武姫の蹴撃
ズバァン!
道場に響くのは、サンドバッグを蹴る音。蹴りを得意とするレスラーは数人いるが、この破裂するような音を立てているのは『武姫』のキャッチコピーを持つ若手のホープ、望月登子だ。
「おーい望月、ちょっとこっちこっち」
手招きしつつ呼ぶのは、練習生を指導している最中の石黒だった。
「なんです、石黒さん」
タオルで汗を拭きつつ、スクイズボトルからスポーツドリンクを飲みながら石黒の下へ。石黒はこれから悪戯をしそうな人の悪い笑みを浮かべている。
「お疲れ。悪いね、邪魔して」
「いや、いいですよ、ちょうど休憩しようかと思ってたし。で?」
「うん、この子らに一発蹴りを受けさせようと思ってね、そしたらちょうど望月がいたから」
「たまたま私がいた? うっそだあ、私がいるとき見計らってたでしょ、絶対」
「まあそうかもしれない」
「あの~」
楽しそうに会話する二人を見て、おずおずと手を上げる練習生が一人。
ツインテールの坂本樹理亜である。
「はい、坂本」
「蹴りを受けるって、その、キックミットとか持って……ですよね?」
「なに言ってるの。体で受けるのよ、体で」
「ええ~」
「うえ~」
樹理亜と、それにつられたケイが嫌そうに声を上げる。
が、もちろん石黒は黙殺する。
「じゃ、みんなリングに上がって」
「え、リングですか」
雪江がつぶやく。
「そうよー、倒れたときの衝撃はリングのほうが逃がしやすいでしょ」
「それ、蹴りで倒されるってことですか」
「あんたら次第だけどね。大丈夫、みんな後方受け身は出来るようになってるから。どうせデビューしたら望月やらオリビアやらに蹴られるんだから、今から慣れときなさいってことよ」
「それはいいけど、望月さんかよ……」
雅も嫌そうである。入門から三ヶ月たって徐々に体が出来始めている練習生達だが、一番筋肉や脂肪のつきが悪いのが雅だった。スタミナは申し分ないのだが、手足が細く胸板も背中の筋肉も薄いので、打撃を受けるのは自信が無いのであった。
「いいからリングに上がって、ほらほら」
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・・
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・・・・
・・・・・
「じゃ、順番は……天野、川部、久保、坂本、七瀬の順番でいいかな」
「いつものあいうえお順ですね」
雪江の言葉に頷く石黒。
「じゃあ天野」
「は~い。うう、やだよう……」
「軽く腰を落として、胸を張って、腕を腰だめに……そうそう。あとは気合入れて、歯を食いしばって。目はつぶらないように」
「はーいっ!」
「よし、いいよ望月」
「ほいさ。胸への回し蹴りだからな。せーのっ!」
ズドンッ!ごんっ!
「……お‶お‶お‶お‶」
文字通り蹴り倒されたケイは勢いのまま後頭部を強打し、なんともいえない苦悶の表情でのた打ち回っている。
「ギブ……ギブ……」
「キックにギブアップは無いぞー。あと、もうちょっと上手に受け身取らないと頭打つからね、気をつけて。んで、注文通りのいい蹴りだったよ望月。次々行っちゃおう」
次の順番は雪江だが、倒れたまま起き上がらないケイを見て心配そうに質問する。
「あ、あの、まだうめいてるケイさんはどうすれば」
「とりあえず端っこに置いてきなさい。川部は用意して」
「は、はい」
「構えはさっき見たとおりで、そうそう。よく見て、歯を食いしばって」
「はいっ」
「よし、いくぞ! はっ!」
ズバンッ!
「~~~~ッ!」
上半身が倒れそうに仰け反るが、ぐっと力を入れて雪江は耐えた。
「ほお」
「へえ」
望月と石黒がそろって感心した声を出す。
「倒れないとは、やるじゃない」
「倒すつもりで蹴ったんだけどなあ」
「痛いです……ごほっ!ごほっ!」
胸を押さえ、涙目で咳き込む雪江である。
「そりゃ、痛いよ。望月の蹴りはシャングリラで一番重いし」
「一番は言い過ぎだって石黒さん。さすがに氷室さんには負けるよ」
「いや、ハイキックに関しては氷室が一番、次いで望月、芹沢くらいの順番だけど、胸から腹にかけての中段に関しては望月が一番効く」
「いやあ、そうか?」
一番と言われて気をよくする望月は、次の番を待つ久保に声をかける。
「よーし次、久保」
「おう」
久保は170センチ近い長身にして、現在の体重が70キロで筋肉質の体、さらにその筋肉を多すぎない程度に脂肪で鎧っている。
体格だけなら既にシャングリラの中でもトップクラスである。
「さあ、きなよ望月サン」
胸を突き出して笑みを浮かべる久保。耐えてやると自信を持っているようだ。
「よし、いくぞ!」
ドンッ!
「ぐうっ……」
火でも吹きそうな勢いでぶつかった蹴りに、それでも久保はなんとか転倒せずに耐えきった。
「へっ、どうだい」
「さすがにガタイがいいだけあるな。蹴ったこっちの足も痛かったよ」
やるじゃないか、と望月がほめ言葉を投げる。一方石黒は。
「川部と久保、耐えたのはたいしたもんだけど、試合のときは倒れて衝撃を逃がしたほうが楽だし、蹴りを引き立てるからお客さんの反応もいい。狙いがあるとき以外は倒れておきなさい」
「わ、分かりました」
「ふーん、なんでも耐えればいいってもんじゃないんだな」
「そうそう。おもしろいでしょう、プロレスって。さて、次坂本」
「はい。あの、倒されてもいいんですよね?」
「いいけど、当たる前に倒れるのはなしよ?」
「ぎくっ! い、いや、そんなことは考えてないです!」
「それならいいけど。さあ、望月、やっちゃって」
「はいよ。歯くいしばっとけよ」
ズドン! パァン!
胸部を打ち抜かれた樹理亜は、勢いを殺しながら後方へ転倒、綺麗に受け身を取ったため叩きつけられたことによるダメージはほぼなかった。しかし。
「げほっげほっ、きっつ~~!」
ごろごろと転げまわる樹理亜。両足をばたばたとさせている。
「さすが、受け身は上手いねえ」
「それに一応、逃げずにちゃんと受け止めようとした蹴り応えでしたよ」
「そう、ふんばりが足りなかったのね。それじゃあ坂本は下半身の強化が必要、っと」
バインダーに挟んだ育成帳に書き込むと、最後に残った雅を呼ぶ。
「最後に七瀬ね。頭打たないようにね」
「倒されるの前提なんですね、いやまあそうだろうけどさ」
ぶつぶつと呟きながら構える雅。
「目は閉じるなよ、ちゃんと見とけよ」
「承知です、望月さん」
「よし、じゃあいくぞ」
すう、と軽く息を吸った望月が、その息をフッと吐き出しつつ蹴りを放つ。
ズバン! パァン!
後ろ受け身をとった勢いのまま。後方に一回転して尻餅をつく雅。ロープ際まで飛ばされていた。
「ぐお……胸が吹っ飛んだかと思った……」
「受け身は一番よかったけど。やっぱり筋肉が全体的に足りてないね」
「はいはい、分かってます、わかってまーす」
上半身をロープによりかかった状態で返答する雅に苦笑する石黒。
「まあ、みんないい経験になったでしょ。ありがとうね望月」
「ふん、可愛い後輩のためですからいいですよ」
「可愛い後輩を蹴り倒す先輩なんていらない~」
悪態をつくケイは、まだリングの端で倒れたままだった。
「なんだと」
「まあまあ望月さん、それだけ強烈だったってことですよ」
雪江が望月の手を取ってなだめる。
「ちっ、雪江さあ、前から思ってたけど、お前ケイに甘すぎるぞ」
「え、そ、そうですか?」
えっ、えっと周りを見回す雪江だが、樹理亜や雅らもうんうんと頷いていた。
「あんまり甘やかすなよ。さて、私はロードワーク行ってくるわ。そんじゃな」
そういって望月はリングを降りる。樹理亜はその背中を見ながら
「なんか、武姫って言われるのが分かるわ」と、ひとりごちた。
キャラクター名鑑 vol.5
本名:坂本樹理亜 リングネーム:未定 身長:156センチ 階級:中量級
出身:愛知県 スポーツ暦:陸上(十種競技)、ソフトボール、バスケットボール
概要:日本人の父と英国系オーストラリア人のハーフ。運動神経が抜群によく、陸上水泳球技となんでもこなすが、基礎体力にやや難あり。パイロットの父の影響で個人用航空機の運転免許を持っている。
好物はいか煎餅。