13. 二人の差
最初に動き出したのは、ダインだった。
「うおぉおおおおおおお!!!!」
猛き雄叫びを放ちながらこちらに突進してくる様は、まさしく猪。しかもその猪は剣を持っているのだから、相当厄介な相手となる。
──と、若干の現実逃避をしている間に、ダインは後2、3歩で私に到達するまで来ていた。
「──お嬢様っ!」
ルディの焦る声で私は現実に戻り、剣の構えを切り替えた。
「一撃で終わらせる!」
速度を乗せた突きの一撃。
鎧を纏っていない私が直撃したのであれば、タダでは済まないだろう。ちょっと掠っただけでも大怪我が予想される攻撃が、目前まで迫っている。
幾度となく戦いを乗り越えている戦士でも、その迫力に圧倒されて体を硬直させる。
──ダインの狙いはそれでもあるのだろう。
必要の無い雄叫びと、派手な動き。そして余りにも大雑把な突き。それらを踏まえた結果、そのように考えたのだ。
「──甘いわよ」
でも私は臆さなかった。
この程度の迫力。私に剣術を指南してくれた『師』に比べたら、ただの無邪気な殺気と同じだ。
私は突き出される剣の先に合わせてこちらの剣を滑らせる。私の右肩を狙った剣先は大きく逸れ、ダインはバランスを崩しながら私の横を通り過ぎた。
この間、私は一歩も動いていない。
「……なんっ、だと!?」
ダインは自分の身に起こったことが信じられないのか、地面に手を付き四つん這いになりながら、驚愕に満ちた声を発した。
──だが、流石は次期騎士団長候補と言ったところか。
すぐに立ち上がり、次は警戒心を剥き出しにさせて剣を構え直した。
「…………何をした」
「さて、何のことでしょう?」
「とぼけるな!」
ダインは吠え、私に肉薄する。
次は大きく振りかぶった上段からの振り下ろし。私は剣を斜めに構え、彼が振り下ろす剣の切っ先を撫でるように受け流し、再び前に倒れそうになる彼の体を半身だけずらして躱す。
ドシャッという音がすれば、またダインは地面に這いつくばっていた。
「あらあら、お犬さんかしら?」
くすくすと笑えばダインは挑発に乗り、顔を真っ赤にさせながら切り掛かってくる。そしてまた適当な場所へ受け流すと、彼は三度、地面に倒れこんだ。
何度か剣を交えたところで、私は不意に思い出した。
……この姿には見覚えがある。
目標に向かって突撃し、何度躱されてもすぐに襲いかかるその姿。
これは猪ではなく──闘牛だ。
昔、一度だけ闘牛が主役となっている催しに参加したことがあるけれど、今の状況はまさしく闘牛と闘牛士の戦いだった。
「……牛肉って、美味しいですよね」
「いきなりなんだ!」
「……いえ、特に深い意味はありませんわ」
「だったら、試合に、集中しろ!」
こうして他愛ない話を繰り返している間も、剣戟の応酬は続いている。……と言っても、主に剣を振っているのはダインの方で、私はそれに合わせて攻撃を受け流しているだけ。
──未だ私は、試合開始から一歩も動いていなかった。
何度も重い一撃を受け流しているけれど、あまり疲労は感じていない。
ダインの剣は確かに重い。大柄の男が繰り出す一撃は、岩さえも砕く威力を誇っているだろう。
でも、それだけだ。
彼の攻撃はただ重いだけで、それ以外は何も感じない。これでは、力任せに剣を振り回している子供と一緒だ。その子供がめちゃくちゃ大きくなった進化系が、ダインという男なのだろう。
何事にも中身が必要だ。
どんなに凄いものだろうと、中身が薄っぺらいものならば価値は見出せない。
ダインの剣は、外面が凄いだけで実は何も篭っていない無価値なものだった。
それに彼は、何かを迷っているように感じる。
師匠なら何回か剣を交えるだけで相手の気持ちを理解したんだけどなぁ……と懐かしくなり、やっぱり私はまだまだだなと思い知った。
師匠のおかげでカリーナは強くなったけど、実際のところ、私もそれだけだ。剣に気持ちは入っていないし、気持ちを入れたところでどうとは思わない。
カリーナならば、それで問題なかった。この決闘もすぐに決着が着くくらい、呆気ないものとして終わらせることができていただろう。
でも、今の私はヴィオラだ。カリーナほど筋力は無いし、体力も無い。それでも剣を交え続けられるのは、私が一歩も動いていないからで、私以上にダインの剣が空っぽだからだ。
彼の剣に何も無いからこそ、簡単に受け流すことができてしまう。その合間に受け流す方向も自由に変えられるのだから、それは相当だ。
「何だ! 何なのだ貴様は!」
一歩も動かない私に対して、ダインは動き回っている。
それはまさしく闘牛のように、立ち止まることを知らないのかとツッコミを入れたくなるほど、私の周りを忙しなく動き回っている。
私がそうさせているのだ。わざとバランスが崩れるように受け流し、右へ流した次は左へ流して動きを誘導させ、無駄な体力を消耗させている。
彼はまだ人間の領域を出ていない……というのは当たり前のことだけど、それなら体力が無尽蔵ではないはずだ。こうして動き回っていれば、人は必ず限界が訪れる。
最初は元気に駆け回っていたダインも、今では動きが鈍くなっていた。
息は荒くなり、元より乱雑に振り回していた剣は、更に適当なものとなっている。足取りもおぼつかなく、ちょっと足払いしたら簡単に転んでしまいそうだ。
「あら、もう限界ですの?」
わかりやすい挑発。
女に馬鹿にされるという行為が、彼のプライドを逆撫でするのだろう。面白い具合に反応してくれて、面白いくらいに動きが雑になる。
本当に今まで剣術学科最強を名乗っていたのかと疑ってしまうほど、ダインが私の手中で転がってくれている。
私は決して強い方ではなかった。
この剣技も、ただの護身術程度にしか思っていなくて、師匠も「王女様はそれでいい」と言い、最低限のことしか教えなかった。
なのに、私がダインを圧倒しているのはなぜか?
それは時代なのだろう。
あの時はいつ襲われてもおかしくなかった。常に周りでは戦争が起こっていて、戦うことでしか自分達を守る手段が無かった。
王族だろうと、貴族だろうと、平民だろうと……。皆が力を持たなければ、生きていけない時代だった。だから最低限のことにも必死になって、足掻いて、強くなった。
でも、今の時代は違う。
戦争は起こっていなくて、『平和』そのものが時代として成り立っている。剣戟は人を魅了するための舞でしかなく、その剣で人を殺すという考えを持っているのは、王族直属の『近衛騎士』くらいだろう。それでも『殺すことになるかもしれない』程度の認識でしかなく、そんな時代の中で身につけた剣術が、あの時代の剣術に勝てるはずがない。
心の持ち方が、根本から違うのだ。
その違いが今、はっきりとした実力差となって現われている。
「っ、ぐぅ!」
ここでダインが体のバランスを大きく崩した。
もうすでに剣を握る握力すら無いのだろう。軽く弾いた剣は彼の手から離れ、くるくると宙を舞う。
「くそっ……!」
でも、彼は諦めなかった。
それは彼のプライドなのだろう。
最後まで諦めることはせず、本当の限界が訪れるまで足掻き続ける。
そして彼は倒れそうになりながらも、私へ手を伸ばし────
ふにゅん。
緊迫した空気をぶち壊す、柔らかい擬音が聞こえた……気がした。
「──ん?」
視線をダインから彼の腕に、彼の腕からその手元に、その手元は私の胸を鷲掴みにしていた。
「…………あらあら、これは……」
流石の私もこれは予想しておらず、思わず力を入れ忘れた手から剣がすり抜け、地面に落としてしまった。──カランカランという音が虚しく聞こえてしまうのは、なんとも不思議なことだった。
「な、ななななななっ!?」
ダインは自らの犯した失態を理解したのか、彼の震えが胸から直接伝わってくる。
「あの……そろそろ、その手を退かしてもらえるかしら?」
「──ハッ!? す、すまんんんんんんん!」
ダインは逃げ出した。
顔を耳まで真っ赤にさせ、今までの疲れはどこに行ったのか、脱兎の如く全力疾走で稽古場を出て行ってしまった。
「…………えーっと、ダインの反則負けにより、ヴィオラ嬢の勝利?」
静まり返った会場の中、アストレイ先生の審判が下されるのだった。
ラッキースケベ、発動!