木沢長政の誤算と畠山の処罰
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1542年 太平寺の戦い
木沢長政は細川氏綱と共に細川晴元と三好長慶、そして当時の木下日高の連合軍により敗退した。撤退中に追っ手に討たれそうになるがとっさに影武者を使い難を逃れていた。その後は晴元に近付き、晴元の後ろ楯を得て畠山での専横を行っていた。しかし、彼の心の中では堺に対しての憎しみがあったのである。
『(おのれ、堺の商人風情が政道を汚しよって。この度の災害にも口を出して来るなど、何様のつもりだ。しかも朝廷にも胡麻を擂り、官位を賜りそれが近衛少将とは笑わせる。たかだか十万石程度の小大名の分際で~)』
高屋城の自室で唸る長政の元に報せが来る。
『木沢様。堺の陣より物資と金を接収したとの事です』
『よくやった。武士と商人がどちらが上なのかこれで解ったであろうが。堺はまた物資等を持ってくるだろう。その際は再度接収するのだ。今度は今回より兵を沢山連れて行け。二、三千程並ば怯えて屈するだろう』
『はっ』
『(ふふふふ。堺め。我の為にその旨みを吐き出すがよい)』
その頃、堺から和泉国救援部隊本陣に向けて大量の物資が出発した。運搬員に化けた六千人の兵士を連れて。
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和泉国 堺救援部隊本陣
物資が強奪されたと報せを受けた翌日に秀高は本陣に入っていた。
「堺からの報せは?」
『はっ。昨日明朝、堺より出発したとの事です』
「よし。恐らく畠山は再度、物資を強奪しに来るであろう。確りと備えるのだ」
『『『はっ』』』
秀高が着陣して3日後、本陣に物資が運ばれた。兵糧、武器、火薬、鎧、金。完全に秀高は一戦する気満々である。
そして、物資が運ばれた事は長政の耳にも入った。ここで告げられたのは、大量の支援物資が搬入されたとの情報であった。
『よし、急ぎ向かうぞ。儂も行く』
長政は手勢二千を率いて堺本陣に向かった。
堺本陣の目の前まで着いた長政は興奮を隠せずにいる。
『よし、先ずは前回同様に行ってこい』
長政は部下に命じて本陣に向かわせる。その隙に物資集積所に半分の千人を向かわせた。
そして本陣から部下が出てくると血相を変えて長政の元に戻ってきた。
『き、木沢様』
『どうした。物資を寄越すと言ってきたか?』
『そ、それが。上の者を出せと』
『なに?』
『私より上の者を呼んでこいと』
『生意気な。解った。儂が行く(たかだか商人の分際で呼び出すとはな)』
長政は馬を進ませて本陣まで進んだところで違和感を感じた。
『(おかしいな?本陣の守りは皆無と聞いていたが、これは戦があっても対処できるようになっておるぞ。しかも武装した兵士が居るな。恐らく二百程か?前回を警戒しておるな)』
長政は報告者からは本陣は張りぼての陣であると報告を受けていた為である。
『木沢長政である。主に御伺いしたい』
『どうぞ此方に』
本陣に入り長屋の中に通された長政は驚愕した。
長屋の左右に机と座椅子が並べられ、そして奥の上座には高級感溢れる長机と座椅子が設置されていた。そして、その中央に自身が座るであろう椅子があった。
また既に椅子には堺の人間が座っている。
『どうぞお掛けください』
『忝ない』
案内役に促され座椅子に座る長政。その瞬間に奥の扉が開かれ、そこから秀高が入ってきた。
『(なっ、この男の威圧感は何だ!かような覇気は今まで受けたことがない)』
長政は秀高の覇気に平伏すしかなかった。
「面を上げられよ」
『はっ』
『御初に御目に掛かります。某、畠山在氏が家臣。木沢長政と申しまする』
「堺守護正五位下右近衛少将鷹司秀高です。此方こそ宜しく。木沢殿」
『さ、堺少将様』
長政は目の前にいるのが国のトップであると共に秀高が居るところで物資を強奪しようとしている事に汗が止まらずにいた。
「木沢殿。どうなされた?すごい汗だな」
『い、いえ。何分、緊張しておりまして』
「木沢殿程の御仁が私ごときに緊張する筈もなかろうに」
『そ、その様な事は』
「それで、この度は何用で来られたのかな?先程来た御仁によると物資を寄越せとの事だったが」
『うっ。そ、それは』
「何やら先日も押し掛けて来て物資を持っていったとも聞きましたが」
『それは、、』
「そして此度は武力で脅しに来ていると」
『め、滅相もない何か勘違いをしておいでです』
『報告。畠山勢一千が物資集積所を強襲し物資を全て持ち去りました』
『なっ』
「木沢殿。どうやら勘違いでは済まない様ですな。捕らえよ」
バッ
まさかの報告に呆然としていた長政を秀高は捕らえた。
「これより高屋城に向かう。出陣だ」
秀高は堺から呼んだ六千と救難部隊の二千を加えた八千で畠山の居城、高屋城へ向かった。
堺勢八千が来ていることに畠山家当主、畠山在氏は判断が下せないのに加え、木沢長政がその原因で、しかも捕らわれているということにも驚いていた。
『長政は何故、少将様に捕らわれたのだ』
『ど、どうやら堺の救難部隊の物資を強奪した模様です』
『な、なんだと』
『物資を運んできた兵達がいましたので聞いたところ物資を強引に取ってこいと指示を受けたとか』
『な、何故その様な事が出来るのだ。堺少将様は救援をしてくださっているのだぞ』
『殿。もう間も無く堺勢八千が来ます。降伏なされますか』
『いっ、戦と決まった訳ではなかろう』
『いえ、殿は堺少将様の書状をお読みになっていないのですか?書状には確かに『もし我が救難部隊の物資をいかなる理由でも勝手に持ち出した場合は宣戦布告と見なす』と記載しております』
『そ、そんな』
『殿。御決断を』
『今から召集していかほど集まる』
『集まっても三千かと』
『そうか、、、わかった。無駄な争いは避けたい。降伏しよう。少将様に降伏の使者を』
『はっ』
在氏は秀高へ降伏の使者を出した。高屋城への道中に秀高の元に使者が到着し、降伏の旨を伝える。
「断る」
『え?』
「断ると申しておる」
『な、何故で御座いますか?』
「何故?だと。お主は我が此度の災害の救援のためにどれ程の労力を出したと思うておる。着物、食料、生活必需品、何でも揃えて無償で与えているのにも関わらず。上の者が胡座をかき、挙げ句は強奪とは呆れて何も言えんわ。しかも、書状には勝手な事をしたら宣戦布告と伝えてある。畠山殿に伝えよ。戦場でお会いしよう。とな」
『そ、そればかりは。我が畠山に戦をする余裕など』
「戦を仕掛けてきたのは畠山である。現に我ら堺の物資を二度も盗んだのだ、そしてその際こちら側の兵が負傷している。これをなんだと言うのか」
『少将様。我が主、在氏とお話しください。弁解の余地は在りませぬが何卒』
「何を話せばよい。まさか木沢長政のしたことは我は何も知らなかったとでも言うのかね?臣下の統率が出来ていませんでした。等と理由にされても納得はいかないぞ」
『そ、それは』
「もう、話すことはない。戦場でお会いしよう」
使者はもうダメだと諦め席を立とうとした。
『総統。進言申し上げる』
「ん?何だ」
秀高の前に現れたのは兵部省から今回の軍の管理を担当している峰高明である。彼は孤児であったが秀高に出会い堺警備隊で共に切磋琢磨した付き合いが長い古株である。
『総統。兵を管理する将として、この度の降伏はお請けください』
「何故だ?」
『確かに畠山殿は約束を違えました。しかし、その主犯である木沢長政は既に我らの手中です。また、戦わずして勝つ。総統御自慢の兵法でもあります。このまま戦となれば要らぬ犠牲を出すのは勿論。総統の名声は崩れ信用を失い民は離れて行くでしょう』
「うむ。それはそうであるが、物資を盗まれ、負傷者が出ているのは事実だ」
『ならばそれを賠償として請求するのです。そうすれば無駄な犠牲も失った損失も補填出来ます』
「うぅむ」
『総統。お願い致します』
「よし。解った。話をしよう」
秀高の決断に使者はとても驚いたが喜んだ。
『で、では。直ぐに会談の段取りを』
「承知した。宜しく頼みます」
この後、使者は正に電光石火とまではいかないが馬を限界まで走らせて城に戻っていった。
「峰。済まないな。少し冷静さを欠いていた」
『いえ。総統がこれ程までに怒っているのは解りましたから』
秀高達も使者を追うように動き始める。そして高屋城城下まで到着する頃で再び使者が訪れる。
『少将様。会談の段取りは完了しております。城内にお入り下さい』
「承知した。案内を頼む」
城下を進み大手門の前まで来ると既に大手門は開かれており門の奥に敷物が敷けれ座椅子がある。そしてその傍らで正座をして待っている人物がいた。
「御初に御目にかかる。鷹司秀高です。畠山在氏殿で相違ないか」
『はっ。畠山在氏で御座います。少将様に御挨拶致します』
「では、早速話をしましょう」
『はっ。では、お掛けくだされ』
秀高と在氏は座椅子に座る。
『先ずは少将様に謝罪を申します。我が家臣木沢長政がとんだ無礼を働き誠に申し訳ありません。この度の責は全て当主である私が受けまする。どうか』
在氏は非を認め、その責を受けると秀高に伝える。
「畠山殿のご意志は解りました。では、まず始めにこの度盗まれた物資を確認いたしましょうか」
パチン
秀高が手を叩くと救難部隊の司令官が帳簿を秀高に持ってくる。
「さて。、、前回、つい3日前に盗まれた物は食料、一万石。銭三千貫。そして今回盗まれたのが食料、一万五千石。銭、四千貫。合計で、食料二万五千石。銭七千貫となりますな」
『そ、そんなに』
「はい。して、この食料と銭を如何するおつもりですかな?」
『銭に関しては直ぐにでも返済致します。しかし1回目の食料は既に』
「配ってしまったと」
『はい』
「そうですか。では、管理者に問いましょうか」
パンパン
秀高が再度手を叩くと今度は捕縛された木沢長政が連れてこられた。その瞬間、在氏は動揺し顔を青くする。
「猿轡を外せ」
『はっ』
従者に猿轡を外された長政は口で大きく呼吸をした。
『ふぅ、ふぅ、はぁぁ。はぁぁ。と、殿』
「さて、長政殿。最初の物資と今回盗んだ物資の集積場は何処かな?」
『そ、それは』
「早く言いなさい」ビシッ
秀高は持っていた少し丈夫な扇子(鉄扇子ではない)で長政を叩いた。
『くはっ』
『少将様。何をなさるのです』
「この者は既に罪人です。罪人を処罰するために行っている事ですので口出し無用。さぁ長政殿。潔く吐かれよ」
『集積場を教えることは出来ない』
「そうですか。では、ここでおさらばですね」
『え?』
「磔にし銃殺せよ」
『『はっ』』
『まっ、まってく、ふがぁぁ』
長政は再度猿轡を施され連れていかれる。
「罪人は確りと処罰しなければなりません。致し方ない」
『な、長政』
「さて、畠山殿。今回の強奪に対する賠償として食料三万石。銭一万二千貫を請求します」
『そ、そんな。それは余りにも横暴です』
「盗人の親玉が何を今さら。この度の物資を運ぶ労力をお分かりか?貴公の家臣により、余計な出費と労力が掛かっているのだ。なんなら戦でもいいのですよ。そうなれば賠償として河内、和泉を譲渡してもらうだけですので」
『そ、それは脅しで御座いますか?』
「脅しと言えば脅しですね。しかし在氏殿考えても見てくだされ。土地を失い生き延びるのか、土地があったまま後生を過ごすか?よくよく考えてみるのです。因みにですが和解に応じてくださるのなら今後、河内、和泉の商業発展に協力しましょう。そうなれば税収も増えて、国が豊かになるでしょう。その手伝いをさせていただきますが如何ですかな?」
『家臣達と話し合いをしても宜しいですか?』
「勿論です。では、今日はここまでにしましょう。話が纏まりましたら御呼びください。それまで、引き続き救難支援を行ってますので」
秀高は席を立ち高屋城をあとにする。そして城下の外に陣を敷き救助等を再開したのであった。その間も高屋城にて在氏と家臣達による評定が行われる。そしてその評定は4日も費やしたのであった。
評定で決議したと在氏からの使者が秀高を訪ねてきた。
「承知した明日。登城致しますとお伝えくだされ」
と使者に伝える。
そして翌日に秀高は綺麗な正装で高屋城に登城した。
広間に入った秀高は在氏の正面に静かに座る。
『長らくお待たせ致しまして申し訳ございませんでした。ようやく決断が出来ましたので御報告致します。この度。我が畠山は堺へ食料三万石、銭一万二千貫を賠償させていただきまして、つきましては私畠山在氏は隠居し。河内と和泉は少将様に割譲致します。これが我々の決断です』
「そうですか。しかし何故、割譲すると」
『少将様が仰っていた後生をゆっくりと過ごしたいのもありますが。何より家臣達を少将様の様な優れた主の元で活躍させたいと思いまして』
「それで河内と和泉を私に譲り、自身は一線から去ると」
『勝手ながら』
「拒否致します」
『え?』
「私はただ今回の賠償をしていただきたいだけです。河内も和泉も今は欲してはいません。在氏殿が非を認め、責を取り賠償をすると言った。それで満足なのです」
『で、ですが』
「むしろ。今の貴公なら今後、どの様に内政を行っていけばいいのか解ったのでは有りませぬか?」
『それはそうですが』
「ならばこそ。在氏殿の後ろにいる家臣達と共に成し遂げるべきです。微力ながら私も商業の面で御支援致します」
『少将様。、、、、私で宜しいのでしょうか』
『殿』
在氏の後ろにいた家臣の一人が叫ぶ。
『殿。我々も殿と共に歩みたいと思います』
『殿。我々にもやり直す機会を』
『『『殿』』』
『お、お前達』
「どうやらこの度は在氏殿の負けですかな」パンパン
ガラッ
秀高が手を叩くと広間の襖が開かれる。
『『『え!』』』
『殿』
そこには汚れた作業着を纏った木沢長政であった。彼はこの四日間救助活動の最前線で作業をさせられていた。
『長政』
『殿。この度は私の行動でこのようになってしまい、申し訳ありません』
長政は深々と頭を下げた。
『この四日間。少将様の救難部隊と行動を供にし被害の全容と民への救済、そして民の有り難さを学ばせて戴きました。もし、機会が有るならば殿の元で今回の償いと領内の発展の為に奉公させてくだされ。お願い致します』
長政は頭を下げたまま今回の失態の償いと奉公をさせてほしいと在氏に嘆願する。そして数十秒沈黙が続いた後。
『長政。顔を上げてくれ』
『はっ』
『これからも、皆と共に宜しく頼む』
『あ、ありがとう、ございます』
在氏は秀高の方に向きを変え
『少将様。この度は、御迷惑を御掛けしてしまい申し訳ありませんでした。少将様のお陰で皆、目を覚ましました。これからも宜しくお願い致します』
これにて、畠山の内政は一新される事となり。翌年から新方針で歩んで行く事となる。
そして、秀高は大和、河内、和泉、摂津南部を掌握。天下に近い人物と全国に知れ渡ったのであった。
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