第18話 Imperishable Night
原作 上海アリス幻樂団
改変、独自設定その他諸々 小湊拓也
「永遠……亭?」
「私も、その名前しか知らない」
飛翔する魔法の箒の上で、霧雨魔理沙はアリス・マーガトロイドと会話をしている。
「この竹林に住んでる、妙な連中さ。天狗の念写が正しければ……今回の異変、そいつらが関わってるんじゃないかって気がする。迷いの竹林で怪しいところと言えば、今はそいつらしか思い浮かばん」
姫海棠はたては、この終わらぬ夜に関わりあるものとして、竹林の風景を写し出した。
幻想郷で竹林と言えば、この「迷いの竹林」である。
どこまで行っても、竹と月。そんな風景が、魔理沙とアリスの周囲を高速で通り過ぎて行く。
この夜景のどこかに、永遠亭はあるのか。
アリスが言った。
「私も、ルーミアから聞いた事があるわ。迷いの竹林の奥に、奇妙な人たちが隠れ住んでいる……そんな噂があると」
「ルーミアか……」
ルーミアも矢田寺成美も、風見幽香が助けてくれた。今は、そう信じるしかない。
幻想郷に、明らかな外敵が出現したのだ。そしてルーミアを傷付け、成美を傷付けた。人妖ことごとくを蹂躙せんとしている。
「月から来た連中……戦って勝てない事もないってのはわかったけど、あいつらより強いのが今後来ないとは限らん。この夜が明けさえすれば連中が来なくなる、かどうかはわからないけど」
夜空に燦然と、だがどこか寒々しく輝く満月を、魔理沙は見上げた。
「……わからない事が多過ぎるぜ。関係ありそうなところ片っ端から当たって調べる。今は、それしかない」
「魔理沙は……幻想郷を守るために、戦っているのね」
「綺麗事やってるワケじゃないぜ。また月の連中が攻めて来たら、今度は私が殺されるかも知れない……あいつらの事、もっと知っておく必要がある」
あの月の軍勢と関わりある者が竹林にいるのなら、何としても接触しておかなければならない。知りたい事をどのように聞き出すかは、接触した時に考えるしかないのだが。
「結局……弾幕戦をやる事になるような気がするぜ」
「魔理沙の知りたい事は……別にある、のではなくて?」
魔理沙の背中に身を寄せながら、アリスが言った。
「知りたい事があって、風見幽香と戦ったのでしょう? それは今、私でも教えてあげられると思うわ」
「言ったぜアリス。私はな、あいつの口からしか聞くつもりはない。風見幽香を叩きのめして、聞き出す」
「……自分がどれだけ現実離れした事を言っているのか、頭では理解しているのよね。貴女きっと」
「ふ……異変解決の方が楽だよな、きっと」
言いつつも魔理沙は、ちらり、ちらりと周囲を警戒していた。
迷いの竹林に突入してから、妖精の大群に何度も襲われた。魔理沙とアリスで、全て撃滅してきた。
藤原妹紅が言っていた。空から探そうなどという横着者は、永遠亭には絶対に辿り着けない、と。
群生する竹をかわしながら、こうして魔法の箒にまたがり低空飛行をする。これは横着な行為には該当しないのであろう、と霧雨魔理沙は判断した。
妖精たちが、襲って来るからだ。
単なる群れではない、と魔理沙は感じた。何者かが、妖精たちの戦闘部隊を編成している。
大妖精と比べ大雑把ではあるものの、何者かが妖精たちを統率している。妖精の数個部隊を、この辺りに配備している。
戦闘部隊で警固しなければならない何かが、この辺りに存在するのだ。
その何かに、自分たちは低空飛行で近付きつつある。
「……気を付けろよ、アリス。そろそろ大物が」
出て来るかも知れない、と言いかけて魔理沙は確信した。回避が間に合わない、と。
光弾の煌めきが、すでに間近にある。恐ろしく正確な狙撃であった。
とっさに魔理沙は、己の魔力を周囲に拡散させた。
拡散された魔力が、いくつものスターダストミサイルとなって発射される。
謎の狙撃者が飛ばして来た光弾の嵐と、スターダストミサイルによる迎撃が、激しくぶつかり合った。
爆発。
衝撃と爆風が、魔理沙とアリスを吹っ飛ばしていた。
どこかへ飛んで行きそうになった魔法の箒を掴み捕えながら、魔理沙は竹林の繁みへと落下し着地していた。
同じく箒から振り落とされたアリスが、ふわりと自力で飛行する様が、辛うじて視界に入る。
「アリス!」
「構わないで魔理沙。貴女も私も、今は自力で身を守る時」
アリスの声は、すぐに聞こえなくなった。
弾幕が、襲いかかって来たからだ。
魔理沙は、己の魔力を眼前に発現させた。光の魔法陣が描かれ、そこに謎の狙撃者の弾幕が激突する。
魔法陣が、砕け散った。
魔理沙は、とりあえず逃げるしかなかった。群生する竹を盾にしながら、ひたすら後方あるいは左右へと跳び、防御の魔法陣を眼前に描く。
それらも、砕け散っていた。
鋭利な光弾の嵐が、魔法陣を、竹を、ことごとく粉砕しながら魔理沙を強襲し続ける。狙撃者は、魔理沙のいる方向をしっかりと把握している。
「くっ……何て腕前だ……」
魔理沙は歯を食いしばり、息を呑んだ。狙いの正確さ、だけを評価するなら、霊夢を上回るかも知れない。
空中へ逃げる、暇もなかった。
アリスとも、引き離される一方である。
今は独りで、地上で、戦うしかない。
魔理沙は魔法の箒を、飛翔に用いる事は諦め、防御の形に構えた。長柄に魔力を流し込みながら。
鋭利な光弾たちが、無数に生える竹と竹の隙間を正確に通り抜けて飛来する。
魔力強化を施した箒を振るい、魔理沙はそれらをことごとく打ち払った。長柄が、穂先が、襲い来る光弾の嵐を片っ端から弾き除ける。
狙撃者の弾幕を掃き掃除しながら魔理沙は、自身の周囲に無数のスターダストミサイルを発生させていた。
「お返しだぜ、喰らえ……」
発射させようとした瞬間、魔理沙は見た。
真紅の眼光。
広大な竹林のどこかで光り輝く、赤い瞳。狙撃者が、こちらを見ている。
恐怖に近いものが、魔理沙の心臓を鷲掴みにしていた。
この赤い瞳を、見てはいけない。それだけを魔理沙は感じた。
発射されたスターダストミサイルは、全て外れた。それがわかる。
「私たち永遠亭に……攻撃を仕掛けて来る、だけの事はあるわね」
声が聞こえた。
肉声の届く場所になど居るはずのない狙撃者が、語りかけてきている。まるで耳元で囁かれているかのようだ。
「私が初弾で仕留め損なう相手……地上で出会えるとは思わなかったわ。貴女、弾幕だけでなく白兵戦もなかなかのものね。手持ちの道具で、私の射撃を弾くなんて」
「全然だぜ私なんか。腕っ節なら、もっと強い奴がいくらでもいる……ただまあ弾幕戦なんてもの日頃からやってるとな、箒の使い方くらいは自然と身についちまう」
姿の見えぬ相手に、魔理沙は微笑みかけた。箒を、くるりと回転させる。
「この霧雨魔理沙。弾幕の掃除は、お手の物だぜ」
「ふふ……幻想郷の弾幕使い。その力、もっともっと堪能させてもらうわよ」
真紅に輝く瞳が、また見えた。
見てはならない、と己に命じながら魔理沙は箒を構え、次の瞬間に襲い来るであろう弾幕に備えた。
来なかった。狙撃者の声も、途絶えた。
何が起こったのかを、魔理沙は理解した。
「……アリスか!?」
竹林のどこかにいるであろうアリスが、赤い瞳の狙撃者と接触した。そして間違いなく戦闘に入った。
アリスが、魔理沙を助けてくれたのだ。またしても。
「……今、行くぜ。アリス……うおっ!?」
魔理沙は跳躍した。アリスを助けに向かう、事は出来なくなった。
衝撃の塊が、隕石のように流星のように降って来たのだ。
直前まで魔理沙がいた辺りで、地面が砕け散っていた。何本もの竹が、折れて倒れた。
それらをかわしながら、魔理沙は着地した。
竹林に、小規模な隕石孔が生じていた。
地面を粉砕した何者かが、その中央でうずくまっている。這う虫のようにだ。
人間大の、巨大な虫。
それが、両眼に赤い光を灯し、魔理沙を見据えている。
真紅の眼光。
あの狙撃者本人か。いや違う、と魔理沙は確信した。この虫は、赤く輝く眼光を移植されただけだ。
赤い輝きの光源たる何者かに、操られているのだ。
伏せていた虫が、跳躍した。いや、疾駆か。翅の如く、マントがはためく。
マントを羽織った少女。姿はそうだが、本質は虫だ、と魔理沙は直感した。地上で、最も大量に人間を殺している生命体。
触角を立て、瞳を赤く発光させた虫の少女が、超高速で魔理沙に迫る。
危うく倒れてしまいそうな感じに、魔理沙は身を反らせた。凄まじい衝撃が眼前を通過し、竹林の夜景を薙ぎ払う。
回し蹴りであった。何本もの竹が、折れ砕けた。
少女のスリムな脚が、竹の破片を蹴散らしながら魔理沙を猛襲する。
魔法の箒を、魔理沙は回転させた。魔力強化を施された長柄が、少女の蹴りを打ち払う。
指が折れそうなほどの手応えを、魔理沙は握り締めた。
蹴りを弾かれた虫の少女が、いくらか距離を隔てて着地する。
着地と同時に、細い身体が翻った。マントが弧を描き、光をばら撒く。
光弾だった。夜闇に煌めく、まるで蛍のような弾幕。
あの狙撃者が放つ光弾と比べて、かわすのは容易い。魔理沙はそう感じ、実際かわす事は出来た。蛍のような光弾が、全身をかすめる。
思った以上に、ギリギリの回避になった。蛍のような光弾の輝きが、よく見えない。
暗い、と魔理沙は思った。竹林の、特に鬱蒼とした区域に入り込んでしまったのか。
とっさに魔理沙は、前方に魔力を投げた。防御の魔法陣が出現し、そこに蛍のような弾幕がぶつかって来る。
光弾の煌めき。魔法陣の輝き。それすら、何か暗い。
「……何だ? 目が、見えない……?」
魔法陣が、虫の少女の蹴りで叩き割られた。破片が、闇の中に消えてゆく。
歌が、聞こえた。
禍々しく不吉な曲調。歌詞は聞き取れない。どうやら、幻想郷で使われている共用言語ではない。
この世の言語ではない、ような気がした。
全てがそうではない。所々に、幻想郷の言語の歌詞が混ざっていて聞き取る事が出来る。
『……月に御座す……高貴で永遠の、御方のために……』
魔理沙は、さらなる闇に包まれていった。
兎の耳を立てた、その少女が、魔理沙を狙撃しているのは一目でわかった。
綺麗な人差し指を竹林のどこかへ向け、指先から光を速射し続けている。いくらか細長く尖った、光弾である。
竹林の繁みに身を潜めたまま、アリス・マーガトロイドは繊手をかざした。優美な五指から魔力の煌めきが溢れ出し、それらが光弾となって放たれる。
その奇襲に、しかし兎の少女は気付いていたようだ。真紅に輝く両眼をチラリとこちらに向けながら、アリスの弾幕を難なく回避する。しなやかに躍動する肢体は、肉食獣の爪牙をかわす兎を思わせる。
「ふん……もう1人いたのね。2人組の魔法使い、という話だったわね。そう言えば」
やはり、とアリスは思う。自分と魔理沙を警戒している者たちが、迷いの竹林のどこかにいる。
その者たちが、魔法使い2人の動向を監視し、迎撃部隊を配置し、そしてついに手練れの刺客を放ってきたのだ。
アリスは繁みから姿を現し、問いかけた。
「貴女は……永遠亭の人?」
「永遠亭の戦士、鈴仙・優曇華院・イナバ。これより敵性体を捕縛する!」
兎の少女が、踏み込んで来る。兎と言うより、小型肉食獣の動き。接近戦で、アリスの身柄を確保せんとしている。
「……なるほど、ね。魔法使いなら、格闘戦で押さえ込めると」
アリスは、小さく溜め息をついた。
この鈴仙・優曇華院という少女は、手練れの弾幕使いであり、近接戦闘の訓練も受けているようである。
そんな戦士の攻撃を、アリスは迎え撃った。弾幕ではなく、左足で。
長いスカートが、若干はしたなく舞い上がった。優美な脚線が斬撃の如く一閃し、鈴仙を打ち据える。
「……な…………っ……」
鈴仙は一応、両腕で防御をしたようではある。防御の姿勢のまま、よろめいている。
そこへアリスは、続いて右足を叩き込んでいった。横方向に踏みつけるような蹴りを、1発、2発。
鈴仙が吹っ飛び、竹に激突する。
「あの人なら……防御もろとも、一撃で打ち倒していたところ」
魔界神・神綺の盟友とも言うべき1人の女性を思い出しながら、アリスは再び光弾を放った。
尻餅をついた鈴仙の眼前に、目に見えぬ何かが出現していた。そこにアリスの弾幕が激突し、波紋が生じる。
結界、の類であろう。
不可視の防壁で身を守りながら、鈴仙はよろりと立ち上がっていた。
「……参ったわね、白兵戦の出来る魔法使い……貴女も、なのね」
「魔法使いだからこそ、鍛えなさい……そう言って、私を大いにしごいてくれた人がいるのよ」
その女性は、魔界でも1、2を争う危険地帯である『法界』において、猛悪な妖怪たちの支配者として君臨していた。今も、そうであろう。
アリスは踏み込み、スカートを跳ね上げた。スラリとたおやかな右脚に、魔力を流し込みながら。
魔力を宿した蹴りが、鈴仙に叩き付けられる。いや、結界に阻まれた。怯えを隠そうとする鈴仙の眼前に、波紋が生じる。
鈴仙の背もたれとなっていた竹が、折れて倒れる。
アリスは、己の無力を噛み締めた。
「あの人なら……こんな、結界……!」
「……地上の弾幕使い……ふふっ。甘く見ていた、わけではないけれどっ」
波紋の向こう側で、鈴仙が両の瞳を発光させる。赤く、まるで紅玉のように。
真紅の眼光が、アリスの網膜から脳内へと入り込んで来る。
心の中を、見つめられている。アリスは、そう感じた。心を読む妖怪がいるという噂を聞いた事があるが、この鈴仙はそれとは違う気がする。
ともかくアリスは、心の中から睨み返した。
そうしながら片手を振るう。形良い五指が、存在しない鍵盤を弾くかのように動く。
上海人形が、飛翔した。鈴仙の後方に回り込み、色とりどりの光弾を放ちながら。
アリスは前方から、鈴仙に向かって魔力を放出する。
放出された魔力が、青紫色の大型光弾となって結界を直撃する。
「……魔彩光の、上海人形」
結界が砕け散り、仄かな光の破片が少しだけ見えて消滅した。
鈴仙の姿は、そこにはない。
後方、上海人形からの弾幕を、鈴仙は上空へとかわしていた。跳躍をそのまま飛行に変え、鈴仙は夜空に佇んでいる。
「貴女たちには、心の隙がないわね……あの子とは、大違い」
「あの子……?」
魔理沙の事か、とアリスは思った。
「特に貴女。何となく、わかるわ……大きな挫折から、立ち直ってきたばかりでしょう? 心が強い。羨ましいわ」
「……まだ、立ち直ってはいないのよね。それより逃がさないわよ鈴仙さん。貴女には、魔理沙の尋問を受けてもらう……」
跳躍・飛翔を行おうとして、アリスは気付いた。
空には、美し過ぎる満月が浮かんでいる。なのに、暗い。上空に立つ鈴仙の姿が、よく見えない。
歌が聞こえた、ような気がする。歌詞が、よく聞き取れない。
どことなく不吉な旋律、ではある。
「……残念でした。私もね、1人で来ているわけではないのよ」
鈴仙の、声は聞こえる。姿が、見えなくなりつつある。
アリスは懸命に、目を凝らした。鈴仙が地上に、こちらに、人差し指を向けている。
鋭利な指先が、光った。光弾の煌めきだった。
「くっ……!」
アリスは、弾幕をばら撒いた。
鈴仙の指先から速射された光弾が、アリスの光弾1つ1つを正確に撃ち砕いてゆく。まばゆく煌めいているはずの光の破片すら、見えなくなってゆく。
その間アリスは、繁みの中へと駆け込んだ。逃げ込んだ、と言って良いだろう。
それを見逃してくれる相手ではなかった。鈴仙が、空中からアリスを指弾するかの如く、人差し指を向けて来る。
鋭利な光弾の嵐が、速射された。
それらが全て、アリスの頭上で弾けて散った。
振り返り、凝視する。至近距離にあるものならば、まだ辛うじて視認出来る。
何体もの人形が、アリスの頭上を守る陣形で宙に浮き、盾を構えていた。それら盾に、鈴仙の光弾がなおもぶつかって来る。
おかしい、とアリスは思った。今、自分が連れている人形は、上海人形1体だけであるはずだ。
「家にある人形を、いくつか召喚しておいたわ」
声がした。アリスの傍らに、何者かが立っている。
「どうやら、おかしな歌が流れていて……それが貴女の目を見えなくさせているようだけど、私たちには関係ないわね」
魔理沙、ではない。
「私たちが聞けるのは、貴女の声だけ……妖怪の歌なんて聞こえはしないわ」
「貴女は……」
「敵は私が見てあげる」
何者かが、アリスの肩を優しく叩いた。
闇が、消え失せた。空中で息を飲む鈴仙の姿が、はっきりと見える。
アリスの隣で、何者かが微笑んだ。
「気をしっかり持ちなさい。ついこの間まで、貴女は神綺様だったのだから」
もう1人のアリス・マーガトロイドが、そこにいた。