第13話 滅びの巫女
原作 上海アリス幻樂団
改変、独自設定その他諸々 小湊拓也
数百年前、犬走椛が物心ついた頃から、妖怪の山は幻想郷最大の勢力であった。天狗族が、妖怪の山の支配者であった。
椛は、それに疑問を抱く事もなかった。
「何百年もの間……この、千里眼で……」
呆然と、椛は呟いた。
「……私……一体、何を見ていたの……?」
数百年もの間、見ようともしていなかったものを今、椛は目の当たりにしている。
土偶の群れを、片っ端から破砕してゆく2人の魔法使い。
魔理沙と呼ばれた白黒の魔女と、アリスと呼ばれた人形使い。
2人の少女が、高速飛翔する箒の上で身を寄せ合い、魔力を燃やしている。
燃える魔力が、魔理沙の眼前の人形に収束している。
収束したものが、光の線条となって一直線に放たれ迸り、土偶の軍勢を切り裂いていった。
土偶に似た、ずんぐりと不格好な全身甲冑。
椛の斬撃を、弾幕を、ことごとく弾き返したそれらが、光の線条に穿たれ、砕かれ、ちぎれて破裂し、飛び散って消滅する。
「私……何も、見ていなかった……何が千里眼よ……」
椛は、涙を流していた。
「お山の外には、こんなに強い人たちがいる……まずは、それを見なきゃいけないのに……」
それほど強い相手ならば避け、弱い者を狙う。戦いならば当然であった。
土偶の何体かが、魔女2人を迂回して椛に狙いを定める。そして一斉に光弾を放つ。
放たれた弾幕が、空中で立ちすくむ白狼天狗の少女を襲う。
シャッター音が、聞こえた。
椛の周囲で、光弾が全て消え失せた。弾幕が、あるいは空間そのものが、切り取られたかのように。
「ただ相手にぶつけるだけの、実に芸のない弾幕……こんなの撮りたくありませんねえ」
写真機を手にした天狗の少女が1人、夜空に佇んでいた。
「駄目ですよ椛? こんなのに苦戦しては」
「文さん……!」
「と、いうわけで。お山の規則違反者を見つけてしまったわけですが」
射命丸文が、空中でステップを踏む感じに、ふわりと近付いて来る。
しなやかな細腕が、椛の身体に回された。形良い胸の膨らみが、椛の顔面に押し付けられた。
「……何、勝手な事をしているんですかあ? 椛が1人この連中を引き付けて、お山を離れろなんて命令。一体、誰が出したんですか? ねえちょっと」
「わ、私の自己判断ですぅ……」
椛は目を回していた。
(ど、どうして……この人って、こんな……ふしだらなくらい、いい匂いがするの? いつもいつも……)
「ま、勝手な子には後でお仕置きをするとして」
椛を抱き捕えたまま、文は飛翔した。
土偶の群れが、様々な方向から襲いかかって来る。ずんぐりと不格好な手が、文と椛を捕えようとする。あるいは、至近距離から光弾を撃ち込んで来る。
全てを、文は回避していた。
魅惑的な身体の曲線が、まるで椛と絡み合うかのように捻転する。瑞々しい胸の膨らみが、横殴りに椛の顔面を圧迫し続ける。
自分は今、射命丸文と一緒に竜巻と化している。呆然と、椛はそんな事を思った。
竜巻のような回転飛行で、土偶たちの攻撃をことごとくかわしながら、文は言った。
「……助かりましたよ、椛」
ぴんと立った獣の耳に、文が囁きかけてくる。
「今の、妖怪の山はね……この連中に攻め入られたら、ひとたまりもありません。天狗も河童も皆殺しにされます。だって戦えませんから」
「そう……なんですか……」
「戦う力も、気概もない。椛1人を犠牲にして、自分たちだけ助かろうとする」
文は、笑っていた。
「保身のためにだけ団結する。それがね、天狗という種族の組織力なんだそうですよ。笑えますよねえ」
笑い声が、震えている。
「……御前様方がいらした頃は……こんな事、絶対あり得なかった……」
「文さん……」
御前様、と呼ばれる存在を椛は知らない。時折、その名を耳にするだけだ。
轟音を立てて、風が吹いた。
文の全身から、憤激の念が暴風となって溢れ出したかのようである。キラキラと光るものを大量に内包する、暴風の渦。
全て、光弾だった。
文の弾幕が、土偶たちを直撃していた。
直撃と同時に、光弾が全て砕け散って消滅した。土偶の群れは、全て無傷だ。小太りの甲冑姿で風を押しのけ、こちらに迫って来る。
「くっ……や、やっぱり私の力じゃ……」
文が呻く。
無傷だった土偶たちが、光の集束線条に薙ぎ払われ、砕け散ってゆく様を、見つめながらだ。
「おおい、大丈夫か」
魔理沙が、箒の上から声を投げてくる。
土偶の最後の1体が、光の線条に粉砕されたところである。
椛は、息をついた。
「……た……助かった……」
「ふむ、ではお仕置きですね。当初の予定通り」
「ち、ちょっと文さん! 何するんですか」
「……懲罰ですよ。妖怪の山はね、規律が第一なんです」
文の綺麗な唇が、椛の頭、獣の耳に触れてくる。
「勝手な行いをした白狼天狗はね、ちゃあんと躾けないと」
「やめてーッ!」
「んん〜……椛の身体は、引き締まってて良い感じですねえ。だけどぉ……ここは、もうちょっとふっくらしててもいいんですよ? ほらほら私みたいに」
「おい、やめろよ」
魔理沙が、魔法の箒で近付いて来た。文は応えた。
「部外の方は口出し無用。私はねえ、上司として規律違反者を訓戒しないといけませんから……さあさあ仔犬ちゃん、上司に逆らっちゃダメですよ〜」
「お前、本当に性格が腐ってるなあ」
魔理沙が呆れている。
「ま、腐った奴を演じてるだけだろうけど……わかるぞ。お前、その白狼天狗を助けるために出て来たんだろ」
「……私たちを助けてくれたのは、貴女がたですけどね」
文が、箒の上の魔女2名に頭を下げた。
「本当に……助かりました。ありがとうございます」
「今の連中な、月から来たらしいぜ。月の軍隊が、幻想郷に攻め入ろうとしてる。まあ記事にするのもいいんじゃないか」
「月、ですか」
美し過ぎる、絵画のような満月を、文は見上げた。
「……幻想郷から見える月も、何だか変な感じです。お山が……幻想郷最大勢力なんて言われてる妖怪の山が、本当は何とかしなきゃいけない事態ですよね……」
「お前、面白い事してたよな」
魔理沙が、文の写真機に見入った。
「あいつらの弾幕が消えてた。一体、何をやったんだ?」
「まあ新聞記者を長く続けてるとね、この程度の事はね」
写真が1枚、現像され、写真機から吐き出されて来る。
弾幕が写っていた。
弾幕だけが、切り取られて写真の中に封じ込められている、と椛は感じた。
「……本当に、美しくも面白くもない弾幕ですよね」
「文さんは」
恐ろしい事に、椛は気付いた。
「……例えば私を、撮って……消したりも、出来るんですか……?」
「そんな事。出来るんなら、あの土偶どもを消していますよ」
文が、椛の頭と耳を撫でた。
「心配しなくても、私が撮って消せるのは弾幕だけです。これからも椛のことビシバシ撮りますけど安心していいですよ」
「……隠し撮りは、やめて下さいね」
「誰かが、隠し撮りをしている」
箒の上で魔理沙に身を寄せたまま、アリスがようやく言葉を発した。
「……そんな感じがするわ。私たちの周りでも、月人の弾幕が何度か消えていた。こっそり私たちを助けてくれた誰かが、いるのではなくて?」
「勘が鋭いですねえ、魔法使いの方は」
言いつつ、文が見回す。
「どうですかね。念写が得意な子ですから、もしかしたらここには来ていないかも」
「いるわよ」
声がした。
天狗の少女が、もう1人。いつの間にか、文の背後で空中に立っている。
「わ……びっくりした。もうちょっと気配を出して下さいよ」
「いつ気付いてくれるかな……って、ずっと待っていたんだけど」
ぴったりと文の背中に寄り添ったまま、その少女は暗い声を発した。
「……初めまして、魔法使いさんたち。私、姫海棠はたてと申します。椛を助けて下さって、本当にありがとうございました」
「は、はたて。あのね、首筋と耳にね、息がかかってるんですけど……近い、近いから」
「文さんは、私にも同じような事してます」
「念写、って言ったよな」
魔理沙が食いついた。
「聞いた事あるぜ。目の前にないものを写すという、アレか?」
「私が知りたいと思う事を、画像にする」
はたてが、奇妙な形の写真機を掲げた。
文の使うものと比べて、かなり小さい。折り畳みの出来る金属製の板。そんな形状である。
「何でも、というわけにはいかないけれど……」
「……私たちが知りたい事も、写ったりするのか?」
魔理沙が言った。
「さっきも言ったが、月の連中が攻めて来ている。そのせいかどうか、夜が明けない。空には、おかしな月が浮かんでる……調べなきゃいけない事が、山ほどあるんだ。頼む、その念写で何か、写し出せたりはしないかな?」
このまま放っておけば、博麗霊夢は間違いなく死亡する。それは1時間後か、30分後か。
自分は恐らく5分も保たない、と綿月依姫は思う。今の霊夢が本気で殺しに来たら、自分など1分で死ぬ。
3分は経った。自分は、まだ辛うじて生きている。霊夢が本気ではないからだ。
「……ねえ依姫さん? 私が、あんたを……殺したい、とでも思ってるの?」
高く掲げた左手で注連縄を握ったまま、霊夢は言った。
「博麗神社の居候を、私が……殺す、わけないでしょう? でもね、このままじゃ」
「……死んでしまう……な……私は……」
その注連縄が、依姫の細い頸部を絡め取り締め上げている。
霊夢の左手と注連縄で、依姫は高々と吊り上げられていた。
「同じ事……何回も、言わせないで……」
霊夢は、涙を流している。
それを遥かに上回る量の、血を流してもいる。
「私はね、月の都をぶち滅ぼすって言ってるの……依姫さんを、殺したいわけじゃないのよ……?」
満身創痍の霊夢。重傷を負った細い全身から、血の臭いが炎の如く立ち昇っている。
(まさしく……穢れの、塊……)
この場にいない者たちを、依姫は心の中で責め立てた。
(月の都は、本当に滅びるぞ……こんなものが攻め入って来たら……わかっているのか嫦娥、それに綿月豊姫! 貴様らは月に、災禍を呼び込もうとしているのだぞ……)
「……同じ、事だよ……博麗霊夢……」
注連縄で潰されそうな声帯から、依姫は無理矢理に言葉を絞り出した。
「幻想郷を滅ぼす、だがお前1人だけは助けてやる……そう言われたら、どうかな?」
「……一緒にしないでよね、幻想郷と……あんな連中しかいない、月の都を……!」
霊夢が、血まみれの牙を剥いた。
「幻想郷だってねえ、そりゃまあ色々あるけど! 何にもない月の連中よりはずっとマシに決まってんでしょうがあ!? 何にもない連中がねえ、何にもないまま幻想郷へ押し入って来て妖精を潰す! 引きちぎる! 許せると思ってんの? ねえ」
(……返す言葉も、ない……)
依姫は、笑いたくなった。
(月の都と、幻想郷……どちらの方に、より存在価値があるのか、宇宙全ての知的生命体に問うたならば……きっと皆が、幻想郷と答える……玉兎たちだって、あんな場所で月人の生命維持作業を淡々と続ける日々を送るより……幻想郷の方が、楽しく暮らせる……)
何故だ、と依姫は思った。
(月人という種族は、何故……こんな事になってしまった? 一体どこで何を間違えた……私たちは、穢れぬよう穢れぬよう努力をしていただけなのに……清浄さを、求めていただけなのに……ただ、穢れを排除し続けてきただけなのに……)
知的生命体である以上、穢れを避ける事は出来ない。
かつて1人の賢者が、そんな事を言っていた。
(生きている限り、何かを求める。欲する……すなわち、穢れる。それを拒絶する事は……生きる事、そのものの放棄……貴女のおっしゃる通り、なのでしょうか……八意様……)
「ま……依姫さんにしてみれば、私のやろうとしてる事の方が許せないわよね……そりゃ……」
言葉と共に、霊夢が血を吐いた。
「……だから神様を降ろせって言ってんのよ! そうしないとね、私は止められないわよ。言いたかないけど、あんたの力じゃ……」
「……お前も……死ぬぞ、霊夢……」
依姫は言った。言葉を発するのが、精一杯だ。
「馬鹿げた事はやめて、傷の手当てをしろ……」
「馬鹿げていない!」
霊夢は吼えた。
「幻想郷の弾幕使いでもないくせに、妖精を撃ち砕く! 引き裂く! そんな連中がいるのよ!? 放っておけるわけないでしょうがぁあああああああッッ!」
(私は……何も、出来ない……)
このまま締め殺されてしまおうか、と依姫は思った。
(月の都を、守る事も……霊夢を、助ける事も……神がいなければ、何も出来ない……綿月依姫という個の存在には、何の力も価値もない……)
『……力が、欲しいのかな? 君は』
声がした。
姿は見えない。当然、とは言える。神とは本来、姿を見せぬものだ。
だから巫女がいる。姿なき神の意思を、人々へ伝えるために。
姿を見せぬ神が今、その意思を露わにせんとしている。綿月依姫という巫女を用いてだ。
『ならば私を受け入れると良い。私とて万能の神ではないが、君の力にはなれる』
昨日の、背後の扉から入って来る神とは違う。
「幻想郷の……神の、どなたか……で、あらせられるか……」
依姫は呻いた。
「……今、私は……神の御力を、借りる……わけにはゆかぬ……」
『わかるよ。君のような力ある巫女はね、考えてしまいがちなのさ。神に頼らず己の力で戦えなければならない、とね』
穏やかな、圧倒的な意思。
『とても微笑ましい、と思うよ。愛おしい、可愛らしい。そんな君が死んでしまったら……とても悲しい』
依姫の、全身が震えた。脳髄が、心が、激しく震えた。
穢れ。
この神は、穢れ、そのものだ。
宇宙を見渡しても、ここまで穢れた神はそういない。
『君はまるで、一点の瑕もなき偶像だ。心まで美しく、徳が高い。死んだら私のもとへ来てはくれないだろう。だから……生きているうちに、助けてあげたい』
「去れ……」
生死の穢れの権化となった博麗霊夢に、なす術なく殺し尽くされた月人の兵士たち。
彼らと同じく今、自分も粉砕される。死の穢れ、そのものである、この神に。
依姫は、そう感じた。
「貴様は、邪神だ……消えて失せろ……!」
『ひどく穢れを嫌っているようだね。それではいけない』
姿なき邪神が、遥か遠くにいながら、依姫の傍にもいる。
『……穢れは、素晴らしいものだよ。私はね、生きとし生けるものの穢れを表現したい。芸術とは、すなわち穢れさ』
芸術。それは穢れの発露、穢れを喚起するもの。
月人が、最初の段階で切り捨てたものである。
それを、この邪神は司っている。
『だけど駄目だね、こんなふうに工房に籠ってばかりでは……穢れを、知る事は出来ない』
邪神の言葉が、依姫の美しい唇から紡ぎ出されていた。
『だから……少し、気分転換をさせてもらうよ』
「……依姫さん、また変な神様を拾っちゃったのね」
霊夢はいつの間にか、依姫の首から注連縄をほどいていた。
「ま、神様が降りて来たんならいいでしょう。やっと依姫さんの本領発揮という事で」
『ほう……これはまた、何と言うか』
依姫の中で邪神が、霊夢に対して興味を燃やす。
『……君は、人間なのか? 地獄界にも、修羅界にも、これほどの穢れを醸し出す者そうはいない……素晴らしい、素晴らしいねぇ……』
邪神は、悦んでいた。
『うむ決めた。私は、君の穢れを学び参考にしよう。そして君のような埴輪兵長を造り上げて見せるぞ』