土台が大事ですよ。将軍さん
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では、どうぞ
摂津の淀川南側から河内、和泉、紀伊、大和、伊勢、志摩の大大名となった鷹司秀高。大大名になった翌月に朝廷より勅使が来訪し、右近衛中将へと昇進となった。
伊勢氏は家臣としてではなく公家として朝廷との連絡役とした。志摩の九鬼海賊は家臣として取り入れ、堺海軍の一員として東部方面担当とした。
この後、秀高は内政優先の方針を打ち出した。
税を調整し領内発展を行っている。
そして、内政重視に整備を進めていき、あっという間に1年が過ぎていた。
その間に、将軍家は山城、若狭、西近江を支配下に置き、細川との決戦の為に準備しているという。その手始めとして、将軍職を足利義晴から義藤へと移譲。義晴は大御所として義藤を支えている模様だ。
そんななか、新将軍に就いた義藤から会談の申し入れが来た。場所は、以前義晴と会談した場所である。
秀高は了承し供回り千を率いて寺へと向かう。
義藤も五百程の兵を率いて寺に到着し。会談を始める事となる。
仮にも将軍なので、秀高は下座にて義藤が入ってくるのを待った。
『将軍、足利義藤様が入られます』
従者の言葉に秀高は頭を下げて義藤を迎える。
『失礼致します』
秀高もまだ13歳と若いが、義藤はそれよりも若く感じる。
義藤はそのまま上座へとはならず、秀高の正面に座った。
『お初にお目にかかります。足利義藤でございます。父からお話は聴いております』
「はい。従四位下右近衛中将、堺守護鷹司秀高と申します。先ずは将軍への御就任、おめでとうございます」
『堺中将様よりその様なお言葉を貰えたこと光栄です』
「何を仰いますか。将軍様ともあろう御方が」
『言いなりの将軍がですか?』
「!」
『私はまだ10歳です。将軍といっても父の言いなりにやっているだけです。私には今、何の力もありません』
「ははは。まるで昔の私を見ているようだ」
『え?』
「私は父を8歳で失った」
『父上様を』
「そう。そして、父の遺言通りに堺に来たんだ。これが私の始まりでもあったんだ」
秀高は堺に初めて来たときの興奮。そして絶望を味わった事を義藤に話した。
「私も最初は力がなかった。大人達の言いなりで、働くのはとても大変だったよ。でも、その中で信頼できる仲間達を作った」
『仲間ですか』
「そう。仲間だ。仲間達と手を携え堺の為に動き回った。暫くして大人達はそれを認めてくれ私は今の地位にある。義藤殿も自分の仲間を集めるといい。そうすれば、一人で出来ないことを仲間達と協力して行うことができる。先ずは土台が大切ですよ」
『土台』
「どの様な建物でも、城でも。土台が弱ければ崩れてしまいます。私には支えてくれる民や商人達がいるからこそ堺は崩れないのです。人は城。人は堀。人は石垣というものです」
『なるほど。わかりました。私なりに強い土台を作って見せます』
「楽しみにしておりますよ」
秀高と義藤は一刻程の会談を終えると寺を出て別れた。
「(あれが剣豪将軍の若かかりし姿か。これからどこまで行くのか楽しみだな)」
『(あれが父が恐れている堺中将様か。確かに、纏っていた風格は私より三つ年上とは思えなかった。それが今、細川に代わり驚異と言っていたのは確かの様です。底知れない力を感じました)』
各々の思いは口には出さずに心に押し留めた。
堺に帰還した秀高は改めて、領内の安定に力を注ぐこととなる。
そんななか、急報が入った。
『三好長慶離反。細川晴元との決戦に勝利。四国、畿内を掌握』との知らせであった。
「土台が弱くなれば崩れるのも一瞬に。将軍さんにはいい勉強になったね~。しかし三好さんここでやるとは、勝負に出たんだな」
三好長慶の台頭により細川晴元は丹後と丹波に逃げるしかなく細川の権勢はつゆと消えたのであった。
そして今度は三好長慶が会談をしたいと松永久秀がやって来た。
「本願寺だと」
長慶が指定したのはなんと石山本願寺であった。
『はい。長慶様はその様に』
「わざわざ敵地に入ってくると」
『其ほどの姿勢がなければ堺中将様は動かないだろうとも』
「普通に御忍びで来ても話はするつもりですけどね」
『ははは。堺様は流石ですな。そういえば本城の方の建設は順調ですか?』
「えぇ。まぁ。今のところ予定通りですよ。人夫が増えてその分短縮してますので」
『成る程~。それは良かった。中々の規模なので心配致しまして』
「(いや、完全に狙ってるだろ。もう少しで本丸(天守以外)が完成するし全体の堀切も完成するから其まで戦は避けたいな~)まぁ。後六年ほど掛かりますよ。ですが地道にやるしかないですから」
『何かお手伝いすることがあれば、この松永に言ってくだされ』
「ははは。今のところ問題ありませんよ。では、長慶様に宜しく御伝えください」
『承知しました。では後日、本願寺で』
「はい」
一月後、秀高と三好長慶は本願寺の一室で会談をしていた。
「先ずは先の戦勝。おめでとうございます」
『いえいえ。何もかも堺様のお力添えのお陰かと。前に細川から離れるならばまだ時期ではないと言ってくだされたので。あのまま離反していたら負けていたのは某の方でした』
「その様な」
『御謙遜なされますな。当時は細川の土台は弱くなかった。しかし将軍家との戦で負けたことによりそれが揺らぎ、綻びが見えた。それを突いたまでです』
「そうですか」
『話は変わりますが、将軍義藤様とお話をしたようで』
「はい。良き話をすることが出来ました」
『では、堺様は将軍派に付くのですか?』
「将軍派?と、いいますと」
『政局の構造です。将軍家といえど嘗ての力は殆どなく、山城、若狭、西近江の勢力しかありません。それに比べ、西には大内、尼子、そして三好中央には堺。東は今川辺りと言ったところですが』
「どの勢力に付くかという話ですか?」
『いかにも。そして私は堺様と新たな勢力を創りたい』
「新たな勢力ですか?」
『はい。堺と三好が組めば、西は三好、東は堺で統治する。将軍家が難癖を付けてくると思いますが武力で脅せばよいこと。如何でしょうか』
「確かに、三好様と組めばそうでしょうな。ですが東西に分裂すればいずれ戦いになります。私が願うのは統一国家です。、、、ですが三好様と縁が切れるのは痛手です。ここは同盟という形で均衡を保ちませんか?」
『成る程、成る程。確かにそうですな。互いに争いたくなければ組めばいいと思っておりましたが。ふむ。、、、、わかりました。その同盟。受けましょう』
「ありがとうございます。では、証如上人に立会人をしていただき盟を結びましょう」
本願寺証如の立会のもと、三好と堺で同盟を結んだ。この情報は直ぐ全国に広まり、大名達を刺激することとなった。
三好、堺連合に負けないように勢力を拡大する大名が増え、戦が至るところで起こることとなったのであった。
ところ変わって京の室町御所では
『義藤。この同盟、どう見る』
『恐らく、三好は堺中将様と争いたくないという意思かと』
『堺中将はそれを汲み取り、盟を結んだと』
『はい。堺中将様が率いる軍勢は恐らく日ノ本一の軍勢となっていると思います。兵を養い、訓練し、軍備を整える。並みの財力では到底賄えません。堺という重要拠点があるのもそうですが他の国々でも銭がたくさん廻っています』
『成る程な。義藤。お主はどう動く』
『先ずは土台固めが重要かと。綻びがあれば直ぐに崩れます。それからでも、遅くはありません。最初の攻略目標は細川、若狭武田ですね』
『ふむ。よし。確りと土台を固めよ』
『はい』
『(堺様。何れあなた様と雌雄を決する事になるかもしれませぬ。其まで私は成長して見せます)』
秀高の思惑通りに進まぬ日ノ本の情勢は混沌とし始めるのであった。
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