第28話 竹林を灼く不死鳥
原作 上海アリス幻樂団
改変、独自設定 小湊拓也
「ルーミアは、また死にそうになってるのか」
おかしな植物が植えられた大きな鉢に、チルノは語りかけた。
「妖精じゃないんだから、程々にしないと駄目だぞ」
「魔理沙が、程々にしてくれないからなー」
植物が言った。
蔓植物の塊、に見える。所々、小さな花が咲いている。
肉体を破壊されても、妖精なら長くとも1日あれば再生が完了する。妖怪は、運が悪ければそのまま消滅する。
ルーミアは、運には恵まれた方であった。
チルノは振り向き、この家の主に言った。
「ルーミアを助けてくれて、本当にありがとう」
「雑草をね、戯れに引き抜いて鉢に植えてみただけよ」
風見幽香が応える。
「……さすがに雑草は生命力が強いわね。思ったより早く鉢から出られそう、でもあと少し大人しくしてなさい」
「恩に着るよ、花の幽香」
鉢が、ぴょこんと跳ねた。
「私だけじゃなく神綺様、じゃなかったアリスにも、それに魔理沙にも、もっと優しくして欲しいなー」
「ふふ。あの2人はね、私が優しくしてあげても喜ばないわ」
「朝ご飯ですよー」
大妖精が、キッチンの方から盆を運んで来た。
「お台所、使わせていただいて、ありがとうございました風見さん」
「幽香、でいいわよ」
朝食、と言っても外は相変わらず夜であった。
大妖精が、テーブル上にてきぱきと料理を並べてゆく。白米のご飯に味噌汁、焼き魚に香の物。
「矢田寺さん、起きられますか?」
「……ありがとう、大丈夫。私もね、成美でいいから」
負傷者らしき少女が、ベッドから出て来た。
「ルーミアは、何か食べられそう? 胃腸は治ってる? 一応、お粥を作ってみたんだけど」
「だだ大ちゃん、人肉。脂臭い生肉と生はらわたは、ないかなー?」
「あるわけないでしょ、鮭のお粥で我慢しなさい。ほら、あーんして」
「あーん」
奇怪な植物の中からにょろりと舌が現れ伸び、大妖精の差し出した匙の中身を器用に削ぎ取った。
「貴女は……人間の肉でも食べさせた方が、治りが早いかも知れないわね宵闇の」
言いつつ幽香も、上品に箸を使って食事を始めている。
「外の世界から、適当にさらって来ましょうか」
「やめなさい、そういう事は」
矢田寺成美が言った。
「まったく。人間の肉なんかより……ほら。このお魚の方が、ずっと美味しいじゃない。いやまあ人間、食べた事あるわけじゃないけど」
「お地蔵さんは知らないのかー? お魚釣るのって、人間を獲るよりずっと難しいんだぞー」
言葉と共にルーミアは舌を躍らせ、凄まじい速度で粥を平らげてゆく。
粥の小鍋が、あっと言う間に空っぽになった。
「ごちそう様でした。大ちゃんも、朝ご飯をお食べよ」
「お粗末様。そうさせてもらうね」
「……貴女、お料理上手なのね。大妖精さん」
幽香が言った。チルノは嬉しくなった。
「そうだろう。大ちゃんのお料理は幻想郷一番だぞ!」
「……チルノちゃんは、もうちょっとお行儀良く食べようね。人様のお家なんだから」
「ああ構わないわよ。自分の家みたいに過ごしてちょうだい」
幽香が言いながら、空になった食器の前で手を合わせる。食べ方が上品な割に、速い。
「私……少しの間、留守にするから。好きに寝泊まりしてくれていいわよ」
「ちょっと」
比べてのんびりと食事をしつつ、成美が血相を変える。
「まさか本当に、外の世界へ」
「人間狩りに行きたいのは山々だけど、それはまたの機会にね」
幽香は微笑んだ。優しい笑顔だ。
この妖怪が何故あそこまで恐れられているのか、チルノには全く理解出来なかった。
確かに、自分などとは比べ物にならぬほど強大な弾幕使いであるのは間違いない。
だが、優しい。
朝食も摂らずに朝一番、大妖精と共にチルノはこの家を訪れた。死にかけたルーミアが、ここにいると聞いたからだ。
起きたばかりの風見幽香は快く、招き入れてくれた。大妖精が朝食を作る事になったのは、成り行きである。
幽香は言った。
「ねえ、お地蔵さん。問題なく動けるようなら、さっそく貴女に恩を着せたいわ」
「畑仕事なら、いくらでもするけど……」
成美は、カーテンの隙間から窓の外を覗いた。
「……夜中に出来る畑仕事って、あるのかしら?」
「なくはないけど、まずは朝にしないとね。いい加減に、夜は終わらせる。貴女には留守番を頼みたいのよ」
幽香は、立ち上がった。
「ルーミアの世話だけ、してくれればいいわ。食べ物なんかは勝手に食べてちょうだい。水もお風呂も使ってくれて構わない……そうね、毎日の簡単なお掃除くらいはしてもらえると助かるけど」
「毎日って貴女、そんなに長く帰って来ないつもりなの?」
「そもそも、帰って来られないかも知れない」
引き裂くような勢いで、幽香はカーテンを開けた。夜闇を、夜空を、月を、見据えた。
「……夜が明けない原因に、ほんの少しだけど心当たりがあるのよね。昔の知り合いが言っていた事、今更だけど思い出したのよ。その知り合いは……ある勝負事に勝って、その賞品として明けない夜を要求し、叶えられた」
夜を、幽香は睨んでいた。
「幻想郷の花々から、太陽の光を奪った者……本当にいるのなら、生かしておかないわよ」
蛍そのもの、のような光弾が無数、押し寄せて来る。
楼観・白楼の二刀で、魂魄妖夢は全てを弾き、あるいは受け流した。
そうしながら、かわした。
光弾の発生源である妖怪の少女が、飛び蹴りで突っ込んで来たのだ。
受けていたら、どちらかの剣を叩き落とされていたかも知れない、激烈な一撃である。
その蹴りが空振りをして、妖夢の傍を通過する。
「徒手空拳で剣士に挑む……その蛮勇だけは、褒めてやろう」
着地したリグル・ナイトバグに、妖夢は楼観剣の一閃を叩き込んだ。
空を切った。
リグルは、すでに空中にいた。自力の回避ではない。もう1体の妖怪が、リグルを抱き運んで飛翔したのだ。
ミスティア・ローレライだった。
リグルを抱いたまま、妖夢を見下ろしている。両眼を赤く発光させながら、何かを叫ぶ。
いや。それは絶叫ではなく、歌だった。
愛らしい唇から、鋭く甲高く紡ぎ出された歌声が、妖夢に降り注ぐ。妖夢1人に、だ。
夜闇が、濃くなった。
眼球に何か付着したかの如く、視界が狭まってゆく。
「く……っ……!?」
妖夢は何度も瞬きをしたが、付着物のような暗闇は消え失せてくれない。
光弾が、降り注いで来る。それはわかった。ミスティアが、羽ばたきながら放った弾幕。
妖夢を取り巻いて飛翔した半霊が、迎撃の光弾をばら撒いた。
両者の弾幕が、激突した。
光弾と光弾が、ぶつかり合って砕け散る。その激しい煌めきも、今の妖夢は視認する事が出来ない。光を当てただけでは消えない暗闇が、視界を覆っている。
何者かが、すぐ近くに着地し、踏み込んで来た。
リグルである。至近距離まで来られて、ようやく見えた。見えてからでは回避の間に合わぬ蹴りが、妖夢を襲う。
防御は、間に合うか。妖夢は白楼剣を構えた。
その不十分な防御が、蹴り砕かれた。リグルの鋭利な右足の一閃で、白楼剣は叩き落とされていた。
「こやつら……雑魚かと思っていたが!」
回収する暇などなく妖夢は後方へ跳び、両手で楼観剣を振り回した。標的が見えない。当たるわけがなかった。
「連携をされると、厄介……」
「会得してくれたのね、ミスティア」
鈴仙・優曇華院・イナバの、声が聞こえる。
「特定の対象1体のみに歌を聴かせる、特殊発声……いいわよ。貴女にしか出来ない戦い方を、もっともっと極めなさい」
目の見えぬ妖夢を取り巻いて防護しながら、半霊が光弾を速射し続ける。リグルとミスティアを、近付けないようにするのが精一杯である。
ここに、鈴仙の狙撃が加わって来たら。
ひとたまりもなく自分は死ぬ。呆気なく射殺される、と妖夢は確信した。
だが、鈴仙は撃とうとしない。何もせず、永遠亭の庭園のどこかに佇んでいる。
戦いを、見つめている。
「何を……考えている? 鈴仙優曇華院」
妖夢は呻いた。
「貴様、何か……機会でも、窺っているのか」
いくつもの魔法陣を従えて、パチュリー・ノーレッジは空中に立ち、永遠亭の庭園を見下ろしている。
それら魔法陣から、色とりどりの光弾が溢れ出した。煌びやかな弾幕が、庭園に……否。アリス・マーガトロイド1人に、降り注ぐ。
何体もの人形が、アリスの頭上を飛翔しながら盾を掲げ、光弾の雨を防いで弾く。
人形たちに防御を一任しつつ、アリスは片手をかざした。たおやかな五指と掌を、地上からパチュリーに向けた。
その掌から、光が迸る。光の線条が、夜闇を切り裂いてパチュリーを襲う。
今は、霧雨魔理沙が隣にいない。
魔理沙と共に放つ光であれば、どんな敵でも倒せる。月の兵士を倒す事も出来た。
自分1人の力で、このパチュリー・ノーレッジという恐るべき魔法使いに勝てるのか。どうしても、アリスはそう思ってしまう。
光の線条が、パチュリーを貫いた。ふわりとした魔法使いの姿が、穿たれ裂かれ、砕け散り、消滅した。
幻影だった。
「霧雨魔理沙が」
背後から、語りかけられた。
「博麗霊夢以外に……こんな同行者を、引き連れていたとはね」
アリスは、振り向きながら片足を離陸させた。超高速で弧を描いた回し蹴りが、パチュリーを直撃した……と思えた瞬間、空振りをしていた。またしても幻影だった。
「アリス・マーガトロイドさん、だったかしら。貴女、魔理沙の押し付けがましさに……ほだされて、しまったのね」
紫色の髪が、ふんわりとアリスの視界をかすめる。
目で追った。パチュリーの姿は、どこにも見えない。
そうかと思えば、別方向から歩み寄って来る。アリスの傍を通り過ぎながら、囁きかけてくる。
「……命がいくつあっても足りないわよ? あんなのと行動を共にしていると」
「現に、ほら。貴女は今、死んでしまうかも知れない」
「私に、殺されてしまうかも」
全てを無視して、アリスは永遠亭の建物の方を見据えた。
幻影ではないパチュリー・ノーレッジが、縁側に腰掛けている。
「……逃げるのなら、見逃してあげる。自分の命を大切になさい」
空中の魔法陣が、閃光を放った。レーザー化した魔力。それらが人形たちの盾と盾の間を超高速で通過し、降り注いで来る。
全てを、アリスはかわした。軽やかに回避のステップを踏んだ。その足元で、魔力レーザーが地面を穿つ。
「逃げる……そうね。逃げ込む場所があるうちは、幸せよね」
アリスは言った。
「……私、もう逃げ場がないの。魔理沙と一緒に戦うしか、道はないのよ」
「戦う……ね。何と戦うのかしら」
パチュリーが、ゆらりと縁側から立ち上がる。
「ねえアリス・マーガトロイド……貴女わかっているの? 自分が今、どういう存在に戦いを挑もうとしているのか」
その言葉が終わらぬうちに、何かが降って来て庭園に激突した。
空中から叩き落とされた、2つの身体。
藤原妹紅と、伊吹萃香だった。重なり合って倒れ伏し、苦痛の呻きを漏らしている。妹紅が、萃香を庇っているようにも見える。
「しっかりなさい。駄目よ、そんな事では」
圧倒的劣勢の弾幕使い2名に、空中から声をかける者がいる。
美し過ぎる満月を背景に佇む、優美な人影。宇宙を身にまとう女性。
「2人がかりで私に……傷一つ、負わせられないようではね。遠いわよ? 彼女の足元までは」
夜空、ではなく宇宙そのものを見上げている気分に、アリスはなった。
自分は今、宇宙に戦いを挑もうとしている。永遠亭に殴り込むとは、そういう事なのだ。
「……あんたが、化け物だってのは……知ってたよ、八意先生」
妹紅が、よろよろと立ち上がる。立ち上がりかけたところで、膝を折ってしまう。
「あれは……私たちが垣間見た、あれは……あんたよりも、化け物だって言うのか……」
「……彼女の足元は、私にも見えていないわ」
八意永琳が言った。
「この宇宙。貴女たちにも、私にも、想像すらつかない領域が無限にあるわ。彼女はね、それら領域に住まう……きっと、ごくありふれた存在よ」
「…………虫ケラ、みたいなもんだな……蓬莱人なんて……」
片膝をついたまま妹紅は俯き、顔を上げなくなってしまった。
「何を……一体、貴女たちは何を垣間見たの」
アリスは問いかけていた。根拠のない思いが、ふと胸中に生じたのだ。
「私は、それを知っている気がする……いや、知りはしないけれど……語りかけられた、気がするのよ」
「聞こえたのね」
パチュリーが言った。
「アリス・マーガトロイド……貴女にも、聞こえたのね。それなら私たち、姉妹のようなものよ」
「姉妹のようなもの? それなら何人もいるわ。仲は良くないけれど」
「そう……姉妹は、憎み合うもの。虐げ合い、殺し合うもの」
パチュリーは微笑んだ、のであろうか。
「だから、私と貴女も戦うしかない……あの方が、戦えとおっしゃったのだから」
「……………………誰なんだよ…………あの方ってのは……」
立てぬ妹紅を、小さな背中で庇うように、伊吹萃香が立ち上がっていた。
「……いや、聞いたって今の私じゃ意味ねえやな……畜生……ちくしょう……」
涙を流しながら、萃香は牙を食いしばり、永琳を見上げている。
「…………お山の大将がな、良かった……」
永琳に語りかけている、というわけではないようだ。独り言である。
「大江山でも……妖怪の山でもな、私は一番でいられたんだ……楽しかったぜ、本当によ」
「けれど、貴女は山を下りた」
永琳は、しかし応じた。
「……お山の大将でいる事に、嫌気が差したのでしょう? 広い世界を知りたくなって、ついには月にまで乗り込んだ」
「行かなきゃ良かったと、心から思う」
萃香は、瓢箪の中身を呷った。全く酔えないようであった。
「月で、散々に負けてよう。あれ? 私ってもしかして一番強えワケじゃねえのかな……って、思い始めちまってよ。それを忘れたくて、紛らわせたくて、酔っ払ってたようなもんだ。けど、酔いが醒めちまった……」
錯覚、であろうか。
萃香の小さな身体が一瞬、膨れ上がったようにアリスには見えた。
「また……気持ちよく酔っ払えるように、なりてえもんだ。それには結局……アレを、ぶちのめすしかねえんだよなああ」
小さな拳を、萃香は可愛らしく突き上げた。夜空を殴る仕草。
その瞬間。夜が震えた、とアリスは感じた。
錯覚ではない。巨大な鬼神の拳が、確かに出現していた。そして永琳を襲う。
軽く、永琳は片手を掲げた。優美な五指で、迫り来る鬼神の拳を撫でた、ように見える。
巨大な鬼の拳は、霧散した。
「いいわね……これなら、最新型のフェムトファイバー装甲も一撃で粉砕出来るでしょう」
永琳が、冷たく微笑む。
「幻想郷……素晴らしいわ。妖怪という、天然の生体兵器がいくらでも生息している。ことごとく捕獲して永遠亭の戦力とする、それも悪くないわね」
月光そのものの、冷たく煌めく眼差しが、アリスにも妖夢にもリグルとミスティアにも向けられる。
自分も魂魄妖夢も藤原妹紅も、永琳から見れば全て妖怪なのだろう、とアリスは思った。
「貴女たちを使い捨てて、嫦娥を討つ。そうすれば、私たちの姫様が月の都の支配者となる……幻想郷と月との間に、強固な同盟関係が成立するわ。誰にとっても悪いお話にはならない」
「……あんた方の……姫様、だと……」
妹紅が、ようやく顔を上げた。よろよろと、立ち上がった。
「あいつのために……私たちを、使い捨てる……だと……」
「それが貴女にとっても幸せな事よ、藤原妹紅」
美しい嘲笑。
まるで風見幽香だ、とアリスは思った。
「……本当は、もうわかっているのでしょう? 貴女では永久に、あの子には勝てない。いっその事、負けを認めて忠誠を誓ってしまいなさい。あの子のために、その尽きぬ命を捨てて戦うのよ。そうすればね、あの子だって貴女を優しく扱ってくれるわ。世にも珍しい、炎の小鳥。籠に入れて、大切に飼ってくれるわよ?」
「ふざけるなぁあああああああああああああッッ!」
妹紅の全身が、燃え上がった。
炎の翼が広がり、激しく羽ばたいていた。
「おい八意永琳、あんたが私を挑発してるのはわかる! 私を怒らせて、立ち直らせてくれようとしている! ありがとうよ! 今、お礼をくれてやる。あいつの澄ました面になあ、あんたの遺灰をぶちまけてやる!」