7. 学園生活の目標
結局、ホームルームが始まるまで、私の元に誰も挨拶に来ることはなかった。
クラスメイトは全員が遠巻きに私を見つめ、ヒソヒソと何かを言っている。私の耳は常人と変わらぬ聴覚なので、何を言っているのかはわからなかったけれど、こちらを見て会話している様子から、私に関する何かなのだろうなと予想した。
ほんの少し、彼女達の目には警戒と畏怖が混ざっていたので、やはり私は怖がられているのだろう。
……まぁ、来ないのであれば、それでいい。
必要以上に付きまとわれても邪魔なだけだし、この学園で私に接触する者は、『ヴィオラ』としてではなく『カステル家の令嬢であるヴィオラ・カステル』として見てくる者がほとんどだろう。こちらを利用する気満々な奴らと慣れ合うつもりはない。
私利私欲のことしか考えない『狸』や『女狐』などの馬鹿どもは、こちらが使い物にならないと思った瞬間、あっさりと手の平を返す。
そいつらと仲良くしろという方が、無理な話だ。
「お嬢様は面倒な人ですね」
というのは、ルディの言葉だ。
「そんな面倒な女に付き従う貴方は、何なのかしら?」
「決まっています。──ただの馬鹿ですよ」
ルディは笑う。
何の迷いもなく、自分のことを馬鹿だといい、こんなにも面倒な女を慕う男。
──ああ、それは確かに、ただの馬鹿としか言いようがないな。
「ルディも面倒なのね」
だから私も笑ってやった。
互いに面倒で、互いに捻じ曲がった性格をしていようと、私達はこうやって波長が合っている。
……なら、それでいいじゃないか。
そんな二人の歪な波長が、一番居心地良いと思ってしまうのだから。
私達のクラスを担当する教師は、平凡そうな見た目をしていた。大人しめの茶髪で、眼鏡を掛けている細目の男性。名前はアストレイ・グランツというらしく、下の階級ではあるものの、一応貴族ではあるらしい。
私のクラスに平民は居ない。
……ああ、いや、『ルディ』という例外は居るものの、基本は貴族階級を持つ生徒だけで構成されたクラスだ。
貴族の中には、平民と同じ空気を吸いたくないと言う傲慢な者もいる。最悪、ルディにもいちゃもんを付けてくるかと思っていた。実際のところ、平民である彼を睨み付けている令嬢も、クラスメイトの中に混ざっていた。
でも、直接文句を言う度胸は持ち合わせていないらしい。
それは私が公爵家の長女であり、敵に回すと厄介だからなのだろう。……こういう時だけは、権力があって良かったと思える。結局、『カステル家』を利用しようとしている最大の女狐は私だったというわけだ。
──と、話が逸れた。
つまり、貴族の中には平民を嫌う者が多く存在する。
だから担任も貴族階級を持つ者が選ばれたのだろう。
他のクラスには興味がなかったけれど、クラスによっては平民と貴族が一緒だったり、平民だけで構成されていたり、私達と同じように貴族だけで構成されていたりと、案外バラけているようだ。
平民と貴族が混ざって大丈夫なのかという心配はあるけれど、流石に学園側も馬鹿じゃない。傲慢な馬鹿貴族は混合クラスから真っ先に排除され、貴族だけのクラスに組み込まれている。
叶うのであれば私も混合クラスに行きたかったと言ったら、ルディには苦笑されてしまった。
混合クラスに行けば彼も変な視線を向けられることがなくなり、教室の居心地が良くなると思ったけれど、流石にそこは公爵家の令嬢として我慢するべきなのだろう。ルディにもそのようなことを遠回しに言われた。
納得はしたけれど、不満は残っている。
でも、私がわがままを言っても仕方ないと思い、ルディのお願い通り我慢することにした。
風の噂で『カステル家の令嬢が学園でわがままを言っている』と両親の耳に入ったら、後で何を言われるか……。それを考えたら『わがままを言う』なんて愚行はしない。
ただでさえ私は面倒な立場に立たされているのだ。
これ以上変なことになったら、おそらく私はどこかで爆発する。
──面倒なことと言えば、もう一つある。
これはクラスメイトのヒソヒソ話から聞こえたのだが、この新一年生の中には我が国『アクセラ王国』の第二王子『アレイクス・ルート・アクセラ殿下』も居るらしい。
私達のクラスではないというのは知っているけれど、後でどこのクラスに所属しているのかを確認しておく必要がある。
勘違いしないでほしいのは、別に私が殿下と会いたいから調べるのではない。
むしろその逆で、会いたくないから調べるのだ。
クラスを事前に知っておくことで、そのクラスを避けて通ることができる。第二王子に接触するとロクなことが起きないと、私の勘が囁いているのだ。確証は無いけれど、そんな気がしてならない。絶対に面倒なことになって、絶対に私が頭を抱えることになる。
だから、なるべく彼とは関わらないように気を付けて行動する。私の学園生活の目標、その2だ。
ちなみに目標その1は『目立たずひっそりと卒業する』だ。
──カーン、カーン。
鐘の音が教室内に響き渡る。
授業終了の合図だ。
「えー、では、後半は説明した通りだ。トラブルを起こさないように気を付けてくれ」
その言葉を最後に担任は教室を出て行き、クラスメイトもまばらに席を立ち始める。中には何人かのグループで教室を出ていく姿も見られた。不思議なのは、皆次の授業の準備をしようとしないところ。逆に筆記用具などを鞄に詰めて帰る準備さえしている者も居た。
横を向けば、何とルディまでノートなどを鞄に仕舞い込んでいた。
私は首を傾げ、彼の肩を突く。
「ねぇルディ? 皆、何をするの? 次の授業は10分後に始まるし、どうして帰る準備をしているの?」
「はぁ?」
と、純粋な質問に返ってきたのは、何言ってんですかと言いたげな「はぁ?」だった。
「お嬢様、担任の話聞いてました?」
「いいえ、全く」
「そこは嘘でも『ちょっとは聞いていた』って言いましょうよ……はぁ、困ったお嬢様だ」
ルディは額に手をつき、呆れたように息を吐き出した。
「次の授業は学科選択です。だから皆、支度をしているんですよ」
「がっかせんたく?」
こてんっ、と首を再び横に倒す。
「くそっ、いちいち可愛いな……じゃなくて、お嬢様、本当に何も聞いていなかったんですね」
「ええ、嘘を言っても意味ないじゃない」
「それなら最初から聞いてくださいと言いたいんですけど……」
ジト目で睨むルディ。従者が行なって良い態度ではないけれど、主人に対しても素の自分を出すところは彼らしい。
「それで、学科とは何? 何を選択すれば良いの?」
「え、そこから?」
「え、どこから?」
「…………学科については入学式でも説明があったんですけど……って、そうかお嬢様はそうだった。はぁ……」
何かが始まる前に、彼はすでにお疲れの様子だ。
それの原因は私なので、少し申し訳ないと思う反面、記憶が無いのだからそちらの常識で動かれても困るという気持ちが半分を占めていた。
……まぁ、担任の話を聞いていなかったのは完全にこちらが悪いので何とも言えないが、学科については本当に何も知らなかった。
もしかしたら私も入学式で聞いたのかもしれないけれど、その時は記憶の欠如と状況整理で混乱してそれどころではなかった。だから覚えていないどころか、耳に入ってすらいなかったのだ。
「とりあえず歩きながら説明します。ほら、皆も行っちゃいましたし」
その言葉に首を回すと、教室に残っているのは私とルディだけだった。
みんな行動早いなぁ……と思っていた私に、手が差し伸べられる。
「早く行きましょう。まずはどこへ行きたいですか?」
「どこも何も……何があるかすらわからないから、早く説明してくれる?」
「…………はい、わかりました」
ガクッと肩を落とすルディは、なぜか今にも泣きそうな面をしていた。
正論を言ったと思うのだけれど、何か変なことを言ったかしら?
意図が読めない彼の行動に、私は三度、首を傾げるのだった。