもう1度、潰れた悲鳴が響き渡った。
「運が良ければ、どこかの世界に流れ着くでしょう」
見送りながら、幽香は言った。小兎姫の姿は、もはや見えない。
「ひたすら流れ漂いながら未来永劫、虚空に咲く花であり続ける……それも悪くない、とは思うけれど」
「…………外道……!」
夢美は呻き、罵った。本来ならば、礼を言うべきところである。それは、わかっている。
気分を害した様子もなく幽香は、笑顔のまま夢美を見つめる。
否。夢美の背後で弱々しく震える、植物の塊を見つめている。
幽香が、何かをした。
植物の塊が、砕け散った。そう見えた。
塊を成していた花々も草葉も一瞬にして枯れ果て、崩れ、さらさらと虚空に流れ散る。
植物を咲かせ茂らせていた生命力が全て、少女の肉体へと返還されたのだ。
ちゆりの細い裸身が、夢美の腕の中へ倒れ込む。
「ちゆり……」
抱き止め、呆然と呼びかける。
ちゆりは応えず、声を殺して泣きじゃくり、震えていた。
抱き締めたまま夢美は、幽香を睨んだ。
「…………何のつもりだ、貴様……」
「私の植物に侵蝕されながら、自我を保つ。自力で声をあげる。なかなか出来る事じゃないわ……元に戻して、弾幕戦をさせてみたくなったのよ」
幽香が、ちゆりに興味を持ってしまったようだ。
「休憩時間にしましょう。2人とも服を着て、身支度を整えなさい。装備の不調も、ちゃんと直してくるのよ?」
一瞬、花が咲いて散った。無数の花弁が、幽香を取り巻いて舞い散り、消えた。
その一瞬で、幽香は身支度を済ませていた。破けた衣服が、元に戻っている。
「待っていてあげる。2人がかりで、いらっしゃい」
「……ふざけるな! お前なんか、私1人で」
泣き怒るちゆりの裸身を、夢美は抱き締めた。
「少しは……他人の立場で物を考えてみろ風見幽香。貴様が私なら、戦いを続けようと思うか? 主観的にも客観的にも、私の負けだ。殺したければ殺せ。殺さないなら、消えて失せろ」
幽香を、睨み据える。
「月の公転周期と、地球の自転周期がシンクロした状態……解除しておいてやる。幻想郷の、夜が明ける」
「……貴女は、それでいいの?」
「いいわけがあるか!」
夢美は、ちゆり以上に怒り狂っていた。
「私はな、ある1人の友と約束をしたのだ! 幻想郷を、夜の中にとどめおくと。任せておけと胸を叩いた! なのに私は……友を、裏切ってしまう……だが私は弾幕戦に敗れた。勝者の望みを、叶えなければならない……あの時のように」
「そのお友達に関しても、貴女を締め上げて聞き出したいところだけど」
幽香が、ふわりと背を向けた。
「今は……忌々しい夜を終わらせてくれるだけで、良しとしておきましょうか」
「いずれ、貴様の存在も終わらせてやるぞ」
「楽しみにしているわ」
幽香が、歩み去って行く。
「私を相手に弾幕戦が出来る、ただの人間……貴女に敬意を表するわ、岡崎教授」
「……私は、貴様に殺意を抱くぞ。風見幽香」
楽しげな、本当に愉しそうな笑い声を残し、幽香は姿を消していた。