9. 剣術学科
私が入りたがっている『剣術学科』は、学園の本館から少し離れた場所にある『稽古場』という施設で授業を行うらしい。
案内図の絵柄を見る限りでは、どうやら闘技場の形をしているらしく、そこに辿り着いた私達を待っていたのは、まさにコロッセウムのような建物だった。
入り口の方にはわかりやすく『見学希望の生徒はこちらへ』という看板と矢印があった。
見学者には専用の名札が配られているらしく、私とルディもそれを貰うため、受付へと足を運ぶ。
「失礼、剣術学科の見学をしたいのですが……」
「あ、はい。新入生の子で、すね……」
受付で見学者の対応をしていた先輩は、私を見るや否や顔を青くさせ、言葉を完全に失っていった。
「おいどうしたハング──ひえっ」
彼の尋常ではない様を見た他の先輩が駆け寄って来て、同じように顔を青くさせて小さな悲鳴を漏らした。
──にしても「ひえっ」とはなんだ「ひえっ」とは。
どちらも男だというのに情けない声を出して……本当にこれが騎士を目指している剣術学科の先輩なのだろうか?
「え、えぇと……無礼を承知でお聞きしますが、ヴィオラ・カステル様でしょうか?」
「そうですわね。私がヴィオラで間違いありません」
肯定したことによって、先輩二人の顔は完全に死者と変わらぬ蒼白に染まり、私達の会話を聞いていた周囲もざわめき始めた。
どうやらルディはこうなることを予想していたらしく、わざとらしく額に手を当て「あ〜、やっぱりこうなっちゃうか」と呟いていた。
何がやっぱりなのか私にはさっぱりだけど、なに。公爵家というのは名乗るだけで影響が出るようなものなの?
「ヴィオラ様、えっと……更に失礼を申し上げることになるとは思うのですが、その……学科の場所をお間違えではありませんか?」
「え!? ここは剣術学科ではなかったのですか? ──ちょっとルディ。貴方が場所を間違えたせいで私が恥かいたじゃない。どうしてくれるのよ」
「いいえ! ここが剣術学科で間違いありません! …………本当に間違えてないのか」
ポツリと呟かれた言葉は上手く聞き取れなかったけれど、先輩の表情は安堵と畏怖が混ざり合ったような、なんとも不思議な顔となっていた。
「剣術学科で間違いないのであれば、問題ありません。それで、見学を希望したいのですが?」
「ほ、本当に……?」
「…………なんです。このヴィオラ・カストルには見学させないと? 私が女だから見る資格が無いと、貴方はそう仰られるのですか?」
「い、いいえ! めめめ滅相もございません! どうぞ! こちらが見学者の名札となります! お連れ様も、どうぞ! 観客席はあちらで、はい、お願いします!」
「ええ、ありがとうございます」
「……どうも」
二人分の名札を受け取った私達は、順路に従い観客席まで歩く。
「なんか、変な態度だったわね。女だからってナメられてるのかしら。不快だわ」
「そうじゃないと思いますけど……まぁ、お嬢様に言っても仕方ないか」
「……? 何か言いたげな顔ね。喧嘩なら買ってあげるけど?」
「怖いので辞退させていただきます。……それと、一応周りに人が居るので乱暴な言葉は謹んでください」
「なら、ルディも主人に対するその態度を改めてくれるかしら?」
「俺のは、ほら。性格? みたいなものですから。変えられないんですよ」
屋敷に戻る時は別人と見間違うほどの変貌ぶりを見せるくせに、この男は何を言っているんだと、私は呆れた。
しかし、公爵家の長女として乱暴な言葉遣いを続けるのも、些か問題があるというルディの意見には同意する。
なので私はしばらく口調を作り変えることにした。ついでに高飛車で我が儘なお嬢様という印象を抱かれぬよう、なるべく優しく、慈悲と慈愛を含んだ声色を出すように喉を調整する。
「ではルディ。見学に行きましょうか」
「……お嬢様の丁寧口調。それはそれで悪いことを企んでいそうで怖いですよね」
「貴方、マジで後で覚えておきなさいよ」
「お嬢様。口調口調」
「このっ……」
ルディは私をからかっているのか、楽しそうにカラカラと笑った。
美形の恩恵なのか、その笑顔は不思議と憎めない。でも私の中に燻る心は、確かにルディに対する復讐心だった。
──いつかその腹に一発入れてやる。
私は密かに、それを決意したのだった。
私とルディは適当に空いている観客席に座り、中央の剣戟を眺めていた。
今日の演目は『手合い』だ。
新入生が見学に来ているというのもあって、派手な印象を植え付けたいのだろう。
と言っても、戦うのは剣術学科の生徒達なので、心踊るような熱い戦いとまではいかない。それでも少しは白熱した戦いを見られるのではないかと内心期待していたけれど…………。
「なんか、パッとしないわね」
私はポツリと、ルディにしか聞こえない声量で呟いた。
観客席に座る新入生は騒ぎもせず、剣戟を繰り広げている先輩へ応援もせず、ただ静かに口を閉ざしていた。
戦いの場では観客も大いに盛り上がるものだと思っていたのに、現実と理想は随分とかけ離れていたことを残念に思う。
でも、私が一番冷めているのは観客ではなく、今も中央で剣戟を繰り広げている先輩だった。
「何あれ、ふざけているの?」
使っている武器は木剣で、ルールとして急所への攻撃は禁止されている。
本気の戦いとは言えない、学生の領域を出ない程度の優しい試合内容ではあったけれど、それでもやはり──パッとしない。剣戟の一つ一つにやる気が感じられないというか、妙に手を抜いている。意識が全て相手に向いているわけではなく、時折、観客席の方を気にしたようにチラチラとこちらを向くのだ。
これでは『試合』ではなく、ただの『茶番』と同じだ。
やる気の感じられない剣戟というのは、ここまでつまらないものなのかと、違うところで驚いてしまう。
「私、ちょっと行ってくるわ」
苛々が積もって、我慢できなくなり立ち上がる。
「行ってくるって、どこへです?」
「先輩達にやる気があるのかと問い詰めてくるのよ。折角新入生の皆が見学に来ているというのに、その間抜けな剣筋はふざけているのか。本当に剣術学科に迎え入れる気持ちがあるのか、って」
「お願いですからやめてあげてください。今日の先輩達は、まぁ……仕方ないというか、そうなってしまうのも頷けるから文句は言えないというか……」
「何よ。煮え切らない言葉ね」
「とりあえず、今日は我慢してください。ほら、次の試合が始まるみたいですよ。お嬢様も座った座った」
「…………ったく」
悪態をつきながら、ルディに促されて座り直す。
結局、見学時間が終わる最後の時まで、茶番のような剣戟は続いたのだった。