第19話 激闘、鈴仙軍団
原作 上海アリス幻樂団
改変、独自設定その他諸々 小湊拓也
目は見えないが、耳と鼻はきちんと機能している。
歌が聞こえた。
可憐な歌声。歌詞は聞き取れない。幻想郷で使われている人妖共通語ではない。
いや。所々に、共通語の歌詞がある。
『……月に御座す……高貴で永遠の、御方のために……』
月。
聞き取れない歌詞は、もしかしたら月の言語ではないのか、と霧雨魔理沙は思った。
ともかく。この歌を聴いていると、夜がさらに暗くなってゆく。前方から猛襲を仕掛けて来ているはずの、虫の少女の姿が見えない。
ただ、匂いは感じられる。ふんわりと妖しく香る、妖怪の少女の匂いが、眼前で燃え盛っている。
真っ正面から攻撃が叩き付けられて来るのが、辛うじてわかる。
唸る蹴り、煌めく光弾。当たる直前で、ようやくどうにか視認する事が出来る。
「くっ……!」
霧雨魔理沙は、歯を食いしばった。
衝撃が、全身あちこちをかすめて走る。いくつもの光弾。直撃は、辛うじて免れた。
妖怪の少女の体香が、その時には前方から消え失せていた。
右から、禍々しく香って来る。
とっさに魔理沙は、魔法の箒を振るった。激烈な手応えが、全身を震わせる。
魔力強化を施された箒が、妖怪の蹴りを弾き返していた。複数の竹を、まとめて折り砕く蹴り。
弾き返された少女が、距離を隔てて着地する。
にやりと微笑みかけながら魔理沙は、
「悪いな……私、鼻が利くんだぜ!」
いくつものスターダストミサイルを発生させ、発射していた。
虫の少女が、それをかわした。ふわりとマントが羽ばたく、微かな空気の揺らぎが肌に伝わって来る。
おかしい、と魔理沙は今更ながら気付いた。
「お前……目が、見えてるのか?」
そんな質問に、虫の少女が答えてくれるわけはなかった。
闇夜の盲目をもたらす歌。これは人間にしか効果がない、とでも言うのか。
歌は、相変わらず聞こえて来る。歌姫の愛らしい容姿を容易く想像する事の出来る、可憐な歌声。月の言語、であるのかも知れない聞き取れぬ歌詞。
この歌詞が、しかし虫の少女には理解出来ているとしたら。
「そうか……教えているのかっ、私の位置を!」
魔理沙は眼前に防御の魔法陣を発生させ、襲い来る光弾を全て跳ね返した。
その時には、虫の少女が傍に着地していた。蹴りが、跳ね上がって来る。
魔法の箒で迎え撃とうとする、が間に合わなかった。
少女の鋭利な足が、魔理沙の脇腹に叩き込まれていた。
とっさに魔力を肉体防御に注ぎ込んだ。それが一瞬でも遅れていたら、果たして内臓破裂で済んでいたかどうか。
魔理沙は歯を食いしばり、微かな吐血を噛み殺した。
そうしながら、己の左右に水晶球を浮かべる。
盲目をもたらす歌い手は、魔理沙を視認する事の出来る場所にいる。どれほど遠くとも、攻撃魔法の射程外という事はないであろう……というのは魔理沙の希望的観測に過ぎないのかも知れない。
蹴り飛ばされ、竹に激突しながら、魔理沙は歌の聞こえる方向に意識を集中した。
「……そこだぜ!」
2つの水晶球から、魔理沙の魔力がレーザー化しつつ迸る。
イリュージョンレーザーの一閃が、夜闇を切り裂いていた。
歌が、止まった。
手応えなど感じるはずのない魔力射撃で、魔理沙はしかし確かな、直撃の手応えを感じていた。
月が見えた。月明かりに照らされる、竹林の夜景が見えた。
魔理沙にさらなる蹴りを叩き込もうと踏み込んで来る、虫の少女の姿が、はっきりと見えた。
魔理沙ではなく地面を蹴って、虫の少女は跳躍し、竹林の茂みに飛び込んで姿を消した。イリュージョンレーザーに撃ち落とされたのであろう仲間を、探しに行ったようである。
「……仲間思い……では、あるんだな……」
魔理沙は懐から小瓶を取り出し、中身を呷った。様々なキノコを煮て固めて戻して作った、液体魔力。
消耗した魔力が補給されてゆく感覚は、あまり心地良いものではない。
「アリス……」
この竹林のどこかではアリス・マーガトロイドが単身、手強い狙撃者と戦っているはずであった。
「……待ってろ、アリス。今、行くぜ」
鈴仙・優曇華院・イナバが物心ついた頃には、すでに月の都から失われていたものが、そこにはあった。
何本もの槍が、剣が、様々な方向から襲いかかって来る。闇の中から、正確に鈴仙の首筋や心臓を狙ってだ。
自身の血の気が引く音を聞きながら、鈴仙は辛うじて回避し続けた。槍が、剣が、超高速で眼前を通過する。
それらを振るっているのは、小さな少女たちであった。眼前に来たものだけは、どうにか視認する事が出来る。
妖精……いや違う。何体もの、人形であった。
暗闇の中で舞い踊り、暗闇の各所から襲い来る、武装した人形たち。
月人という種族は、穢れを喚起するものとして芸術を、芸能を、娯楽を、ことごとく捨て去った。人形の舞いなど、ほぼ最初の段階で消え失せたようである。
月の都では『穢れ』とされるものが全て地上にはあって、このように牙を剥いてくる。
人形が何体いて、どれがどの方向から襲って来るのか。この暗闇の中では、目で確認する事は出来ない。
ミスティア・ローレライが、歌で教えてくれるのだ。だから、こうして回避する事が出来る。
月の言語を、いくつかミスティアには教え込んだ。様々な方向・方角を意味する単語、数字、その他諸々。それらを歌詞に混ぜる。
月の言語を理解出来ない相手を、闇の中から一方的に攻撃する事が出来る。はずであった。
だが今。闇の中にいる人形使いは、鈴仙の位置を正確に把握し、攻撃を繰り出してくる。
月の言語の歌詞を理解しているのか。否、そうではないだろう。
「そう……やっぱり貴女も、そう思うのね」
闇の中から、人形使いの声が聞こえる。
「あの兎さんも、目が見えているわけではない……歌ね。この歌が、暗闇を生み出しながら、私たちの位置を兎さんに教えている」
何者かと、会話をしている。
確か霧雨魔理沙と名乗った、もう1人の魔法使いは、ここにはいない。少し離れた場所で、今はリグル・ナイトバグが相手をしているはずであった。
攻撃が来た。
どこかにいるミスティアが、攻撃の発生した方向だけを歌で教えてくれた。それだけで充分だ。
鈴仙は斜め後方に飛び、上昇し、身を捻りつつ左方向に跳躍飛行した。
衝撃が、全身各所をかすめて去った。弾幕だった。人形たちが、闇の中あちこちで光弾を放ったのだ。
月言語の歌詞が、人形使いの位置を教えてくれた。
示された方角に、鈴仙は人差し指を向けた。指先が、鋭利な光弾を速射する。
かわされた。見えずとも、それはわかる。
「ああ、それは心配していないわ」
人形使いが相変わらず、何者かと会話をしている。
鈴仙では声を聞く事が出来ない、たとえ目が見えたとしても姿を見る事が出来ない、何者かと。
「私たちが気付くような事、魔理沙が気付かないはずがない。あの子は大丈夫……私たちは、目の前の兎狩りに専念しましょう」
鈴仙は慄然とした。
闇の中で、己自身のみが認識出来る何者かと、会話をする少女。会話どころか連携までこなす少女。
その何者かには、ミスティアの歌が影響を及ぼしていない。
盲目状態を免れている何者かと、この人形使いは視覚を共有しているのだ。だから、見える。
穢れだ、と鈴仙は思った。
会話・連携の相手を、自力で作り出してしまう。穢れのなせる業だ。月人に出来る芸当ではない。
この人形使いは、穢れそのものだ。
地上の弾幕使いの中でも、特におぞましい部類である。
(こんな……このような者どもが……)
鈴仙は、息を呑んだ。
(大挙して、攻め入るような事があれば……月の都は、保つのでしょうか? 依姫様……)
突然、歌が止まった。
暗闇が消え失せ、月明かりが戻って来た。
八意永琳の作り上げた紛い物の月が、白々しいほどに明るい光を竹林に降らせている。紛い物の夜景が、戻って来てしまった。
ミスティアの身に何かあった、のだとしても案じている場合ではない。
何体もの人形を周囲に従えた弾幕使いが、健在である。鈴仙とはいくらか距離を隔て、夜空に佇んでいる。
「……名前、まだ聞いていなかったわね」
「アリス・マーガトロイドと申しますわ。鈴仙・優曇華院・イナバさん」
人形使いが、長いスカートをつまんで一礼した。
「信じていただけないでしょうけど。迷いの竹林で大人しく暮らしておられる方々に、無礼を働くつもりはなかったのよ」
「気にしないで。地上の妖怪に、礼儀なんか期待してはいないから」
油断なく、鈴仙は微笑んだ。
「……永遠亭に何の用? 私の主も師匠も、貴女の言う通り大人しく、長きに渡って幻想郷の誰にも迷惑をかけずに過ごしてきたわ。弾幕で殴り込みをされるほど恨みを買った覚えは、ないのだけど」
「念写という非常にあやふやなものを鵜呑みにして、貴女がたに弾幕戦を挑む羽目になってしまった事。まずは、お詫びしておくわね」
アリス・マーガトロイドが、じっと眼差しを向けてくる。鈴仙の、真紅の眼光をも跳ね返す眼差し。
「単刀直入に行きましょう。この幻想郷に、月の軍勢が攻めて来たわ」
「そう。でも私たちには関わりない事ね」
「どうかしら。あの兵士たちは何かを、と言うより誰かを捜していたように見えたわ。しらみ潰しに幻想郷を皆殺しにした挙げ句……この竹林を焼き払って、貴女たちの永遠亭とやらを漁りにかかるかも知れないのよ」
アリスが、何かを思い出そうとしているようである。
「そう……確か、あの兵士たちを率いていたのも兎さんだったわ。それも貴女と同じ、レイセンと名乗っていたような気がする」
清蘭でも鈴瑚でもないのか、と鈴仙は思った。
「思い出してきたわ。そのレイセンさんはね、確か……蓬莱山輝夜、綿月依姫。そんな名前を口にしていた。そのお2人を捜している、と言っていたわね」
「何とも軽率な。そのレイセンとやらは、私たち玉兎の恥晒しね。作戦目的や要人の名前を、あっさりと口にするなんて」
「……私たち玉兎、ね」
アリスが、綺麗な顎に片手を当てている。
「あのレイセンさんと、ここにいる鈴仙さんは……直接のお知り合いではないにせよ同属、という事。つまり貴女は、そして貴女の所属する永遠亭という組織が、月の軍勢と関わりある方々であると」
「……まあ、勝手にそう思っていればいいわ」
「それなら力を、知恵を、貸してくれないかしら」
このアリス・マーガトロイドを、リグルやミスティアのように操る事は出来ない。鈴仙は、そう思った。
心の隙が、あまりにも無さすぎる。こうして普通に会話をしているだけで、鈴仙を追い詰めてくる。
「幻想郷が、外敵に脅かされている。私たちは、月の軍勢について知らなければならない」
「……1度は追い払ったのでしょう。その調子で頑張りなさい、としか言えないわね」
「貴女たち永遠亭は……月の軍勢から逃げるために、隠れ住んでいるの? 迷いの竹林に。幻想郷に」
今は自分の方が心の中を見られている、と鈴仙は感じた。
「……いえ。それにしては、おかしいわね鈴仙さん。貴女の言動・行動は、身を隠そうとしている人のそれではない」
「ふざけた事を言わないで。私たちはね、ひっそりと静かに暮らしていたいの。おかしな騒ぎに巻き込まないで欲しいわ」
「ひっそりと静かに暮らしていたい、はずの人が、こうして自分から姿を現す。派手な弾幕戦を繰り広げ、永遠亭という名前も自分から口にした。私に対して、情報を小出し小出しにしようとしている」
殺さなければならない。このアリス・マーガトロイドを。
鈴仙は、そう思った。
「ねえ鈴仙さん。貴女は永遠亭を、守ろうとしているの?」
片手で、拳銃を形作る。指先が銃口となり、光弾を射出する。
その弾幕を回避しながら、アリスは言った。
「それとも永遠亭を……戦いに巻き込むのが、貴女個人の目的?」
回避した先に、鈴仙はすでに回り込んでいる。すらりと鍛え込まれた左脚を、槍の如く突き込んでゆく。飛び蹴り、であった。
何体もの人形が、盾を構えて集結した。何枚もの盾が、組み合わさっていた。
巨大な盾が、鈴仙の飛び蹴りを跳ね返す。跳ね返った鈴仙に向かって、アリスが踏み込んで来る。
長いスカートが舞い上がり、スリムな美脚が一閃する。右と左、連続の回し蹴り。
立て続けに、鈴仙はかわした。
「……見切ったわよ、貴女の蹴りはっ!」
叫び、両眼を激しく発光させる。
真紅の眼光が、物理的破壊力となって迸る。
迸った赤い光を、アリスは回避した。
鈴仙も、回避していた。アリスの攻撃を、ではない。
横合いから、いくつもの飛翔体が襲いかかって来たのだ。
光弾、であった。
もう1人の弾幕使いが、箒にまたがり飛行している。大量の星を、ばら撒きながらだ。
飛翔体を回避しながら鈴仙は、眼前に結界を発現させた。
そこに星型の弾幕が激突し、空間を波紋状に歪ませる。
「いい勝負だな。けど邪魔させてもらうぜ」
2人目の魔法使いが、アリスの傍らで箒を滞空させる。
「これ飲めよ、アリス」
「何、これ……お薬? 魔理沙が調合したの?」
「私の身体で何度も試した。効果は保証する」
「うっぷ……ひどい味……」
手渡された小瓶の中身を、アリスが飲み干した。
「た、確かに……魔力は回復したけど……もうひとつ改良の余地はありそうね」
「完璧な薬を作ってくれる調薬師……いるんだろ、永遠亭に」
間違いない。霧雨魔理沙。鈴仙が先程、初弾で仕留められなかった弾幕使い。
「私、そいつにまずはお礼を言わなきゃいけない。なあ、会わせてくれないか?」
「そう……貴女も、なのね。お師匠様の薬を飲んで、生きていられた実験台」
鈴仙が言うと、霧雨魔理沙は苦笑した。
「そうかい。やっぱり、あの薬は何かの実験用だったんだな」
「私のお師匠様にとってはね、幻想郷の人妖全てが実験台よ」
「パチュリーもか」
魔理沙が、強い視線を向けてくる。
「永遠亭に……いるんだろ、パチュリー・ノーレッジが。確かになぁ、あいつ自身が色々ひどい実験を繰り返してきた奴ではある。けど出来れば、優しく扱ってやって欲しいと思うぜ」
「さあ……ね。全ては、お師匠様の胸の内次第」
1歩、鈴仙は空中を後退した。
傍らに、ふわりと気配が浮かんだ。
2人の少女が、そこにいた。1人が、もう1人に肩を貸している。
リグル・ナイトバグとミスティア・ローレライ。瞳を赤く発光させた顔に、表情はない。
だが、ミスティアの方は負傷しているようだ。
「下がりなさい、2人とも」
鈴仙は命じた。
「貴女たちは、よくやってくれたわ。でも、この2人は……危険な相手よ」
霧雨魔理沙と、アリス・マーガトロイド。
どちらか片方でも、自分が1対1で勝てるかどうかだ、と鈴仙は見て取った。当然、2対1で勝ち目はない。
ならば、切り札を出すしかなかった。
「間違いないわ、魔理沙」
アリスが言った。
「永遠亭は……月の軍勢と、関係がある」
「ふむ。天狗の念写は正しかった、と」
魔理沙が箒を駆り、こちらとの間合いを詰めようとする。
「その、お師匠様ってのが永遠亭の代表か。ここまで来たら是非、会わせてもらいたい……うおぉっ!?」
凄まじい、破壊の力が降り注いだ。
魔理沙がとっさに、己の魔力を頭上に展開させた。光の防壁が、魔法陣の形に現出する。
アリスの人形たちも、盾を掲げて主人を守る。
魔法陣が、盾が、砕け散った。
様々なものが飛散し、漂う。光の破片、盾の破片、紙の破片。
紙切れを投げ付けて、魔法使い2人の防御を粉砕した何者かが、夜空に佇んでいる。
人形たちを下がらせながらアリスが見上げ、息を呑む。
魔理沙は、呆然としている。
「…………お前……」
呆然と、声を漏らしている。
「……何、やってるんだ…………? こんな所で……」
まるで八意永琳そのものの如く威圧的な、作り物の満月を背景にしたまま、その少女は応えない。
真紅に輝く両眼を、ただ魔理沙に向けている。お祓い棒の紙垂を揺らめかせ、何枚もの呪符を扇状に広げながら。
赤いリボンに飾られた黒髪が、偽りの月光を受けて妖しい色艶を煌めかせる。
「……敵性体……発見しました……」
警告信号にも似た赤い眼光を禍々しく点したまま、博麗の巫女は言葉を発した。
「殲滅……許可、願います。鈴仙少尉……」