第37話 殲滅者の降臨
原作 上海アリス幻樂団
改変、独自設定その他諸々 小湊拓也
輪切りになった蓬莱山輝夜の屍から、魂が抜け出して行く様を、自分・藤原妹紅は目視する事が出来る。
この場にいる、他の者たちにはどうか。
博麗霊夢、霧雨魔理沙、魂魄妖夢……彼女たちの目には、ふわふわと浮遊する輝夜の霊魂が見えているのか。
自分には、ただ見えているだけだ。
呆然と、妹紅は思う。見えているだけで、何も出来ない。
輝夜の魂を、肉体に戻してやる事は出来ないのだ。
輝夜の肉体は、すでに死んでいる。あとは腐ってゆくだけだ。
光が、ゆらゆらと舞い漂った。
何本もの、光の糸。1人の少女の、たおやかな指先から伸びている。
「輝夜……私の、可愛い輝夜……」
光の糸で、少女は輝夜の魂を絡め取った。
スキマ妖怪・八雲紫は、この少女を綿月豊姫と呼んでいた。いささか因縁がある、ようではあった。
光の糸が、輝夜の霊魂をくるくると巻き包んでゆく。
まるで、繭だった。
「ああ、何という……輝夜、こんなに穢れてしまって……」
輝夜の魂を内包する光の繭を、綿月豊姫は愛おしげに抱き締めている。
「地上は……特に、この幻想郷という場所は……私の想定を遥かに超えて、穢れていた。穢れに満ちていた……」
豊姫の凄まじい美貌の周囲で、キラキラと光が舞い散った。涙であった。
「輝夜……貴女を、地上へなど行かせるのではなかった……」
「……ちょっと、あんた」
博麗霊夢が、声を投げる。
「いきなり割り込んで来て、随分な事してくれるじゃないの。私の目の前で幻想郷の住人を殺す……それなりの覚悟、出来てるんでしょうね?」
「輝夜は、死なないわ。安心なさい」
豊姫は、光の繭に美貌を擦り寄せた。
「この魂を核として、蓬莱人は再生する……私の元で、再生させるわ。穢れを知らない清らかな輝夜を、私の手で育て直すのよ」
「世迷言を……!」
「……輝夜は、死なない。それは本当だよ、博麗の巫女」
妹紅は言った。
「身体が滅びても、魂から再生する……それが輝夜であり、私だ」
「ふん、妖精みたいなもの?」
「蓬莱人よ、霊夢」
八雲紫が、霊夢の前に出た。さりげなく、霊夢の盾になっている、ようにも見える。
「……お久しぶりね、月の都の丞相閣下」
「八雲紫……それに、西行寺幽々子」
豊姫の瞳が、涙の中で鋭い輝きを放つ。
「貴女たち2人を、生かしておいた事。それこそが私の……月の政を司る者として、最大の失策よ」
「お冠なのね、随分と」
西行寺幽々子が微笑む。
「お酒を盗んだのが、そんなに許せない? あのお酒、今もちびちびと堪能させてもらっているわ。ご馳走様」
「……そう。貴女たちは、お酒を盗んだ。つまり、お酒ではないものを盗む事も出来た」
豊姫は、幽々子を見据えた。
「西行寺幽々子……貴女の侵入を許してしまった時点で、あの戦争は私たちの完全敗北よ」
「そう?」
「貴女がその気になれば……あの時点で、月の都を死滅させる事も出来たはず」
「意味がないわ、そんな事をしても。あんな、どろどろもギラギラもしていない命の群れ」
幽々子が、続いて紫が言った。
「綿月豊姫……貴女たち原初の月人を倒さない限り、月の都を攻略した事にはならないのよ」
「月の都を、私たちは辛うじて守る事が出来た。幻想郷からの侵略者を撃退した、という形にはなったわ」
今更ながら、妹紅は気付いた。
美しい絵画のような満月が、消え失せている。今、夜空に浮かんでいるのは、荒涼とした本物の満月だ。
豊姫が、それを見上げる。見つめる。
「八意様の秘術が、解けた……なのに艦隊が降りて来る気配がない。ふふ……稀神サグメには、ひどい役目を押し付けてしまったわね。生きていてくれると良いけれど」
「……あんた、綿月豊姫とかいったわね」
霊夢が言った。
「綿月依姫、って人がいるんだけど」
「私の、もう1人の妹よ」
豊姫が答える。
「あの子は、早とちりをしてしまった……輝夜を守るために、あんな早まった行動を」
光の糸が、豊姫の周囲で不穏な揺らめきを見せた。
「私も、母上……嫦娥様も、輝夜にひどい事をしようとしたわけではないのに」
「……輪切りに切り刻むのは、ひどい事じゃないってわけね」
言葉に合わせ、霊夢の周囲に虹が生じた、ように見えた。
色彩豊かな大型光弾が複数、飛翔旋回している。
「まあいいわ。その繭みたいなものの中から、あいつが妖精みたく復活するって言うんなら……それ、ここに置いて。とっとと月に帰りなさい。夢想封印を喰らいながらねっ」
虹色の大型光弾が全て、発射されていた。豊姫に向かってだ。
合わせるように妹紅も、羽ばたく形に腕を振るい、炎を巻き起こしていた。
何羽もの、火の鳥が出現していた。それらが、猛禽の勢いで豊姫を襲う。
虹色の大型光弾たち、それに火の鳥の群れ。
全てが、豊姫を直撃する……直前で、輝夜の如く切り刻まれていた。不穏に揺らめく、光の糸によって。
炎の飛沫と、虹色の光の破片を蹴散らして、光の糸が乱舞する。
豊姫の優美な細身から溢れ出した、斬撃の揺らめき。
それらが、霊夢を襲う。妹紅を襲う。紫を、幽々子を、他の者たちをも強襲する。
「ぐっ……!」
血飛沫を霧状に散らせながら、妹紅はよろめいた。
全身に、細かな裂傷を負っていた。
四肢の切断は辛うじて免れた。頸部も無事だ。かわした、つもりではある。
霊夢が、倒れた。
鮮血を地面にぶちまけながら、しかし博麗の巫女は即座に起き上がり、歯を食いしばる。負傷の度合いは、妹紅と同程度か。紅白の巫女装束が、ズタズタに裂けながらぐっしょりと赤く染まっている。
「ちょっと霊夢……! 何をしているの!」
よろめく霊夢を、紫が抱き掴んで支えた。
「貴女、今! 私を庇ったでしょう!? 一体どういうつもりなの!」
「……あんたがね、私の盾みたいに立ってるのが……気に入らなかっただけよ……」
紫の抱擁を霊夢は振り払おうとしているようだが、そんな力もどうやら残っていない。
他にも何名かが、霊夢や妹紅と同じような裂傷を負い、倒れ伏している。
誰が、どの程度の傷を負ったのか、確認している余裕はなかった。致命傷に近い者が、もしかしたら、いるかも知れない。
(こいつ……!)
特に出血のひどい左腕を押さえながら、妹紅は睨み据えた。
たおやかな肢体に斬撃の揺らめきをまとう、綿月豊姫の姿を。
(ここにいる、全員を……切り刻む力が、ある……のか……?)
睨み据える己の眼光が、力を失ってゆくのを、妹紅は自覚した。
(……………………勝てない…………)
本気を出した蓬莱山輝夜が、一瞬にして切り刻まれた。
あの有様が妹紅の、網膜からは消え失せたが、脳裏には焼き付いたままだ。
(……綿月豊姫……こいつは、私なんかよりも……ずっと……)
第四槐安通路で、遭遇したもの。それを、妹紅は思い出していた。
相手は姿を見せていなかったから、遭遇とは言えないかも知れない。妹紅が感じたのは、途方もない気配と力の、ほんの一部だけである。
(…………ずっと……アレに、近い…………)
「……私の、大切な妹を……可愛い輝夜を、清らかなる輝夜を……」
呟く豊姫の傍に、光の繭は浮かんでいる。
見えざる力で輝夜の魂を保持したまま、豊姫は両手で光の糸を揺らめかせた。
美しい五指の、ゆったりとした躍動。それが少し速度を上げるだけで今度こそ、この場にいる全員が輪切りにされる。
「……よくも、ここまで穢してくれたわ……地上の人妖ども、1匹たりとも生かしてはおかない」
「……待って……どうか、お待ち下さい。綿月豊姫様……」
血まみれの少女が1人、豊姫の眼前に跪いた。
鈴仙・優曇華院・イナバだった。全身に付着しているのは、輝夜の血だ。自身は無傷である。
「……懐かしいわね、鈴仙」
「はい……お久しゅうございます、豊姫様……」
鈴仙の額が、地面に密着した。
攻撃性を露わにしかけていた豊姫の表情が、ふっ……と和らいだ。
「……面を上げなさい。ここは月の皇宮ではないのだから、そんな事はやめて」
「豊姫様……」
「長らくの任務、ご苦労様。不変の結界を、よく取り除いてくれたわね」
「いえ、私は何も……」
鈴仙の目が、ちらりと妹紅の方を向く。
「不変の結界を破壊せしは、それなる藤原妹紅……この鈴仙、何事も為しておりませぬ……私は……無能な兎でございます……」
「おやめなさい。貴女は、よく頑張ってくれたわ」
そうだ、と妹紅は思った。自分との戦いで輝夜は、不変の結界を維持出来なくなった。
輪切り状に崩れ落ち、ぶちまけられた輝夜の屍を、妹紅は呆然と見つめた。
(……私の……せい? 私が……輝夜を……)
「貴女には……ご褒美を、あげないといけないわね。鈴仙」
「いえ、そのような……ただ豊姫様。私を……この低脳・無様な1匹の玉兎を、いくらかでも憐れんで下さるのであれば……」
鈴仙は、涙を流していた。
その後方で、2匹の妖怪が跪いている。
「幻想郷の人妖を、どうか皆殺しにはなさらないで……私の部下、リグル・ナイトバグとミスティア・ローレライ。そして博麗霊夢、この3名には御慈悲を……私の部下だけは、どうか助けて……」
「寝言ほざいてんじゃあない、このクソ兎!」
霊夢が、血まみれのまま激昂する。
「今のとこ優先順位はそんな高くないけどねえ、私は! あんただってブチのめさなきゃならない……」
そこで、霊夢は息を呑んだ。
跪いていたリグル・ナイトバグとミスティア・ローレライが、跳ねるように立ち上がり、2人がかりで鈴仙を背後に庇っていた。
そして、切り刻まれた。
リグルの生首が、ミスティアの臓物が、宙を舞った。斬撃の揺らめきに、蹴散らされてだ。
「……そう、これよ。これこそが、穢れ……」
たおやかな指で光の糸を泳がせながら、豊姫が呟く。
「知的生命体を、死へと導くもの……いけないわ。こんなものがあっては、いけない」
「……豊姫……さま……?」
妖怪の少女2人の鮮血を浴びた鈴仙が、呆然と声を漏らす。今のところ無傷である。
間違いない。豊姫は今、鈴仙とリグルとミスティア、3人をひとまとめに切り刻んだ。
部下2名が、身体で鈴仙を守ったのだ。
「…………何を……なさる、のです……か……?」
「今、私は確信に至った。幻想郷は、滅ぼさなければならない」
豊姫が、静かに告げる。
「人妖ことごとく穢れている……このような小妖怪でさえ、あまりにも危険な穢れを保有している。放置は出来ないわ。月の都が、今度こそ滅びてしまう」
「…………助けて…………」
人間であれば当然、生きてはいない状態のリグルとミスティアを見下ろし、鈴仙は呻いた。
「……リグルが、ミスティアが……私の部下が、死んでしまう……誰か、助けて……」
呻きが、慟哭に変わってゆく。
「助けてよ……助けてよぉ……初めて出来た、私の部下なのよう…………うぁああああ……うわああああああん……」
「……貴女も、穢れてしまったのね。鈴仙」
豊姫が、小さく息をつく。綺麗な片手がふわりと躍り、光の糸が鈴仙を襲う。
もうひとつの斬撃が、一閃した。
切断された光の糸が何本か、呆然とする鈴仙の周囲をはらはらと舞い、消滅する。
豊姫は、軽やかに飛び退って着地する。
「フェムトファイバーを、切断するとは……」
「見切った。剣士をなめるな」
魂魄妖忌。妹紅は一瞬、そう思った。
泣きじゃくる鈴仙を背後に庇い、佇んでいるのは、魂魄妖夢である。
妹紅や霊夢と同じく、全身に裂傷を負ってはいる。が、浅手だ。衣服はズタズタに裂け、その下では負傷した肌が闘志の色艶を帯びている。
楼観・白楼の刃が、荒涼たる本物の月光を受けて輝き、まるで白く燃えているようだ。
「……鈴仙・優曇華院・イナバはな、永遠亭を裏切った」
豊姫を見据える妖夢の両眼も、燃えていた。
「裏切り者の汚辱にまみれ、任務を遂行してきた……1人の戦士に、対する…………これが……これがっ! これが! これが仕打ちか貴様ぁあああああああああッッ!」
虚空に浮かぶ、赤い十字架。
一見たおやかな四肢がボロボロに負傷したまま、そこに拘束されている。
全身あちこちで衣服が破け、白い肌も無惨に破けて、鮮血がとめどなく流れ出しては虚空に散る。
美貌も血まみれで、若草のような緑色の髪が血で固まりながら頬に貼り付いている。
「ぐっ……う……」
端麗な唇が、吐血の汚れを帯びたまま、苦悶の呻きを紡ぐ。
風見幽香は、磔刑に処されていた。
敵の力を全く読めずにいる間、気がついたら、このような無様な事になっていた。
「……これは……一体? 魔力……とは違う……妖力、霊力……でもない……」
「魔力、妖力、霊力。私は、それらに憧れていた。欲しかった」
赤い少女が、空中に立って幽香を見下ろしている。赤い髪、赤い服、赤いマント。対照的に白い肌も、今は怒りで美しく紅潮している。
「欲しても、手に入れる事は出来なかった……だから私は、紛い物を作って己を慰めた。紛い物で、しかし貴様は死ぬのだよ風見幽香」
「……岡崎……夢美……っ!」
幽香は、歯を食いしばった。
今、自分を拘束している、この赤い十字架。これがまず、いかなるものであるのか全くわからない。
固形の物質、ではなかった。得体の知れぬ力で組成された十字架。
得体の知れぬ力で出来た弾幕を、この岡崎夢美は嵐の如く幽香にぶつけてきた。
そして幽香を、このように捕縛した。
虚空の、見えざる足場に打ち立てられた十字架。
虚空、としか表現のしようがない空間であった。
対峙する風見幽香と岡崎夢美の背景を成しているのは、途方もなく巨大な構造物である。
岡崎夢美の……住居、と言うべきなのだろうか。
幽香は最初、これを屋敷か城だと思った。かつて自分が住んでいた夢幻館よりも遥かに巨大な、城館。
違う。これは、どうやら船であるらしい。虚空を渡り、様々な世界へと上陸する、船。
その甲板上とも呼ぶべき場所に、大きな鉢植えが置かれている。
植えられているのは、植物の塊である。色とりどりの花を咲かせ、大量の葉や蔓を溢れ出させている。
「ちゆりを元に戻すためには、貴様を生かしておかなければならん。だから殺しはしない……とでも思っているのか? 風見幽香」
夢美の美貌が、にやりと捻じ曲がった。
「私なら……貴様の屍を切り刻んで詳細に調べ上げるだけで、ちゆりを助ける手段を発見出来る。いや、屍にする必要もない。このまま解剖してやろう」
「……いいわね、貴女……素敵よ」
幽香の全身の傷口から、植物の根が生えて溢れ出した。
「貴様……!」
夢美が、光の塊を投げつけてきた。魔力でも妖力でもないもので出来た、大型の光弾。
幽香の全身を十字架もろとも巻き包む根が、いくつもの芽を生やした。
それらは一瞬にして育ち、盾の形に開花した。大輪の花々が、幽香の全身を防護する。
そこへ、大型光弾が激突する。
爆発が起こった。大輪の盾が全て砕け散り、消滅する。
その間。幾重にも巻いた植物の根が、赤い十字架を締め潰していた。
「岡崎夢美……貴女を、太陽の畑に植えてあげる……」
十字架の破片をキラキラと飛散させながら幽香は、全身に花を咲かせ、葉や蔓草を繁らせていた。
「…………とっても綺麗な、お花が咲くわ……」