第15話 すべての道は竹林に通ず
原作 上海アリス幻樂団
改変、独自設定その他諸々 小湊拓也
「何故! 何故です紫様。何故、お逃げになるのですか!」
八雲藍が、激昂している。
「何故、私を戦わせて下さらないのですか!」
「あの状態の霊夢と……戦って、どうすると言うの」
八雲紫は、冷静である。
勇み立つ藍を、紫と橙が2人がかりで、こうして空間の裂け目に引きずり込んだところである。
「ねえ藍。仮に貴女が勝ったところで、霊夢を洗脳から解いてあげる事が出来たかしら?」
裂け目がきちんと閉じている事を、その綺麗な指先で確認しながら、紫は言った。
「私と橙も加勢するとして、3対1よね。霊夢が相手でも、これなら勝てるとは思うけど……霊夢を、正気に戻してあげる事は出来たかしら」
紫が、自分を戦力として計算してくれている。
気遣いでしかないだろう、と橙は思った。居た堪れなくなった。
博麗霊夢が相手となれば自分など、紫や藍にとっては足手まといでしかない。
「藍、貴女は霊夢と決着をつけたいと思っている。だけど霊夢を……殺してしまいたい、わけではないでしょう? 霊夢はね、生かして助ける。それを忘れては駄目よ」
「……洗脳、催眠の類、なのですか。博麗霊夢が、あのようになってしまった原因は」
「それが一番、近いと思うわ。玉兎という種族を、私は甘く見過ぎていた。あんな能力を持った個体がいるなんて」
どうやら玉兎という生物であるらしい、あの赤い瞳の少女の危険性に、橙は気付きはした。
だが結局、博麗霊夢は、あの玉兎に捕えられてしまった。
(橙……何の役にも、立ってないね……)
そんな思考に満ちた橙の頭を、紫がそっと撫でた。
「……ごめんなさいね橙。貴女が真っ先に気付いてくれたのに、私はそれを活かせなかった」
「紫様……」
「あの玉兎は永遠亭の尖兵……八意永琳なら、霊夢を悪いようにはしないわ。少しの間、預けておきましょう。今回の収穫は藍、貴女が月人との戦い方を修得してくれた事。それで良しとしておきなさい」
「……穢れ。伊吹萃香は、そう申しておりましたが」
「自分のものであれ他人のものであれ、生命を重んずる心。それが、月人という種族にとっては禁忌の穢れとなってしまうのよ。生死を拒絶し続けてきた結果ね」
扇子の陰で、紫の美しい口元が微笑の形に歪んだようだ。
「……穢れそのもの、と言うべき存在を私たちは確保しているわ。あの子なら、月の軍勢が相手である場合に限り、絶大な戦力になってくれる」
「そう……ですね。あやつは死んで生まれ変わったも同然の身。生死の穢れ、という点においては申し分無しと言えましょう」
一瞬の沈思を挟み、藍は確認をした。
「……月の軍勢、なのですか。あの者たちは」
「そう。ただ物理的に強大なだけの力では、決して破壊出来ない鎧をまとう兵士たち……その鎧がなければ、戦うどころか動く事すら出来ない、宇宙で最も脆弱な生命体よ」
月。宇宙。
そんな戦いに、これから自分も関わっていかねばならないのだ、と橙は思った。
「紫様ならば」
藍が言う。
「あの者たちを一瞬にして消滅させる事が出来る、と見受けました。無論、彼奴らの襲来時に貴女様がいつでも都合良くいて下さるわけではありませぬゆえ、我らは我らで戦う力を鍛え上げねばなりませんが」
「そうね。月人たちは穢れを厭うあまり、自身の輪郭をも失ってしまった……存在そのものが自然消滅する、その寸前まで退化した種族」
紫はピシッと扇子を閉じた。美しく引き締まった口元が、露わになった。
「その中にあって……神代から現在に至るまで未だ、しっかりと強固な輪郭を維持し続けている、原初の月人と言うべき存在。私の知る限り、6人いるわ」
「1人が、あの綿月依姫」
「1人はその母、1人は姉。1人は妹で1人は師匠。残る1人は……さあ。この度の異変で、私たちと関わり合う機会があるかしらね。ともかく全員、生半可な穢れでは対抗出来ない相手よ」
その妖精は、呆然としていた。
何が起こったのか、わからずにいる。
無理もあるまい、と西行寺幽々子は思う。幻想郷に、このような外敵が現れた事はない。妖精が外敵に襲われるなど、あり得ない、あってはならない事なのだ。
あってはならない事が起こっている。それは自分たちのせいかも知れない、と思いながら幽々子は微笑みかけた。
「お怪我はありませんか? 妖精さん」
「あ……りが……とう……」
妖精は応えた。月下で繰り広げられる、殺戮の光景に見入りながらだ。
月人の兵士、その最後の1体が、叩き斬られたところである。
不格好な小太りの甲冑が、楼観剣の一閃で中身もろとも両断されていた。
「……手応え、無し。何とも脆弱な」
月明かりを浴びて佇む魂魄妖夢の細身に、半霊がまとわりつく。
その周囲に、切り刻まれたフェムトファイバー甲冑が散乱している。
「このような者ども……本当に、幻想郷にとっての脅威となり得るのですか幽々子様。博麗霊夢や霧雨魔理沙が、こやつら相手に不覚を取るとは思えませんが」
「まあ……ね。相性の良し悪しというものがあるのよ」
「すごい……すごいよ、あんた強い!」
妖精が、興奮している。その背中から広がる氷の翅が、きらきらと輝く。
「ほんとに強いよ! ありがとう!」
「余計な手出しかも知れない、とは思っていた」
言いつつ妖夢は、楼観剣を鞘に納めた。
「この大量の敵を相手に……貴様、1人でなかなか善戦しているように見えたからな」
「当然、あたい最強だからね!」
「……あまり調子に乗ると、妖精でも長生きは出来んぞ」
散乱したものが、キラキラと消滅してゆく。
その煌めきを、幽々子はじっと見つめた。
妖夢には斬られる、にしても明らかに、あの頃と比べてフェムトファイバー装甲の強度は上がっている。輪郭を崩壊させる八雲紫の能力にも、いくらかは耐えられるだろう。
中身である月人の肉体はしかし、衰弱してゆく一方である。
「どろどろしていない、ぎらぎらしていない……ただ存在しているだけの脆弱な生命を、無理やりに武装させて放り出す。なりふり構わぬ使い捨て……」
幽々子は、微笑んでいた。
「……そこに何か、どろどろしたものを感じてしまうわ。月の都の、上層にいる者たちの……ね」
どろどろしたものが、好きか。ぎらついたものが、そんなに心地いいか。
遥か昔、自分を殺しに来た者の言葉が、幽々子の胸中で甦り燃え上がる。まるで不死鳥のように。
なら見せてやる、くれてやる! どうだ、私の炎は穢らわしいだろう。富士見の娘、お前は救いようのない腐れ外道だが私も大概だ。さあ殺せ、私を殺してみろ! ど畜生が!
(……貴女の炎が、懐かしい……穢れを燃料として燃え猛る、紅蓮の翼……)
「ねえ、妖精さん」
心の内で情念を燃やしながら、幽々子は問いかけた。
「私ね、人を捜しているの。藤原妹紅、という女性をご存じないかしら」
「ふじわら? もこう?」
妖精が、少しだけ目を見開いた。
「ふじわらは知らないけど、もこうなら知ってる。あたい助けてもらった事あるんだ、竹林で迷った時に」
「竹林……」
幻想郷で竹林と言えば、迷いの竹林である。
「……迷いの竹林に、いらっしゃるのかしら? 親切なもこうさんは」
「あっちこっち出歩いてるから、竹林に行っても会えないかも知れないよ」
「ありがとう。いいわ、竹林でのんびり待たせてもらいましょう」
幽々子は、月を見上げた。夜空に描かれた絵画の如く、固定された満月。
「月が沈まない、という事は……のんびり、お月見でもしていなさいという事よ」
「花果子念報なら私、読んだ事あるわよ」
アリス・マーガトロイドが言った。
「いつだったかの、逆さ城に関する記事は、なかなか面白かったわ」
「逆さ城?」
霧雨魔理沙が食いついた。
「天空から大地に向かってそびえ立つ、逆さまのお城。幻想郷の、どこかにあるという……そんな伝説よ」
「おお、聞いた事あるぜ。力の弱い妖怪どもの、反逆の象徴」
魔理沙が、ぽんと手を叩く。
「その城に入ると、弱い奴も強くなれると。確か、そんな言い伝えじゃなかったかな」
そんな場所があるなら自分も行きたい、と犬走椛は思う。
自分は、弱い。何の役にも立たない。それを、思い知らされてしまったのだ。
「伝説の、逆さ城に関する記事……まあ内容としては考察の域を出るものではなかったけれど、読み応えはあったわ。面白いファンタジー小説みたいで私は好き」
「うぷぷっ、ファンタジー小説ですってよ。はたて」
射命丸文が、花果子念報の執筆編集者を嘲笑いにかかる。
「新聞記者なんか辞めてぇ、お子様向けの読み物でも書いた方がいいんじゃないですかあ?」
「良くも悪くも、最大公約数よね」
アリスは花果子念報を、擁護しているのだろうか。
「大勢の人に読ませようと思うなら、あの毒気がなくて読みやすい文章は大きな武器だと思うわ」
「……ほらね文。わかる人には、わかるのよ」
姫海棠はたてが、反撃に出た。
「文々。新聞はね、毒気が多くて読んでいられないんだって」
「ふふん、真実とは常に毒を含んでいるものなんですよ。はたての新聞はねえ、オブラートに包み過ぎです」
「文々。新聞はな、書いてる奴の悪意が前に出過ぎだ。もう少し包め」
霧雨魔理沙が言った。
「人の神経逆撫でする文章、本当に上手いよな、お前。そのうち誰かに殺されるぞ。ま、そう簡単に殺される玉じゃあないが」
「霊夢さんに殺されかけましたよ、この間」
「はっはっは、お前は霊夢を知らな過ぎる。あいつが半殺しにかかったらな、あんなもんじゃ済まないぜ」
「……その前に、殺されるところでしたけどね」
文が、頭を下げた。
「本当に……お2人のおかげで、助かりました。参考までに、教えて下さいませんか。あの連中を撃ち砕く攻撃を、あなた方がどのようにして放ったのか」
「うーん……私もなあ、これならやれる! って何となく感じただけだからなぁ」
魔理沙が頭を掻く。
その間、沈思していたアリスが言った。
「私の推測・憶測に過ぎないけれど……月の軍勢にとって弱点となるものを、私と魔理沙が戦いの最中に獲得した、のではないかしら。曖昧な言い方で申し訳ないけれど、そうとしか思えないのよ」
「それは……私でも獲得、出来るでしょうか」
椛は言った。
「何の役にも立たなかった、私でも……それさえ掴めば、あの軍勢と戦えますか?」
「……貴女1人では無理、という気がするわ。私も魔理沙も、1人では無理でしょうね」
「何ですか椛。何の役にも立たなかったなんて、そんな事気にしてたんですかぁ」
文のしなやかな細腕が、椛の身体に蛇の如く巻き付いて来る。豊かな胸の膨らみが、押し付けられて来る。ふしだらなほど良い匂いが、押し寄せて来る。
「椛みたいな真面目っ子はねえ、そういうところから変な泥沼にはまっちゃうんですよ。いいじゃないですか、あの連中に全く歯が立たなかったのは私もはたても同じです」
「お、お2人は……弾幕、消せるじゃないですか。私そういう事、出来ません……」
「あれが出来るのはね、私たち新聞記者だけよ」
はたてが言った。
「……椛も書いてみる? 新聞」
「あっははははは、無理無理無理」
笑いながら、文が胸を顔面に押し付けてくる。椛は息が出来なくなった。
「こんな真面目でまっすぐな子に、新聞なんか書けるわけないじゃないですか」
「そうね。文くらいには性格が腐ってないと、新聞記者なんて務まらないわね」
「も、もうっ! お2人の新聞のおかげでっ、どれだけ天狗族の評判が下がっているか! わかってるんですかッ!」
ふしだらな体香と柔らかな圧力に逆らって、椛は叫ぶ。
そんな様を見つめ、アリスが言う。
「……貴女たちなら大丈夫、という気がするわ。月人の軍勢が嫌い恐れるものを、貴女たちは持っている。それを、もう少し育てれば」
「そうだな、あいつらに勝てるかも知れない。直接あの連中を倒すのも大事だが」
魔理沙も言った。
「その段階に至る前に、今は情報が欲しい……というわけで、そろそろ念写をしてくれないか」
「ああ、念写なら出来ているわよ。ほら」
はたてが、携帯電話を開いた。
電話機とは似ても似つかぬ形状ではあるが、はたてが「携帯電話」と言い張るものだから仕方がない。それでいて写真を撮る事も出来る。電話機なのか写真機なのか、はっきりしてはどうなのか、と椛は思わぬ事もなかった。
ともかく。開かれた携帯電話に、はたての念写したものが映し出される。写真、と言うか画像である。
先程までの戦いを映したものであった。文がいる、椛がいる。魔理沙とアリスがいる。
文以外、全裸であった。
アリスが硬直し、魔理沙が激怒した。
「おい何だこりゃあ! お前の念写ってのは、こういう能力かあああああああああッッ!」
「ああ、ごめんなさい間違えたわ」
はたてが携帯電を操作し、画像を切り替える。
「明けない夜、月の軍勢……その謎を解くために貴女たちがするべき事、向かうべき場所。そのヒントくらいは、どうかしら映し出せて痛っ、映っていると思うけど痛い、痛い。痛いわ」
槍を持った人形が、はたてをチクチクとつついていた。
手元に槍があれば自分もそうしていたかも知れない、と椛は思った。
「信じられない! 私まで裸じゃないですか!」
「あややややや……わかっていませんねえ、はたては。こんなバッチリ映しちゃあ駄目なんですよお、もっと見えそで見えない角度を意識しないと」
「……お前ら天狗ってのがどういう連中か、大体わかったぜ」
魔理沙の言葉に、椛は泣きたくなった。
「ひどい! 風評被害です!」
「お前1人だけが、この先も大変な思いをするんだろうな。まあいいから念写したもの、とっとと見せろ」
切り替わった画像を、魔理沙が覗き込む。
竹、であった。
自生する何本もの竹。竹林の風景が、映し出されている。
「竹林……迷いの竹林、か? そこへ行けって事か」
「そこで貴女の求める情報そのものが手に入る、とは限らないけれど……何かが、進展するかも知れないわ」
「そうだな、ありがとうよ」
魔理沙が、はたての胸ぐらを掴んだ。
「……さっきの画像、ちゃんと消しとけ?」
「消す、消しておくわ。だから、貴女のお友達をなだめてくれないかしら」
人形が、はたてを槍でザクザクと突き続ける。
はたての頭から、鮮血が噴出した。
アリスは、無表情である。
この人を敵に回してはならない。何となく、椛はそう思った。
「おおいアリス。そろそろ、やめてやろうぜ」
魔理沙が魔法の箒を駆り、アリスの方へ向かう。
文が、それに続いた。
「またしても博麗の巫女を差し置いて異変解決ですか、魔理沙さん」
「春先の異変は結局、霊夢に最後全部持ってかれちまったからな」
会話をする2人を見つめながら、はたてが携帯電話を操作する。消しておくよう魔理沙に言われた画像が、表示される。
こうして見ると自分の身体は本当に貧相だ、と椛は思った。魔理沙もアリスも、自分より一回りは豊麗である。
文は、よくわからない。服を着ているからだ。
「あの、はたてさん……この画像、どうして文さんだけ裸じゃないんですか?」
「文を、念写なんかしないわ。意味ないもの」
画像を削除しながら、はたては言った。
「……文はね、私がこの手で脱がせるのよ」
「すいません突然何も聞こえなくなりました」
椛は頭を抱え、耳を折り畳んだ。