平等な世界。不平等な世界。
この世界は平等だ。
西暦2150年。
科学技術を極めたこの世界に、もはや不平等と呼べるものは存在しない。
例えば容姿。
2048年の医療革命以降、遺伝改良に対する倫理的なハードルは大きく下がった。その背景には、少子高齢化に依る出生率低下があり、倫理などと言っている余裕は無くなったためだ。
出生率を増やすため、人の遺伝子改良は、大きく倫理から外れるような事がなければ自己と医療現場での間である程度の裁量を得た。実際、自分の子供が美男美女になると決まってからの出生率は右肩上がりだ。
その結果、子供の容姿を元の遺伝から来る物とは完全別物に変更することすら可能となり、様々な髪の色、瞳の色、肌の色の人間が溢れている。人種などの差別は既になく、だがそれでいて多種多様の人がおり、形の上で「多様性」は保っていると言えるだろう。
学力もそうだ。
容姿と同じように、今この2150年の世界には優秀なものしかいない。
その優秀なものの中で競争が生まれ、技術はどんどん発展し、今では不可能なことなど思いつく方が難しいと言った状況だ。
そうして技術的な特異点に近づけば近づくほどに、競争という感性を人々が持たぬよう進化、または遺伝的に「改良」されていき、今では2000年代初期によく唱えられた「平等」が言葉通りの世界であり、もはやそれが日常であり、わざわざ口に出す事もないほどなのだ。
真のこの平等な世界において、争いは存在しない。
遺伝操作を倫理的に許された今、そういった「争い」を好むような遺伝子は排除されているし、そもそも争いとは生き物の「進化」を促すもので、完全なこの世界において必要なものではない。
優秀な人間よりも、さらに優秀な人工知能、産業ロボットが循環的に動いており、寝ているだけでも意図した通りの世界を保守することが可能な環境である。
故に、この世界は「平等」なのだ。
「……退屈だ」
クラシカルなBGMを聴きながら、俺は真っ白の天井を見上げていた。
いつものことである。
この世界は退屈だ。
物心ついた頃からそう思っていた。
やるべきことの、目標というか何というか。
競争のないこの世界において、全力で何かに取り組まなければいけないという経験を積んでいるものはいないと断言できるほど、この世界は完璧に管理されているということを、16年の短い人生で理解してしまっている。
受験なんてものはない。
そもそも義務教育というものは、歴史的な単語の意味として知ってるだけだ。
人はただ、息をしているだけで良い世界だ。
だが、俺はその世界で常に呼吸困難だ。
「……」
競争、というものに憧れがあった。
他の人間には、無いであろうこの形質そのものが退屈という感情も作り上げているのであろう。
この感情が俺の中に残っているのは、俺のひいひいじいちゃんが、著名な生物学者で、遺伝改良を是としない人間だったからだ。倫理的にも、堅い人物で、おおよその人の精神に関わるような技術を用いた娯楽用具などは絶対禁止と譲らなかった。ひいひいじいちゃん亡き後も、代々とその意思は受け継がれている。
故に、太古ホモサピエンスの時代から受け継がれるこの遺伝子は、一切人工的な手は入っていない綺麗なものである。
ひいひいじいちゃんの信念は尊敬しているし、自負もある。だが、それのせいで、やはりこの世界で生きていきにくいのも事実ではある。
容姿について、この世界的には自信は全くないが、2000年代頃の写真と比較すれば、モデルにすらなれると思える程度には悪くない。
目立ち、鼻立ち、輪郭も、元来のものと考えれば、十分なほど整っている。整ってる筈だが……
「……はぁ」
俺は何となく天井に向けて手を伸ばした。
その視界には自分の手の甲と、指の隙間から見れる天井の白さだけが写ってる。
他の人間とは共有できない自分の感情のわだかまりの、なんとももどかしいことだろう。
(寝るか……)
いつも通りの日常。目を閉じて、俺は考える。
果たして、この世界に俺の居場所はあるのだろうかと。
☆
周囲は暗く、空には満月が浮かんでいた。
その月日に照らされるように、人が住むとしては大きく、雰囲気もそぐわぬような煉瓦造りの茶褐色の建造物が建っていた。
建物は一見、古びていて歴史を感じるが、よくよく見ればただ手入れを怠っていただけだとわかる。
所々生えた苔や、ツタなどが建物に絡み、その建物が森の奥地にあることも相まって不気味さを助長させていた。その建物の一室から聞こえる細々とした声。
「やめて、やめてください……」
若い女性のものだった。
悲鳴とも取れるような怯えた声がもれている。
その声を聞くものは周囲には一人しかいない。
「やめてじゃねぇよ!なんでお前が売れ残ってんだよ!!」
バシンっ!
だがそれは、女が悲鳴を出す元凶である。
女の細い体に鞭が払われ、おおよそ人の体からは出てはいけないようなぐしゃりという音が出る。
鞭を払われ、体のあちこちをあざだらけにしながらも、元々は美しかったであろう霞んだ金髪、澄んだ碧眼の目はぱっちりと大きく、だが、顔や口元は小さいその美少女っぷりは健在であった。だが、それでも、目を当てられぬ理由がそこにはあった。
女の体には異常があった。
左腕と、右足が無かったのだ。
これは生まれ持ってのものではない。
戦争に巻き込まれ、左腕、右足を負傷し、壊死してしまったために仕方なく切り落としたのだ。
切り落としてからも、ろくな治療を受けなかったからなのか、傷口は肉と骨が顕で、滲むというにはいささか多く出血をしていた。
「クソが……」
女に鞭を振るった男は、か綺麗な服に身を包み、黒いシルクハットをかぶっていた。夜の暗闇の中でありながら月明かりをテカテカと反射させるシルクハットが、男の表情を闇に落としている。
だが、男の声音からおおよその感情は理解できる。
男は激昂している。
男は、争いがあった地域を周り、戦争孤児や若い女を捉えてそれを売り捌く奴隷商である。
いま目の前にいる女も、同じような手口で拐ってきたものであった。
だが、その女は他に拐ってきた者たちとは少々違うところがあった。
「お前、『傾国のラティア』って噂になってただろうが!!」
「知りませんよ!そんなこと!!」
女は容姿が極端に良かった。
端正な容姿は噂され、それは女の出身である村だけにとどまらなかった。
近隣の村々はもちろん、王都にまで轟くほどであった。王国の貴族らからの招待すらあったというのだから、尚更である。
そもそも、この階級制の社会において、平民が貴族に招待されるはおろか、貴族を平民が直接見るということも難しい。それだけで、この女がどれほど見目麗しいかが分かるだろう。
それ故、奴隷商は女が高く売れることに期待し、結果手足を失ったために見目麗しくも売れ残ったことが許せなかったのだ。
要は八つ当たりだ。
「お願い、もう鞭打ちはやめて……暴力はやめて……」
女は涙を流しながら懇願した。
女は精神的にも肉体的にも限界が近かった。
そもそも、戦争が起こって家族を亡くしているし、その後、奴隷商に捕まり、奴隷に落とされ、さらにはスラリと美しかったはずの手足を1本ずつ失っている。
(どうして私がこんな目に合わなきゃいけないの……)
この世の理不尽に対して酷い憎しみを抱いていると、男は突如自分の腰ベルトをガチャガチャと外し始める。
「……もういい。せめて死ぬ前にお前を使っておいてやる」
思わず、ヒッ…っと口からもれ、なんとか右手と左足で地面の上を這いずるように逃げようとする。
その様子が男の琴線に触れたのか、ゲスみた笑い声を漏らしながら一歩、一歩と女に近づいていく。
「いや!誰か!!誰か助けて!!」
「こんなとこに誰も来るわけねぇだろ」
ケラケラと笑いながら、女に追いついた男は、女の足を踏みつけた。
女の進行が止まる。
女は悟る。この先に起こる自分の悲劇を。
目の前の地面が、溢れ出る涙によって滲み、点々とシミを作っていく。
「そうだ、そうだ。せめて対抗してくれよ。人形を犯す趣味はねぇんだ」
(お父さん……お母さん……ナディア……!)
吐き気すら催す中、死んでしまった家族たちとの思い出が走馬灯のように流れた。
ああ、私はこのまま凌辱され、そして死ぬんだ。
でも、死んでしまえばみんなのところに行ける……
絶望に染まり、五感の全てを手放してしまおうと現実逃避しようとした瞬間、
「いったぁっっ!」
悲鳴が聞こえた。
その悲鳴が奴隷商のものだったため、何か光明が指したかと、振り返ると……
そこには腕から光の棒を生やした奴隷商の男が苦悶の声を上げていた。