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異説・東方永夜抄  作者: 小湊拓也
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第26話 虫愛づる姫君

原作 上海アリス幻樂団


改変、独自設定その他諸々 小湊拓也

 小悪魔が、倒れた。まるでパチュリー・ノーレッジと入れ替わるようにだ。

 頑張り過ぎね、と八意永琳は言った。

 有能な子だから私もつい、こき使ってしまったけれど。そんな事も言っていた。

「……馬鹿な子」

 パチュリーは呟く。小悪魔は、応えない。布団の中で、穏やかな寝息を発している。

 永遠亭の一室。襖は開け放してあり、真昼の如き月光が皓々と畳を、布団を、小悪魔の寝顔を照らしている。

 布団の傍らで正座をしたままパチュリーは、庭園の夜景に視線を向けた。

 月明かりが、眩しい。妖怪には何一つ恩恵をもたらさない、偽物の月光。

 空に鎮座するのは、本物よりも美しい紛い物の満月である。

 八意永琳の、計り知れぬ力の一端。

 見放されてはならない、と小悪魔は思ってしまったのだろう。八意永琳に見放されたらパチュリーは助からない、と。

 だから、奴隷の如く働いた。永琳がそんな事を強いたわけでもないのにだ。

「ねえ小悪魔……私、貴女にしてあげられる事なんて……何もないのよ?」

 語りかける。小悪魔は、目を覚まさない。

 別の何者かが、言った。

「何もわかっていないのね、まったく。これだから千年も生きていないお子様は」

 何千年、何万年、生きているのか見当もつかぬ姫君が、部屋に入って来たところである。

「小悪魔さんはね、貴女に何も求めていないわ。見返りを求めるような心根で、永琳に弾幕戦なんて挑めはしない……生きて貴女からの御褒美を堪能しようなんて、小悪魔さんは考えていないのよ」

「……この子にも、随分と親切にして下さったのね。輝夜様」

 パチュリーは顔を上げた。

「ここで働かせていただいた方が、小悪魔はきっと幸せよ」

「……この子は、きっと今が一番幸せね。貴女が生きて目覚めてくれたから」

 蓬莱山輝夜がふわりと座り、小悪魔の穏やかな寝顔をそっと覗き込む。

「安心して、力が抜けたのね……今まで気の休まる暇もなかったはずよ。パチュリーさんが死んでしまうかも知れない、そう思ってね」

「……私が死ねば、この子も解放されるわ。色々なものから」

「二人きりのところへ入り込んで、ごめんなさいねパチュリーさん。貴女と、お話をしておきたかったから」

 輝夜の清んだ瞳が、じっとパチュリーに向けられる。

「小悪魔さんを……悲しませる事は、許さないわよ。永遠亭の主として、客人たる貴女に厳命を下しておきます。この子に、辛い思い悲しい思いをさせてはなりません」

 月が、見えた。

 八意永琳が空に描いた、偽物ではない。隕石孔に彩られた本物の月を背景に、この姫君は今、たおやかな背筋を凜と伸ばしている。

 月は、一瞬の幻覚だった。輝夜はただ、部屋の中で座っているだけだ。

 パチュリーは、しかし確信した。

「貴女が……月の都という場所が本当にあって、貴女がそこの高貴などなたかであるというお話。どうやら本当なのね、輝夜様」

「昔のお話よ。今は、ご覧の通り落ちぶれて」

 輝夜は、庭園の方を見た。

「失礼だけど……この幻想郷。落ちぶれて落ち延びる先としては、本当に素敵な場所よね」

「幻想郷の、征服・支配に乗り出す事も不可能ではないと思うわ。貴女たちなら」

 パチュリーは言った。

「……そんな事に全く興味を持っていないのは、まあ見ればわかるけど」

「つまんないわよ〜、権力者って本当に」

「見ている分には興味深い権力者なら、知り合いにいたわ」

 その権力者は、己の妹に怯えて偽りのカリスマを演じ続け、それを打ち砕かれ、女王の座から転げ落ちた。

 今は、博麗神社で安穏と暮らしているはずである。

 だが今、博麗霊夢はここ永遠亭にいる。正気を失った状態でだ。

 居候を放置して来たのか、と問い詰める事は出来るだろうか。

「そうねえ。見ている分には面白い権力者って、確かにいるわね」

 ころころと、輝夜が思い出し笑いをしている。

「位人臣を極めながら、失恋ひとつで転がり落ちる。あれは傑作だったわ」

「……その失恋相手というのは、もしかして貴女?」

「求婚されたの。まあ別に片っ端から無視しても良かったのだけど、少しは相手をしてあげようと思って」

 数日前の、そこそこ印象深かった出来事を思い返すような表情を、輝夜はしている。

「弾幕使いでもない限り、絶対に見つけられない宝物をね、おねだりしてみたのよ。そうしたら、まあ凄く頑張って偽物を用意してくれた人がいてね……本物はほら、私の手にあると言うのに」

 光り輝くものが一瞬、輝夜のたおやかな両手の間に生じた。

 光り輝く果実を生らせた、枝。そう見えた。

「頑張って偽物を用意した人に……貴女は、本物を突き付けて見せたのね。恐らくは大勢の目の前で」

「うふふ。見せてあげたかったわ、パチュリーさんにも」

「……その人は、どうなったのかしら」

「失脚して野垂れ死んだわ。かわいそうに……ただまあ、因縁は今も続いているのだけど」

 輝夜の笑みが、ニヤリと邪悪な歪みを見せる。

「ねえパチュリーさん……誰かに憎まれるって、本当に素敵よね」

「そうかしら」

「貴女の遠隔弾幕、とっても素敵だったわよ。憎い相手を灼き払う、憎悪と闘志に満ちていた。霧雨魔理沙、と言ったかしら? 貴女の敵」

「……憎い相手、というわけではないわ。鬱陶しいから追い払っただけ」

 自分は霧雨魔理沙を、憎んでいるわけではない。そんな積極的な感情をぶつけるほどの相手ではない。

 パチュリーはそう思う。

「貴女の弾幕……穢れているわね」

 輝夜の笑みが、向けられてくる。

「人を大勢、殺しているでしょう? あの弾幕で」

「そんなには殺していないわ」

 殺せ。殺して、殺してくれ。殺して下さい。殺せ、この魔女め。

 罵声を、怒声を、哀願を聞きながら、パチュリーは大勢の人間を生かしたものだ。

 切り刻まれ、あるいは粉砕された肉体を、繋ぎ合わせた。繋がり合ったものたちが蠢く様を、観察した。魔力の供給源として、若干は役立ててもみた。

 最終的には皆、死んでいった。

「貴女の、穢れた弾幕……永遠亭の結界では、遮る事も出来ない。凄いわ」

「……やっぱり、この永遠亭は結界で守られているのね。そんな感じはしていたわ」

「不変を維持する結界よ。それが機能している限り、永遠亭は……良い方向にも、悪い方向にも、変化する事はない」

 その結界の、力の源となっているのは、この蓬莱山輝夜であろう、とパチュリーは見て取った。

 輝夜の身に何事か起これば、すなわち結界は揺らぐ。

「結界を越える事が出来るのは、穢れた者のみ……つまり永遠亭に辿り着くには、死ぬ思いで戦いながら竹林の中を地道に進んで来るしかないの。この結界も、所詮は月人の力。穢れを遮る事は出来ないから」

「……穢れ、とは?」

 パチュリーは訊いた。

「永遠亭の……防備の弱点に関わる事なのかしら。それなら無理に聞き出そうとは思わないけれど」

「生きる事、死ぬ事。愛する事。憎む事。戦う事。全てが穢れよ。月人という種族にとってはね」

 あっさりと、輝夜は教えてくれた。

「私はね、そんな月の都に嫌気が差したのよ。だから地上で生きてゆくの。地上の、幻想郷の穢れを、もっともっと堪能したいわ。だからねパチュリーさん、小悪魔さんを可愛がりなさい。その霧雨魔理沙という人とも、戦ったり仲良くしたりなさい。それを見せて、私に見せて、お願い見せて」

「お、落ち着かなければ駄目よ輝夜様」

 永遠亭の主に気圧されて、パチュリーは思わず正座を崩した。

「霧雨魔理沙は……私にとって、そこまで意識するような相手ではないわ」

「ふふ……私もね、同じような事を言っていたわ。地を這う虫が、ただ鬱陶しく絡み付いて来るだけだと」

 ここにはいない何者かを、輝夜は見据えているようであった。

「無様に這いずる毛虫か芋虫が……ひらひらと舞う、ちっぽけな蝶々くらいには成れたのかしらね。まあ虫である事に違いはないわ。不死鳥を気取る、滑稽な羽虫よ。来る度に叩き潰してあげているの」



「西行寺幽々子……それが、お前の主の名か」

 あまりにも美し過ぎる満月を、ぼんやりと見つめながら藤原妹紅は言った。

「で、私に会いたがっていると」

「旧知の間柄だ、と私は思ったのだがな」

「いや、初めて聞く名前だ」

 迷いの竹林の出入口と言うべき場所に立つ、みすぼらしい小屋。藤原妹紅の住まいである。

 みすぼらしいのはしかし外観だけで、中は小綺麗なものであった。質素だが、貧しい感じはしない。

 風呂と食事を、妹紅は振る舞ってくれた。存外に裕福な暮らしをしているのではないか、と魂魄妖夢は思った。

 今は全員、布団の中である。

 いや、妹紅1人が眠れぬ様子で上体を起こし、壁にもたれ、窓の外を眺めている。

 妖夢も、布団の中から身を起こし、正座をした。

「ともかく藤原妹紅殿。我が主の頼み事、どうか引き受けていただきたいのだ」

「頭なんか下げるな。殿も付けるな」

 妹紅は苦笑した。

「どんな頼み方されたってな、出来る事と出来ない事がある。まあ、お前の御主人に会ってみてから考えるよ……ふむ、西行寺幽々子。やっぱり知らない名前だ」

 何か思い出す努力を、妹紅はしてくれているようであった。

「……なあ魂魄妖夢。お前の、祖父さんの代から仕えてるって?」

「父は、幽々子様には仕えていない。私と魂魄妖忌だけだ」

 妖夢が物心ついた時には、父はすでに姿を消していた。妖忌は、己の息子である人物に関して何も語ってはくれなかった。

「魂魄妖忌が仕えていた……それなら、思い当たる奴が1人いなくもない。そう言えば、あれの本当の名前なんて気にした事はなかったなあ」

 祖父は妖夢に、本当に何も語ってくれなかった。息子夫婦に関しても。白玉楼に住まう以前の、西行寺幽々子に関しても。

 何も語らぬまま、やがて妖忌自身も姿を消した。

「富士見の娘。当時は、そう呼ばれていたよ。とんでもない化け物だった」

「富士見の娘……」

「……なあ魂魄妖夢。私も、お前の御主人に会ってみたい」

 眩し過ぎる月光の中で、妹紅は微笑んだ。陰惨な笑み。

「竹林ではぐれたのか。なあに、すぐ会える。楽しみにしておこう」

「……藤原妹紅。お前は、魂魄妖忌と戦った事があるのか?」

「あいつも化け物だったな。人間のくせに」

「楼観・白楼の剣は、未熟な私が受け継いでしまった……お前を、失望させたと思う」

「あいつと比べるなんて事はしないさ」

 妺紅が、こちらを向いた。

「とにかく、あいつらは主従揃って化け物だった。で……負けず劣らずの大妖怪が、そこにいるわけだが」

 その視線の先ではアリス・マーガトロイドが、1人の小さな少女と添い寝をしている。

「……やっと、寝付いてくれたわ」

 大きな角の生えた少女の頭を、アリスは愛おしげに撫でている。

「2人とも、あまり大きな声で話さないでね」

 少女は、寝息を立てている。寝顔は、あまり安らかではない。眠っている今も、何かに怯えている。

 伊吹萃香、という名であるらしい。

「確かに……凄まじい力を持つ妖怪であるのは、見ればわかる」

 言われた通り、妖夢は声を潜めた。

「そんな怪物が、ここまで怯えるほどの……何が起こったのだろうか、と思ってしまうな」

「……何も起こってはいない。もし何かが起こったら……あいつが、何かを起こしていたら」

 妹紅も、萃香と同じくらいには怯えている。恐怖を感じている。それを妖夢は見て取った。

「私は今頃、生きてはいない。私の不死身なんて、あいつには通用しない……そんな気がする」

 不死身とは何の事か、と妖夢は思った。冷静に話しているように見える藤原妹紅だが、実は恐怖のあまり錯乱しているのか。

「とても恐ろしい誰かに出会って、お目こぼしをもらって、逃げて来たのね」

 アリスが言いながら、布団越しに萃香をそっと抱き締めた。

「まるで、私……」

「アリス・マーガトロイドだったな。お前さん、同じような目に遭ったのか? それを克服したのか?」

 妹紅が訊いた。

「恐ろしい目に遭って……自分が何者なのかもわからなくなるくらい、打ちのめされて。そこから……立ち直れたのなら……」

 声が、微かに震えている。泣きたいのかも知れない、と妖夢は思った。

「……頼むよ。やり方を、教えてくれ……」

「立ち直れるはずがないわ。あれの恐ろしさは、対峙した者でなければ……実際に殺されかけた者でなければ、わからない」

 自分は、そこまで恐ろしい目に遭った事があるのだろうか、と妖夢は考えてみた。

 魂魄妖忌は確かに、幼い頃の妖夢にとっては恐怖の対象でしかなかった。

「本当に心が折れるとね、1人では絶対に立ち直れない。私はそう思うわ。1人では駄目。でも、誰かがいてくれれば」

「……霧雨魔理沙か」

 妖夢は言った。

「今、思い出した。私とお前は、魔法の森で1度会っているな。あの時、お前は魔理沙を助けていた」

「それ以上に、魔理沙は私を助けてくれた。支えてくれた。引きずり上げてくれた。魔理沙だけではないけれど、ね」

「引きずり上げてくれる誰かが、必要……か」

 妹紅が呟く。

 それきり誰も、何も言わなくなった。

 突然、萃香が跳ね起きた。

 青ざめている。呼吸が荒い。恐ろしい夢でも見ていたのか。

 いや。悪夢すら見えなくなるほど、脳髄を恐怖に支配されているのか。

「おっと、悪いな。起こしちゃったか」

 妹紅の言葉に、萃香は応えない。ただ呻いた。

「……………………畜生…………ちくしょう…………」

 愛らしくも鋭い牙が、がちがちと震えてぶつかり合う。

「ちくしょう…………畜生、ちくしょう畜生ッッ……………………ちく……しょおぉおおお…………っ……!」

 萃香は、涙を流していた。

「……抗おうとしているのか、恐怖に」

 妖夢は話しかけた。

「偉そうな事は言えない。ただ……頑張れ、と私は思うぞ」

「恐怖を克服なんて……そんな、折れた心が粉々になるような事はしないで、ただ逃げていられたら……」

 アリスも言った。

「もう1人の自分でも作り上げて、何もかも押し付けて……本当の自分は、安全な場所で膝を抱えている……それが出来たら……幸せよね」

「……おい、よく聞け大江山の」

 萃香の震える涙目を、妹紅は見据えた。

「明日……まあ相変わらず朝っぱらから夜だろうけど、とにかく明日。私は、ある場所へ殴り込む。ちょっと腐れ縁の続いてる奴がいてなあ。そいつと殺し合うしかないんだ。私の、この腑抜けた心に活を入れるには」

 瞳の奥で、妹紅は無理矢理に炎を燃やしている。その炎を、萃香の瞳に注入せんとしているかのようだ。

「おい、お前も一緒に来るんだぞ伊吹萃香、酒呑童子、くそったれ外道丸! 八つ当たりでもいい、戦え! 月から来たくそ女どもをな、私に昔やったみたいに喰い殺してやれ! やるんだよ! 折れた心を立ち直らせるには結局のところ! 弾幕戦しかないんだからなあッ!」

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