第21話 ルナティック・レッドアイズ
原作 上海アリス幻樂団
改変、独自設定その他諸々 小湊拓也
「穢らわしい……!」
鈴仙・優曇華院・イナバは、考える前にそんな言葉を口にしていた。
穢れそのもの、としか表記しようのない存在が今、視界の中央にいる。大小、左右一振りずつの抜き身を携えている。
「おぞましい! 醜い! 一体、何なのよ! お前はッ!」
「……魂魄妖夢だ。まだ、名乗ってはいなかったかな」
抜き身の剣が、一閃した。斬撃の軌跡が一直線、空中に描かれ残った。
「貴様の名は?」
閃光の直線が、崩壊した。無数の、光弾と化していた。
魂魄妖夢の剣が空間を切り裂き、その裂け目から弾幕が溢れ出した、ようにも見える。
溢れ出し、吹き荒れる光弾の嵐を回避しながら、鈴仙は叫んだ。
「永遠亭の戦士、誇りある玉兎の精兵! 鈴仙・優曇華院・イナバよ! 穢れにまみれた地上の弾幕使い、お前を浄化してあげるわ。この清浄なる月の弾幕で!」
「そうか……では鈴仙優曇華。貴様を、冥界へと招待しよう」
鈴仙の回避先に向かって、妖夢はすでに踏み込んで来ていた。
「冥界の美しさを、お前に見せてやりたい」
大小の剣が、立て続けに一閃した。螺旋状の斬撃が鈴仙を襲う。
「冥界は、穢れた場所ではない。美しい場所だ。そこに住まう我らは、おぞましくない。醜くない」
触れただけで四肢や首が飛ぶ斬撃の旋風を、鈴仙は後方に避けた。
そうしながら、人差し指を妖夢に向ける。鋭利な指先から、光弾が連射・速射される。
斬撃の旋風が、その弾幕を切り砕いた。
光弾の破片を蹴散らして、妖夢が迫り来る。空中の見えざる足場を蹴り、夜空を駆けて剣を振るう。
「……暴言、取り消してもらうぞ」
「誰がっ!」
斬り迫る妖夢を、鈴仙は睨み据えた。
真紅の瞳が、光を発した。
赤色の眼光を、妖夢は剣で防いだ。左手、短い方の白刃が、真紅の光を弾き散らす。
その間、右の斬撃が来た。長い方の刀身が閃き、空中に弧を残す。
その弧が、鈴仙の身体の前面をかすめた。衣服が裂けた。綺麗な鎖骨の凹みと、あまり深くはない胸の谷間、それに純白の下着の一部が露わになった。
「くっ……!」
鈴仙の頰が、瞳と同じくらい赤く染まった。左腕で胸を抱き隠しながら、右の人差し指で狙いを定める。
銃声が、迷いの竹林に響き渡った。立て続けに、嵐の如く。
大型の光弾……光の砲弾と言うべきものが、鈴仙の指先から大量に射出されて妖夢を強襲する。
空中を蹴り、軽やかにステップを踏んで、妖夢はそれらを回避した。
その間、鈴仙も後方へ跳び、間合いを開いていた。半ば、逃げるような形である。
圧されている。そう感じた。
今、自分が対峙している双刀の剣士は、月に生まれし者にとっては、遥か昔に絶滅したはずの病原体にも等しい存在である。誰も免疫を持っていない。
「……だからと言って!」
鈴仙の両眼が、赤く強く発光する。
妖夢に回避された光の砲弾たちが、ぐるりと飛行方向を変えた。
「む……」
妖夢が、軽く目を見張る。そこへ、いくつもの光の砲弾が再び襲いかかる。かわす妖夢を、生き物の動きで追尾する。
砲弾の誘導に専念する事が、しかし鈴仙は出来なかった。
もう1人の魂魄妖夢が、横合いから斬りかかって来たからだ。
「な……っ……!?」
鈴仙は混乱した。
回避行動に忙殺されている妖夢が、本物である事に間違いはない。
ならば、こちらの妖夢は幻覚の類か。確かに質量は感じない。半透明、でもある。
質量なき斬撃を、鈴仙はかわせなかった。
半透明の剣が、自分の体内を通り抜けて行くのを、鈴仙は確かに感じた。
外傷はない。身体は、無傷である。
実体ではない刃が、しかし鈴仙の生命力を削ぎ落としていった。
「我が身は、半人半霊……」
言葉と共に、妖夢の剣が燃え上がった。長い方の刀身。炎のような霊気の揺らめきを帯びたまま、一閃する。
その斬撃が、光の砲弾を薙ぎ払い、全て粉砕していた。
「人の部分と霊の部分が、分かたれている。一時的に、であれば……このような芸当も可能だ」
半透明の妖夢が、その姿を失いながら飛翔し、本物の妖夢を取り巻いて浮遊する。
長く伸びた餅、のようにも見える、霊体の塊であった。半人半霊の少女剣士、その半霊の部分。
「実体の剣ではないから、貴様のような兎を叩き斬る事も出来ん。が、生命を削る事は出来る」
ゆらりと二刀を構えたまま妖夢は、細い肢体に半霊をまとわりつかせている。
「実体の斬撃で切り刻まれ、惨たらしい屍となるか。霊体の斬撃で生命を削り尽くされ、無傷の屍となるか……選ばせてやるぞ、優曇華院」
「……け……穢れの、塊が…………ッ!」
血色を失いかけた顔の半分を左手で覆い押さえながら、鈴仙は空中で後退りをしていた。いや、後退りは出来なかった。
背中が、柔らかなものに当たったからだ。
「気に病んでは駄目よ鈴仙さん。貴女が妖夢より弱い、というわけではないのだから」
涼やかな囁きが、耳元をくすぐる。
「これはね、相性の問題……私や妖夢は、貴女たち月の方々がこよなく忌み嫌うもので出来ているのよ」
優美な細腕が、背後から優しく巻きついて来る。
柔らかな何かが、なおも背中に密着する。
それだけで、鈴仙は動けなくなっていた。
蓬莱山輝夜のような怪力、というわけではない。たおやかな、優しい抱擁。
それが、鍛え抜かれた玉兎兵士の身体能力を完全に封じ込んでいる。振りほどく事が出来ない。
「月の都の、関係者の方……にしては貴女なかなか、どろどろしているわね。ぎらぎらしているわ……素敵……」
「………………っっ!」
悲鳴が、鈴仙の喉で凍り付いた。
(何……私、今……何に、抱かれているの……?)
自分にとっての、恐怖の対象。
それは、ある時期までは綿月依姫だった。月の都の軍事責任者として、彼女は容赦なく玉兎たちを鍛え上げたものだ。
八意永琳も当然、恐ろしい。
だが今、背後から鈴仙を束縛している恐怖は、彼女たちとは全く異質の何かだ。
遥か古の時代に月人たちが、何よりも恐れ、忌み嫌い、排除したもの。月の都からは永遠に失われたもの。
それが今、鈴仙の身体を優しく捕えている。鈴仙の背中に、柔らかく押し当てられている。
ひらひらと、仄かに輝くものが見えた。
蝶だった。
何羽もの蝶々が、夜闇に妖しく浮かび上がりながら、鈴仙の周囲を舞っている。
端麗な唇をたやすく想像させる囁き声が、鈴仙の首筋を愛撫する。
「……欲しい……私、貴女が欲しいわ……」
「悪い癖を出さないで下さい、幽々子様」
妖夢が言った。
「その兎は、私の獲物です」
「妖夢はねえ、この子の身体も魂も斬り刻んでしまうわ。駄目よ? 魂は私が綺麗に抜き取って大切に飼ってあげるの。屍もね、綺麗なまま西行妖の根元に埋めてあげるの」
幽々子様、と呼ばれた何者かが、背後から愛おしげに鈴仙を抱き締める。
圧倒的な柔らかさと蝶々の煌めきの中で、鈴仙は青ざめていた。悲鳴も、呼吸も、思考も、凍り付いてゆく。
何かが、飛んで来た。
衝撃と共に、鈴仙は解放された。よろめき、ふらふらと墜落しかけながら空中に踏みとどまる。
そして、振り返る。
幽々子様、と呼ばれたのは、強いて言うなら綿月豊姫と似た感じの少女だった。ゆったりとした水色の衣服は、魅惑的な身体の曲線を全く隠せていない。被り物からは桃色の髪がふんわりと溢れ出している。
本当に少女であるのかはわからない幽々子様という怪物が、豊姫の如く扇を開き、たおやかに舞っている。
優美な繊手で開かれ支えられたその扇が、小規模な隕石孔を作り出すリグル・ナイトバグの飛び蹴りを、軽やかに受け止めていた。
呆然とする鈴仙を、ミスティア・ローレライが背後に庇う。
「……鈴仙隊長……援護します……」
「…………駄目……」
鈴仙が何か命令を叫ぼうとした時には、ミスティアは羽ばたいていた。負傷した身体で、幽々子に向かって行く。
ゆらりと後方にステップを踏みながら、幽々子は口元に扇を当てていた。
「あらあら……貴女たち……」
扇の陰で、端麗な唇がにこりと歪む。
美しく、おぞましい笑顔。
これほど禍々しくおぞましいもの、月の都からは、とうの昔に失われている。
思いながら鈴仙は叫んだ。
「……駄目……駄目よ! 貴女たちで、どうにかなる相手ではないわ退がりなさい! 退却しなさい!」
リグルもミスティアも、鈴仙の命令など聞いてはいない。両眼を赤く輝かせながら、幽々子に向かって弾幕を放つ。光弾の嵐を、ぶちまける。
そちらへ向かおうとする鈴仙に、別の弾幕が襲い来た。
「どこを見ている、貴様の相手は私だ」
妖夢の斬撃が、空間を裂いていた。その裂け目から、無数の光弾が溢れ出したところである。
押し寄せ来る弾幕を、鈴仙は睨んだ。
両の瞳を、真紅に輝かせ、燃やした。
「……邪魔を……するなぁああああああああああああッッ!」
赤く燃え盛る眼光が、妖夢の光弾を片っ端から灼き砕いた。
光の破片を蹴散らし迸る、真紅の眼光。それを妖夢は、逃げるようにかわした。
「貴様……!」
「……私の部下は、私が助ける。邪魔はさせないわよ」
「部下、だと……」
妖夢が、嘲笑を浮かべる。
「見ればわかるぞ。赤い眼光を、貴様と共有している妖怪ども……催眠・洗脳の類であろうが! それで忠誠心でも獲得したつもりでいるのか、哀れな兎が」
「私の、部下よ」
鈴仙に、迷いはない。
「……月では、いなかった……私の部下よ。生まれて初めて出来た、私の部下なのよ……邪魔は、させない」
「お前……」
「この能力を使わなければ……友達も、部下も作れない……それが私よ、文句があるなら言えばいいわ! 後で殺すから!」
それきり鈴仙は、妖夢に背を向けた。真紅の眼光と一緒に、涙がこぼれた。
キラキラと光るものを引きずりながら、鈴仙は飛んだ。幽々子に向かって行った。
リグルは、空中で硬直している。その全身に、無数の蝶がまとわり付いていた。リグルから何かを吸い取っている、ようでもある。
ミスティアは、先程までの鈴仙と同じく、幽々子に囚われていた。綺麗な細腕で優しく容赦なく抱擁され、豊かな胸を押し付けられている。
捕食される。鈴仙は本気で、そう思った。一刻も早く救出しなければ。
その時。何かが鈴仙に、隕石の如くぶつかって来た。
「うっぐ……わ、悪い。霊夢が強くてさ」
霧雨魔理沙だった。
敵性体であるはずの魔法使いを、鈴仙はつい抱き止めてしまっていた。
このまま人差し指を押し付け、零距離から弾幕を撃ち込む事も出来る。
鈴仙がそう思った時には、魔理沙はふわりと離れていた。辛うじて手離さずにいた魔法の箒にまたがり浮遊し、見上げる。
八意永琳が空中に描いた、偽物の満月。その眩し過ぎる輝きを背負って夜空に佇む、博麗霊夢の姿を。
何かしらの攻撃で魔理沙を、それにアリス・マーガトロイドを吹っ飛ばした霊夢が、真紅の眼光を燃やしながら声を発する。
「敵性体……滅ぼす。永遠亭のために……」
2つの陰陽玉が、博麗の巫女の左右に浮かんで淡く、禍々しく、発光している。
「鈴仙少尉のために……輝夜様の、御ために……」
お祓い棒の紙垂が、風もないのに揺らめいた。
「月に御座す……高貴で永遠の、御方のために……」
違う、と鈴仙は思った。自分が教えた言葉を、霊夢はただ口にしているだけだ。
永遠亭の事も、上官・鈴仙の事も、蓬莱山輝夜の事も、『月に御座す高貴で永遠の御方』の事も、霊夢は考えていない。
それらを霊夢は、守ろうとなどしていない。
「霊夢、違うわ……貴女は今、何かのために戦おうとはしていない」
空中でよろめき、人形たちに支えられながら、アリスが言った。鈴仙と同じ事を考えているようだ。
「貴女は今、ただ……弾幕戦を、しているだけ……」
「……鈴仙イナバ、貴様の仕業か」
妖夢が双刀を振りかざし、霊夢に斬りかかる。
激烈な斬撃を、霊夢はお祓い棒で受けた。木製であるはずの棒が、大小2本の刃を弾き返していた。
火花が散った。
その火花が弾幕となり、妖夢を強襲する。
「ぐうっ……鈴仙! 貴様とんでもない事を、しでかしてくれた!」
弾き返されて後方に吹っ飛んだ妖夢を、半霊が護衛している。餅のような身体を伸ばしうねらせ、光弾を連射する。
弾幕と弾幕が、ぶつかり合った。
その光を浴びながら妖夢が、空中で踏みとどまる。
「博麗霊夢を……催眠の類で、洗脳しようなどと……」
「……お前、解き放っちまったな」
魔理沙が、鈴仙の肩をポンと叩く。
「霊夢の……本質? みたいなもんを」
「何……を、言っているの……」
鈴仙は、呆然と呟くしかなかった。
「博麗霊夢の……本質? 何よ、それは……」
魔理沙の形良い唇が、歪んだ。苦笑であろうか。
「弾幕戦だよ」
広大な星空。その全域に、何やら妙な紋様が浮かんでいる。
そんな謎めいた空間に、伊吹萃香はいる。藤原妹紅もいる。
獏の少女もいて、意識のない綿月依姫を抱き上げている。
「第四槐安通路です」
獏は言った。
「私の管轄区域、なのですが……奪われてしまいました。あのような感じに……」
「なるほど、このような感じか」
萃香は、瓢箪の中身を飲んだ。
「……面白えじゃんよ。こいつら、幻想郷に攻め入ろうとしてやがんのかい?」
「はい。ここは依姫さんの夢の中……眠っている女の子を野晒しにしておくわけにはいかないので、連れて来てしまいましたが」
依姫が見ている夢の中に、依姫本人を連れ込むという荒技をやってのける。さすがは獏といったところか。
その能力で、萃香も妹紅もここにいる。星空に並び立ち、見渡している。見据えている。
謎の空間を満たす、大軍勢を。
「あいつら……」
腕組みをしながら、妹紅が呟く。萃香は言った。
「おめえも知ってんのか、あいつら。私は1回、月にカチ込んで戦った事あるけどな」
「月から地上に降りて来た事もあるんだよ。あいつを迎えに、な」
あいつ、というのが誰なのか訊いてみたいところではあった。
「そんなのは許せないから、戦った」
「ほう。じゃ知ってんだな? お前。あの連中を、どうやってブチのめすか」
第四槐安通路、という名称であるらしい謎の空間あちこちで陣形を組む、土偶の群れ。
月人の、軍勢であった。
博麗神社で粉砕したものたちとは、あまりにも規模が違い過ぎる。
「私の炎はな……連中の嫌う地上の穢れ、そのものだ」
妹紅が微笑む。血気盛んな乙女のようでいて、年を経た鬼女のようでもある、陰惨な笑み。
いい顔だ、と萃香は思った。あの頃はなかった何かを醸し出している。
「気を付けて下さい、少し前に幻想郷を襲撃した部隊とは違います」
獏が言った。
「最新鋭のフェムトファイバー装甲……貴女たちが打ち砕いたものとは、性能も強度も段違いですよ」
「殴り応えがあるって事だな。結構、結構」
にこりと牙を剥きながら、萃香は片手を庇にした。
土偶に似た鎧をまとう兵士たち、だけではない。雲霞の如き彼らの後方に、いくつもの巨大なものが見える。
「何だい、ありゃあ……船か? もしかして」
「戦艦ですね」
獏が、暗い声を発する。
「まさか、艦隊を繰り出して来るとは……」
「ふん。幻想郷、皆殺しにする気満々ってわけかい」
「……いや。あいつら多分、人を捜してるだけさ」
妹紅が、片手で炎を燃やした。
「そいつの身柄を引き渡せば、大人しく帰ってくれると思う。どうする? 大江山の」
「帰らせねえ! ここで潰す!」
「……そう来なくちゃな」
妹紅の背中から、炎の翼が広がった。
その熱さから庇うように依姫を抱き締めながら、獏が言う。
「今は依姫さんが、第四槐安通路と幻想郷を夢で繋げています……依姫さんが、あの艦隊に囚われたら」
「こいつらが幻想郷に出ちまうと、そういう事だな」
月の艦隊を見渡し、萃香は叫んだ。
「これだけの大軍! どえらい大将が率いてやがるんだろう。誰だ? 綿月の姉貴の方か! 戦ってみたかったぜ!」
「……いえ、月の賢者です。現役の方の」
よくわからぬ事を、獏は言い出した。
「戦っている間もしかしたら、あの人が何か話しかけてくるかも知れませんが耳を貸さないで下さい。彼女の言葉は、まやかしです……会話をしながら幾重にも策を巡らせ、実行し、最終的には」
この大軍勢のどこかにいるであろう艦隊司令官を、獏は見つめているようであった。
「……発した言葉の内容と、ほぼ真逆の事態が起こる。それが彼女です」