第11話 フェムト(中編)
原作 上海アリス幻樂団
改変、独自設定その他諸々 小湊拓也
回転が、弾かれた。
九尾で弧を描いての体当たりも、それと同時に撃ち込んだ弾幕も、全て跳ね返されていた。
土偶を思わせる、ずんぐりとした全身甲冑にだ。
「くぅっ……!」
八雲藍は弾き飛ばされ、境内の石畳に激突し、くるりと受け身を取って立ち上がった。
土偶が、5体。空中から、藍を見下ろし取り囲んでいる。
5体とも、無傷である。
無傷の甲冑の中で、敵は藍を嘲笑っているのか、あるいは無表情なのか。
「馬鹿な……八雲の式たる、この私が……」
伊吹萃香いわく、月人の兵士であるらしい。
その伊吹萃香は、賽銭箱の傍らに腰を下ろし、瓢箪の中身を呷っている。
「牝狐ちゃんよぉーい、加勢してやろうかあ? ひっく」
「要らん、手を出すな……!」
藍は跳び退った。
その足元で、石畳が砕け散った。
土偶たちが、短く不格好な両手を空中から向けてくる。その手から、光弾が速射される。
降り注ぐ弾幕を、藍は転がるようにかわし続けた。それを追尾する格好で石畳が砕け、破片が噴出し続ける。
博麗神社が、破壊されてゆく。
「……さっきも言ったけどよ、そいつらをブチのめすにゃあコツがいる。それを知らねえ限り、いくら最強の八雲式だって勝ち目はねえぞ」
萃香の言葉を聞き流しながら、藍は仰け反り、血を吐いた。
月人の弾幕が、複数の方向から藍を直撃していた。
「ここは、私と協力し合うべきだと思うがなあ」
倒れ伏した藍に声を投げながら、萃香は酒を呑んでいる。
「……今、この場で……貴様の力を借りたなら……」
よろりと、藍は立ち上がった。
「それは……協力し合う、と言うより……一方的に、貴様に助けられる……という事にしかならん……」
立ち上がった肢体から、黒焦げとなった衣服がボロボロと崩れ落ちてゆく。
「駄目なのだよ、それでは……! 私が、私自身が、こやつらと戦う力を身に付けなければ……紫様の、お役には立てない……」
藍は、血まみれの裸身を晒しながら、血まみれの牙を剥いた。
「貴様の言うコツとやら……恐らく、言葉で教わるものではないのだろう。私が自力で掴まねば、身に付かぬもの……」
「……ふん。おめえさん、やっぱ頭いいなぁ。ようくわかってんじゃねえか、ひっく」
萃香が褒めてくれた、のであろうか。
「そうよ。この先、月の連中とやり合うにゃあな、自分の力で戦うって事が絶対必要になる……が。やれんのか? てめえ」
避けられなかった。
月人の1体が、視界外から光弾を撃ち込んできたのだ。
直撃。身体のどこかに大穴が空くのを、藍は体感した。
痛みは鈍い。痛覚が、死にかけている。
(……死ぬ……のか? 私は……)
博麗神社に鮮血をぶちまけながら、藍は倒れていた。
(私が死ねば……橙よ、お前が戦うのか? 八雲の式として、紫様と共に……お前が、この怪物どもと戦うのか……橙)
倒れた藍に、5つの土偶が空中から弾幕を降らせる。
(死ぬ……私が死に、橙も死ぬ……紫様も……)
「させません!」
何者かが、藍を庇う形に飛び込んで来て立った。武装した月人たちを見上げ、見据え、叫んでいる。
「博麗神社の境内で! これ以上の無法は、許しませんよっ!」
高麗野あうんだった。
降り注ぐ光弾の雨が、藍を直撃する寸前で全て消え失せた。
博麗神社を守護する、狛犬の力。
だがその時には、土偶の1体が着地していた。あうんの傍らにだ。
「やめろ……!」
血を吐きながら、藍はよろりと立ち上がった。
血を吐きながら、あうんは前屈みに身を折っていた。
不格好な土偶の片手が握り拳となり、あうんの腹に叩き込まれていた。
倒れたあうんの身体の上に、他の土偶たちがグシャグシャッと着地する。
大量の血飛沫が、噴出した。
絶叫が、咆哮が、境内に響き渡った。藍の、身体の奥から迸っていた。
血まみれの裸身が、炎の如き九尾を高速でなびかせ、飛びかかる。襲いかかる。ぐしゃ、グシャリとあうんを蹴りつけ踏みにじる、月人の1体に。
土偶が、羽虫でも払いのけるように右手を振るった。
その一撃だけで、藍は殴り飛ばされていた。
吹っ飛んで石畳に叩き付けられる藍の有り様を、萃香が酒の肴にしている。
「……穢れたな、八雲藍」
瓢箪の中身を呷り、息をつき、そんな事を言っている。
「それでいい。その穢れを、月の連中は忌み嫌ってる。恐れてやがるのよ……さあ、こっからだぜ。ひっく」
藍を殴り飛ばした月人が、硬直している。
その右腕が、消え失せていた。短い二の腕に、砕けた断面が残っている。
藍は、身を起こしていた。
鮮血にまみれた裸の肢体が、両手両足で石畳を踏みしめている。四足獣の姿勢。
やや育ち過ぎた白桃を思わせる尻が、荒々しく後方に突き上げられて尻尾を揺らめかせる。後光の如き、黄金色の九尾。
そんな獰猛な美尻を支える左右の太股が、むっちりと力を漲らせてゆく。獣の力、猛獣の力、妖獣の力。
「貴様ら……1匹たりとも生かしてはおかぬ……」
呻きつつ藍は、咥えていたものを噛み砕いた。
美しく鋭い牙が、土偶の片腕を粉砕していた。
「もういい、やめろ! 逆賊・綿月依姫はここにいる!」
夜闇の中に、悲痛な叫びが響き渡る。
「お前たちの標的は私だ! 私の身柄を、あるいは命を持って行け! 地上を、幻想郷を、脅かす事が、お前たちの目的ではないはずだ!」
その叫びに応えてか、月人の軍勢が、こちらに向かって弾幕を放つ。
土偶の形をした全身甲冑の群れ。短く不格好な両手を発光させ、その光を弾丸状に固めて際限なく発射してくる。
博麗霊夢は、己の霊力を眼前に展開した。
光の防壁が出現し、砕け散った。月人たちの光弾に、粉砕されていた。
キラキラと飛散し、消えてゆく光の破片を、霊夢は呆然と見つめた。
自分の力が、打ち砕かれてゆく。そう思った。
「私……死ぬ……の?」
呟きながら、霊夢は血を吐いた。
光弾の嵐が、全身を直撃していた。
折れた肋骨が、体内のどこかに突き刺さるのを、霊夢は克明に感じた。
防御のため、全身に霊力を行き渡らせ漲らせた。反射的にだ。それをしていなかったら今頃は生きていない。原形をとどめていない。
漲る霊力で、しかし傷を治す事は出来なかった。
「霊夢!」
叫ぶ依姫の声が、遠い。
自分は、死ぬ。ぼんやりと霊夢は、そう感じた。
(……嫌…………)
飛行能力は、まだ辛うじて保たれている。風に吹かれた木の葉のように空中を漂いながら、霊夢は歯を食いしばった。
(……死ぬのは、嫌……弾幕戦で負けるのは、もっと嫌……)
血まみれの奥歯に弱々しく力を込めながら、見回す。睨む。
月人の群れが、押し寄せて来る。不格好な指を発光させ、霊夢に向けながら。
その光が、放たれた。弾幕が来た。霊夢と依姫を、もろともに粉砕する弾幕。
次の瞬間、粉砕されたのは、霊夢でも依姫でもなかった。
両者の盾となる形に飛び込んで来た、3つの小さな人影。うち1つが砕け散り、光の破片となって消滅する。
「ルナ!? ああもう、やっぱりあんたって鈍臭い」
などと言いながらサニーミルクも弾幕の直撃を喰らい、飛び散った。愛らしい手足が、ちぎれ飛んで消えてゆく様を、霊夢は呆然と見つめた。
「す、すいません霊夢さぁん……」
スターサファイアが、泣き顔を向けてくる。
その泣き顔が、ずんぐりと太い土偶の手で叩き潰された。可憐な四肢が引きちぎられ、胴体が裂けて臓物が噴出する。
全てが、キラキラと消え失せてゆく。声だけが残った。
「私たち、1回休みです……」
光の破片と化した妖精たちを蹴散らして、月人の弾幕が吹き荒れる。霊夢を襲う。
かわした。
折れた骨が身体の中を抉り切り裂く。が、そんな事は言っていられない。
血を吐きながら、霊夢は空中で身を捻り、飛翔速度を上げた。
光弾が、全身あちこちをかすめて飛ぶ。衣服が裂け、肌が裂ける。
鮮血の霧を撒き散らして、霊夢は舞った。身体が覚えてしまった回避の舞い。
血の染みたボロ布と化した付け袖が、ちぎれ裂けた袴スカートが、懸命に泳ぐ金魚の鰭の如くはためいている。しなやかな四肢が激しく躍動し、光弾の嵐をかわしてゆく。
すらりと綺麗に伸びた左脚が、光弾をかわしながら一閃した。斬撃にも似た、蹴り。
それが、月人の1体に叩き込まれる。
土偶の形の甲冑が、凹み、潰れ、破裂した。
夢想封印を無傷で弾いた装甲が、少女の蹴りで中身もろとも裂けちぎれた。
どのような中身であるのか、見て確認しようという気が今の霊夢にはなかった。
「……潰す! 1匹残らず……!」
思いは、それだけである。その思いを、右手のお祓い棒に込めて叩き付ける。
土偶が1体、脳天から真っ二つに裂けた。
「……穢れた……わね、霊夢……」
依姫の声が、聞こえる。
「命……生と、死……それこそが、月人にとって最大の禁忌。霊夢、貴女は今、死に限りなく近い領域で生命を猛り狂わせている……生死を拒絶した種族にとって、最も穢らわしい存在となったのよ。あの時の、伊吹萃香のように……」
聞き流しつつ霊夢は、月人の光弾をかわした。
回避の躍動を、そのまま攻撃へと転用してゆく。血まみれの細身を捻転させ、お祓い棒を振るう。
紙垂が、超高速で弧を描いた。霊夢を『穢らわしい存在』たらしめている何かを、たっぷりと含んだ紙垂。
その一撃が、土偶を2体、薙ぎ払い粉砕していた。
「……妖精って、死なないのよね。1回休みが終わったら、普通に再生してくるわけよ」
正面の月人に、霊夢は叩き付けるように呪符を貼った。
「だから手足もいで頭かち割ろうがバラバラに吹っ飛ばそうが思いのまま、だけどねえっ! それをやっていいのは、私たち幻想郷の弾幕使いだけ!」
その呪符から、霊力が迸った。
依姫が『禁忌』『穢れ』と呼ぶものを宿した、禍々しい霊力の奔流。
その月人が、周囲の数体を巻き込んで爆散した。土偶の鎧が3、4体分、砕け散っていた。
まだ大量に群れている月の兵士たちを睨み据え、霊夢は言い放つ。
「……あんたたちにはね、妖精どころか幻想郷の草1本だって傷付けさせはしないわ」
空を飛べない、わけではないが地を駆けた方が速い。
速く駆けても、しかし振りきる事の出来る相手ではなかった。
そして、振りきるために走っているのではない。
確かに自分は今、逃げている。だが逃げきってしまう事が目的ではないのだ。
ひたすら、自分を追わせなければならない。この土偶たちに。
満月を背負うようにして夜空を飛行する、土偶の群れ。
甲冑であるのは間違いない。果たして、どのような正体を内包しているものか。
光が、降って来た。土偶たちが地上に向けて、光弾を放つ。
犬走椛は、駆けながら跳んだ。
それを追って、次々と着弾が起こる。原野の地面が砕け、いくつもの柱のように土が噴出する。
着地しつつ、椛は剣を振るった。右手で携えた、大型の剣。
一閃した刃が、光弾を斬り払いながら砕け散った。
「くっ……!」
椛の左腕で、盾に大穴が穿たれる。光弾の命中。
衝撃で、椛は転倒していた。
受け身を取り立ち上がる、間に射殺されるのは間違いない。
(…………もはや、ここまで……)
妖怪の山からは、かなり引き離した。そう信じたいところである。
この間、天狗族の上層部が何かしら手を打ってくれている、とも。
(……文さん、あとは頼みます……大丈夫ですか? ねえ。貴女にお任せして、本当に大丈夫なんですかあ……っ)
疾風が、ぶつかって来た。
転倒し、受け身を取り、起き上がろうとした椛の身体を、疾風がさらって行った。
光弾が、地面を粉砕する。大量の土が舞い上がる。
あと一瞬、疾風が遅ければ、舞い上がっていたのは椛の肉片であったろう。
「文さん……!」
椛は叫びかけたが、違う。この疾風は、確かに疾いが射命丸文には劣る。
椛の身体に巻き付いているのは、人間の少女の細腕だった。人間にしては、少女にしては、力が強い。それに疾い。
「悪いな。自力でかわせたのかも知れんが、余計な世話を焼かせてもらったぜ」
空飛ぶ箒にまたがっているのは、1人の魔女だった。白黒を基調とした衣装に、大きなとんがり帽子。魔女、としか言いようのない姿をした少女である。
魔法の箒で飛翔する少女に、椛はさらわれていた。
「……いえ、助かりました。かたじけないです」
「私たちも実は、こいつらから逃げて来たところでな」
魔女が言った。口調に、悔しさが滲み出ている。
「ただ……いつまでも逃げられるわけは、ないよな」
光弾が、魔女の身体を、椛の身体を、かすめて走る。
箒にまたがったまま微妙に身体の角度を調整する事で、この魔女は光弾の嵐をかわし続けている。飛行速度を落とす事なく。
歴戦の弾幕使いだ、と椛は思った。速度はともかく回避の技量は、射命丸文より上かも知れない。
「お前どこから逃げて来た? そこも、こいつらに襲われてるのか」
「私は……妖怪の山の、白狼天狗。哨戒中に、この者たちを発見しました」
嘘をつく理由はなかった。
「ご覧の通り、私の力では……こやつらに抗する事もかなわず……」
「だから逃げていたのか。山の中へ、逃げ込もうともしないで」
白黒の少女が、箒を駆りながら一瞬だけ、妖怪の山の方角を見つめた。
「……お前、無茶な奴だな。こいつらを妖怪の山から引き離そうってのか」
こいつら、と呼ばれたものたちが後方から執拗に弾幕をぶちまけてくる。
「山にいる妖怪どもは……お前を犠牲にして、自分らを守ろうと?」
「私が勝手に、やっている事です」
独断専行。組織を重んずる天狗の社会においては懲罰の対象である。甘んじて受けよう、と椛は思う。
懲罰を受ける段階に至るまで、自分が生きていられたらの話だ。
「妖怪の山ってのは、幻想郷で一番強い勢力だって聞いたが。さすがに、こいつらと戦う力はないか」
「……無理です」
言ってはならぬ事を、言おうとしている。その自覚はあっても、椛は止められなかった。
「今、妖怪の山に……外敵と戦う力など、ありはしません……」
「じゃ、お前が山を守ってやるしかないぜ。何とか逃げて生き延びろ!」
白黒の魔女を乗せた箒が、急激な方向転換と同時に椛を放り捨てる。
放り捨てられた椛を、何者かが優しく抱き止めてくれた。
「……乱暴ね、魔理沙は」
もう1人、少女がそこにいた。青系統の衣服をまとう優美な肢体が、空中に佇んでいる。
「この子が、空を飛べる妖怪なのかどうか。せめて確かめてからにしなさいよ」
「見ろよアリス、そんな暇はなさそうだぜ!」
魔理沙と呼ばれた白黒の魔女は、その場に箒を滞空させ、向かい合っていた。
一目では数えられない、土偶の群れと。
「こいつら……妖怪の山を襲う用事なんて、あったのかな」
「指揮系統を失っているだけ、だと思うわ」
アリスと呼ばれた少女が、椛を軽く抱き支えたまま言った。
「本来の任務を見失って……幻想郷のあちこちを、無差別に襲っている」
「……人里もか、おい!」
「人里を守りに行く、にしても。今の私たちでは何も出来ない」
どうにか自力で飛行し、空中に立つ椛を、アリスは背後に庇った。
「月の軍勢と戦う力……貴女も私も、この戦いで掴まなければ」