0.王国が滅んだ日
──ああ、やっぱり、こうなってしまったのね。
カリーナは王族専用の椅子に腰掛け、静かな溜め息を吐き出した。
カリーナは王女だった。
いくつもの国が睨みを利かせ、大陸の覇権を巡って争う壮絶な時代。度重なる戦で国が滅び、同じ数の国が創られた。
大地は人の血が流れ、それが乾くことはない。草は生えず、荒れ果てた大地。響き渡るは人間の怒号と断末魔。
男も女も、子供も老人も。全てが武器を持ち、戦わなければ生き残れない。そんな世の中。
カリーナもまた、それらを束ねる国の王女であった。
争いの中で出来た小さな国。彼らもまた戦うことでしか生き残る術を持たず、王族は力無き民に「戦え」と強要してきた。
大陸の中心部から離れたその国は、比較的平和な方だったと言えるのだろう。密接している国同士との争いは何度かあったが、幼かったカリーナは戦闘の恐怖を知らず、王宮の中で家族や侍女達と語らい、平和に過ごし、そして今に至る。
──きっとこれは罰なのだ。
民の苦労を知らず、苦しさを知らず、痛みを知らなかった。
……いや、本当は知っていた。姿を偽り、民と触れ合うことによって、カリーナは現実を知っていた。だが、それら全てから目を背け、今までのうのうと生きてきた。
──だからこれは罰なのだ。
目前に迫る凶器を目にして、カリーナはどこか他人事のように感じていた。
「私を、殺すのですか?」
息を飲む音。
向けられた剣の切っ先が、僅かに揺らぐ。
カリーナは愛すべき民の平和を願っていた。時には平民の格好をして街に繰り出し、民と交流した。生意気な男友達と喧嘩もした。その後仲直りして、一緒に遊んだ。
それはカリーナの楽しい思い出だった。
王女としての身分を忘れられる、掛け替えのない思い出だった。
でも、それも今日で終わる。
彼女に矛先を向けていたのは、彼女の愛すべき民達だった。
戦いへの不満が爆発し、王族のやり方が間違っていると民は武器を取った。突然押しかけた大量の民に警備の者達は倒れ、王座の間に押しかけ、カリーナも殺されようとしている。
王座の間には、おびただしい量の血が舞っていた。
それはカリーナの父親、母親、兄、弟、彼女が愛した伴侶、幼馴染の侍女とその仲間。皆、死んだ。無残な骸と化し、そこは凄惨な現場となっていた。残るはカリーナのみ。
彼女は何の力も持たなかった。
いざという時のために護身術は身に付けていたが、たかが10代程度の少女が数十人もの民を相手に争ったところで──無駄。
ならば、カリーナに出来ることは一つ。
王女として振る舞い、王女として散る。命乞いはしない。民に助けられた命で惨めに生きる未来を、カリーナのプライドが許せなかった。
それ以前に、カリーナは全てを諦めていたのだ。
守るべき民は暴徒となり、愛する者達はカリーナを置いて先に逝ってしまった。
彼女に残されたものは、もう何も残っていない。
唯一あるとすれば、彼女の中に燻る憎悪のみ。
──可哀想な人達。
彼女の内心は悪しき心で煮えたぎり、その身を焦がすほどの炎が燃え盛る。
それでも、カリーナは彼らに同情していた。
この先、彼らは知るのだろう。
王族の選択が正しかったとは言わない。だが、間違いではなかった。結局、この世は戦うことでしか生き残れない。その現実を知り、彼らは絶望するのだろう。向かう先は終わりなき死闘。指導者を失った彼らの道は、破滅への一本道。
それなら、先に逝ける自分は幸せだ。
これ以上、嘆かなくていい。
これ以上、苦しまなくていい。
これ以上、愛する者を失った悲しみを味わなくていい。
──だが、彼らに捧げてやるほど、私の命は軽くない。
カリーナは懐に忍ばせていた短刀を抜き、喉元に突きつける。
後少し力を入れるだけで、全てが終わる。
この身を終わらせるのは、己だけでいい。
カリーナはゆっくり瞳を閉じ、握った刃を引き寄せる。
鋭い痛みの後、体が重くなる。血に濡れた彼女の手はダラリと滑り、体は斜めに傾いた。口内に鉄の味が広がり、口元から溢れたそれは純白のドレスを染めた。
呼吸ができない。冷え切ったように体は冷たく、血を流しすぎた彼女の意識は朦朧としていた。
──さようなら、愛しき人達。
──私も今、そちらに向かいます。
ああ、でも、許されるのであれば、
次は、本当の幸せを知りたいな。
その日、辺境に位置する国の一つが滅んだ。
彼らは歴史に名を残さない。
騒乱の中に消え、ひっそりと、その短い歴史が潰える。
かの王国もまた、戦いに巻き込まれた被害者であった……。
新しく始まりました。
これから怒涛の毎日投稿をしていく予定なので、応援よろしくお願いします。