第23話 生体兵器・藤原妹紅
原作 上海アリス幻樂団
改変、独自設定その他諸々 小湊拓也
月から、太陽が降りて来た。
そんな事を、藤原妹紅は思った。真夜中の太陽である。
ゆったりと空を飛ぶ、とてつもなく巨大な光り輝くもの。太陽、という表現しか妹紅の頭には浮かんで来ない。
真夜中の太陽に向かって、帝の兵士たちが懸命に矢を放っている。届いているのかどうかも怪しい。届いたところで、太陽を撃ち落とせるわけがない。
太陽から、ばらばらと大量の何かが現れ降って来た。
人、のように見えた。ずんぐりと不格好な全身甲冑に身を包んだ、異形の兵士たち。
太陽ではなかった。異形の軍勢を運んで空を往く、恐ろしく巨大な乗り物……船、と呼んで良かろう。太陽の如く光り輝いて空を飛ぶ、船である。
そんなものが、何のために月から降りて来たのか。
妺紅には、わかる。
「お前よ……一体、何がやりたかった?」
この場にはいない少女に、妹紅は語りかけていた。
「はるばる月から降りて来て、やった事と言えば何だ。蓬莱の珠の枝? 火鼠の皮衣? 仏の鉢? ありもしない宝物を男どもにねだって、まあ本当に探しに行っちまう連中も大概だが、探しにも行かず偽物作りに心血を注ぐ馬鹿もいたわけで、ふふっ。本当に馬鹿、どうしようもない馬鹿親父、あっはははははは」
妹紅は、笑いながら涙を流していた。
「お前アレか、男どもの馬鹿さ加減を嘲笑うために月から来たのか。親父殿を嘲笑って、ついでに私の事もコケにして、それで迎えが来たから月に帰る? ふざけんじゃあねえええええええ!」
涙を流しながら、妹紅は怒り狂った。
全身から炎が溢れ出し、翼の形に広がった。
「行かせるものかよ! 帰らせるものか! お前は殺す、私が殺す! おいコラ貴様ら、あいつを勝手に連れて行くなぁーッ!」
あの時と同じだった。恒星の如く光り輝く巨船と、土偶のような全身甲冑の群れ。
否。あの時とは、規模が桁違いである。あの時は1隻だけであった巨船が、今は一目で数えきれない。
艦隊を背景に、土偶の鎧をまとう兵士たちが雲霞のように布陣している。
第四槐安通路、という名称であるらしい謎めいた空間。
伊吹萃香と共に妹紅は、月人の軍勢と対峙していた。
「性懲りもなく……あいつを、月に連れ帰ろうってのか」
背中から翼の形に広がる炎を、妹紅は羽ばたかせた。
月人の兵士たちが、弾幕を放ってきたところである。ずんぐりと不格好な腕部の先端から、光弾が射出される。
無数の光弾が、押し寄せて来る。
炎の翼が、その弾幕を焼き払い粉砕していた。
「くっ……これは……」
炎の翼も、砕け散って火の粉と化した。妹紅は歯を食いしばった。
あの時と比べ、光弾の破壊力も格段に向上している。
そんな高威力の弾幕を、萃香はまともに喰らっていた。
鬼の少女の小柄な肉体が、砕け散った。
破片が、光弾の如く飛んだ。全て、小さな萃香だった。
無数の頭突き、あるいは拳。
光弾の大きさになった萃香たちが、月人の一部隊を貫通していた。
何体もの土偶が、穿たれ、ひび割れ、硬直する。
小太りの鎧たちを貫通した無数の萃香が、集合・融合し、1人の萃香に戻った。
「ほぉーう、一撃で砕け散らねえたぁ見上げたもんだ!」
嬉しそうに牙を剥きながら、萃香が鎖を振り回す。一見、幼げで愛らしい左右の細腕が、3本の鎖を器用に豪快に操っている。角錐、球形、立方体、3種の分銅が、ひび割れた土偶たちをことごとく粉砕する。
「確かにな、すげえ鎧だよ。鎧は、どんどん強く頑丈になって……」
全方向から襲い来る月人たちの光弾を、3つの鎖分銅で片っ端から弾き砕きながら、萃香は叫んでいた。
「けどなあ、中身はぜんっぜん変わってねえ! 相変わらず生きてんだか死んでんのかわかんねえ! いいのかよ、おめえら! それでいいのかよぉおおおおおおおおおッッ!」
萃香の小柄な全身から、涙と一緒に無数の光弾が飛び散った。
その全方位弾幕が月人の兵士たちを直撃し、土偶の鎧に亀裂を走らせる。
ひび割れた兵士たちを、萃香は3種の分銅で打ち砕いてゆく。
この鬼は、泣き上戸なのだ。
大江山の戦いでも、泣きながら妹紅の手足や臓物を引きちぎってくれたものだ。
「そんな化け物と……こんな、わけのわからん所で共闘か。まったくなあ、無駄に長生きしてると何が起こるかわからない」
苦笑しつつ妹紅は、両手をかざした。鋭利な左右の五指が、燃え上がり炎を発する。
月人たちの弾幕が、押し寄せて来る。
そちらに向かって妹紅は、燃え盛る両手を翼の如く振るった。炎を、投げつけていた。
「鳳翼天翔……さあ受けるがいい、穢れを燃料に燃え上がる炎をな」
投射された炎が、轟音を立てて巨大化し、第四槐安通路を焼き払うが如く羽ばたいた。
それは、巨大な火の鳥であった。
月人たちの放つ光弾を、その羽ばたきでことごとく焼き砕きながら、火の鳥は翔ぶ。
燃え盛る飛翔が、土偶のような鎧の群れを薙ぎ払う。
ずんぐりと不格好な全身甲冑たちが、炎に包まれ、焼け焦げてゆく。
「私がな、千年以上の時をかけて培ってきた……地上の穢れ、人間の穢れだ」
妹紅は空中を蹴り、踏み込んで行った。疾駆のような飛行。
「綺麗好き過ぎて、汚れる身体も無くしちまった連中に! 耐えられるかぁあっ!」
飛行が、そのまま飛び蹴りに変わった。
続いて左右の回し蹴り、踵落とし。妹紅の鋭利な両脚が、様々な形に躍動し、焼け焦げた土偶の部隊を片っ端から粉砕する。
消し炭の破片が、灰に変わって舞い散った。
「おうおうおう、やるじゃねえか! さすがに!」
萃香が泣きながら笑いながら、拳を突き出した。幼い、愛らしい拳。
だが妹紅は一瞬、巨大な鬼神の拳を確かに見た。
その一撃が、月の兵士の一部隊をまとめて殴り飛ばす。
殴り飛ばされた土偶たちが、激しくひび割れつつも空中で体勢を立て直し、光弾の狙いを萃香に定める。
その萃香は、すでに鎖を振るっていた。
ひび割れた甲冑たちが中身もろとも、3種の分銅に打ち砕かれてゆく。
「出て来やがれ!」
可憐な豪腕で3本の鎖を操りながら、萃香は吼えた。
「こんな連中たぁ違う、原初の月人どものどいつかがよォ、来てやがんだろーがぁあ!? 来たんなら弾幕戦やれやコラ!」
酔いは、とうの昔に醒めている。
うっすらと目を開く。
獏の少女と、視線が合った。
「おはようございます。気を失ったふり、お疲れ様でした」
「……失態だな、ドレミー・スイート」
抱き上げられたまま、綿月依姫は呻いた。
「第四槐安通路を奪われるとは……などと責める資格は、私にはないのだが」
「無双の貴女も、お母上と姉君には勝てませんでしたね」
「誰が、無双なものか……皆、私の力を買い被り過ぎだ」
強大であるのは、神々の力だ。
綿月依姫自身には、何の力もない。ただ、神々を身に降ろす事が出来るだけだ。
その能力とて、完全に使いこなせているわけではない。
だから、わけのわからぬ邪神に乗っ取られてしまう。
(そのような様で、嫦娥や綿月豊姫を相手に……私は一体、何が出来ると自惚れていたのか……)
ドレミー・スイートの抱擁を、依姫はやんわりと振りほどいた。
そして、見渡す。
第四槐安通路は、戦場と化していた。
月人の艦隊を相手に、2人の弾幕使いが、ひたすら破壊を繰り広げている。
「見よ、ドレミー・スイート……無双とはな、このようなものを言うのだ」
無双と言うべき戦いぶり、暴れぶりを誇示し続ける、2人の少女。
1人は、伊吹萃香である。
もう1人は、不死鳥としか思えなかった。炎の翼を猛々しくはためかせる、紅白の少女。博麗霊夢か、と依姫は一瞬だけ思った。
何者であるのかは不明だが、依姫にも感じられる事はある。
「あれは……まさか、いや……そんな、馬鹿な……」
自身が感じた事を、しかし依姫は信じられなかった。
「…………蓬莱人……なのか……?」
「藤原妹紅さん、とおっしゃいます。色々あって誕生した、この宇宙で4人目の蓬莱人です。私の知る限りでは、ね」
「月の都の艦隊と、戦っている……つまりは、蓬莱山輝夜の味方であると。そのような認識で良いのだろうか」
依姫の言葉にドレミーは、何とも言えぬ表情を浮かべた。
「……ええ、妹紅さんと輝夜様はとっても仲良し! 魂を焦がすような熱い熱い友情を育んでおられますのよ。いや本当、夢の中から見てる私が焼死しそうなくらい熱いんですから、まったくもう」
「そう、か……」
依姫は、息をついた。
「……ふふっ、輝夜ったら。地上で……友達が、出来たのね……」
涙が、溢れ出した。
「良かった……本当に……」
「……うん、はい。良かったですねえ」
「……協力を、求めるべきであった」
涙を拭いながら、依姫は言った。
「地上の蓬莱人、それに……月を砕く鬼までもが、輝夜を守るために戦ってくれている。私は……焦って嫦娥に戦いを挑むような事はせず、最初から幻想郷に降りて協力者を集めるべきであった」
「……貴女は、輝夜様を守るために」
「よせ。私は、敗れたのだ」
依姫は、俯いた。
「敗れ、地上に落とされ……月の軍勢を、幻想郷に導き入れた……輝夜を、守るどころか危機に陥れている……」
「依姫様……」
ドレミーの声は、聞こえなくなった。
別の声が、聞こえて来たからだ。
『……ご案じなさいますな依姫様。蓬莱山輝夜には、八意永琳がついております』
ドレミーと顔を見合わせた。
姿の見えぬ、この何者かの声は、どうやらドレミーにも聞こえている。
『迂闊な貴女様が、いくらか不手際を晒したところで……かの両名を脅かす事態には、そうそう至りはしませんよ』
「無礼な!」
ドレミーが、珍しく激昂している。
「貴女ね、一体どなたに対して何を言っているのか」
依姫は片手を掲げ、ドレミーを黙らせた。
「……この艦隊を率いているのは、貴女か」
『嫦娥様の御治世を脅かす者、生かしてはおきませぬ……と申し上げたいところですが』
月人の艦隊司令官が、微かに苦笑しているようだ。
『生かしておけぬ両名が、何しろ蓬莱人。肉体を滅し、魂を捕縛し、封印を施す……出来る事はその程度で、その程度の事をなすには最低でもこの規模の艦隊が必要となってしまいます』
「……思わぬ邪魔が、入ってしまったものだな?」
『月を砕く鬼、それに地上の蓬莱人。これらもまた月の都を脅かす存在……ここで始末せねばなりませぬ』
艦隊の最奥部から、司令官がこちらを見据えている。依姫は、そう感じた。
『貴女がなさるのですよ、綿月依姫様』
誰が、と言葉を返す事が依姫は出来なかった。
声だけではない。映像が、脳裏に送り込まれて来たからだ。
『貴女に付き従って戦い、貴女を逃がすため命を懸けた者たちです。心配御無用、死んではおりませんよ』
玉兎たちが、十字架に拘束されていた。皆、意識を失っている。
『月の都が全宇宙に誇る、玉兎の精兵です。嫦娥様の忠勇なる戦士たち、死なせるわけがありません』
夢の世界においては神にも等しい力を持つドレミー・スイートが、この場で戦わない理由。それが、これだ。
玉兎を人質に取られた。ドレミーは、玉兎たちを見捨てずにいてくれているのだ。
『私、舌禍をもたらす女神などと呼ばれておりまして。人々いわく、発した言葉と真逆の事態が起こる、という事のようですが……この事に関しては言葉通りに受け取っていただきます。ええ、我々が玉兎たちを殺すわけがありません』
「……貴女、随分と喋る人だったんですね」
ドレミーが言った。
「こんなに口数の多い貴女を見るのは、初めてですよ。いやまあ見えないんですが」
『依姫様に知っておいていただきたい事がある。説明くらいはするさ』
冷たく端整な笑顔が、見えるかのようである。
『それに、こればかりは幾度も強調しておかねばならない。依姫様、我らは貴女の可愛い玉兎たちを捕えましたが死なせはしません……ああ、しかし事態とは流転するもの。私が言葉にしてしまったばかりに、運命の車輪が逆回りを始め、何かとても悲しい事が……起こらぬ、とも限らないのです。どうなさいますか? 依姫様』
人質という手段を過信してはならない、と稀神サグメは思っている。
人質など、見殺しにされてしまえば、それまでなのだ。
ここ第四槐安通路の、幻想郷側の出口は、綿月依姫本人である。彼女の身柄を確保すれば、幻想郷への道が開く。
この艦隊で、蓬莱山輝夜と八意永琳を捕える事が出来る。その過程で幻想郷は壊滅する。
綿月依姫に、投降を命ずる事は出来るか。
依姫は、玉兎たちの命と幻想郷を天秤にかける事になる。苦渋の末、玉兎たちを見捨てる事も考えられる。
玉兎の助命を対価に依姫を動かせるとしたら。艦隊を粉砕しつつある弾幕使い2人を背後から攻撃する、ところまでであろう。
無論、こちらからも攻撃を加える。
艦橋にすらりと佇んだまま、サグメは命じた。
「穢身探知型機雷散布と同時に艦砲一斉射撃。目標、月を砕く鬼。及び地上の蓬莱人」
小太りのフェムトファイバー甲冑をまとった兵士たちが、黙々と命令の実行に取りかかる。
冷たい美貌に優美な五指を当てながら、サグメは呟いた。
「地上の蓬莱人……八意永琳による試作品、か」
蓬莱の薬を、地上の人間の穢れきった肉体に適合させる。まさしく八意永琳だ、とサグメは思う。
「穢れを保有する蓬莱人……我ら月人に対しては最終兵器ともなり得る切り札。お見事でございます、八意様」
素質ある地上人が、己の意思で蓬莱の薬を服用するよう、永琳は周到に仕組んだのであろう。
そうして出来上がった蓬莱人が、やはり己の意思で蓬莱山輝夜を守る動きに出る。
全て、八意永琳の掌の上というわけだ。
「貴女の裏をかいて意気揚々と第四槐安通路から攻め込んだ……つもりでしたが、すでにこのような防衛戦力を配置済みとは。相変わらず、計り知れない御方であられる。なればこそ」
指と指の間で、サグメの両眼が光を点した。
「私は、貴女を討つ……月の賢者は1人で良いのですよ、八意様」