23. 困った血縁
屋敷に戻っても、私達の帰りを待っている者はいない。
それがいつも通りだった。
──でも、今日は違った。
「ヴィオラお姉様!」
ぴょんぴょんと跳ねるように走ってきたのは、私の妹、メアリーだ。
予想外の人物の登場に私は一瞬反応が遅れてしまい、その隙に妹は正面から抱きついてきた。
日々鍛えているおかげで倒れるようなことはなかったけれど、急に襲いかかった衝撃を受け止めることができず、一歩下がる。
「お姉様、おかえりなさい!」
恐ろしいほどの無邪気な笑顔を向け、メアリーは私に「おかえり」と言った。
「え、ええ……ただいま。えっと、お父様をお母様はどうしたの?」
キョロキョロと見回しても、金魚の糞のようにメアリーの後を追っていた二人の姿が見えない。玄関の方には幾人かの侍女が見えたけれど、それだけだ。
「お姉様聞いて? お父様もお母様も酷いのよ! どこかから届いたお手紙を読んだと思ったら、すぐに馬車で何処かに行っちゃって……私も行きたかったのに、連れて行ってくれなかったの!」
「…………急なお仕事だったのでしょう。メアリーを連れていくことはできないから、お留守番を頼まれたのではなくて?」
「でもっ! 私も行きたかったの! だからお願いしたのに、酷いわ!」
私は頭が痛くなった。
まさか、妹のわがままがここまでになっていたとは……あの馬鹿二人はこの子に何を教育してきたのだと、小一時間問い詰めたい気分になったけれど、流石にしない。そんな面倒事に首を突っ込むような真似をするわけがない。
でも、これは流石に酷い。
まるで自分が望めばなんでも叶うと信じて疑わない妹。
…………やばい、どう考えても同じ家族だとは思えない。
「お二人はどちらへ?」
事情を知っているだろうメイド長を呼び、問う。
「旦那様、奥様は王城へ……」
「そう」
二人してわざわざ王城へ赴いた理由は、国王陛下からの呼び出しがあったらだろう。
メアリーのわがままを聞き、妹も連れて行ったら、無礼以外の何物でもない。王城に招待していない者を連れ込むのは、たとえ誰であろうと禁止されている。
まだそこら辺の常識は残っているらしく、私は安堵した。
ここでも妹を優先したのであれば、流石に縁切りを考えていたくらいだ。
「ねぇお姉様。一緒に遊びましょう?」
「え、今から……?」
「ええ! 私、今日はまだ遊び足りないの。侍女達は危険だからってお外に連れ出してくれないし、退屈だったの!」
よかった。使用人達もまだ正常らしい。
屋敷の主人が居ないうちに、そこの息女を屋敷から連れ出すなんてありえない。
そのことにメアリーは不満を抱いているようだけど、侍女の判断は正しかった。
「……ごめんなさい。私、疲れているから部屋に」
「お姉様も遊んでくれないの!? お姉様も一緒なら、侍女も文句を言わないわ! 一緒にお買い物しましょう?」
──私が一緒にいてもダメだろうが!
と、つい飛び出しそうになった本音を、ぐっと飲み込む。
「──メアリー様。お嬢様はお疲れですので、そこまでにしていただけますか」
どうしようと困っていると、ルディが助け舟を出してくれた。
「私はお姉様と遊ぶの! お父様とお母様が帰ってくるまででいいから、お願い!」
「なりません。ご容赦ください」
駄々をこねるメアリーに、ルディは酷く冷淡だ。
私に向けてくれるような表情は別人のルディだと思うほど、とても冷たくて、とても怖い。
あの視線が私に向けられたなら、私はきっと立ち直れなくなるだろう。
そう思うほどの変わりようだった。
「えぇ〜?」
メアリーはつまらなそうにしている。
それは当然だ。今ままで思い通りになっていたのに、今日で二回もお願い通りにならなかったのだから。
「メイド長。メアリー様をお連れしてください。しっかりと屋敷の中で休ませるように」
──世話役なら手綱くらいは握っておけ。
遠回しにそう言ったルディに、メイド長は怒ることなく、むしろ申し訳なさそうに眉を下げた。
侍女達の気持ちはわかる。
メアリーに不満を持たれ、両親に陰口でもされたら、彼女達は容赦なくクビを切られるだろう。
新たな雇い主も、他の仕事も見つけられていない今、野放しにされると生活していけない。だからメアリーに嫌われないよう、上手くやって行くしかない。
でも、ルディはそんなものに臆することなく、メアリーを嗜めた。
それは私が彼のことを絶対に見捨てないと信じているから、そういったことにも躊躇いがないのだろう。
──信用されている。
それがわかって、私は少し嬉しくなった。
「さ、お嬢様。部屋に戻りましょう」
侍女達に連れられ、渋々と屋敷の中に戻って行ったメアリーを見送った後、ルディは私に手を差し伸べた。
その表情は満足気に笑っていて、先程の冷たさは微塵も残っていなかった。
私は手を取り、同じように微笑む。
「私、ルディに嫌われないように頑張るわ」
「…………はぁ?」
「多分ね? ルディに嫌われたら私はダメになるかもしれない。だから、頑張って嫌われないようにするから、貴方も私のことを嫌いにならないでね?」
「え、えぇと……お嬢様? どうしてそうなったのです?」
理由を問い詰めようと身を寄せるルディに、私はもう片方の手で制する。
「待って。理由は聞かないで。……でも、私は貴方のことを信用していることだけは理解してちょうだい」
「はぁ……いや、俺もお嬢様以外は眼中にありませんが、って……本当にどうしたんですか?」
「何でもないの! さ、戻りましょう!」
「ちょ待、お嬢様!? エスコートするの俺! これ逆ですから!」
私はルディの手を掴み、ずんずんと歩き出す。
何か後ろで喚き声がした気がするけど、私が後ろを振り返ることはなかった。
──お嬢様以外は眼中にない。
その言葉を、何回も心の中で反復する。
後ろを振り返ることなんてできない。
今の顔を、ルディに見せられない。
きっと今の私は──とてもニヤニヤしているだろうから。