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異説・東方永夜抄  作者: 小湊拓也
36/90

第36話 かぐや姫

原作 上海アリス幻樂団


改変、独自設定その他諸々 小湊拓也

 美しい。

 この蓬莱山輝夜という少女に対しては不覚にも、そう感じてしまう時が多々ある。本当に不覚だ、と藤原妹紅は思うのだが。

 容姿は無論、美しい。

 それ以上に、弾幕が美しい。

 襲い来る虹色の光弾の嵐に、妹紅は心奪われていた。一瞬、回避も防御も忘れ果てた。

 直撃を喰らえば、自分は恐らく死ぬ。

 死んで蘇る様を、輝夜の前で晒す事になる。

 屈辱であった。蓬莱人にとって、死とはすなわち1敗なのだ。

「くっ……!」

 危ういところで、妹紅は羽ばたいた。背中から、炎の翼が広がっていた。

 紅蓮の羽ばたきが、虹色の弾幕を打ち払う。

 打ち砕かれたのは、しかし炎の翼の方であった。大量の火の粉が、弱々しく飛散する。

 虹色の光弾たちは健在で、しかし勢いを弱め、頼りなく浮遊している。

 その全てを、妹紅は蹴りで粉砕した。凹凸の控え目な細身が超高速で捻転し、鋭利な脚線がしなって一閃する。虹色の光の破片が、銀髪の舞いに掃き清められてキラキラと消滅してゆく。

「ふん、やるじゃあないの。不死鳥気取りの小雀ちゃん」

 輝夜が、優雅に空中に佇んでいる。

 妹紅は、永遠亭の屋根に着地していた。輝夜に、見下ろされている。

「……もう1度、地を這う虫ケラに戻してあげるわ」

「やってみろ……!」

 妹紅は睨み上げた。両眼が、燃え上がる。止められない。

 広い袖から美しく愛らしく露出した五指で輝夜は、光り輝くものをしとやかに保持していた。光の塊を生らせた、木の枝。

 蓬莱の玉の枝、である。

 昔は、これを見せつけられるだけで脳漿が沸騰した。

 今は、理性と正気を保ってはいられる。が、心にざわつきが起こらないわけではない。

(やっぱり……どう考えたって庇いようないぞ、親父殿。あんたが悪い。止めなかった私も悪い)

「……お前は、なぁんにも悪くないよ輝夜」

「そう……輝夜さん、とおっしゃるのね」

 西行寺幽々子が、いつの間にか隣にいた。気配を、妹紅は全く感じなかった。

「……何だか、奇妙な感じのする人ね。藤原妹紅、貴女に似ているようでもあり。根本的に異なるようでもあり」

「間違っちゃいないな」

 妹紅は地上の人間、輝夜は月人。全く違う生物でありながら、同じ蓬莱人なのである。

「ま、それはともかく手を出すなよ富士見の娘。あいつは私の敵だ。私が、ぶちのめす」

「……いいわね」

 幽々子が微笑む。

「輝夜さんの事を考えている貴女……とても、どろどろしているわ。ぎらぎらと、輝きながら燃えている。その炎でね、跡形もなく焼き尽くして欲しいものがあるのよ」

「……お前みたいな化け物が、他人に頼る。それほどの代物か」

「私の……どろどろと、したものよ」

「向き合え」

 輝夜と睨み合ったまま、妹紅は言った。

「お前を見た時、どうも違和感があったんだ。様変わりしてる、だけじゃなくてな……西行寺幽々子。お前、あの頃に持っていたものを無くしてるだろう。少なくとも半分くらい」

「無くしたものと……向き合え、と。貴女は、そう言うの?」

「それは、お前の悪業だ。他人に都合良く焼却処分なんて、させるもんじゃあない……向き合って、出来る事なら受け容れてみろ」

「受け容れる……」

 幽々子は、微かに息を呑んだようだ。

「藤原妹紅、貴女は知らないの? 1度、失ってしまったものを手に入れようとする……それは、とても無様な事なのよ……」

「無様でも、いいじゃないか」

 無様と言っても自分ほどではないだろう、と妹紅は思う。

「今のお前は……上手く言えないけど何かこう、不完全な感じがするんだよ。どうせなら完全な化け物になってみろ。退治してやるから」

「完全な……」

「……ごめん。自分の悪業と向き合え、なんて……私が、偉そうに言える事じゃあなかった」

 妹紅は、苦笑した。

「でもな、向き合える何かがあるっていうのは……うらやましい事だと、私は思う。まあ、そんな事はいい! とにかく輝夜を倒すのは私だから手を出すなよ!」

「させない」

 声が聞こえて来たのは、下方からだ。

 屋根の上から、妹紅は見下ろした。

 地上から見上げてきているのは、紅白の衣装をまとう少女であった。どこか妹紅に似ている、のであろうか。

「蓬莱山輝夜は……私が、ぶちのめす」

 先程まで永遠亭の戦力として使われていた少女が今、凛とした己の意志を露わにしている。

 妹紅は呟いた。

「……博麗の、巫女」

 幻想郷で妖怪退治をする者として、1度は話をしなければならない相手であった。



 鈴仙・優曇華院・イナバ。

 リグル・ナイトバグとミスティア・ローレライ。

 八意永琳、因幡てゐ。

 そして、蓬莱山輝夜。

 永遠亭関係者の顔と名前を、一致させる事は出来る。

 自分もまた、永遠亭の一員であったからだ。全員と、最低1度は会話をしている。

 もっとも自分は、淡々とした自己紹介と簡単な受け答えしか出来なかったはずである。自分の意思と思考を、ほぼ完全に失っていたのだから。

「…………不覚…………っっ!」

 博麗霊夢は、呻いた。

「……こんな不覚、初めてよ。無様だったのは、認めるしかない……笑いなさいよ魔理沙、ほら」

 腕の中で霧雨魔理沙が、微笑みながら血を吐いた。嘲笑と呼ぶには、あまりにも弱々しい笑顔。

「…………私を……笑いたいでしょ? 魔理沙……笑いなさいってば……」

「後でね、いくらでも笑ってあげるわ」

 八雲紫が割り込んで来て、魔理沙の血まみれの口に何かを突っ込んだ。

 小さな、瓶である。

 中身が何であるのかを、霊夢は朧げに理解した。

「それ……」

「……うっ……ぐッ、げべぇえええええええ!」

 魔理沙が痙攣し、暴れ悶え、霊夢の抱擁の中から転がり出した。

「ぎゃぶぅう、ひっぐ! ぐえっ、ぐへぇええ、ひぎいいいいいい不味い! 不味いマズいまどぅうううい! だっはははははははは、まずいよう! きぼち悪いよおおおおおおおおお!」

 のたうち回り、血反吐を吐き散らしながら、魔理沙は泣き喚いた。同時に、笑い転げている。

 アリス・マーガトロイドが慌てふためき、魔理沙を抱き起こした。

「魔理沙!」

「だっ大丈夫だぜアリス。ま、まさか、まさか! コイツをまさか、また飲まされる事になるなんてぇ、ぎゃはははははははは不味い! 相変わらずの不味さ気持ち悪さで笑っちゃうぜ、もう」

 笑いながら魔理沙は涙を拭い、吐血の汚れを拭い、腹の辺りを撫でさすった。

「あー……でも直った。ぶっ壊れた身体をさ、無理やりに修理される感覚。久しぶりだぜ……」

「持っておけ、2人とも」

 八雲藍が、いくつもの小瓶を手渡してきた。霊夢に、魔理沙に。

 中身が何であるのかは、訊くまでもない。

「何で、あんたたちがコレを持ってるのか……は、今するお話じゃないわね」

「そういう事よ、霊夢」

 紫が言った。

「この場にいる全員に渡しておいたわ。これからの戦いで必要になる……こんな言い方は傲慢だけれど蓬莱山輝夜、貴女を守るための戦いよ」

「……ふふん。貴女たちね? ちょっと前に月の都へ攻め入って、姉様たちの秘蔵のお酒を盗んで帰った泥棒妖怪」

 輝夜の興味深げな眼差しが、紫に向けられる。

「私も永琳も月にはいなかったけど、経緯も顛末も面白おかしく伝わっているわよ」

「貴女の姉君たちにはね、私たち殺されかけたわ……私以外の妖怪は、大勢殺された。生き残ったのは私と幽々子、それに伊吹萃香だけ」

 霊夢は見回した。

 微かに、だが確かに、覚えている。自分は先程、伊吹萃香と対峙していた。

 姿が見えない。萃香は、どこへ行ったのか。

「月の都は……嫦娥は、貴女の命を狙っている」

 輝夜を見上げ、見据え、紫は言った。

「貴女の命を奪う事は出来なくとも。蓬莱人を未来永劫、無力化しておく手段は、月の都にならば複数あるのではなくて?」

「是非やって見せて欲しいものね」

 光の塊を生らせた木の枝を、輝夜は優雅にかざした。

「月の軍勢が、私を殺そうとする。捕えようとする。その過程で、幻想郷に被害が及ぶ……貴女たちの心配事は、それでしょう? 安心なさい、誰も巻き込みはしないわ。私が単身、月からの追っ手を上空で、宇宙で、迎え撃つ。貴女たちに迷惑はかけない」

「……悪いな。私ら、もう迷惑な目に遭ってるんだぜ。お前のせいにする気はないけどな」

 魔理沙が言った。

「月の連中が、私の知り合いを殺そうとした。あいつら、風見幽香が助けてくれたはずだと信じてるけどな……あんな事が、幻想郷じゅうで起こるかも知れない。もう、お前だけの問題じゃなくなっているんだよ」

「パチュリーさんの言っていた、霧雨魔理沙というのは貴女ね。先程はごめんなさい、痛かったかしら?」

 輝夜が、ころころと笑う。思わず見惚れてしまう笑顔。

 だが、と霊夢は思い定めた。この美しい笑顔の弾幕使いが今、魔理沙を殺すところだったのだ。

「もう少し、手加減してあげれば良かったわね」

「言ってくれるぜ。こんな状況じゃなければ、借りを返してやりたいとこだが……今は、そんな場合じゃない。蓬莱山輝夜、私たちと手を結べ。一緒に戦え」

 これが霧雨魔理沙なのだ、と霊夢は思う。

 自分は、流されるまま永遠亭にいる。魔理沙は、異変解決に奔走した結果として永遠亭に辿り着いた。もちろん、狂態を晒す博麗霊夢を正気に戻すという目的もあっただろうが。

 まず幻想郷を守ろうとする。そのために誰かを人身御供にするという選択肢はなく、蓬莱山輝夜の身柄も守ろうとする。

 それが、霧雨魔理沙だ。

 結局のところ私情でしか動かない博麗の巫女とは、根本の心構えが違うのだ。幻想郷の守り手にふさわしいのは魔理沙の方だ、と霊夢は思う。

 そんな魔理沙を、輝夜は殺そうとした。

 原因は自分にある。そんな事は霊夢とて、頭では理解している。

「月の連中に関する情報が欲しい。私とアリスがここへ来たのも、そのためだ」

 全員を見回し、魔理沙は言う。

「八雲紫に西行寺幽々子、お前らも知ってる事は全部話せ。月に攻め込んだ事があるんだって? それがどんなに無様な負け戦だったとしても話してもらうぜ色々と。私たちが戦ったのは下っ端の兵隊だけど、そいつらだって尋常な相手じゃなかった。ここにいる全員……ここにいない連中とも力を合わせないと、冗談抜きで幻想郷が滅ぶ」

「幻想郷を守る。そのついで、私も守ってくれると。そう言うのね」

 蓬莱山輝夜が、天女の如く夜空に佇んだまま笑う。

「ひとつ言っておく……私を守る資格を持つ者。それは、この宇宙において八意永琳ただ1人よ」

「だったら早く助けを求めなさいよ、あの八意先生に。助けて永琳、ってね」

 上空に、霊夢は声を投げ付けた。

「誰が助けに来たって関係ない……私は、あんたを許さない」

「おい霊夢……」

 魔理沙が何か言いかけた、その時。

 どこかで、炎が燃えた。

 それに合わせるような形で、霊夢は言った。

「魔理沙。私ね、あんたの事は本当にすごいと思う。尊敬する……でも、わかって。私情に走る奴にはね、言葉が通用しないのよ。説得って出来ないの。まずは力で、わからせないと」

 炎が燃えているのは、永遠亭の屋根の上である。何者かが、目に見えぬ炎を燃やしている。

 どこかで自分は、この熱を感じた事がある。霊夢は、そう思った。

「わかるわよ、永遠亭の姫君。あんた今まで、大抵の事は私情でどうにかなってきた類の奴でしょう。妖怪と同じ。話し合いなんかしなくたって、大抵の事は力で思い通りに出来ちゃう。だから会話なんて出来ない。最初っから会話で説得なんて、しようとしちゃ駄目なのよ」

 言いつつ霊夢は、ちらりと屋根の上を睨んだ。

 見えない炎を燃やす何者かが、西行寺幽々子と何やら話し込んでいる。

 紅白の衣装をまとう少女。どこか霊夢に似ている、のであろうか。

「……向き合える何かがあるっていうのは、うらやましい事だと私は思う」

 言葉と共に燃え上がる、不可視の炎。

 かつて霊夢は、焼き殺された妖怪の遺灰を見た事がある。油を浴びせて着火した、そんなやり方では決して生じない美しい遺灰。まるで火の鳥が羽ばたいたかのような、清浄なる火葬の跡。

 あのサラサラと清らかな遺灰から感じられた余熱と同じものを、その少女は発していた。

「まあ、そんな事はいい! とにかく輝夜を倒すのは私だから手を出すなよ!」

「させない」

 間髪入れず、霊夢は言った。

「蓬莱山輝夜は……私が、ぶちのめす」

「博麗の、巫女……」

 光の当たりようによっては白髪にも見えてしまう、眩い白銀色の髪。夜風もないのに、さらりと揺らめいている。

「……1度、挨拶をしなきゃとは思ってたよ。私は藤原妹紅、しがない妖怪退治人さ。あんたに言わせりゃモグリみたいなものかな」

「私は博麗霊夢。腕のいい同業者がいるのは、知っていたわ」

「光栄だね。まあ今は、そんな事は関係なく……引き下がってくれないかな、博麗さん」

 不可視の炎が、可視化を遂げた。

 白銀色の髪を舞い上げながら、炎の翼が生じていた。

「この輝夜っていうクソ女は、私の敵なんだ。あんたの言う私情さ。私情ってやつは本当……たちが悪いよな」

「駄目よ妹紅、人の厚意は素直に受け入れなさい」

 輝夜が言った。

「私の頼もしい友達・博麗霊夢がね、弱くてかわいそうな貴女に力を貸してくれようとしているのよ? 2人でかかって来なさい。いえ、ここにいる全員で来なさい。皆さん、弱くてみすぼらしい妹紅をどうか助けてあげて」

「ふざけるなよ輝夜……私たちの、こんなくだらん! いがみ合いに! 他人を巻き込もうとするなぁあああああっ!」

 炎の翼が燃え上がり、羽ばたいた。

 紅蓮の飛翔。

 火の鳥と化した妹紅が、輝夜にぶつかって行く。

「あっ、こら待ちなさい!」

 霊夢も飛翔しようとした、その時。

 永遠亭が、迷いの竹林が、轟音と共に白く染まった。夜景が、真っ白に塗り潰されていた。

 突如、上空から降り注いだ、激しい光によってだ。

 夜が粉砕された。突然、真昼になった。霊夢は、そう感じた。

 その光が空間をも揺るがし、妹紅の飛翔を震動で押しとどめる。

「何だ…………!」

 辛うじて墜落せず滞空しつつ、妹紅が呻く。

 光は、やがて失せた。

 光ではないものも失われた、と霊夢は感じた。

「…………萃香……?」

 呆然と、名を呟く。

 確かに今、伊吹萃香の叫び声が聞こえた。轟音と震動を伴う、天空の光の中からだ。

「……永琳が、戦ってくれているわ。恐らくは月の軍勢と」

 光の失せた夜空を、輝夜が見上げる。

「私たちは私たちで、さあ戦いましょう」

「そんな場合ではないという事が、まだわからないの!?」

 紫が、苛立ちを露わにしている。

「月の軍勢が降りて来たという事は、永遠亭の守りが失われたという事よ。そう、貴女の結界が」

「不変の結界、永遠の魔法……永琳はね、私の力をそう呼んでくれたわ」

 輝夜の口調は、静かなものだ。

「そこに引きこもっていれば未来永劫、安寧でいられる……そんな力は、あり得ないのよね。現にほら、弱くて健気な妹紅がちょっと頑張っただけで壊れてしまった。次は何、壊れやすい結界の代わりを貴女たちがしてくれるの? 私を守ってくれる? お気持ちだけ、いただいておくわ」

 静かな眼差しが一瞬、霊夢に向けられる。

「霊夢の言った通りよ。私は、私情を優先させながら生きてきた……ねえ貴女? 八雲紫さん、だったわね。私情より大切なもの、貴女は何があると思うの?」

「秩序と平衡、協調と安定。幻想郷を守るために、個人の私情よりも優先させるべきものはいくらでもある」

 紫が即答する。

「特に、私たち弾幕使いが私情に走るだけでは……出さずに済んだ被害が出るばかりで、何も守られはしないのよ」

「ふ……ふふっ、うふふふ、あっはははははははは! まったく、これだから1万年も生きていないお子様は」

 輝夜が、優雅に嘲笑う。

「せめて、あと5千年生きてごらんなさい。そうすれば、わかってくると思うわ……知的生命体にはね、結局のところ私情しかないのよ。秩序も平衡も、上から支配する者の言い訳に過ぎない。残りはしないわ、そんなもの。幾千年、数万年、私の心に残って輝き続けるもの、それは私情。貴女たち定命の種族が様々に見せてくれる、超新星の如き私情! さあ見せて、もっと見せて。月人どもが遥か昔に失ってしまったそれを、もっと私に」

 そこで、輝夜は硬直した。清かな美貌が、青ざめている。

「……鈴仙…………!」

 輝夜は息を呑み、空中からフワリと降下して行く。

 呻き、血を吐き、のたうち回る、鈴仙・優曇華院・イナバの傍らへと。

「ちょっと! どうしたの、鈴仙!」

「お前だよ蓬莱山輝夜。お前が自制を失い、暴発させた弾幕をな、この優曇華院はまともに喰らったのだ」

 答えたのは、魂魄妖夢である。その片手にあるのは、八雲藍に手渡されたのであろう小瓶。すでに空だ。

「死ぬ事はない。お前が調子づいて語りに入っている間、私が応急手当を済ませておいた。と言っても、この薬を飲ませただけだがな」

「……そう……ありがとう。永琳の作った、お薬ね……」

 先程の魔理沙と同じ状態にある鈴仙を、輝夜は膝の上に抱き上げた。

「しっかりなさい鈴仙……ごめんなさいね、私が少し考え無しだったわ」

「……姫様……貴女は……」

 吐血の咳をしながら、鈴仙は言った。

「ご存じ……だったのですか。私が……」

「永琳の命を狙っていた事なら、知っているわよ。可愛い事をしていたわね」

「私は……貴女様の、不変の結界を……」

「結界なんて、いつかは破れるものよ」

 輝夜が鈴仙の髪を、作り物か本物か判然としない長い耳を、撫でた。

「そんなもの無くても私は大丈夫。月の軍勢なんて今頃、永琳が」

「貴女は……愚か者です、輝夜様……」

 鈴仙は、涙を流していた。

「何故、お気付きにならないのですか……月の艦隊など……」

 鈴仙の泣き顔が、髪が、全身が、血に染まった。

「……稀神サグメなど……単なる、陽動に過ぎないと……」

 輝夜の、鮮血だった。

 鈴仙を抱き起こしていた細身が、鈴仙にもたれかかる感じに崩れ落ちる。鮮血が大量に溢れ、臓物が跳ねる。

 美しい笑顔を固めた生首が、鈴仙の抱擁の中から転げ落ちる。

 輝夜は、切り刻まれていた。輪切りに近い形だ。

 妖夢が、起きながら悪夢を見ている顔をして呆然と固まっている。彼女の目をもってしても視認不可能な、静かなる斬撃。

 やがて、うっすらと、キラキラと、見え始めた。夜闇の中、細く揺らめく微かな光。

 それが、輝夜の全身を寸断したのだ。

 糸、であった。光で出来た糸。霊夢には、そう見えた。

「…………フェムト……ファイバー……」

 紫の声だった。

「兵器の装甲に用いられている、粗悪な量産品とは違う……開発者自身の手による、本物の……」

「あの時……貴女を、こうする事も出来たのよ。八雲紫」

 静かな言葉に合わせ、何本もの光の糸が揺らめいている。

「しなかったのは……出来なかったのは、私の甘さ。今回は、貴女たちの方がいくらか甘かったようね」

 美しい指先から伸びる、光の糸。ぼんやりとしていたら、この場にいる全員が輪切りにされる。

「不変の結界は失われた。私の能力……山と海を繋ぐ力が、この地にも及ぶ。私に、行けぬ場所は無くなる」

 夜闇の中でも煌めきが見て取れる金髪。朧げな陰影だけで美しいとわかる顔立ち。

 光の糸の揺らめきをまといながら、その少女は、いつの間にかそこにいた。

「…………誰……」

 微かな声を漏らすのが、霊夢は精一杯だった。息をしただけで切り刻まれる。そんな気がした。

「月からの刺客の……本命、と言うべきでしょうね。月の都の、筆頭執政官」

 答えてくれたのは、紫である。

「丞相……綿月豊姫」

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