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5. 孤独


「今日は侍女達とお庭で遊んだの!」


「おおそうか! メアリは元気なのだな」


「ええ、本当に……将来が楽しみだわ」


 夕食どきのカステル家の食卓には、賑やかな声が響き渡っていた。

 そんな中、私は一人……出された料理を口に運ぶ。



(味を、感じないわね……)


 カストル家が雇っている料理長は、一人でレストランを開けるほどの腕を持っている素晴らしい人だと聞いている。

 そんな人が作った料理なのに、不思議と味を感じなかった。


 味は……付いているはずなのだ。

 おかしいのは、私の味覚。


 ──きっと、味を感じられないほど感情を押し殺しているのだろう。


 帰宅してから出してくれたルディの紅茶は美味しかったというのに、こんなにも家族(他人)と取る食事は不味くなるのかと、私は感情を顔に出さず、そう思っていた。


 そんな私を視界にも入れず、他の三人は柔らかな雰囲気を纏い、『家族の団欒』というものを楽しんでいた。

 ……今更、羨ましいとは思わない。それは必要無いと先程決めた、邪魔な感情だ。




「ねぇ! お姉様もそう思うでしょう?」


 急に向けられた明るい声。

 それは三人の中心に居た私の妹、メアリーのものだった。


 彼女は純粋なのだろう。

 だから、私がこうして一人で黙々と食事を取り、会話に参加してこないのを不思議に思う。そんな純粋な子供が抱くのは『仲間外れは可哀想』だ。




 ──余計なお節介よ!




 と言いたくなる衝動を抑える。今言ってしまったら、妹を溺愛している両親から何を言われるかわかったものではない。


「ええ、メアリーの言う通りね」


 私は笑顔の仮面を被り、頷く。

 そして意識を料理に向けたところで、冷酷な声が食卓の場に響いた。


「お前の妹が話しかけてきたのだ。もっと愛想よくできないのか」


 父は、メアリーに向けるような優しい笑顔を掻き消し、無能を見るかのような軽蔑の眼差しを私に向けていた。彼の横に座る母もまた同じで、食事中だというのに口を扇子で隠し、目元は嫌なものを見ているかのように歪んでいる。


 ……こうなることなら、最初から私に構わないでくれと、切にそう願う。


「……申し訳ありません」


「お父様! お姉様が困っているでしょう? そんなことを言うのはダメです!」


「おお、そうかそうか。すまなかったな、メアリー」


 父は一瞬にして表情を切り替え、妹に謝罪した。

 もちろん、私への謝罪は皆無。


 だが、妹はそれで満足したように、大きく頷いた。



 ──ああ、なるほど。

 私はその茶番を眺め、一人納得していた。


 彼女の笑顔は、何一つも憂いを帯びていなかった。きっと彼女はどうしようもないほど純粋な心を持っているのだろう。



 だから、甘い。


 自分の理想が常にこの屋敷にあると思い、それを決して疑わない。美しい花畑の中で育ち、周囲からは甘い言葉を吐かれて育ち、全ての人を平等に思う優しき心が、彼女に芽生えてしまった。


 それは一種の狂気だ。

 皆はそんな妹を褒めるのだろう。なんて心優しき令嬢なのだと、心打たれるのだろう。でもそれはただの幻想でしかない。そんな甘い言葉だけで生きていけるような世の中だったのであれば、カリーナはあの程度で死んでいなかった。


 ルディの言う通り、この屋敷は異常だ。狂っている。父も母も、妹も。それを傍観するだけの使用人達も、全てが等しく──狂っている。


 そんな中、自我を保てている私もまた、狂っているのだろう。


 甘い幻想の中でしか生きられない愚直な妹と、それを心から支持する両親。そんな無能の傀儡になる使用人。呆れるほどの、茶番だ。


(ああ、確かに……ここで幸せになれないわ)


 私は静かに、溜め息を洩らしたのだった。






 それから三人は再び私を蚊帳の外に追い出し、ぺちゃくちゃと会話を弾ませていた。料理が少しも減っていないのは、喋ってばかりだからだ。

 食事の場では会話は最低限しか話さない。それはマナーとして常識のことであり、あの時代から何年も経った今でも、変わらないはずだ。目の前の三人はそれができていないのだから、私の中で彼らの価値が暴落していくのは、当然の結果だった。


 それとは逆に、私は出されたコース料理のほとんどを食べ終わるところだった。


 これ以上、この場に留まるのは拷問でしかない。


「……失礼します」


 私はゆっくりと頭を下げる。

 反応は誰からも帰ってこない。彼らの中に、すでに私の存在自体が消失しているように、三人は会話を途切らせることはなかった。




「ほんと、可愛げの無い子……」


 食堂を離れる時、それだけが耳にこびりついて離れなかった。






「お嬢様」


 声が聞こえる。

 私は立ち止まることなく、広い廊下を静かに歩き続けた。


「お嬢様……」


 いつにも増して優しげで、こちらを心配してくれるただ一人の従者の声。


「なぁに、ルデ、ィ……?」


 部屋に戻り、後ろを振り向いた私は言葉を失った。


 先程まで私を呼んでいた優しき声とは裏腹に、ルディの表情は今にも爆発しそうなほど、憤怒に燃え上がっていた。苦虫を噛み潰した程度のことではない。この世の地獄を見てきたかのようなそれは、私を以ってしても恐ろしいと思ってしまう。


「……ルディ、折角の顔が台無しよ?」


 彼が私のために怒ってくれるのは、ありがたいと思う。でも、私は何とも思っていないのだ。この程度のことでルディが怒りを覚える必要は、何一つ無い。


 頬に触れ、優しく撫でる。


「ルディ。私は大丈夫よ」


「お嬢、さま……っ、申し訳、ありません」


「ルディが謝る必要は無いわ。私が無理を言って晩食に出席すると言ったのよ。だからルディは何も悪くない。悪いのはあの三人。そうでしょう?」


 ヴィオラはこのことを知っていて、普段は家族と夕食を共にすることは無かったらしい。いつも私室に料理を運んでもらい、体調不良を理由にして一人で食べていた。


 なんて悲しいことだと思いながらも、あの空間で食べるのに比べたら、一人で食べたほうが料理も美味しく味わえるだろう。


 でも、私はそのことを何も知らなかった。

 だからルディの反対を押し切って、現状を理解するため、あの夕食に参加した。


 結果は、まぁ……最悪だ。

 私も二度とあんな奴らとは食を共にしたくない。


「貴方の謝罪はわかった。だからっていつまでもメソメソしないの。男でしょう?」


「……なんか、お母さんみたいですね」


「あら、母性でも出ていたかしら?」


「いいえ、全く」


 素直に「この野郎」と思った。純粋無垢な笑顔でハッキリ言われたのだ。そう思うのも当然だった。


「ふんっ、冗談を言えるくらいには回復したようね。……まぁ、いいわ。そろそろ眠くなってきちゃった。ホット」


「ホットミルクですね。すぐに用意します」


「……まだ完全に言ってなかったけど」


「お嬢様はいつも寝る前にホットミルクを飲まれるので、どうせ同じことを言うのだろうと……その様子を見るに、当たりですね」


「ぐぬぬぅ……わ、わかっているなら早く持ってきてちょうだい!」


「はいはい。わかりましたよ。お嬢様」


 ルディは一礼して部屋を出ていく。

 途端に、私室が寂しくなったような気がした。


「はぁ……」


 私は溜め息を漏らす。

 今後、我が身に降りかかる災いを予想したら、自然とそれが出てしまった。



 ──本当に面倒なことになった。


 いっそ、平民に生まれ変わることができたら……と思う。そうすれば最悪な両親を持ったとしても、自由に動くことができた。


 我慢できなくなったら家出してしまえばいい。それだけのことで、私は本当の意味で自由になれただろう。


 なのに、公爵家の長女として生まれ変わってしまった私の現状は、最悪の一言だった。次女だけを愛する両親と、それをスポンジのように吸収して甘く育ってしまった我が妹。到底味方してくれなさそうな使用人達。


 味方はただ一人、ルディ。

 でも、彼もいつ私を見限るかわかったものではない。


 彼は絶対に私から離れないと言っているけれど、本心は誰にだって見抜けないのだ。裏ではどうやって私を裏切ろうとか思っているかもしれない。


 彼を信用するほど慣れ親しんだ覚えは無いし、友情程度で心を許すほど私は甘くない。


 まだルディは信じない。

 でも、利用はさせてもらう。

 今後は公爵家という重荷が足を引っ張る時が出てくるだろう。対処するとしても、私一人の行動では限界がある。




「はぁ……嫌な女ね」


 利益と不利益でしか人を判断できない。

 そこまで人への信頼を失ってしまった私自身に、私は呆れていた。




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