第1話ー戦国の世に転生しましたー
皆様。
おはようございます。またはこんにちは。はたまたこんばんわ。
作者の久之浜です。
前作の豊臣家による豊国時代から長い月日が経ちましたが二作目になります。
宜しくお願いします。
目を覚ますと、見慣れない木組みの天井が視界いっぱいに広がっていた。
「(どこだ、ここ……)」
体を起こそうと力を入れる。しかし、思うように動かない。腕も足も驚くほど小さく、指先に力も入らなかった。
「(どういうことだ……?)」
混乱したまま周囲を見渡そうとしても、首を少し動かすのが精一杯だ。
夢かと思った。
だが、鼻をくすぐる畳の香り、障子から差し込む柔らかな日差し、どこかで薪の燃える匂い、どれも妙に現実味がある。
試しに声を出そうとした。
「……あう?」
自分でも驚いた。
出てきたのは大人の声ではなく、赤子の泣き声だった。
「(まさか……俺、赤ん坊になってるのか!?)」
何度か声を上げる。
「あうっ! あうっ!(誰か! 誰かいませんか!)」
すると、慌ただしい足音が近づいてきた。
障子が開き、一人の女性が部屋へ入ってくる。
『ありゃあ、元気だねぇ、高坊。どうしたんだい?』
柔らかな笑みを浮かべながら、女性は俺を抱き上げた。
温かな腕に包まれ、不思議と安心感が胸に広がる。
「(この人が……母親なのか)」
すると、奥の部屋から男の声が聞こえた。
『なか、どうした?』
がっしりとした体格の男が部屋へ入ってくる。
日に焼けた肌に逞しい腕。農民らしい身なりをしているが、その立ち居振る舞いにはどこか武士のような雰囲気も感じられた。
『あんた、高坊が呼んでいたんですよ』
『そうかそうか。寂しかったのか、日高』
男は豪快に笑いながら俺の頭を優しく撫でる。
『しかし、本当に大きくなるのが早い子だ』
「(日高……それが俺の名前か)」
ふと、前世の記憶を思い出そうとした。
「(そういえば俺の名前は……)」
だが、肝心なところだけが霧の中へ消えたように思い出せない。
仕事は。
家族は。
友人は。
何もかも曖昧だ。
残っているのは、現代日本で生きていたという知識だけだった。
『日高。このまま元気に育ってくれれば、我が家も安泰だ』
「あい」
意味も分からず返事をすると、二人は顔を見合わせて笑った。
こうして俺は、木下日高として第二の人生を歩むこととなった。
ーー日高が生まれて三年後ーー
俺が三歳になった頃、弟が生まれた。
母・なかが大事そうに赤子を抱いている。
『日高。この子がお前の弟だよ」
「名前は?」
『日吉だ』
その一言を聞いた瞬間、全身に電流が走った。
「(待てよ。……ここは尾張の中々村で木下。……おいおいまさか。……俺の弟は、後の豊臣秀吉なのか!?)」
歴史の知識が一気によみがえる。
天下統一を成し遂げた戦国の英雄・豊臣秀吉。
しかし、史実に兄がいたという話は聞いたことがない。
「(つまり俺は、この世界で歴史が変わった存在なのか)」
眠る弟を見つめながら、俺は静かに拳を握った。
「(こいつが秀吉なら、こいつだけは、何があっても守らなければならない)」
それが、木下日高として最初に決めた目標だった。
ーーそれから数年ーー
体が自由に動くようになると、俺は毎朝欠かさず体を鍛え始めた。
最初は柔軟運動。
次に屈伸。
腕を回し、足を上げ、深呼吸をする。
前世では当たり前だったラジオ体操第一である。
すると、それを見ていた村の子供たちが真似をし始めた。
「日高兄ちゃん、それ何?」
「体を丈夫にする体術だよ」
適当にそう答えると、翌日には人数が増えていた。
一か月後には大人まで参加し始める。
「これをやると肩や腰が軽くなるのでな」
「畑仕事が楽じゃわい」
いつの間にか村では、**『日高直伝の体術』**と呼ばれるようになっていた。
「(いや、それラジオ体操なんだけど……)」
内心で苦笑しながらも、村人たちの健康づくりに役立っているのなら悪い気はしなかった。
悪い気がしなかったが、日高直伝の体術が村中へ広まってからあっという間に一年ほどが経った。
子どもたちはもちろん、大人たちまで毎朝体を動かすようになり、村全体に活気が生まれていた。
そんなある日、俺は父・弥右衛門の後ろを歩きながら田んぼを眺めていた。
既に稲穂が全て刈り取られ、残っているのは地面から少し生えている部分だけであった。
だが、刈り取り跡の田んぼを見ると列や間隔に統一感がなく、過度に密集している個所もあった。
「(もっと収穫量を増やせるはずだ)」
日高は前世の知識を思い出す。品種改良までは無理でも、苗の育て方や植え方を変えるだけで収穫量はかなり変わる。もちろん、この時代の道具では限界もある。
それでも、飢えに苦しむ人を少しでも減らせるなら挑戦する価値は十分にあると思い、弥右衛門に直談判をする。
「お父」
『どうした、日高』
「田んぼを一枚だけ貸してほしいんだ」
弥右衛門は足を止め、不思議そうな顔でこちらを見た。
『田んぼを? お前が耕すのか?』
「うん。試してみたい作り方があるんだ」
『試してみたい作り方?』
「苗の育て方と植え方を少し変えるだけだよ。もし上手くいけば、もっとたくさん米が採れると思う」
父は腕を組み、しばらく黙り込んだ。
六歳の子どもの言うことを簡単に信じられるはずがない。
当然の反応だった。
『日高。お前はその歳で、どうしてそんなことを知っている?』
思わず言葉に詰まる。
前世の知識がある、などと言えるわけがない。
「夢で……白い髭のお爺さんが教えてくれたんだ」
戦国時代では夢のお告げは珍しい話ではない。
少々苦しい言い訳ではあったが、父は難しい顔のまま空を見上げた。
『夢のお告げ……か』
やがて大きく息を吐き、笑みを浮かべる。
『よし。一枚だけ貸してやる。失敗しても責めはせん。好きなようにやってみろ』
「本当!? ありがとう、お父!」
思わず飛び跳ねると、父は豪快に笑った。
『はっはっは。そこまで喜ぶとはな』
翌年から俺は田づくりを始めた。
まずは土を丁寧に耕し、水の量を調整する。
村の大人たちは「子どもの遊び」と思っていたようだが、それでも手伝ってくれた。
『高坊、このくらいでいいか?』
「う~ん。……もう少し土を細かくしてほしい」
『ほう、こんなに丁寧にやるのか』
次に行ったのは種籾の選別だった。
塩水を使う方法は難しいため、この時代でもできる範囲で、粒の大きい種だけを選び抜いていく。
苗代を作り、丈夫な苗になるまで育てる。そして十分に育った苗だけを田んぼへ移した。
植える間隔も、できるだけ均一になるよう木で作った簡単な目印を使う。
最初は面倒そうにしていた村人たちも、作業を続けるうちに違いへ気付き始めた。
『おお、真っ直ぐ植えると見栄えもいいな』
『こっちの方が作業もしやすいぞ』
少しずつではあるが、村人たちも俺のやり方に興味を持ち始めていた。
季節は巡り、秋。
収穫の日がやって来た。
田んぼ一面に黄金色の稲穂が揺れている。
その様子を見た弥右衛門は目を丸くした。
『……これは凄い』
稲穂は他の田んぼより一回り大きく、実の付き方も明らかに違っていた。
『高、お前の田んぼだけ穂の付き方がまるで違うじゃないか』
「ちゃんと育ってくれて良かったよ」
『御天道様のおかげだけでは説明がつかんな』
刈り取りを終え、脱穀を終えた頃には村中が騒ぎになっていた。
日高の田んぼだけ、昨年より収穫量は1.5倍、米粒の大きさも同様であったのである。
『こんなことが本当にあるのか……』
『高坊、そのやり方を教えてくれ!』
『来年はうちもやってみたい!』
気が付けば村人たちが次々と家へやって来るようになっていた。
俺は惜しむことなく知っていることを皆へ伝えた。
「誰か一人だけ豊かになっても意味がない。村全体で豊かになろう」
その言葉に、大人たちは深くうなずいた。
こうして翌年には、中々村全体で新しい田植えの方法が取り入れられることになった。
だが、収穫量が増えれば、それを狙う者もまた現れる。
それは、獣。
そして、欲深い人間たちである。
俺は秋空を見上げ、小さく息を吐いた。
「(……そろそろ次の問題を考えなきゃいけないな)」
収穫を終えて数日後。
俺は家の縁側で一枚の木板を前に腕を組んでいた。
炭で書き出したのは、今後この村で起こり得る問題である。
「(米は増えた。でも、収穫量が増えれば、それだけ目立つようになる)」
木板に一つずつ書き記していく。
・収穫した米を狙って猪や鹿などの獣が村へ下りてくる。
・村を守るための柵や見張りが整っていない。
・収穫量が増えれば役人の目に留まり、年貢を増やされる恐れがある。
・村に武芸を教えられる者が少ない。
書き終えると、小さく息を吐いた。
「(問題は山積みだな……)」
そこへ畑仕事を終えた弥右衛門が戻ってきた。
『日高、何を難しい顔をしておる』
「お父、この村には足りないものが多すぎるんだ」
木板を差し出すと、弥右衛門は目を細めながら読み進めていく。
『……なるほど』
最後まで読み終えた父は、感心したように俺を見た。
『日高、お前は六歳とは思えぬほど先を見ておるな』
「考え過ぎかもしれない。でも、何か起きてからじゃ遅いと思う」
父は静かにうなずく。
『その通りだ。この話は次の村の寄り合いで皆にも聞いてもらおう』
「お願い」
数日後。
村の集会所では、庄屋をはじめ村人たちが顔を揃えていた。
弥右衛門は日高の考えを書き写した木板を皆の前へ置く。
『今日集まってもらったのは、この村の今後について話し合うためだ』
村人たちは真剣な表情で耳を傾ける。
『まず一つ。収穫が増えたことで、獣が里へ下りて来る可能性が高くなる』
『確かに今年は山の様子がおかしい』
『猪の足跡も増えておるな』
次に年貢の話へ移ると、場の空気はさらに重くなった。
『役人が知れば、納める米を増やせと言ってくるかもしれん』
『そればかりは避けようがない』
『いや、領主様へ相談すれば……』
『防衛まで面倒を見てくださるとは思えぬ』
次々と意見が飛び交うが、決定的な解決策は出ない。
その時だった。
ドンドンドン!
激しく戸が叩かれる。
『誰だ!』
勢いよく戸が開き、息を切らした母・なかが飛び込んできた。
『大変だよ! 山から鹿と猪が下りて来て、畑を荒らしてる!』
『何だと!?』
集会所の空気が一変する。
『村の者達は!?』
『今のところけが人はいないよ。でも日高が』
『日高がどうした!』
『浪人衆と一緒に獣を追い払うって、小太刀を持って飛び出して行ったよ!』
『馬鹿者っが!!』
弥右衛門は立ち上がると、家へ駆け戻った。
押し入れから一本の太刀を取り出し、腰へ差す。
農民として暮らしていた男の姿は消え、かつて武士だった頃の鋭い眼差しが戻っていた。
『皆の衆! 村を守るぞ!!』
『『おおっ!!』』
村の男たちは鍬や槍、鉈を手に取り、一斉に駆け出した。
一方その頃、村外れでは日高が浪人たちへ指示を飛ばしていた。
目の前には鹿三頭と猪四頭。
興奮した猪は鼻息を荒くし、今にも突進してきそうだった。
「慌てないでください!」
俺の声に浪人たちが振り向く。
「猪は正面から来ます! 柵持ちは前へ! 左右はゆっくり囲んでください!」
『おう!』
「竹槍隊は後ろへ回って逃げ道を塞いでください! 絶対に無理をしないで!」
村人たちは日頃から体術を続けていたこともあり、以前よりも素早く動けていた。
少しずつ包囲網が狭まっていく。
猪たちは逃げ出そうと、前方に突進する。
『来るぞっ!』
丸太で組んだ即席の柵へ激突し、大きな音が響いた。
だが、村人たちは踏ん張った。
「今です! 槍隊!」
『おおおっ!!』
浪人たちが一斉に槍を突き出す。
猪が悲鳴を上げて倒れ込む。
倒れた猪たちをみて逃げようとした鹿も、左右から回り込んだ村人たちによって追い立てられ、最後は浪人たちの槍によって仕留められた。
こうして害獣駆除という戦いは終わった。
地面には鹿三頭、猪四頭が横たわっている。
そこへ弥右衛門たちが駆けつけた。
『日高! 無事か!』
「お父!」
俺は汗を拭いながら笑顔を見せた。
「みんなのおかげで勝てたよ。」
弥右衛門は周囲を見渡し、倒れた獣の数に息をのむ。
『……これを、お前たちが倒したのか』
「そうだよ。浪人さんたちも村のみんなも頑張ってくれたんだ。」
そう答えると、浪人たちは笑いながらうなずいた。
『日高坊の作戦があったから勝てたんだ』
『誰一人怪我人を出さずに済んだのは、お前さんのおかげだ』
その言葉に、弥右衛門は何も言わず息子の頭へ手を置いた。
その目には、確かな誇らしさが宿っていた。
倒した獣を前に、村人たちは歓声を上げていた。
『これだけ獲れれば、しばらくは肉に困らんな』
『猪も鹿も丸々と太っておる』
浪人たちは手際よく獣の解体を始める。
その様子を見ながら、俺は弥右衛門のもとへ歩み寄った。
「お父」
『どうした、日高』
「この肉だけど、村のみんなに均等に分けようと思うんだ」
弥右衛門は少し驚いた表情を見せた。
『全部配るのか? お前たちが苦労して仕留めた獲物だぞ』
「俺一人じゃ倒せなかった。それに、村のみんなが元気じゃなきゃ意味がないから」
しばらく俺を見つめていた弥右衛門は、やがて穏やかに微笑んだ。
『そうだな。それがお前らしい。好きにするといい』
「ありがとう、お父」
その日の夕暮れ、中々村では久しぶりに獣肉が各家へ配られた。
焼けた肉の香ばしい匂いが村中に漂い、子どもたちの笑い声があちこちから聞こえてくる。
『こんなに猪肉を腹いっぱい食べたのは何年ぶりじゃ』
『高坊には頭が上がらんな』
年老いた老人は涙ぐみながら肉を頬張り、母親たちは子どもたちへ嬉しそうに肉を取り分けていた。
その日を境に、村の空気は少しずつ変わっていく。
獣が現れれば、男たちは槍や弓を手に集まり、浪人たちの指揮のもとで迎え撃つ。
女たちは炊き出しを行い、子どもたちは水や道具を運ぶ。
誰か一人が戦うのではなく、村全体で村を守るという意識が芽生え始めたのである。
さらに、毎朝の日高直伝の体術と肉を食べる機会が増えたことで、村人たちの体つきにも変化が現れ始めた。
以前よりも体格が良くなり、畑仕事や山仕事にも力強さが増していく。
もちろん、俺自身も例外ではなかった。
よく食べ、よく学び、よく体を動かし、十分な睡眠を取る。
そんな生活を続けた結果、七歳になった頃には同年代の子どもたちより頭一つ分ほど背が高くなっていた。
そんなある日の夕方。
俺は父の部屋で、父が手入れをしている一振りの刀を眺めていた。
質素な拵えではあるが、刀身は今でも美しく輝いている。
「お父」
『何だ、日高』
「俺、刀を打ってみたい」
弥右衛門は目を丸くした。
『刀を?』
「うん。自分だけの刀を作ってみたいんだ」
『刀なら、そのうちこの刀をお前に譲るつもりだったが』
弥右衛門は自身が手入れしている刀へ視線を落とす。
長年使い込まれたその刀には、多くの戦を潜り抜けてきた重みが感じられた。
俺は静かに首を横へ振る。
「その刀は日吉に譲ってあげて」
『お前は、それでいいのか?』
「俺は俺の刀を持ちたい。それに、お父の形見になる刀なら、日吉が持つ方がいいと思う」
弥右衛門は少し驚いたように目を見開いたあと、小さく笑った。
『形見とは、まだまだ死ぬつもりはないぞ』
「もちろん知ってるよ」
二人で顔を見合わせ、思わず笑みがこぼれた。
『……そうだな。熱田に古くから付き合いのある商人がおる。事情を話してみよう。うまくいけば、堺の刀鍛冶を紹介してもらえるかもしれん』
「本当!?」
『ただし、紹介してもらえるかどうかは向こう次第だ。期待し過ぎるなよ』
「うん!」
数日後。
弥右衛門は熱田の商人へ宛てて手紙を書き、一人の旅商人へ託した。
それから十日ほどが過ぎた頃、一通の返書が届く。
封を開いた弥右衛門は、思わず苦笑した。
「何て書いてあるの?」
『……たった一言だ』
父は紙を俺へ見せる。
そこには力強い筆で、こう書かれていた。
――『堺に来い』――
「やった!」
思わず声を上げる俺に、弥右衛門も苦笑しながら頷いた。
『出立の準備を始めるとしよう』
摂津の国、堺
この時代、日本一の商業都市。そして名工たちが集う刀鍛冶の町。
俺の胸は期待で高鳴っていた。
だが、その喜びも長くは続かなかった。
翌朝、家中に、母の悲鳴が響き渡ったのである。
『あんたっ!!』
俺は飛び起きると、急いで父の部屋へ駆け込んだ。
布団の上には、苦しそうに胸を押さえる弥右衛門の姿があった。
「お父!」
呼び掛けても返事はない。
顔色は青白く、額には大量の汗が浮かんでいる。
俺の胸に、不安が一気に押し寄せた。
「(まさか……ここで、お父が……)」
俺はすぐに弥右衛門の傍らへ駆け寄り、その肩を揺すった。
「お父! しっかりして!」
しかし、返事はない。
荒い呼吸を繰り返し、苦しそうに胸を押さえている。
母は今にも泣き崩れそうな顔で俺たちを見つめていた。
『どうしよう……どうしよう、日高……』
「お母、落ち着いて!」
俺は必死に頭を回転させる。
前世で医者だったわけではない。
それでも、このまま何もしなければ助からないことだけは分かった。
「水を!」
母は慌てて台所へ駆けていく。
俺は弥右衛門の額へ手を当てた。
「(熱い……。)」
かなりの高熱だ。
胸を押さえていることから胸の病か、それとも急な発作か。
子どもの俺には判断できない。
そこへ、騒ぎを聞き付けた庄屋と浪人たちが駆け込んできた。
『弥右衛門殿!』
『どうされた!』
「父が急に倒れたんです」
浪人の一人が脈を取り、険しい表情になる。
『脈はある。しかし、このままでは危ない』
庄屋が顔をしかめた。
『医者を呼ばねばならん』
『だが、この辺りに医者はおらんぞ』
『熱田まで行けば町医者はいるが……』
『馬で飛ばしても半日は掛かる』
部屋の空気が重く沈む。その言葉を聞いた瞬間、俺はある人物のことを思い出した。
「(そうだ……堺。)」
堺へ来るよう手紙を送ってきた熱田の商人。
あの人物なら、腕の立つ医者や薬師に心当たりがあるかもしれない。
俺は勢いよく立ち上がった。
「庄屋様」
『どうした、日高』
「俺、熱田へ行きます」
一同が驚いた表情で俺を見る。
『何を言っておる。お前はまだ七歳だぞ』
「でも、このままじゃお父が死んじゃう!」
部屋の中が静まり返る。
俺は皆の顔を見回した。
「熱田の商人さんなら力を貸してくれるかもしれない。堺へ来いって手紙をくれた人だよ」
弥右衛門から事情を聞いていた浪人の一人が腕を組む。
『……確かに、その商人なら顔は広い』
『ならば、誰かが熱田へ向かうべきだ』
庄屋も静かにうなずく。
『日高一人では行かせられん。浪人衆から二人付けよう』
『承知した』
俺は眠るように横たわる父を見つめ、固く拳を握る。
「(絶対に助ける……。今度こそ、大切な家族を失うものか)」
浪人二人とともに熱田へ向かった俺は、昼夜を問わず馬を走らせた。
幸いにも町医者はすぐに見つかり、事情を話すと荷をまとめて中々村へ向かってくれた。
しかし――。
村へ戻った時には、既に家の前へ多くの村人が集まっていた。
嫌な予感が胸を締め付ける。
家へ飛び込むと、母・なかが父の手を握り締め、静かに涙を流していた。
「……お父」
返事はない。
眠っているような穏やかな顔だった。
町医者は静かに首を横へ振る。
『……あと1日、早ければ』 その一言だけで十分だった。
俺は父の枕元へ膝をつき、震える手でその手を握った。
まだ少しだけ温もりが残っている。
「……ごめん」
俺は助けられなかった。
父を。
家族を。
守ると誓ったはずなのに。
拳を握り締める。
悔しさと無力さで涙が止まらなかった。
外では、秋風が静かに稲穂を揺らしている。
あの日、父と並んで眺めた黄金色の田園風景は、もう二度と戻らない。
俺は父の冷たくなり始めた手を強く握りしめ、心の中で静かに誓った。
「……俺は必ず、親父のように立派な男になってみせる」
その誓いは、父へ捧げる最初の約束となった。
――第1話 戦国の世に転生しました 完――
誤字脱字。等がありましたら教えて下さい。出来るだけ早く訂正致します。それまでは暖かい目で見守ってください。




