15. 彼らの言葉に価値はない
「よく来てくれた、ヴィオラ・カステル」
生徒会が所有する『サロン』のソファに腰掛け、威厳のある声で私を出迎えたのは、黄金に輝く髪と、キリッとした目つきが特徴的な男子生徒だった。
彼の名は、ベルディア・ルート・アクセラ。
アクセラ王国の第一王子であり、一つ上の学年の先輩だ。
「お招きいただき、ありがとうございます。お久しぶりでございます、殿下」
私はスカートの裾を摘み、優雅にお辞儀してみせた。内心では盛大に笑顔が引き攣っているけれど、それを顔に出さないよう、必死に笑顔を貼り付ける。
「頭を上げよ。このサロンでの出来事は、全て無礼講という決まりだ。座ってくれ」
──無礼講だとしても、無理ってものがあるでしょうが!
「……はい。失礼します」
とは口に出さず、私は促されるまま殿下の対面に腰をおろした。付添人のルディは、その後ろで待機だ。
「従者も、座っていいのだぞ?」
「いえ、殿下。それは遠慮させていただきます。殿下の護衛様も、そのようにしていますので」
殿下の後ろに立つのはダイン・マクレス。
彼の護衛として控えているのだろう。ダインは憮然とした態度で、真っ直ぐを見つめている。殿下の護衛が立っているというのに、こちらの従者を座らせるわけにはいかない。
やんわりと断りを入れると、殿下は「そうか、残念だ」と一息……早速本題に入る。
「まずは、私の従者が迷惑をかけたな。すまなかった」
「…………いえ、殿下が謝ることではありません。なので、謝られても困ります」
「……だが、その割には納得していないという顔をしている」
「これは殿下がしたのではなく、その従者がしたこと。私としましては、その本人からの謝罪が今の所一切無いことに、不満を抱いています。……殿下、この場は無礼講、なのですよね?」
「あ、ああ……そうだ、な」
殿下が頷くのをしっかりと見届けた私は、ティーカップをカチャリと置き、ダインを強く睨みつけた。
「では、単刀直入に言わせていただきます。いくら殿下の従者といえど、今回のことは到底許せるようなことではありません。女性に触るだけではなく、胸を触る。しかも騎士の戦いの最中のことです。謝罪も無しに、彼は自らから始めた決闘を逃げ出しました。そこら辺の無礼については、どのようにお考えですか?」
「どのように、とは……」
ダインはたじろぐ。
視線は泳ぎ、指先は微かに震えている。
動揺を隠し切れていないということは、今回自分がやらかした事の重大さを理解しているのだろう。
しかし、その程度のことで止まってやるほど、私は優しくない。大衆の目の前で胸を触られたのだ。
追い詰めるところまで追い詰め、苦しめてやる。二度とこんな馬鹿なことをしでかさないよう、徹底的に潰してやる。その際に心が折れる程度、誤差の範囲内だろう。
「ダイン・マクレスは騎士にあるまじき行動をしました。殿下は、彼が決闘を始めた理由をご存知ですか?」
「ああ、本人から聞いている。ヴィオラ嬢が遊び感覚で来ていると勘違いし、稽古場から追い出すために決闘を申し込んだと」
「…………そのような理由だったのは正直驚きですが、その証言からわかる通り、私は冤罪をかけられた上に、騎士の決闘を強制的にさせられ、女としての辱めを受けました。この、公爵家の長女である私に」
──これは公爵家への侮辱と捉えてもよろしいですね?
「ま、待ってくれ! それは、」
言い切った私に、ダインは堪らず口を開いた。
だが──
「ダイン。口を閉じろ」
「──っ、はい」
反論しかけたダインを、殿下が嗜める。
それは私でも思わず圧されそうになるほどの気迫で、ダインは悔しそうに歯噛みしながら、大人しく引き下がった。
「さて、私としては、ダインはこれでも大切な護衛役なんだ。失脚させられるのは困るな」
「あら、それでは王族の一言で全ての罪を無かったことにすると? そのような横暴が許されるでしょうか」
「……そういうわけではない」
殿下は首を振った。
「今回の件。本当に申し訳ないと思っている」
「謝罪は無用ですわ。そのような言葉、何の価値もありませんもの」
「価値は無い、か……ヴィオラ嬢は、噂通りのお方なのだな」
「…………その噂というものに異議を申し立てたいところですが、今は不問としましょう」
どうせ聞いても、ロクなことは出てこない。
殿下は聡明な方だ。その程度の噂話で、何もかもを決めつけるような人では無いけれど……本当のところはわからない。
私のことを知っている人は、私に近づこうともしない。こうやって普通に会話が成立していることが、奇跡のようなものだ。
でも私は、それで心を開くことはしない。
それは自分を殺す行為だと理解しているから……。
「殿下はどうなさるおつもりですか? 護衛が大切なのは理解していますが、ダイン様を庇う必要はありません。むしろ、彼を庇うと危なくなるのは貴方の方です。…………私には、幾人かの理解者が居ます。その意味、聡明な殿下ならば、理解されているでしょう?」
「私を脅すのか?」
実のところ、そんなものはない。
ヴィオラの記憶を全て失っている私が、そんなコネ作りをしているわけない。でも私には『噂』がある。それを味方にし、交渉の材料とした。バレれば一気にこちらが不利になる。
──だから私は笑った。
何も口に出さず、ただ殿下に微笑みを返した。
「──くくっ、はは、ハッハッハッハ!」
俯き肩を震わせていた殿下は、次第にその震えが大きくなり、堪え切れなくなったのか盛大に笑い始めた。
ここまで感情を露わにするとは思わず、私もルディも、ダインすらも驚きを隠せないでいた。皆、大爆笑する殿下を見つめ、何も言えずに、本当にただ見守っている。
「あはは、はぁ……すまない。まさか、この俺が脅されるとは思っていなかったもので、つい、面白くなってしまった。俺が思っていた通り、ヴィオラ嬢は面白い人だ」
ひとしきり笑った後、殿下は立ち上がって私の前まで歩き、そして深々と頭を下げた。
「すまない。俺は貴女を見縊っていたようだ」
「……私は合格でしょうか?」
「ああ、正直に言って想像以上だったよ。……ほらダイン。お前もそろそろ謝れ、この馬鹿」
「うぐっ、で、殿下……ちょ、まだ心の準備が……!」
「心の準備とか知るか! そんなガキみたいなこと言って、それでも騎士になる男なのかお前は! ほら、早く謝れ!」
殿下はダインの首根っこを掴み、再び私のところに戻って頭を押さえつけた。王子に相応しくない強引な行動だけど、これが演技していない『ベルディア・ルート・アクセラ』の本性なのだろう。
私としては、こちらの方が好みだ。
「──ヴィオラ様」
ダインの方に視線を向けると、彼は真剣な面持ちでこちらを見つめていた。それは私に決闘を申し込んだ時と同じようで、でもその瞳はあの時とは違う──迷いのない騎士の色をしていた。
「本当に、すまなかった。俺は貴女を勘違いしていた。これは許されないことだと、重々承知している。だが、どうか、許していただけないだろうか」
──俺が差し出せるものは、何でも差し出す。だから許してくれ。
ダインは頭を下げる。
「私からも頼む。そちらが望むことは、何でも差し出そう。だからダインを許してやってくれないか?」
殿下も、同じように言った。
でも、私はずっと口を閉じたままだ。頭を下げる二人の男を、ただ静かに見下ろす。黙り込む私に、ルディも不安になったのか、「お嬢様……」と口を開く。
「私が望むものを、貴方がたは何でも差し出す。その言葉に偽りはありませんか?」
「ああ、俺にできることなら」
「…………そう、ですか」
溜め息を一つ。私は目を閉じた。
「そんなもの要りませんわ」
ぴしゃりと、私は彼らの言葉を断った。