無責任じじい
まっさらな世界。
俺はその世界に横たわっていた。
(なんだ……?夢……?)
寝っ転がった姿勢で、頭だけ動かして周囲をするが、本当に何もない。
まず、確認できる範囲で物は一つも置かれていない。
壁もない。故に果てもない。
何となく、精神世界的な何かに取り残された感覚だけが残っており、気分も微睡んでいる。
最後の記憶は、確かベットで寝たところだ。
(じゃあ夢か……)
『……おい』
何もない世界で、身に覚えのない声が響いた。
俺は、寝ぼけたまま姿勢を起こし、改めて辺りを見回す。
すると、丁度、寝た体制のままでは見えないように頭側のほうに一人の人間が胡座をかいて座っているのを発見した。白髪に、白い髭を蓄え、顔には濃いシワも刻まれていた。そんなじいさんが鋭い眼光を俺に向けてくる。
俺はその姿を見て、はてと記憶を探る。
(見たことある気が……あっ!)
思い出した。写真で見たことがあっただけなので確信はないが。それでも、多分、この人は……
「ひいひいじいちゃん?」
『ほぉ、知ってたか』
意外、といった表情でじいさんはあぐらに膝をつき、手のひらで顎を支える。
そんな傲慢そうなじいさんは、俺が想像していたひいひいじいちゃんとは少し違ったが、本人が認めるということはそうなのだろう。
というか、そこそもこれは夢だ。
(変わった夢だな)
『おい、聞いてるのか?』
そんなことをぼんやりと考えているとじいさんから怒るように声を上げる。
「え、いや、聞いてますよ」
『そうか。お前、自分が今、どんな状況か分かっているのか?』
「どんな状況って……夢を見てるってことですか?」
『何をのたまってるんだ?』
じいさんは、呆れたような、怒ったような表情になった。
なんだ? 何をそんなに怒っているんだ?
……まあいい。夢は夢だ。早く目覚めないかな
『お前は、死んだ』
じいさんはピシャリ、と、突然想像もしていなかったことを言った。
……診断……真だ……死んだ?
死んだって言ったのか?このじいさん、今、俺が死んだって……
『まあ、お前だけを責められる物ではない。ワシにも責任はある』
「ちょ、ちょ、ちょっと待って。死んだ?俺が?どうして?」
頭の中が真っ白になる。
急すぎて意味わかんないし、そもそもこれって夢……
あぁ、そうか。夢だから別にこんな突拍子もないことも起こるか。
『ベッドで横になり、そのまま死んだのだ』
だが、じいさんが言うことは俺の今状況と特に矛盾はない。矛盾はないが、別に俺は急に死んでしまうような持病は持ってないし、前兆もなかった。
「そんなこと急に言われても困るんですが」
『困るも何も、お前自身が息をすることをやめたのだ』
「は?」
『お前の心理的な気持ちがそのまま肉体に反映された結果だ』
心理的な気持ち?それは、俺が日々感じている退屈だと言う気持ちだろうか?確かに、俺は日常に辟易し、息苦しさを感じてはいたが、自殺を考えたことなどはない。
『さっきも言ったが、ワシの責任でもあるのだ。というのも、そういう遺伝的なプログラミングがお前に継承されているからだ。元々はワシが若い頃に気の迷いで自分の遺伝子書き換えてしまったことがきっかけではある。ワシは、当時自分の人生が意味のないものになるくらいのものならそんなもの生きている意味が無いと感じていた』
ゴホン、と一つ咳を挟んで話を続ける。
『極端な合理主義者だったワシは、その時に行っていた研究もあって、自分の遺伝子を組み替えることで、あまりにも無気力かつ自分の人生に意味を見出せないような期間が長引けば強制的に生命を止めてしまうようにしたのだ。まあ、常に命の危機に迫られることによって、研究は更に熱が入り、地頭の良さも相待って様々な功績を残すことができた。だが……』
息を吸うように間を置いてから、
『その形質は、子に継承してしまった。これはワシが悪い。それに気付いたのは死んでからだった。ワシは多くの研究をしていたから、昔にそんな研究をしていたのすっかり忘れていたんだ。これについては本当に悪かったと思ってる』
すまんかった、と軽く頭を下げられる。
(すまんかった……?)
話が具体的な分、説得力があり、俺はこれが夢であることを忘れ、拳を握りしめた。
「ふざけんなよ」
自分の口から出た声は、思ったよりも冷静そうに聞こえた。だが、内ではそれに反比例するように、熱いものがメラメラと燃え上がっていく。
なんだ、それは?
自分で、自分の遺伝子に自殺してしまうような機能を組み込んで、それが遺伝した?
それで俺が死んだ?
すまんかった?
目の前のじじいがとても憎たらしい何かに見えた。なんでこいつは、そんな大きなことをそんな軽く流せるんだ? なんだ、この態度は?
胡座をかいて、とても謝る態度では無い。
俺の中でのひいひいじいちゃんは、厳格で、真面目で、倫理的で。
尊敬していたからこそ、他者と比較しても自分のアイデンティティとして、自分の感情を、退屈感があるという苦痛すらも、優越感として感じることができていたのだ。
そして、その優越感だけが俺の苦痛を支えていた。
だが、その倫理的である筈のひいひいじいちゃんはこの、目の前の倫理かけらも無いクソじじいその人であるというじゃ無いか。
話が違うだろう。
何のために俺は今まで、その苦痛に耐えてきたというのか。
俺が尊敬していた……
(いや、違うか)
激昂している心の中で、冷静な部分が今までの自分を分析する。
俺はこいつを尊敬していたわけじゃなかったんだ。ただ、自分が感じている苦痛に対して、このクソじじいの崇高な思想を守ってきたという愉悦感を感じるために、俺はそういうふうに生きてきたのだと。
『ふざけんな? ワシが言いたいわ!お前は、自分がなんて無気力な生き方をしているんだと後悔したことが無いのか?ワシは、そういう何も考えない、のうのうといきてる人間が1番嫌だ!!生きていても死んでいてもおんなじような生き方だ!それなら死んでしまえばいい!!』
「極端すぎるんだよ!俺だって別にのうのうと生きたいわけじゃ無い!!第一、あんな世界でそんな生き方できるわけ無いだろ!!」
『じゃあ、そういう生き方が出来る世界に送ってやる!!』
じじいはそう言うと、顎を乗せていた手を側の形に握り、どすん!と、音を立てるようにそのまま真っ白な世界の床に打ち付ける。
何をしているんだと、言おうとした瞬間。
「うおっ!」
自分の足元を支えていたものが溶けるかのようにかき消え、体を急な無重力に包まれる。
『お前の生き方、見ているからな!!せいぜい必死に生きろ!!』
「お、おい!」
そんな怒声を最後に、俺は段々と意識が沈んでいく感覚に包まれ、まだ、言いたいことがあったのにという気持ちを引きづりながら……
やがて、意識が途絶えた。